インドからの絵手紙
- 公開日:2001年5月10日
- 最終更新日:2022年12月8日
これは2001年5月から7月にかけてインドを旅したときに、インドから日本の留守宅に出していた絵手紙です。
毎日何か話題を探して書き(描き?)ました。
誤字脱字意味不明文もあるかもしれませんが、よかったら見て下さい。
インド到着初日の報告である。
この時はまだ絵手紙仕立てでハガキを出そうなどと思ってもいなかったので、あくまで文字が中心となっている。
朝の散歩を兼ね、ネットカフェと両替屋を探していたら、あっという間に若い二人連れにからめとられてしまった。
ご存じ妹尾河童氏著「河童の覗いたインド」に掲載されているホテルの部屋の俯瞰図を真似てみたのであるが、もちろんご本家の足下どころか地中300mくらいにも及ばない絵である。
この旅のスタート時点で食べていたものが如実に描かれている。
なんとも不精で新しい店を開拓しようという気があまりなかったので、ほぼ毎日こんな状態であった。
インドに行くのは初めてではなかったが、オートリキシャに乗るのは生まれて初めてだった。
で、乗ってみたら一度でファンになってしまった。
5月のインドは酷暑期で、エアコンなど持たない人たちはチャールパイと呼ばれるベッドを外に出し、そこで寝たりする。
このサトウキビの絞り機を見ると、「機械」という字が両方とも「木へん」からできている意味が良く理解できる。そういえば子どもの頃の脱穀機なども本体は木製であった。
ようやくマクドナルドを卒業して「普通の人が食べる」店に行った。
といっても行ったのは軽食屋で、食べたものはパイであった。
すっかり日本でもおなじみになった感のある、インドのミルクティー「チャイ」である。
この店のチャイの作り方はご覧の通りだが、茶葉を煮出すのに本当にしつこいくらい長時間じゅわじゅわ沸騰させていた。
50ルピーの札束でどっさり渡され、しかも札束がことごとく段ボールに使うような太いホチキスの針でガチガチに留められていた。
ラージダニ急行(エクスプレス)とはインドの主要都市間を結ぶ列車で、専用軌道ではなく在来線を走るものの走行優先順位が高く、他の列車より所要時間が短い。
ホテルの場所を「駅から歩いて40分」と書いているが、本当に歩いてたどり着いたのである。
まさかその後にメインディッシュが配られるとは思ってもいなかったので、第二段が配られ始めた時には度肝を抜かれた。
日本ではマンゴーなど食べないが、インドでは(日本で買うより)かなり安く買えるので食べてみた。
ムンバイは本当に物価が高く、ホテル代もこの通りである。
しかも売り手市場なのか従業員の態度もあまり良くなかった。
アーマダバードからずっとひどい下痢だったが、ようやくそれも収まって来た。
「ろくなものを食べていない」とあるが、朝食と昼食はいつもこんなものである。
この時ムンバイにはサイクロンが近づいており、このハガキを書いた後さらに風雨は激しくなり、目の前の桟橋のコンクリート製の柵がなぎ倒されるほどの荒れ様だった。
これはインドの駅などでよく見かけるコイン式の自動体重計である。
とにかく電飾がびかびかと光り、薄暗い駅構内では本当に目立つ存在なのである。
次の目的地であるゴア行の列車の切符を手に入れるため右往左往し、チャーチゲート駅近くのオフィスまで足を延ばしたついでに、近郊列車がどんなものなのかを見学した。
せっかくの電動式絞り機であるにもかかわらず店員は2、3人おり、そして見ている限りでは全員がフル稼働で働いている様子でもないのがちょっと不思議だった。
インドの寝台列車の紹介だけにとどまらず、その雰囲気を立体的に感じてもらおうとする意欲作である。
ここは泊まっていたホテル(アロマ)に入っているレストラン。
ホテルは古くてあまり良くなかったが、このレストランはなかなかちゃんとしていた。
エアコンなど必要がないほど爽やかな風がよく入るし、ビーチリゾートとしてはシーズンオフだったため、周りに騒がしい若者やうらやましいカップルなどいないのが実によかった。
どうせ海に入るわけではないので、シーズンオフでもまったく関係ないと思っていたのだが、ほとんどのレストランが営業していないのには困った。
この部屋は二階なのだが、各部屋は外廊下でつながっている。つまりアパートのような建物なのである。
八百屋の店頭に並ぶへしゃげた梅の様なものを眺めていたら、店主が「食って見ろ」と試食させてくれた。
そんな最先端(インドとしてはだが)の街に、たまたま私がいる間に新しいスーパーがオープンしたのでさっそく覗いて見た。
ここはインテリア系がメインとなっている店で、インドチックなくせにおしゃれなものもいろいろ売っていたが、目に付いたのはこれだった。
いやはや、なんだかマズイもの特集のようになってしまった。
バンガロールは大変気候が良く、しばらく滞在するつもりになっていたので、念願のとうもろこしにも手が出せた。
ほとんどが中古品なのだが、中には誰がこんなもの買うのだろう?と不思議に思うようなガラクタ(失礼!)も売られていて面白かった。
ここはマハトマ・ガンディー通り沿いにあるサベラというお店。
なにしろ一日一食のまともな食事だったので、いつもものすごくうまく感じた。
インドの郵便ポストには形や色の違うものがいくつかあり、どれをどう使ったらいいのかよくわからない。
そこはグランドホテルという、日本の観光地に必ずあるような名前のホテルだったが、従業員の態度も良くなかなか快適なホテルだった。
さすが南インド、バナナの種類も豊富である。
俗に調理用と呼ばれるバナナだと思うが、スライサーで薄くして油で揚げて売っていた。
シーフードを食べるとは思っていなかったのだが、図らずも獲れたての海の幸に舌鼓を打つことになった。
