私はジュナーガルに着いてから、ずっとあれを探していた。
というのも、バスでジュナーガルに来る途中で、それを見かけたからである。
最初は車窓から見た畑だった。
畑のところどころに、なにやら小山のようなものができていた。
それを見たとき、もしやと思った。なにしろ窓から入る風の中にも、それの匂いを感じ取ったのである。
そしてバスが山のような荷を満載したバイク型三輪を追い抜くとき、はっきりこの目でそれを確認した。
それは落花生である。
畑にあった小山は、掘った落花生を乾燥させていたのである。
風で運ばれて来た匂いは、もちろんあの煎った芳ばしい落花生のものではなく、ほとんど土の匂いなのだと思う。
でもそれは私が子供の頃に見た秋の風景であり、匂いそのものだった。私が育った町は落花生の生産が盛んだったのだ。
なのでジュナーガルには落花生を売る店がきっとあると思って探していたのだが、ようやくそれをウパルコート砦の中で発見したのであった。
こうしたインドの屋台の豆売りは、さやをむいた豆を鉄鍋に入れた砂で煎るというのが多いのだが、この店ではさやごと煎っていた。
値段はわからないがそんなに高いものではないはずである。なにしろインドは落花生の生産量で世界第二位であるし、実際袋詰めのものなどはそこらじゅうで売られている。またちょっと気の利いたレストランでビールを注文すると、サービスでピーナッツがどっさり出て来たりする。
こうした量り売りのものを買う時には、先にお金を出して見せ、その分だけもらうのがいい。
今回はとりあえず10ルピー札を出してみた。
ひとつかみほどの落花生が新聞紙に載せられて差し出された。
その写真を撮ろうとすると、落花生屋のおっさんが慌ててなにやら言う。
写真を撮ったのがマズかったのかと思ったらそうではなく、撮るならちゃんと手渡しているところを撮れとのことで、一旦私の手から包みを取り上げ、あらためて手渡してくれた。
お気遣いありがとうございます。
さっそくさやをむいてみたら・・・ん?
これも落花生の産地で育った人間なのでよく知っているのだが、この色はまだ生である。生の落花生を知らない人でも、良く煎ったものとはだいぶ色が違うのがおわかりになるだろう。そう、普通よく見かける物は渋皮が赤茶色になっているのだ。
まだ下痢も完全には治っていないし、「生で食べたら腹をこわすぞ」と言われて育って来たのでちょっと躊躇してしまったが、そもそも待ち切れずに店の真ん前でむき始めていたので、食べないわけにはいかないだろう。あの気配りのできる豆屋のおっさんだってまだ見てるし。
むいてしまった落花生を口に入れて噛むと・・・う~ん、やっぱりこれは生である。畑に取り残されたものを拾って食べたことがあるので知っている。
口に入れた分はちゃんと飲み下し、豆屋のおっさんに「グッドだ」とうそを言い、残りの豆は新聞紙で包んでかばんにしまいその場をあとにした。
どこかに捨ててしまおうと思っていたのだが、なんだか捨てるのは気が引けて、ホテルまで持ち帰った。
そしてその夜、一人で特にすることもないもので、なんとなく落花生をむいて口に入れたら、まあこれはこれで食べられないことはない。いや、実際ああして売られているものなのだから、食べられるはずなのだ。確かに良く煎ったものと比べたら生に近いかもしれないが、一応火を通してはあるのだし・・・
なんて考えながらぽつぽつ食べてたら、新聞紙の中はいつの間にか成長不良の小さな落花生がひとつ残るだけとなり、それだけ捨てるのも忍びないので、爪の先で一生懸命さやを割り、結局全部食べてしまったのであった。
食べ物を粗末にすると罰が当たるかもしれないが、全部食べたら食べたでやはりなにかしら当たりそうな気がする。
*情報はすべて2016年11月時点のものです。
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