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2001年7月14日(土)バラナシ・2001年インドの旅第87回

         
  • 公開日:2010年2月15日
  • 最終更新日:2022年6月24日
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時Rs.1が約2.7円、3倍にして1割引けば簡単に計算できます。

7/14(土) バラナシ 曇 時々 晴 時々 雨 気温33℃

朝5時過ぎに目が覚める。
トイレに行きたいが、ヘタに起き上がると周りの迷惑と思い、もう一度寝る。

6時半過ぎ、周りもだいぶ起き始めた様だ。

朝起きてからも、同級生のインド人たちと話をして過ごす。

9:40バラナシ到着。
思ったより早いので驚く。

リキシャの男がRs.10でダシャシュワメード・ガートまで行くと言うので、ついて行き乗り込む。
すると男はエンジンをかけずに、「今は雨季でガートの水があふれて近くには行けない。他にいい所がある」と言い出す。
とにかく行ける所まで行くように言うが、男が聞かないので降りて歩き出すと、すかさず違う男がRs.30で行くと言う。
結局この男も同じ事を言い出し、周りのリキシャマンも寄ってたかって取り囲むので、さすがに頭に来て日本語で怒る。
駅に向かって歩き出すが、後を追って来た男とRs.50で目的地に行くことを約束し、結局元のリキシャに乗ることとなる。
走り出してからもムカついており、口もきかずに外を見る。
ガート近くの交差点で下車。

ガートに向かって歩き出すと、今度はやたらと話しかけられる。覚悟はしていたが、非常にわずらわしい。
ガートまで数人を引き連れて歩くことになった。

ガートはさすがに水かさが増え、階段もほとんど見えない。本来ならホテルにはガートづたいに行こうとしていたのだが、これではムリで、路地を行くしかない。
仕方なく少年二人に案内してもらうことにした。Rs.10ずつでアルカホテルに案内してもらう。

残念ながらアルカホテルのガンガーの見える部屋はいっぱいで入れないとの事。それでも明日は移れるとの事なので、今日は窓もエアコンもない安い部屋に泊ることにした。
少年たちにはそのまま待つように言い、部屋に荷物を置き、少年の案内でガートとレストラン、ネットカフェへ行く。

レストランはお好み焼き(?)やラーメン(?)も置いてある。
チキンフライドライスとチキンオニオンスープを食べる。
すごく出て来るまでに時間のかかるレストランだった。味はOK。

ネットカフェはレストランの階下にある。
Hot mail がなかなかつながらず、ここでも怒ってしまう。なだめられて別のPCでやるが、やはりすごく遅い。
なんとか1時間かけてメール2通を読み、返事を1通書いた。

帰りがけトマト500g、Rs.10で買う。

このホテルはガンガーのすぐ近くに建っており、中庭のテラスからの眺めはなかなかのもの。欧米人の若者が何人か集まり話をしている。
サルやリスも近くまで来ているが、サルは危険そうで要注意。レストランからもサルがたくさん屋上にいるのを見た。

部屋はエアコンが無く、唯一の窓もインド式のクーラーでふさがれており、あまりいい環境とは言えないが、それでもインド式クーラーの威力か、なかなか涼しくよく寝られそうな部屋である。(音がうるさいのが玉にキズではあるが)

シャワーを使うがやはりお湯が出ない。それでも体がベトベトだったので、シャワーは気持ちいい。

ガンガーは茶色の濁流となり、Hotelの目の前を流れている。よく岸が削られて建物が倒壊しないものだと感心する。

夕方ちょっといい雲が出ていたので写真を撮る。
子ザルが屋上にいる。トンボがたくさん飛んでいる。

【以下の解説は2010年2月15日のものです】

ガンジス河の沐浴風景でおなじみのバラナシは、古くからヒンドゥー教の聖地として栄えて来た「聖なる街」なのですが、外国人のみならずインド各地からやって来た観光客や巡礼者たちでいつも賑わっていて、そしてそんな人々からなんとかして金を取ろうとする輩がハエのようにたかって来るという「俗なる街」でもあります。

そもそも目的のガンジス河に行くまでにオートリキシャのドライバーたちに手玉に取られ、初め10ルピーで誘い込まれたオートリキシャでは「雨季で水浸しなのでガートには近づけない」と言われ、別のオートリキシャに「30ルピーなら行く」と言われて乗り込むと、そいつにも同じような手口で粘られた挙句に頭に来て飛び降り、最終的には元のオートリキシャに「50ルピー」払って行ってもらうというハメになったのです。
普通こういう交渉はお金を取るか時間を取るかなので、時間をかけて交渉すれば料金を安くでき、時間が惜しいなら初めから相手の言い値で乗ってしまえばいいのです。
それが今回は時間がかかった上にお金までしっかり取られるなんて・・・バラナシ、恐ろしや・・・

それでもなんとかガンジス河近辺の中心地的存在であるゴードウリヤーの交差点まで来ました。
で、ここでもまたオートリキシャを降りるやいなや数人の男たちにわっと取り囲まれ、「オレがガイドする」とか「ガートはこっちだ」とか「これ買ってくれ」とか「サイン下さい」とか(うそ)実にうるさいのです。
結局その交差点からガンジス河畔のガートまで、まるでハーメルンの笛吹き男のようにたくさんの男たちを連れ歩くハメになってしまいました。

ええい!いっそのこと笛で操ってお前たちをガンジス河に流してやりたいよ!

ガンジス河は雨季でだいぶ水量が増えているようで、写真などで見るガートのイメージとだいぶ違っていて、うっかり水に入ろうものならあっという間に流されてしまいそうでした。まあもともと私はガンジス河で沐浴したりバタフライしたりする気はありませんでしたので、手だけちょっと水に濡らして満足しました。

さて、次は宿探しとなるわけですが、私たちにくっついて来た男たちはまだ後ろでじっと待っています。
そこで私はその中から小学生くらいの男の子二人を選びました。バラナシのごちゃごちゃした道にはガイドがいた方がいいでしょうし、また相手が子どもなら万が一ケンカになっても勝てそうという理由から子どもにしました。

少年たちはひとりは「リュウ」と名乗り、もう一人は「ケン」と名乗りました。あと「ショウ」がいれば「ショウリュウケン!」になるのに残念です。

インド・ヴァラナシの宿の部屋少年たちの案内で目当てのホテル「アルカ」にたどり着きましたが、希望のガンジス河の見える部屋は取れませんでした。
それでも明日にはおそらくその部屋に入れるだろうということで、今日は一番安い部屋に泊ることにしました。

部屋は中庭に面した一階なのですが、唯一ある窓にはインド式の水冷クーラーがはめ込まれ光は全く入らないため薄暗く、ドアを開けっ放しにするのが一番快適なようです。

そんな中庭では欧米人の若者がお茶を飲みながらのんびり談笑などしていて、なかなかいい雰囲気です。
また中庭はそのままガンジス河を見下ろせるベランダにもなっていて、部屋からは河が見えないもののそこに行けば思う存分ガンジスの流れを眺めることができるので、とりあえず今日はこれでいいのであります。

つづく

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真鍮製のアンティーク弁当箱