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2004年12月3日:パインズクラブ通信 第114号

         
  • 公開日:2022年8月10日
  • 最終更新日:2022年8月20日

暦の上では・・・

ついに12月に突入致しました。

先週紅白歌合戦の出場歌手の発表もあり、いやが上にも年末モードになって参りました。

紅白歌合戦は毎年その内容や出場歌手に関しまして、各方面からの批判などが飛び交い、賛否両論、喧々諤々のケンケンぱっなのでありますが、逆に言えばそれだけ大きな存在ということでしょう。またそのためにちょっとでもなにか問題があると、出場を辞退しなければならないんでしょうね・・・なっちは泣いちっち・・・

とにかく今年も紅白歌合戦がやって来ます。

出場歌手をざっと見てみますと・・・

あ~ぁ・・・今年も知らないヒトがいますねえ・・・

「W」って、誰ですか? ケンジの方ですか? ヤングの方ですか?

こんなことを言うとWの熱烈なファンという方から自宅のポストに現金100万円を投げ込んだりという嫌がらせを受ける恐れがありますが、そんときゃそんときで正月のモチ代としてありがたく頂戴させて頂きます。

さて、そんな紅白歌合戦なのですが、私のご幼少の頃はテレビに色が着いておりませんでしたので、ぜんぜん「紅白」なんかじゃありませんでした。毎年白組とグレー系中間色組とが戦っておりました。

もちろんそれは我が家のテレビがカラーテレビではなかったからでありまして、紅白歌合戦に関しましては、昭和39年の第15回からすでにカラー放送が始まっていたということであります。

そういえば私が暗い幼稚園生活を送っていた頃でも、すでにテレビCMなどで、

「うちぃ~のテレビにゃ色がないぃ~、となりのテレビにゃいろがあるぅ~」

というカラーテレビのCMをやっておりましたし、新聞のテレビ欄にはわざわざ【カラー】などという、カラー放送番組を示す識別マークまでついておりました。

そしてカラーテレビが設置されている家の屋根には、オレンジ色に塗られたアンテナが誇らしげに立ち、「ここの家にはカラーテレビがあるんだからね!」と、周囲の家々を睥睨(へいげい)していたのであります。

 

*このメルマガの後半へ続く

〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。

*このメルマガの前半からの続きです。

 

私の家は色のないテレビ受像機の時代が長く続き、ようやく我が家の屋根にも、オレンジ色のにくいヤツがそそり立ったのは、昭和47年の12月のことでした。

その「カラーテレビ導入」の時期は、世間一般から見て決して早くはなく、その証拠にすでに新聞のテレビ欄からはカラー放送番組を示す【カラー】の記号が消え、それに代わってモノクロ放送番組だということを示す【白黒】という記号が、非常に差別的に貼っつけられていたのでございます。

しかし、そんなことはもうどうでもよいのです。今日から我が家の屋根にも、あのオレンジ色のにくいヤツがそそり立つのです。今まで我が家をばかにしていたモノども、なめんなよ!

と当時を思い出しますと、まるで長屋に中古テレビを配達させた星一徹のような心境になり、ちょっとエキサイトしてしまいます。

そう、あれは忘れもしない昭和47年12月のとある日曜日でした。
その日は須山電気が我が家にカラーテレビを配達する予定だったのです。

当時テレビは量販店などで気軽に「お持ち帰り」するという代物ではなく、日頃からお付き合いのある街の電気屋さんが配達やら設置やら修理やらを一手に引き受けてくれておりました。我が家にとって、そんな「街の電気屋さん」が須山電気だったのです。

その日は日曜日だったということもあり、私は朝から須山電気の到着を今か今かと首を長くして待っていました。
こらえ性のない私は母親に何度も「ねえ、電気屋さん何時ごろ来んのさあ?」と聞くのですが、その度に母親は「そんなの分かんないよ」というどーしょもない答えを繰り返すばかりで、私のしつこさについには怒リ出してしまう始末です。今なら電気屋さんのケータイに電話して、「ねえ、ウチの配達まだ?早くしてちょーだいよ」とか言えるのでしょうが、当時はそんなものありません。なにしろケータイどころか白黒テレビしか持ってない家があったくらいですから。(ウチですが)

