〔当時のメモより〕 *金額に関しては当時1ルピーが約2円だったので、ただ単に2倍にすれば円価になります。 2010年4月19日(月) ラーメシュワラム 晴 フロントにいたリキシャマンとダヌシュコーディーまでの交渉をする。 ダヌシュコーディーまでの道は周りになにもない道だった。当初は自転車で行こうと思っていたが、止めておいてよかった。 車(オートリキシャ)は先端まで行けず、専用の乗合トラックやジープで行くことになる。(Rs.60) しかしそこからは延々と砂浜が続くばかり。とりあえず一時間歩いて引き返そうと思い、ひたすら歩く。 歩き出してすぐ砂浜に海ガメ発見! 水を飲み飲みずんずん歩くが、途中の教会で一休みし、戻ることを決意する。 帰り道に何組かのインド人グループとすれ違ったが、みなこの先の様子を尋ねて来る。 ようやく駐車場に戻り、ひと安心。 |
【以下の解説は2012年12月6日のものです】
〔以下メモに解説を加えて〕
2010年4月19日(月) ラーメシュワラム 晴
フロントにいたリキシャマンとダヌシュコーディーまでの交渉をする。 向こうでの待ち時間(2時間)も入れてRs.400だと言う。ガイドブックに書いてあった金額(250~300)よりかなり高かったが、乗ることにした。
ホテルのフロントにオートリキシャのドライバーが待ち構えていて、「どこまで行く?」と聞いて来た。自分とは相性の悪いホテル内にいたリキシャマンだったので、少し警戒しながらの交渉となったが、なかなか物をハッキリ言うおっさんだったので、それを信用して乗ることにした。
ダヌシュコーディーまでの道は周りになにもない道だった。当初は自転車で行こうと思っていたが、止めておいてよかった。
「ダヌシュコーディー」とは、スリランカに向かって細長く突き出た半島(正確にはそこにある村の名前)のこと。さらにその半島の先端からは、飛び石状に小島がスリランカまで続いており(「アダムズ・ブリッジ」と呼ばれている)、それを見に行こうというのである。 ガイドブックにはラーメシュワラムには貸自転車屋があると書いてあったので、最初は自転車でのんびり行って見ようかと思っていたのだが、実際にオートリキシャで走って見ると、道のりは想像以上に遠く、また周りには売店やチャイ屋もなかったので、思い留まってよかったと胸をなでおろした次第である。
車(オートリキシャ)は先端まで行けず、専用の乗合トラックやジープで行くことになる。(Rs.60) リキシャマンの案内で乗り場へ行きトラックを待つが、25人ほど集まらないと出発しないとのこと。
半島の先の方は道らしき道はなく、砂の上を走ることになるため、それ用の車(四輪駆動車など)でないと入れない。元々それを見越してジープのような車をチャーターして来るお金持ちもいるが、ほとんどの人は乗合トラックで先端を目指すことになる。 料金は60ルピーとお手頃だが、人数が集まらないと出さないとのことで、もう一組の家族とともに小屋の軒先の日陰でしばし待つことになった。
やがてトラックは来たが、ちょうどそこへ団体客がやって来てしまい、我々は乗れなかった。
ところが待てど暮らせど後続の客は来ず、来たと思ったら団体客で、彼らだけでトラックをチャーターして行ってしまった。
係りの連中もこちらに気を留めようともしないので、トラックの走って行く方角へ歩き出す。
完全に無視された形で頭に来てしまった。そしてその怒りでつい「歩いて行ってやる!」と思ってしまったのである。
しかしそこからは延々と砂浜が続くばかり。とりあえず一時間歩いて引き返そうと思い、ひたすら歩く。
ダヌシュコーディーにはM君と来ていたのだが、怒りにまかせて砂浜を早足で歩き始めた私を見て、M君は早々に一緒に行くのをやめてしまった。実に賢明な判断である。
歩き出してすぐ砂浜に海ガメ発見! しかしカメは死んでいた。
トラックは浜辺から遠く離れた場所を走って行くので、「ほら見ろ!楽して行くやつはこんな風に海ガメとの出会いなんかないのだぞ!」と内心ほくそ笑んだのだが、よく見たらカメは死んで干からびており、誠に不吉な出逢いであった。
水を飲み飲みずんずん歩くが、途中の教会で一休みし、戻ることを決意する。 少し心臓がバクバクしている。これ以上進むと帰れなくなりそうだった。
とにかくひたすら砂浜だけの光景が続き、少しでも目標物が見えると「とりあえずあそこまで・・・」と思って歩くのだが、ついに力尽きてしまった。小さな教会の庇は私にとってしばらくぶりの日陰となり、ホッとした途端心臓の鼓動が早くなって来てしまい、ちょっと焦った。
帰り道に何組かのインド人グループとすれ違ったが、みなこの先の様子を尋ねて来る。 一時間歩いたが先端まで行けなかったと話すと、みな一様に大きなため息をついていた。
どこにも同じようなヤツはいるものである。でもおそらく彼らは怒りにまかせて歩き出したのではなく、トラック代を惜しんで歩き出したのだろう。あちらは英語ができず、こちらは彼らの言語ができないので、ジェスチャーでの会話となったが、志を同じうするものは互いによく分かり合え、良き交流となった。
ようやく駐車場に戻り、ひと安心。
正直な話、無事に戻れて本当によかった!と心からそう思った。そして人間常に冷静でなければいけないと、いい歳こいてあらためてそう思った。