ここで飲むヤシの実ジュースは実にうまかった。
採ったその場で飲んだからであろうか。それともインドの風土の中で飲んだからであろう。
日本のホテルではまず見かけないエレベーターである。そんな危険なエレベーターは宿泊客自信で運転するのでさらにおそろしい。
バスは南インドのごく普通の乗り合いバスである。
座席は右側に3列、左側に2列である。
この一店をもって「これが南インド式だ!」とは言えないと思う。
でもまあだいたいこんな感じなのだ。
ヤシの実ジュースをご馳走になった家で、ヤシ酒も勧められた。
決して親切心からではない。彼らにとってはまたとない現金収入のチャンスなのである。
バルコニーのドアとともに部屋のドアも大きく開け放ち、心地良い海風を部屋いっぱいに入れながら、ひと時の"リゾートライフ"を満喫したのであった。
カニャークマリは常に風が吹いていて、お蔭でエアコンのないホテルでも快適に過ごせた。
そしてその風を利用しない手はないということだろう、カニャークマリの郊外に風力発電の一大プラントがあった。
古いがなかなか大きなホテルだった。
大きいだけに結婚式の一団なども泊まっており、夕方近くになると正面玄関前に親類縁者友人知人などが集結し、ぞろぞろ出掛けて行くのであった。
インドのワインを初めて飲んだ。
ラベルの「ゴールコンダ」とはハイダラバード郊外にある岩山である。
そこには絵のような古城があり観光名所になっている。
日本から持参した頭痛薬は多めに飲んでもまったく効かず、やはり「インドの病気にはインドの薬」と心の底から納得した瞬間であった。
やはり炒りたてのものはビニール袋に入って売っているものよりおいしい。
この絵のものはカニャークマリの海岸近くで、おばあさんが炒っていたものである。
チェンナイの大通りアンナ・サライ沿いにあるスペンサープラザは、ちょっとした規模のショッピングセンターで、その一階には食料品売り場がある。絵にあるトマトジュースやマンゴスチンはどちらも輸入品である。
またとうもろこしの登場であるが、これはバンガロールのトウモロコシ屋を「茹でたもの」と書いてしまったための、検証済み訂正ハガキなのである。
もし持って歩くのをいとわないのなら、インドでこんなポットを買うのもいいかもしれない。
こいつは全体的にプラスチック製なので重量はたいしたことはない。
南インドのチャイの作り方の派生形である。
最後の仕上げがなんとも憎い演出で、まるで味を変えてしまう魔法のひと手間なのである。
オートリキシャの運転手は、気の弱そうな男なのだがなかなかサービス精神旺盛で、「これを食べてみろ」と手渡して来たのが、この絵のタマリンドだったのである。
なんとまあハイダラバードのホテルでは歓迎のフルーツが付いた。
それほど高価なフルーツではなかったが、その気持ちが嬉しいではないか。
ハイダラバードで泊まったホテルは、この旅一番のおしゃれなホテルであった。そしてそれにも増してホテル側の歓待ムードが非常に心地良く、本当に気分のいいものだった。
さすがに谷川までは行かないものの、地域の共同井戸や水道で水を汲むのは、今でも女の朝の大切な仕事になっているようである。
今では「インドに行って生絞りジュースを飲まないと損しちゃうよ~」みたいなことを言ってる私だが、この時は旅を始めて二ヶ月ほどしたところでようやくそれを飲んだのであった。
インドの駅弁である。新聞と葉っぱで包まれているのが実におもしろく、しかも葉っぱは何枚もつなぎ合せたものだと知った時には感動さえ覚えた。
このチャイ売りはコーヒーも扱っていて、「ガラムチャイ~ガラムチャイ~、コフィコフィコフィコフィコフィ~」と言いながら通路を移動して来る。
最初に案内された窓のない部屋を拒否して手に入れた部屋である。
もっとも窓はひとつしかないが、そこからはホテルの南側に広がる街並みが見渡せなかなかの絶景であった。
ただでさえも蒸し暑い雨季のカルカッタで、こんな通気性の悪そうな着ぐるみに入るというのはどんな気分なのだろうか。そしてバイト代はいくくらいなんだろうか。
新規の営業免許が下りないので、自然車夫は年々高齢化して行く。
この時も見かけるのは痩せこけたじいさんが多く、とても乗る気にはなれなかった。
牛はインドでは神聖なる動物として大切にされているが、それはなにも牛に楽をさせるという意味ではない。牛も荷車を牽いたり畑を耕したりと、しっかり働かされているのである。
マリーゴールドの花輪はインドの至る所で見かけるので、インドを象徴する花といっても過言ではない。
いくらお得とは言っても、この容器の大きさでは途中で飽きてしまい、ひいてはチャイを嫌いになってしまうかもしれない。
与えられた部屋は河が見えないどころか、唯一の窓が水冷式クーラーでふさがれた暗い部屋であった。
一番大きなガート(ダシャーシュワメード・ガート)に行き、このハガキ(絵を描く前ね)に"聖なる水"をばしゃばしゃ掛けた。
ホテルアルカのガンジス河が見える部屋である。おそらくこの宿一番の部屋だろう。
お蔭で部屋代は倍以上になったが、窓の数はそれ以上の比で増えた。
インドの水冷式クーラーの仕組みは至って簡単である。
モーターでタンクの水を汲み上げ、三方に取り付けてある植物繊維のマットに水を掛け、プロペラで風を吹き出させるだけである。
インドに行った時はミネラルウォーターを買って飲んでいる。
中には歯を磨く時にもミネラルウォーターを使うという人もいる。
バスルームに設置された湯沸かし器のスイッチは部屋にはない。
じゃあどうするのかと言えば、フロントに言ってスイッチを入れてもらうのである。
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