とにかくもう待ち遠しくて待ち遠しくて仕方ありません。

あー、午前中に来てくれないかなあ、そうしたら今日の「テレビ寄席」はカラーで見られるのになあ。

まあ考えてみれば牧伸二の「あ~んあんあ、やんなっちゃった」など、カラーで見ようが白黒で見ようがあまり違いはないとは思うのですが、でもできるならカラーで見たいというのが人情でしょう。

しかし須山電気は午前中には来ませんでした。

あー、午後一番で来てくんないかなあ、そしたら「ダイビングクイズ」カラーで見られんのになあ。あの風船、きれいだろうなあ。まさか全部グレーの風船ってことないよな。でも意外と全部グレーだったりしてね。そしたらおかしいだろうな、ぷっ!

自分の方がよっぽどおかしいです。

結局須山電気が来たのは午後も3時を回ってからでした。

でもとにかく待ちに待ったカラーテレビが我が家に到着したのです。これが嬉しくないわけはありません。

当時のカラーテレビは本体が木目調で高級感にあふれ、製品名も「カラー」を強調して、パナカラーとかキドカラーとかそんな名前がついていました。
そしてその「高級感」に負けないほど価格も高かったです。今手元にある資料を見ますと、18インチの画面のもので139,800円とあります。しかもアンテナ工事費別で、別売りの置台が4,600円するようです。つまりなんだかんだで15万円近くしたのでしょう。
比較に同じ資料に掲載されている車の広告を見てみますと、ホンダの軽自動車「ライフ」のスタンダードが351,000円(諸経費別)とありますから、いかに当時のカラーテレビが高かったかがお分かりになるかと思います。

あっ、私が今どんな資料を見てるかと申しますと「グラフNHK」という、NHKが発行していた(今もしてるのでしょうか?)薄っぺらな冊子で、そいつの昭和47年の12/15号「紅白歌合戦増大号」なのであります。えっへん!

ちなみに表紙は、その年の紅白歌合戦で紅組の司会を担当する佐良直美です。
内容は紅白出場歌手の紹介をメインに、両軍司会者の誌上対談、初出場歌手のヨロコビの声などが載っており、採点表までついています。
採点表には「採点の欄は両軍三つずつもうけました。3点法(3、2、1)とか、ご家族で採点するとか、また歌唱点、努力点に分けるなど自由に採点して下さい」なんてことが書いてあり、当時の紅白歌合戦がいかに一大イベントであったかがうかがい知れるのであります。

当時の大晦日のお茶の間では、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そしてマサオにサトミなどが紅白に別れ、結構真剣に応援しながら見ていたのです。もしかしたら採点をめぐって乱闘騒ぎになるご家庭もあったかもしれません。

でもいつも紅白を見ていて思うのですが、応援する側というのは男女が逆の陣営になりますよねえ。

そりゃあ、じいちゃんなどは「わしはやっぱり村田英雄が一番好きじゃな」と言うかもしれません。ばあちゃんも負けずに「あたしは何と言ってもひばりだね、ヒバリ」と主張するかもしれません。

でも一般的にはあんまり同姓の歌手を応援しないんじゃないでしょうか。私もアグネス・チャンや榊原郁恵を応援したものです。

あっ、気がついたら話がとんでもなく違う方向に流れていっておりました。私の待ちに待っていたカラーテレビの話はどこかにすっ飛んじゃいました。

まあとにかく我が家もその年初めて「本当」の紅白歌合戦を見ることができ、そういった意味では、やはり紅白初出場だった沢田研二や野口五郎、青い三角定規や平田隆夫とセルスターズらと『同期』と言えなくもないんじゃないかなあ、と思うわけであります。

う~ん・・・今回は何のオチもなかった・・・

それでは、また来週!

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