暦の上では・・・
ついに7月突入です。
関東地方はまだまだ梅雨が続きます。
今朝の新宿もどんよりとした曇り空でした。
でもあと2週間もすれば・・・・梅雨も明けるかな?
とにかくまだうっとうしい日が続いているのですが、うっとうしいと言えば電車の中などでヘッドホンから漏れるくらいの大音量で音楽を聴いている人がいます。あれはちょっとうっとうしいですね。
私のするどい分析では、あの行為は自分のことを知って欲しいという欲求の表れなのだと思います。
自分がどんな音楽を聴いているのかみんなに知ってもらいたいのです。
そんなさみしい気持ちは分かるのですが、その音楽は分かりません、私には・・・
第一、音楽を構成する音が全部漏れてるわけではなくて、一部の音しか聞こえないのです。
たいていシャカシャカという音しか聞こえません。
私はその音を聞くと、ヒゲを生やしてソンブレロをかぶったメキシコ人が「アミーゴ!」などと叫びながら両手でマラカスをシャカシャカかき鳴らしている姿を思い浮かべてしまいます。
今朝の電車にも一人いました、そんなメキシコ人が。
「テキーラ!セルベッサ!」
そんな人でも周りを爽快にさせることがあります。
少し前のことなのですが、事故か何かで電車のダイヤが乱れ、乗っていた電車が急遽次の駅で折り返し運転になってしまったことがありました。
事前に車内アナウンスでその旨が通知され、次の駅でみんなはため息まじりに電車を降りて行ったのですが、それまでつり革につかまっていたヘッドホン装着の若者は、そんなこととはつゆ知らず、空いた席にすばやく座ったのです。
その光景を見たおじさんたちは、なんだか一矢を報いたような気分になり、ダイヤの乱れもなんのその、爽快な気分で迂回の路線へと向かったのでした。
せっかく座ったんだからゆっくりしていきなさいね、テキーラ!
もうひとつ電車の中でうっとうしいのは携帯電話の話し声です。
あれだけうるさく注意されていても、まだ通話している人をたまに見かけます。
でも全部が全部不快というわけでもありません。周りを気遣いながら小声で素早く用件を済まそうと努力しているおじさんなどは、見ていて気の毒なくらいです。
特に仕事がらみでかかってくる電話は無視するわけにもいかず、電車の中でもとりあえず電話に出て応対します。そして周囲の乗客と電話相手(たぶんお客さん)の両方に気を遣いながら、なぜか背中を丸めて話します。背中なんて丸めなくてもいいのにです。
先日電車で見かけたおじさんも、背中を丸めて周囲を気にしながら携帯電話でこんなことを言っていました。
「あっ、ちょっとすみません。今デンワに乗っちゃったものですから・・・」
私が見る限りそのおじさんはデンワには乗っていませんでした。なぜあんなウソをついたのでしょうか?不思議です。
さて、このように現代では手軽に持ち運べる機械が本当に増えました。携帯電話、ヘッドホンステレオ、ノート型パソコン、たまごっち・・・
とにかく持ち運べるものだけでも数え切れないくらいのものを持っています。
さらに家にある電化製品を足したらすごい数になるでしょう。私の子どもの頃に比べるとえらい違いです。
なにしろ私のご幼少の頃は、「三種の神器」と呼ばれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機がようやく普及してきた時代でしたから。
それでも私が生まれたときのわが家には、すでにテレビと冷蔵庫はあったようです。そして待望の男の子(私のことです)が生まれた喜びで、三種の神器の最後のひとつ洗濯機も買いました。
これで三種すべてがそろい、ゲームなどでは次のステップへと進むところでしょう。
「三種の神器」と聞いて思い出すのは「犬神家の一族」です。
原作は横溝正史ですが、角川春樹事務所が映画化したものをご覧になった方も多いのではないでしょうか。
物語のあらすじを少しお話し致しますと、製薬業で財産を築いた犬神佐兵衛の遺産をめぐる、横溝正史お得意の「おどろおどろしい」物語です。
早い話莫大な遺産相続を巡り、骨肉の争いが繰り広げられるというお話しです。
その物語の中でひとつのキイワードになっているのが「犬神家の三種の神器」である「斧(よき)」「琴(こと)」「菊(きく)」なのです。
このみっつをつなげて言うと「良き事聞く」となるわけです。
電車のヘッドホンにいちゃんもちゃんと車内アナウンスを聞いていれば、あんなかっこわるいことにならずに済んだのにね。人の話はよく聴きましょう。
こういった複数の言葉を合わせ、ひとつの意味を導き出すものは他にもあります。
たとえば「のぞみ」「かなえ」「たまえ」です。
これは昔テレビ朝日系列で放送されていた「欽ちゃんのどこまでやるの(通称:欽どこ)」の中で、欽ちゃん夫婦に生まれた三つ子に付けられた名前です。
つまり「望み叶え賜え」となるのです。
これはたしか一般公募でついた名前だと記憶しておりますが、三つ子の兄の名前である「見栄晴(みえはる)」も良く付けた名前だと評価致します。
なんだか話があっちこっちに飛んでおりますが、え~と・・・この後どの話に戻そうかな?
