2001/06/23 キャラバン・サライ チェンナイ
久々の大都会チェンナイにやって来た。
この街はかつてマドラスと呼ばれていたところである。
さすがに人が多く、そして暑いではないか。
気温は35度を上回っている。暑いわけである。
しばらく雨季の南インドの地方都市を回って来た身には、この環境はちいとばっかしきつい。
まず人の応対が南インドの地方都市とは違うことに気が付き、少しとまどってしまう。
駅前でオートリキシャに乗りホテルの名を告げても、違うホテルに連れて行かれ、「安いからここにしろ」と言うのだ。
それなら金は払わんと言うと、ふて腐れてまた走り出す。
こんな具合なのである。
たしかに都会では、オートリキシャの競争も激しいらしく、とにかく何でもいいから客を乗せてしまうのである。
たとえば、運転手にホテルの名前を言い料金交渉するのだが、走り出すとどうも走りかたがぎこちないのだ。
どうしたのかと思えば、そのホテルを知らないのである。
いったいこの運転手は、何を根拠に料金を決定していたのであろうか?
もし私が、とんでもなく遠いホテルを言ってたとしたら、その運転手は泣きながらも律儀に連れて行ってくれたのであろうか?
すごく不思議である。
こういう都会の下町なんかは、地方都市のバザールとはちょっと雰囲気が違って恐いのである。
みんな目つきが厳しくて、時々喧嘩なんかもしており、一人で歩いていると恐くなることがある。
そんな時に使うのが「小さなお客様」戦法である。
これは、なんかやばい感じの通りに入り込んでしまったとき、近くのチャイ屋でチャイを飲むのである。
こうすると私は、その店にとっての「大事なお客様」になる。
すると、周りの人々が、私を排斥するような行為に及んだとき、そのチャイ屋のおやじは私を助けてくれるであろう。大事な顧客として。
この時のポイントは、なるべく人だかりのしている店で、尚且つ、おやじが強そうな店を選ぶと言うことであろう。
逆に、閑古鳥が鳴いている弱そうなおやじの店は、すでに何らかの理由で地域住民から排斥されている店と推察されるため、その店の顧客となることは周りの住民に「あー!あの野郎!くそじじいの店で買いやがった!」との怒りを買うことになり、理由無き差別を受ける近道になってしまうのである。
かつてオアシスを辿りながら旅をしたらくだの隊商のように、私たちはチャイ屋を結ぶことによって安全な旅ができるのである。
ただし胃袋に余裕のある限りではあるが。
私に今必要なのは、たくさんのチャイを詰め込むことのできる、らくだのこぶのように大きな胃袋なのである。