2001/05/29 さらばムンバイ ムンバイ
ムンバイは本当に物価の高いところであった。
ホテル代もデリーの5倍もした。5泊もしてしまったので、1/5のホテル代のデリーと比べると5×5=25となり、25デリーもしてしまったことになる。
おまけにチェックアウトの時に食べてもいない食事代を請求され、フロント3人とレストラン関係者3人と私で大騒ぎの言い合いになってしまった。
結局ホテル側のミスと判明して、険悪な状況は脱っしたが、それが75ルピー(約220円)のことなのである。私を誰だと思っているのだ。どうせなら300ルピーくらい請求してきて欲しいものである。まったく食ってもいないのに後味が悪いとはこれ如何に・・・
まあ、そんなムンバイとも今夜の列車でおさらばと、3度目の列車に勇躍乗り込むと・・・
なんだ?私の席に白人女性が座っているではないか。
「ここは私の席だと思うのだが」と言うと、その白人女性は、友人4人で一緒に座りたいので席を代えてくれないかと言う。
なんだ、そんな事かと安請け合いをして通路を挟んで反対側の席に移った。
この席はボックスシートではなく進行方向に対して平行に寝るタイプの寝台なのだが、幅が45センチくらいしかなくかなりきつい。これでは寝返りなどうつと通路にごろごろ落ちてしまい、席を譲ってやった白人も恩を忘れて笑うだろう。
しかしそこは私のことだ。デリーのホテルに滞在していた時に、あのシャワーで鍛えた「その場旋回」を寝たまま行えば、即問題解決ではないかとひらめいた。ナイスな考えだ。
私はさっそく「その場旋回」改め「その場空中寝返り」の練習でもしようかとベッドに横になった。
と、その時でである。先ほどのグループから、もうひとつ向こうのベッドに移ってもらえないかという提案がなされた。どうやらもう二人友人がいるらしい。
私は荷物も椅子の下に突っ込み、鍵までかけてしまったし、なによりこれからウルトラC技の特訓を始め、かつて日本がお家芸としてきた男子体操の復活を目指そうとしていたのだぞ。それどころではない!断る!断じて断る!
そうこう考えていると、グループの中の一人が「私たちはみんな英語を話す人だしぃ」(原文:We are all English Speaker./訳:戸田奈津子)などと余計なことを付け加えた。
かちん!
な、なんだとぉー・・・・・・・・・・・
あー、あー、そうですかっだ!どうせ私のは英語とは言えませんよ。私だって英語より落語のほうが好きなのだ。
なんだってぇ、そいじゃあおまえさん、その毛唐にまんまとやられちまったてぇ寸法かい。だらしないねえ・・・ほーらうまいだろ!
なんだ、そんな事を言うんならさっきから英語で頼まないで日本語で言って欲しいもんだ。
だいたいおまえらだって、一人はさっきドイツ語みたいなのを話してたろ。それからおまえはどう見たって中国人だ。そっちの白人女性はスペイン人だろ、見た感じ。それにインド人もいるじゃないか。みんなネイティブなイングリッシュスピーカーではないではないか。
私は文句を言いたいのをぐっとこらえる必要もないくらい英語が分からないのでこんな時楽である。
それに連合軍相手に日本が戦っても、第二次世界大戦の二の舞である。ここはひとつ、われ世界の趨勢とわが身の情勢に鑑み、あくまでこの地に留まらんとして玉砕するよりも、あえて後方に退き、身を臥して永く子々孫々の命を得んとす・・・と、さわやかに「OK!」と言って移動した。
カーテンを閉め、独りきりの寝台に横たわるとどっと疲れが出て、もう寝返りなんかどうでもよくなってしまった。
そしてまぶたを閉じると頭の中にアリスの名曲が自然と流れてくるのだった。
「なにーもーいーい、ことぉーがぁー、なかったーこぉーのぉーまちぃーでー」
「ムンバイバイバイ私のあなた、ムンバイバイ私の心、ムンバイバイ私の命、ムンバイバイバイマイラブ・・・」