それともぜんぜん別な話にしてしまおうかしら。
やだわ・・・何にも考えていなかったわ、あたし。
それではみなさんの意見を聴いて決めたいと思います。
下の中から一番良いと思う番号を念じて下さい。
1、横溝正史のおどろおどろしい話
2、欽ちゃんのおかしな話
3、新たな話題で名誉挽回して欲しい
4、何も期待するものなどない
5、これ以上しつこくすると警察呼ぶわよ!
それでは集計結果は後ほど。
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
考えたらみなさんが念じたときには、すでにこのメルマガは配信済みなわけですね。どうりでひとつも念が来ないわけです。余計なお手間を取らせて申し訳ございませんでした。
でも念じたことで便秘が解消された方もいらっしゃるのではないでしょうか?
「念ずれば通ず」ってね。
さて、もうみなさんの念を当てにするわけにもいきません。
しかたがないので自分で決めたいと思います。1番で行きます。なにしろ私は横溝正史ファンなのです。
私が横溝正史のことを知ったのは、やはり角川映画「犬神家の一族」ででした。
当時高校生だった私は朝の通学電車の中吊り広告でそれを知ったのです。
角川書店発行の本の表紙と同じ、おどろおどろしい女性の絵が印象的な広告でしたが、同じクラスの友人が横溝正史のファンだったので、しきりにその広告を欲しがり、こともあろうか私に「盗って来てくれ」と頼むのです。
そりゃあ彼は勉強も出来る真面目な生徒でした。万が一にも広告泥棒で捕まったりしたら、自分の将来に支障をきたすということを心配して私に頼んだのでしょう。
じゃあ、私の将来はどうなんだ?えっ!
そんな懐かしい想い出もあるのですが、私はその時点では横溝正史の本を読みたいとは思いませんでした。だいたい人を犯罪者に仕立て上げようってえ魂胆の、きたねえやつが好きな作家なんざあ好きになれるわけがありやせん。
ところがです、それが好きになってしまったんですね、これが。
翌年、高校3年になった私には彼女ができました。
その彼女が横溝正史を読んでいたのです。
えっ?単純ですって!
何を言ってるのですか、物事はすべてそんなものです。
好きな人と同じものを読み、同じものを見て、同じものを食べて、同じ服を着て・・・
あっ、服はまずいよね、変態になってしまいます。
とにかく好きな人と何でもおんなじおんなじがいいのです。
そんな訳で私も一生懸命横溝正史を読み始めました。
すると意外と面白いのです。すぐに夢中になってしまいました。
すっかり横溝正史ファンになった私は、「これで彼女と共通の趣味が出来たぞ。私たちの仲は横溝正史がとりもったようなものだ。もう二人を引き裂くことは誰にもできないぞ」と確信したわけであります。
ちょうど横溝正史の新作映画「悪魔の手毬唄」が公開されていたので、そのうち一緒に観に行こうと思っていました。
そしてその夏休み、私は地元の映画館で「悪魔の手毬唄」を観ました。でも横に座っていたのはその彼女ではなく、なぜか男の友達でした。
そうです、彼女は私の心に少しの思い出と横溝正史の世界を残して去っていったのです。
ちょうど今頃の季節、梅雨が明けるか明けないかといった中途半端な時季でした。
そんな決まりのつかない陽気に反して、彼女はすっぱり決まりをつけたのです。
梅雨の晴れ間の広がったとても暑い日でした。
夏のぎらつく太陽の光の中に、彼女の姿はフェードアウトして行ったのでございます。
やがてその想い出は美しいものに変わって行きましたが、横溝正史の世界はその後もずーとずーとおどろおどろしいまま私に中に棲み付いているのです。
毎年この時季になると彼女の想い出とともに、おどろおどろしい角川文庫の表紙の絵が、私の脳裏に鮮明によみがえるのです。
ちなみに映画を観たのが地方の映画館でしたので、2本立ての上映でした。
もうひとつの映画は山口百恵と三浦友和の「春琴抄」でした。
この2本の映画の組み合わせなのにもかかわらず、映画館には夏休みのヒマを持て余した子どもたちがたくさん来ていて、しかも映画に飽きた子どもたちが場内狭しと走り回り、うるさくてしかたがなかったことを思い出します。
あー、ホント彼女と来なくてよかったあ!ラッキーだなあ!
と思った私であります。
追伸:三浦友和が針で眼を突くシーンでは、さすがの子どもたちも立ち止まってスクリーンに見入っておりました。
いつにも増して支離滅裂な話でした。辛い想い出で気が動転してしまいました。
どうぞご勘弁ください。
それではまた来週、支離滅裂なメルマガでお会いしましょう!