現在、世界の風潮は「地球に優しい」です。
地球規模で起る環境破壊を何とかしようと、様々な研究や活動が行われています。
インドでも首都デリーでは排気ガスの汚染を減らそうと、営業車両の燃料をCNGに切り替えるなどの取り組みをしています。
そうです、インドも例外なく環境に配慮しなければならない状態に陥っているのです。
ところがです。
こらこら、そこのおっさん!道にごみを捨てちゃいかんじゃないの!
というような光景がインドではあちらこちらで見られます。
つまりインド人はごみをそこら辺に、平気でぽいぽい捨ててしまうのです。
特に自分の立っている位置より低い場所にはゴミを捨てやすいのか、道端に穴が開いているとそこにゴミをぽいぽい捨ててしまいます。
私がバンガロールの目抜き通りを歩いていると、そこではケーブルの敷設工事が行われていました。
歩道に掘られた穴を覗くと、すでに埋設されたパイプの中からいろんな色のケーブルが束になって出ているのが見えました。
バンガロールはハイテク都市なので、このケーブルも最先端技術を駆使した通信回線なのかもしれません。
そんな穴が歩道に等間隔で掘られているのですが、穴の中を覗くと、なんと中にはゴミがたくさん捨てられているではありませんか。
色とりどりのハイテク回線は、色とりどりのゴミで埋もれてしまいそうです。
しかも工事関係者だってインド人ですから、このままゴミを取り出さずに埋め戻してしまうのは確実でしょう。
まあ生ゴミなどは分解の過程で発熱するので、このホットな情報が飛び交う通信回線にはお似合いかもしれません。
さらにゴミの投げ捨ては駅のホームなどでも行われます。
ここは道端の穴ぼこよりさらに「捨てやすい」環境なのでしょう。
なにしろプラットホーム以外の場所はみんな低い位置にあるので、ゴミを捨てるにはもってこいなのです。
言ってみれば巨大なゴミ箱が目の前に広がっているのと同じことなのです。
でもインド人には巨大なゴミ箱にしか見えないかもしれませんが、そこはれっきとした線路であり、もうすぐ自分たちの乗る列車だって入って来る場所なのです。
そこのところをインド人はどう考えているのでしょうか?
インドの列車はよく脱線事故を起こしますが、もしかしたら誰かが捨てたゴミが原因なのかもしれません。
バナナの皮で滑って列車事故が起きていたとしたら、これは地球環境以前の問題です。
まずは「窪みに優しい」を合言葉に活動を始めるべきでしょう。
この投げ捨てられるゴミの主なものに食品容器があります。
だいたいポイ捨てされるゴミのほとんどは、食べ物絡みのものなのです。
食べ物自体の残りカスか、食べ物が入っていた容器です。
道端で新しいパンツに履き替え、古いパンツを捨てている光景はあまり見かけません。
南インドでは今でもバナナの葉に食事を盛り付けて食べたりします。
そして南インド以外でも、葉っぱを使って容器が作られていたりします。
これは主に屋台などでのテイクアウト用の容器で、当然使い捨てです。
そういった容器は食べ終わった後、道端にぽいぽい捨てられるわけです。
容器の素材は葉っぱで、捨てられた後は朽ち果てて行くわけですから、あまり問題にはならないのでしょう。
しかしビニールやプラスチック、ペットボトルなどの容器は、同じような感覚でぽいぽいやってはいけません。
いくらインドの大地でも、ビニールやプラスチックを朽ちさせるだけの力はないでしょう。
やはりそこは環境に配慮して、分別回収やリサイクルを徹底しなければならないでしょう。
ペットボトルなどはもう一度水を詰め直し、無知な旅行者にでも売ってしまい、リサイクルを完成さ・・・・・おっと・・・あぶないあぶない・・・
とにかくゴミはゴミ箱へ入れようよ、インド人!
とまあ、ここまで偉そうに言って来た私なのですが、私も道端でとうもろこしを食べたときなどは、その芯を道に投げ捨てています。
いえね・・・インド人が「そうしろ」って言うものですから・・・・
そ、それでも私はなるべく人目に触れないよう、駐車中の車の下とかに投げ入れているのです。
こうすれば最低限の美的環境は守られるで・・・
そうですね・・・やっぱりよくないですよね!・・・ポイ捨て
インド人よ!
いつまでもそんなことしてると、自ら墓穴を掘ることになるぞ。
そうしたら自分の墓穴にもゴミを捨てられちゃうんだぞ。
そんなのいやだろ。
あっ、インド人の大多数を占めるヒンドゥー教徒は、お墓を作らないんだっけ・・・