「玉子を三個入れてくれと言っただけなのになあ・・・」と、ベラは目の前に置かれた三皿のオムレツを見つめながら途方に暮れていた。
ブジでの宿に選んだゲストハウスの中庭にはテーブルが置かれ、そこは宿泊客がお茶を飲んだり食事をしたりするだけでなく、社交の場でありまた情報交換の場でもある。「どうも英語は苦手で・・・」とハンガリー人のベラは言うが、写真家にして音楽家の彼は世界各地を旅しており、このブジにも毎年のようにやって来ては村の人たちを写真に収めているということなので、本人が言うほど英語が苦手だとは思えず、それはおそらく話をすること自体が苦手なのではないかと思うのである。
しかしそれだけにゆっくりと静かに話す彼の英語はとても聞き取りやすく、私としてはゆったりとした気分で話ができるのでありがたかった。
そこに行くと夕食の時同席したポーランド女性の英語は、流暢ゆえに早過ぎて、聞き取ることに神経を集中していたため食事の味などまったくわからなかった。
朝の散歩に出ているY棒もそろそろ戻って来る頃だと思うので、ベラが持て余している二皿のオムレツはこちらで引き取ることにした。ブジには5泊する予定なので、なるべく安い宿をということでこのゲストハウスの門を叩いた。
部屋の案内に立った宿のオーナーらしき老人の背中に向かって、「長い滞在になるので居心地のいい部屋にしてくれ」と念を押した。こうしたゲストハウスにとって、はたして5泊が長逗留と言えるのかどうか疑問ではあったが、インドでは自分の要求はしっかり伝えなければいけない。
そうして与えられたのが二階の突き当たりにある二人部屋で、水シャワーと便座のないトイレ付で一泊500ルピー(約850円)というものだった。これなら5泊しても2500ルピーと、あのポルバンダールの停電ホテル一泊分より安いのである。大きなリュックを背負った白人女性が顔を出したので挨拶すると、夜行バスでたった今アーマダバードから戻って来たところなのだと言う。
「戻って来た」ということは、前にもここに滞在していたということか。
さすがイギリス人、本家本元の発音で話すのだが、こちらは彼女の出身地である「ロンドン」という言葉さえ聞き返す始末であった。このゲストハウスはブジでも老舗だそうだが、一年ほど前にオーナーが変わったとのことである。
そしてそのことが古くからここを定宿としているベラには気に入らないらしいのだが、初めてここを利用する私には、以前とどこがどう変わってしまったのかがよくわからない。
少なくとも私の目には、現オーナーも物静かでなかなか良い老人に映る。
ようやく注文したトーストが運ばれて来た。食事を運んで来るのは五十がらみの痩せた男なのだが、作るのもやっぱりその男で、どうやらその男はこのゲストハウスの雑事全般を担っているようであった。
男はチャッティースガルという辺鄙な州の出身で、出稼ぎだか何だか知らないが、なんでまたよりによってブジなどという辺境の地に来てしまったのかが理解に苦しむところなのである。
このゲストハウスに泊まると決まった時、その雑事全般請負係りの男は、壁の張り紙を指差しながら、「部屋を出る時は一切の電源を切ること」などと、このゲストハウスに於けるルールをひとつひとつ読み上げて行った。
その中に「洗濯はランドリーサービスを利用すること」というのがあったので、下着は別として素直にそれに従ったのだが、出したズボンが二日間事務所の床に放置され、結局自分で洗うことになってしまったというのが、このゲストハウスでの唯一の不満であった。
やがてY棒が戻って来たので、オムレツの皿を差し出しながら事の顛末を説明すると、「なんでまた三皿と思っちゃったんだろう」と不思議がっていた。
そりゃそうだ、いくらなんでも一人で三皿のオムレツを注文するのはおかしいと思うのが普通であろう。
このゲストハウスでも自分の部屋だけはプライベートスペースであるが、たとえ二階三階の部屋でも窓やドアは外廊下に面しており、それを開け放っているとプライバシーもへったくれもない。しかし逆にそれが居心地がいいと思えるのはなぜだろう。
縄張り意識の強いタヌキも、動物園の様な狭いスペースに数頭入れられると、もはや縄張りを持とうと思わなくなるという話を聞いたことがあるが、それと同じ心理なのだろうか。
垣根があればあるほど警戒心が増し、最初から垣根などなければないで、特に気取ることもなく明け透けでいられるということなのかもしれない。
その頃になると他の宿泊客たちも三々五々この中庭のテーブルに集まって来た。そもそもインドがらみで知り合った人は個性的な人が多く、変わり者好きの私としては、常日頃からそういう人たちとの交流を楽しく感じているのだが、こうしたゲストハウスに集まる人たちもなかなかおもしろい人が多い。
特にこのブジという町はパキスタンとの国境にも近い最果ての地であり、遠路はるばるここを目指してやって来るからには何かしら目的のようなものを持っており、それゆえ実に個性的で興味深い人が多いのであろう。
また人に対して過干渉にならず、あまり浮ついた人もいないというのも、私がここを居心地よく思う理由のひとつになっている。
ブジの空は朝からきれいに晴れ上がり、次第に高くなってきた太陽がそろそろおしゃべりに夢中になっている宿泊客たちに降り注ぐ頃である。
そして宿泊客たちは手分けをして、テーブルと椅子を日陰の壁際へと移動させ、またそこで話に花を咲かせるのである。
今日もこうしてゲストハウスの平和な一日が始まるのであった。
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