2001/06/05 甘い誘惑 パナジ-バンガロール
いよいよ長距離バスに乗る日が来てしまった。
事故なんかに巻き込まれないだろうか・・・
睡眠薬強盗なんかが乗り合わせないだろうか・・・
言っておくが、別に私はびびってなんかいないのだ。
私はこう見えても小学生の時に剣道を習おうと道場に話を聞きに行ったことがあるのだ。
ただ残念なことに、その道場は土曜の夜7時から9時が練習時間になっていたので、それでは「8時だよ、全員集合!」が見れなくなってしまう。しかたなく泣く泣く剣の道を断念せざるをえなかったという事情を持つ男なのだ。
それでもスポーツ用品店で竹刀だけは手に入れ、庭で勇ましく素振りなどをし、人が通りかかると素早くやめてしまうという奥ゆかしい面も持ち合わせているのだ。
つまり文武両道ということになろう。
そんな私がバスの一台や二台でびびるわけがない。
出発時刻の1時間前にはバスターミナルへ行き、本日乗り込む予定のバスを下見しながら運命の時を待った。
こんなときの時間の流れはすさまじいほどに早く、ついに乗車時刻となってしまった。
私の席は前から二列め、運転席の後方なので事故の時に少しは有利かもしれない。
他の乗客を見渡すと、女性の二人連れや子供連れの家族なんかもいる。
意外と安全なのかもしれない・・・あんな子供だって乗っているのだ。子供の無邪気な顔を見れば、睡眠薬強盗だって犯行を思い留まるかもしれない。ぜひそうしていただきたい。私は切にお願いする次第である。
とにかく私も余裕のあるところを見せておかなければ、やつらに付け込む隙を与えてしまう。
ちょうどそこにポップコーン売りが来た。私は何を隠そうポップコーンが大好きで、公園などでもひとりで抱えてハトにもやらず、もくもくと食べてしまうほどなのである。
好きな物を食べれば少しは気も落ち着くだろうと、5ルピー出してそれを買った。
ポップコーンを食べる私の横を子供がちらちら見ながら通るのだが、私はひとつもあげなかった。これは私のだ!
やがてバスはドアも開け放したまま走り出した。
インド人は寒さにも強い民族なので、平気で車内に風をぼーぼー通り抜けさせている。私の大事なポップコーンも飛んで行きそうなくらいすごい風である。
バスはここパナジからバンガロールという街まで行くのだが、地図で見ると距離はおよそ500kmはある。これを14時間かけて走るのだ。単純に時速に直してみると平均時速はおよそ35km強ということになる。
私は初め、これをずいぶん遅いスピードだと思っていた。しかし走り出してしばらくすると認識を改めなければならないと気付いたのである。
なにしろ道が狭いのである。バンガロールは内陸の山の中なので、山道を走るのは事前に予想していたのだが、これほど道が狭いとは思わなかった。この行程を日本人の安全感覚でバスを運行したなら、おそらく20時間はかかってしまうのではないだろうか。
2時間ほど走ると、バスは森の中にある一軒のドライブインで止まった。休憩のようだ。
何分休憩か聞こうと思ったら、乗務員が一番先に休みに行ってしまって判らない。
時間は午後8時で、あたりは真っ暗であった。時刻からすると、おそらく食事を取るための休憩であろう。しかし私はポップコーンを食べたし、これ以上食べると夜中にバスの中でうんこがしたくなってしまう怖れがあり、途中で降ろしてもらっても暗い森の中で野グソをしなければならないだろうし、もし万が一バスが行ってしまったらと考えるとケツの穴が縮む思いであった。
それでもとりあえず小さい方だけでもしておこうとトイレをさがした。
トイレは別棟で林の中にあったが、インドのトイレはだいたいにおいて、恐ろしいほど汚れている。
そこで私は夜陰にまぎれてトイレの脇の林ですることにした。
しかしトイレの周辺というのも、実はうんこポイントになっていたりするので危ないのだ。
ちょうどゴミがひとつ落ちていると、みんなそこにゴミを捨てていってしまうように、インド人はトイレがあるとその中でするのみならず、その周辺でもしてしまうのである。つまりトイレはうんこをする場所というだけでなく、うんこをしていい地域の目印にもなっているのだ。
これは不思議なことなのだが、同じうんこでも人のうんこはなるべく踏みたくない。まだ犬のほうがいい。あえて序列を付けると、人・犬・牛の順番になろうか。
私は暗闇の草むらに恐る恐る踏み込んで行った。まるで地雷の残っている地域に踏み込むようである。
思えばダイアナ妃は偉かったのだなあ。
結局1mくらいしか進めず、しかたなくそこで用を足しはじめた。
すると前方に何か光るものが・・・・・・ひとつ・・・ふたつ・・・みっつ
ホタルだ!
日本のホタルとは違い光り方がせわしない。それにあまり高く飛ばず、低い草の上を飛んでいる。
新発見だ!
私は思いがけない光景に見とれ、放尿しつつもホタルを捕まえてみたい欲求に駆られた。
しかしここはインドだ。どんな恐ろしいホタルかも知れないのだ。うっかり手を出したら、光っているのは体のほんの一部で、全長が30cmくらいある、いわゆる「ヘラクレスインドホタルモドキ」だったら大変だ。おそらくそいつは角なんかも生えているだろうから、手首を挟まれたらすごく痛いだろう。泣いてしまうかもしれない。しかも左手首を挟まれたら、腕時計が壊されてしまう。それはとても困る。バスの発車時刻が分からなくなってしまうではないか。
あっ、だいたいバスが何時に発車するのか知らないんだった。
そんなことを考えていたら、とても捕まえようなどとは思えなくなった。
一刻も早くこの場から立ち去らねば。
そして私は本当に糖尿病持ちではなくてよかったと胸をなで下ろした。
なにしろホタルは甘い水が好きなのだから。