〔当時のメモより〕 *金額に関しては当時Rs.1が約2.7円、3倍にして1割引けば簡単に計算できます。 5月11日(金) デリー 快晴 たぶん40℃くらい 4:30 起床(本当はもっと前に寒さで目が覚めていた。毛布がなかったので) 毛布と点かない蛍光灯の交換を要求 7時過ぎ散歩に出たところで二人の若者に声をかけられる。「ネットカフェの安いところがある」とのこと。 ジョーン・モハマッド 26歳 学生(自称) すぐそこと言いながらコンノートプレイスまで 結局 $1=Rs.45 で両替 その後旅行のアレンジを切り出されるが断る。 町のあちこちで掃除をしている。 バナナ屋の子供 すごく小さい女の子。 11:30 コンノートプレイスの Mac マハラジャバーガー Rs.94 *パンのヒールがボソボソでだんだん崩れてゆき食べづらい メインバザールは狭い通りに小さな店が並ぶ「アメ横」みたいな所。 夕食(ルームサービス) なぜか塩も持って来た。 〔5/11の支出記録より〕 マクドナルド Rs.115 合計 Rs.698 |
【以下の解説は2009年10月9日のものです】
酷暑季のデリーで贅沢にも涼を求めてエアコン付きの部屋にしたものの、インド製のエアコンは微妙な温度調節がうまくいかず「暑い」か「寒い」かの二者択一でした。
私は「寒い」方を選んで寝たのですが、ベッドには上掛けになるようなものが何もなく、朝方寒くて目が覚めてしまいました。
結局このホテルにはもう何泊かしようと決めたので、ホテル側にその旨を告げるとともに、よりよいホテルライフが送れるよう毛布の手配と壊れている蛍光灯の修理を依頼しました。
*結局このホテルには9泊も滞在することになるのですが、蛍光灯は最後まで直りませんでした。
7時頃、散歩でもしながら近くにネットカフェがないか探してみようと思い、メインバザールの通りに出たところで二人づれの若者に話しかけられました。こちらはまだ右も左もわからないので、とりあえずその若者に「このあたりにネットカフェはないか?」と尋ねてみたところ、なんと「安くて接続の早いところがある」との答え。喜び勇んで彼らに案内してもらうことにしました。
コンノートプレイスに差し掛かったところで、私はインドのお金を持っていないことを思い出し、まずは両替のできるところに連れて行ってもらうことにしました。すると彼らは「ガバメントのオフィスがあるからそこへ行こう」と、コンノートプレイスから放射線状に延びる道路のひとつに進路を取り歩き出したのです。
実は彼らは旅行者に親切にしてくれる立派な青年などではありません。彼らはデリーに着いたばかりで何も知らない旅行者に、言葉巧みに近づいてはリベートのもらえる旅行エージェントのオフィスなどに連れて行くというお小遣い稼ぎをしているのです。それが証拠に、デリーに長逗留することになった私はその後彼らと何度か顔を合わせることになるのですが、最初に再開した時の彼らの「えっ・・・まだデリーにいるの?」という意外そうな表情と、次いで出る気まずそうな顔がそれを雄弁に物語っていたのであります。
しかしこの時はそんなことはわからなかったわけで、私もまんまとそういう類のトラベルエージェントに連れ込まれてしまいました。あちらは単なるお小遣い稼ぎだとしても、こちらとしては下手すれば高額なツアーを組まされてカシミール辺りに送り出されるというような危険性があるのです。あまり気軽にカモにしてもらいたくないものです。
ということで、この時も両替をした後でずいぶんしつこく旅行の手配を勧められました。
*両替自体は普通の(少なくとも法外ではないと思われる)レートでできました。
エージェントの男は映画フォレスト・ガンプに出て来るダン中尉みたいな顔をしていて、自分で列車のチケットを取ると言う私の顔を、ぐいっと下からすくい上げるようにして睨みながら、「いいかよく聞け。この時期のインドはヴァケーションシーズンだから列車の切符なんて簡単には取れないんだ。だからオレがバスのチケットを手配してやるからそれで行け」とすごむのです。
それでも「全部自分でやるから必要ない」という私に、さらにダン中尉は「いいか、それだけじゃないんだ。今デリーはとても危険なんだ。昨日だけでも3件の爆弾騒ぎがあったんだぞ」などと言うのです。まったくしつこいったらありゃしません。
結局さすがのダン中尉もこちらの固い意志に負け、私は無罪放免(?)となったのでありますが、これが夜だったらまた違った結果になっていたかもしれません。なのでやたらに知らない人に付いて行ってはいけないのです。
さて、お話は変わりますが、デリーの朝は掃除で始まるようでありまして、街のそこかしこで掃き掃除をしている人を見かけました。
私にはその人たちがカーストで決められた職業的掃除人であるのか、それとも「デリー、クリーンアップ大作戦!」みたいなもので手配された掃除人なのか、はたまた単に近所の人が出てきて掃除しているのかはわかりませんでしたが、とにかくあたり一面もうもうと砂ぼこりを上げて掃除をしていました。
道端でカゴにバナナを積んだだけで商売をしているバナナ屋を見かけました。かたわらには小さい女の子が座っていたのですが、その女の子の頭の小さいことといったらありません。(まあ体も小さいのですが)
頭が小さいのはその女の子だけでなく、インド人は大人の男の人でも結構頭の小さい人が目立ち、バイクのヘルメットなども日本のものより小ぶりに見えます。
昼食はマクドナルドで取りました。
今でこそデリーのあちこちにあるマクドナルドですが、この頃はコンノートプレイスのPブロックとジャンパトゥくらいにしかなく、この時はPブロックのマックへ行きました。
マハラジャマックというのは日本でいうビッグマックみたいなもので、ハンバーグが2枚入っていてなかなかのボリュームです。
ただしパンがボソボソなので食べてるうちに次第に崩壊して行き、そいつをなんとか再結束させようと両手で圧縮しながら食べなければならないので大変なのです。
*今はパンも良くなってそういうことはなくなりました。また当時のハンバーグはマトンを使用していたようですが、今はすべてチキンのようです。
メインバザールはとても「メイン」とは言えないような道幅の通りに、小さな商店や安ホテルなどがぎっしりと建ち並び、いつも大勢の人たちで賑わっているところなのですが、その混雑した通りにオートリキシャやサイクルリキシャ、バイクに自転車、牛に犬などが分け入りそれはもうすごい騒ぎです。
そこに来て停電対策の自家発電エンジンがそこかしこで唸りを上げ排気ガスを撒き散らすものですからたまったものではありません。
なのでたいていの旅行者はあまりデリーには長く滞在せず、素早くさぁ~っとどこかへ散って行ってしまうのであります。
夕食はホテルの部屋でルームサービスを頼みました。
まあ日本の感覚では「ホテルのルームサービス」というとものすごく高いものを想像してしまいますが、インドの安ホテルではそんなことはありません。
この日注文したものはチキンフライドライスで45ルピーでした。しかも大盛りで食べきれないほどの量があります。
上の支出記録を見ると、この日の支出はホテル代まで入れて698ルピー、当時のレートで1900円ほどでした。
内訳を見ると・・・う~ん、マクドナルドでの支出がいかに高いかがわかりますねえ。
つづく
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