ついにわれわれは許された。
ガンディーの生誕地で肉食をした罪により、ホテルの電源を切られ、三時間に及ぶバスでの立ち苦行を強いられたわれわれだったが、ついに神は許したもうたのである。
ヒンドゥー教の聖地ドワルカでは、なんと二軒目のホテルで部屋を得ることができた。これはこの旅での最短タイ記録である。(思えばあのいまいましい高級ホテルも二軒目であった・・・)
さっそく旅装を解き、ドワルカ寺院のそばに行ってみると、門前には大勢の信者たちが繰り出しており、そんな信者からの喜捨を当て込んだサドゥーがたくさんいた。
私にもサドゥーの一人が手を差し出して来たが、私がそれを断るとなにやら口の中でぶつぶつ言っている。
呪いの言葉だろうか?しかし私はつい先ほど三時間の苦行を終えたばかりの清らかな身、さらにグジャラートの言葉がわからないとくれば、そんな呪術などなんの効き目もないのだ。
その証拠に、それまで舟でしか渡れなかった河の対岸に、まるでモーゼのように歩いて渡ることができた。
実はドワルカ寺院は河口近くにあり、その河の向こう岸からは寺院の全貌がきれいに見えるのだが、その河の水位は潮の干満によって変わるので、時間によっては歩いて渡れるのである。ただし私の場合はそんなことはまったく知らず、たまたま泊まったホテルの窓から、河を歩いて渡って行く人たちの姿を目にして初めて知ったのである。
これを幸運と言わずしてなんと言うのであろうか。
とにかく私も短パンに着替え、サンダル履きで河を渡りに行った。
西陽に照らされそびえ立つドワルカ寺院は実に美しかった。この光景は神様からの贈り物としか思えない。
おそらくインドの神々が私を祝福してくれているのだ。
かつて艱難辛苦の末に悟りの境地に至ったゴータマ・シッダールタは、七日もの間その心地に酔いしれたという。
思えばグジャラートの旅もあと一週間、ならば私もその間ずっと、夢見心地で旅ができるかもしれない。
ありがとう、インドの神様。
さらに日が暮れた頃からしきりに爆竹の音が聞こえ始め、やがてあちこちで夜空に花火が打ち上げられ始めた。
その日は日曜日であり満月の前日で、おそらくなにかのお祭りがあったのだろうが、私にはそれらすべてが自分への祝福と思えてしまうほど、大きな幸福感に包まれていたのであった。
[dfads params=’groups=39&limit=1′]