ラクダ隊商の隊長こと松本です。
その後いかがお過ごしでしょうか。
暦の上では・・・
例年に比べ梅雨入りが遅いようですが、さて・・・関東地方は梅雨入りしたのかしらん?(先週同様このメルマガは前日に書かれたものです)
まあとにかく今年は雨が少なく、夏場の水不足が心配なわけです。
なので今から水道の蛇口はこまめに閉めるとか、お風呂は3日に一度にするとか、トイレは5回分(大の場合は3回分)溜めてから流すとか、身近な節水に努めましょう!
さて、それでは今週もインドのお話しへと参ります。
まだビカネールの旅が続いているのですが、最近はブログの方にも書いておりますので、自分でもどっちがどっちかよくわかんなくなってきております。
まあ、なにはともあれ、いざビカネールへ。
【前回までのあらすじ】
ビカネールの市内観光でも一番の目玉「ジューナーガール城塞」を訪れた私たちだったが、その壮麗なる建造物をメルマガで紹介するには、知識と語彙がとっても足らない私だったのである。すまん。
【あらすじおしまい】
堅牢にして壮麗なジューナーガール城塞を後にした私たちが次に向かったのは、なんとランチだった。早!
しかし「なぁ~んだ、ランチか」と言って決して侮ることなかれ。
目的はランチではあるのですが、それを取る場所は「ラールガル宮殿」という、これまたマハラジャの建てたすごい建物なのです。
ラールガル宮殿はマハラジャ、ガンガ・シンによって建てられました。
工期は1896年から1902年の6年間。初期の構想では予算を低く抑えられていたため、壁などの装飾には漆喰が使われる予定でしたが、後にマハラジャ自らが予算削減を撤回し、結局は漆喰に代わり石に彫刻が施されたものが使われました。めでたしめでたし。
とまあ、とにかく素晴らしく美しい宮殿で、今では5スターホテルとして一般に開放されているのです。
で、泊まることができないので、せめてランチだけでもということなのです。
そんな説明をしている間に、車はラールガル宮殿の敷地へと入って参りまし
た。
おお、うわさにたがわず・・・トテモウツクシイデース!
*えーと、やはり文章ではうまくお伝えできないわけです、はい。
正面玄関で車を降りると、すかさず歓迎の花の首飾りが掛けられました。
おいおい・・・メシを食うだけなんだよね、ワタシ・・・
あまり大げさにならないうちにと、笑顔で歓迎するホテルの人に、ランチを取りに来ただけであることを告げ、美しい装飾の施された廊下の奥へ案内してもらいました。
廊下を抜けるとそこは吹き抜けの広いスペースになっていて、隣接する中庭部分とを隔てる回廊が、テラス風の開放的なレストランになっていました。
つまりテーブルの右側が吹き抜けのスペースなら、左側は芝生と花で彩られた中庭といった具合になります。
本当ならこんなところで初夏の風に吹かれながらビールでも飲みたいところなのですが、この後もまだ観光をしなければならず、っていうか、まだ観光は一箇所しかしていないわけで、早くも酔っ払うわけにはいかないのでありました。
そこでメニューの中からムルグ・カダイ(簡単に言えばチキンカレーみたいなものです。ムルグは若鶏、カダイは・・・カダイ、いえ、カライ味付けのものです)とライスを注文しました。
さすが5スターの宮殿ホテルです。その味付けはスパイシーにしてまろやかで、吟味された食材を手間隙掛けて調理したその料理は、食べても胃からすぐにストン!と落ちそうなくらいのやさしさがあります。
もうこれは、インド料理のフリーフォールやあ!
ごちそうさまでした。
*このメルマガの後半に続きます。
〔 中略 〕
*前半からの続きです。
この宮殿ホテルには、マハラジャの愛用したアクセサリーなどを展示している博物館が設置されていたり、宮殿の前庭に王室専用列車の車両が置かれていたりするのですが、私たちはランチだけで満足してしまい、それらを見ずに先を急ぎました。
さて、次は私が一番行ってみたいと思っている「ラクダ牧場」なのですが、ドライバー氏によれば、この時間は多くのラクダが放牧に出されているのでもう少し遅い時間の方がよいとのことです。
では他に、何か見るべきところはないのか?
ってなわけでやって来たのは、ビカネールからジャイプール方面に少し戻った砂漠の真っ只中です。そこに巨大なタマネギのような物体がたくさん並んでいるのです。
そんなタマネギたちを束ねるように横たわる塀の前に、車は止まりました。
近くで見ると、タマネギのように見えたものは石造りのチャトリ(東屋)の屋根でした。
つまり、京の五条の橋の欄干に見られる擬宝珠(ギボシ)のような屋根を、きれいな装飾の施された12本の柱が支えているのです。
ドライバー氏の説明によると、マハラジャのお墓だということです。
しかしヒンドゥー教徒はお墓を持ちません。
死んだら火葬にして、その灰は川などに流してしまうのです。その辺はガンジス河を取材したテレビ番組などでよく見る光景なので、知っている人も多いことでしょう。
そういうことなので、いくら王様とはいえお墓があるのはちょっと変なのです。
そこで案内看板を読んで見ますと、そこには「THE ROYAL CENOTAPHS」とありました。
「CENOTAPH」という単語がわからなかったので辞書で調べてみましたら、「遺骸を埋めた場所とは別に死者を記念して建てた記念碑」とのことで、やはりここはお墓ではないようです。
墓守のじいさんに10ルピーを渡して中に入りました。
いくつくらいのチャトリがあるのでしょうか。
20・・・いえ、30くらいあるかもしれません。
ひとつのチャトリは一辺が4~5mの四角い台座の上に建っています。
チャトリ同士はわりと隣接して建てられていて、その間を歩いていると、日本のきれいに区画された霊園を思い出してしまいます。
チャトリはその時代によって使われている材質が違うようで、古いものは赤砂岩、もう少し時代が進むと天蓋のドーム(タマネギの部分ですね)だけが白大理石となり、そして今では土台から柱まで全部が白大理石造りとなっているようです。
そんなチャトリを修復しているのか、それとも新しく建造しているのか、何人かの工事人夫がなにやら作業をしていました。
そしてひとつのチャトリの台座の上に、そんな工事人夫のものと思われるステンレス製の弁当箱が置かれており、昼下がりの砂漠の太陽をキラキラと反射しているのがとても印象的でした。なんだか「死」の場所に「生」を見たような気がしたのです。
さて、少しは時間もつぶれましたし、そろそろラクダ牧場に移動すると致しましょうか。
つづく
なんだか歴史的建造物やモニュメントの説明ってのは難しいものですね。
やはり写真があった方がいいですね。
でも次回は歴史なんか知らなくても楽しめるラクダ牧場です。
はたしてラクダの牧場というのは、どんなところなのでしょうか。
そのお話しは、
また来週!