「インドの乗り物」としてJALの紹介はどうかとも思ったのですが、通常インドには飛行機で行きますので、まあご勘弁下さい。
さて、今朝(2007.1.18)の新聞にJALの新たなるリストラ策の記事が載っていました。
内容は不採算路線の廃止を含む、就航路線の見直しというものでした。まあ早い話が儲からない路線からは手を引いて、儲かる路線でがんばろうというわけですね。
それでですよ、
その中で成田-デリー線は増便するということなのですよ。
増便数や時期ははっきりとは書いてありませんでしたが、それだけインド路線は「儲かる」、または「儲かる見込みがある」という期待を持っているわけですね。
という話を聞いても、最近のインドの発展振りをニュースなどで見てインドに注目し始めた人には、「そりゃあ、あたりまえでしょ」くらいにしか思われないかもしれません。
しかし、JALのインド路線には、過去に暗い歴史があるのです。
あゝ、思い起こせは15年前(たぶんそのくらいだったと思います)、JALは「不採算」という理由で、デリー路線を廃止したのでございます。つまり今回のリストラ策とはまったく逆だったわけです。
ただまあそれも仕方のないことで、その頃のJALのデリー行きは直行便ではなく、すべてバンコク経由だったのですが、その乗客のほとんどがバンコクで降りてしまい、その後の機内はもうがらがら状態、座席使い放題、スチュワーデス(当時の呼称)さん呼び放題、トマトジュース飲み放題、トイレにいつでも入り放題という状態だったのです。
そんなわけで、デリーはJALから見放され、捨てられてしまったということなのです。
それでもその何年後か、「我が国が大使館を置く一国の首都に、JALが乗り入れていないのは邦人保護の観点から見てはなはだ遺憾である」とかいう理由で、しぶしぶ(たぶん)JALはデリー路線を再開したことはしたのでありました。
長いこと儲からなかったでしょうね、JALさん。
でもこれからはその苦労が報われるんじゃないですか。
と、今後益々発展するであろうインド経済とともに、増便で増収を見込むJALさんなのですが、私としては、早くエア・インディアと同額で乗れるようになって欲しいなあと思う次第なのであります。
説明が遅れましたが、上の写真はかつて乗ったJALデリー路線でもらった絵葉書と搭乗券(1987年)です。
あー、できればJALに乗りてえ~!
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