フォート・コーチンから乗船時間10分、その前の待ち時間50分、計一時間かけてようやくマッタンチェリーに到着しました。
桟橋から岸に上がると、とても観光地とは思えない地味な風景でした。ちなみに振り返って見たフェリー乗り場が下の写真です。
この手前にアーチ型の看板があるのでそれとわかりますが、この建物だけ見たら古い学校かなにかだと思ってしまいそうです。しかし一歩通りに足を踏み出すと、両側には色とりどりの商品を並べた店が連なり、おー、なるほどここは観光地じゃわいと納得します。
建物はどれも古いものをそのまま使っているようです。
一階部分が店舗で二階が住居(実際に住んでいるかどうかは知らないけど)という様式で、隣家とぴったりくっついた、いわゆる町屋造りの古い町並みはなかなかいい雰囲気を醸し出しています。店の品ぞろえは外国人観光客、特に欧米人を意識したものになっているようで、「いかにも」といったものが所狭しと並んでいます。それにしても観光客にこんな大きなものが売れるのでしょうか。
持って帰るのは大変だし、送ってもらうにしても紛失や破損が心配です。
あー、その前にちゃんと発送するかどうかが・・・いや、さすがにそれはちゃんと送るだろう・・・と信じたいですが。さて、マッタンチェリーというところは、かつてユダヤ人がたくさん住んでいたところで、ジュー・タウンとも呼ばれていましたが、第二次世界大戦後のイスラエル建国に際し「母国」への移住を選択した人が多く、いまではユダヤ人はほとんど住んでいないということです。
しかしここには彼らの先祖が造ったシナゴーク(ユダヤ教の礼拝堂)が今も残っていて、そこがこのマッタンチェリー観光の目玉ともなっているのです。
ということで、シナゴークに来ました。シナゴークには観光客がチラホラしかいませんでした。
まあお土産屋の通りにもそれほどたくさんの観光客がいたわけではありませんでしたが、それにしても人が少ないな・・・
と思ったら、今日は金曜日で休みでした。実は私はコーチンに来るのがこれで三度目なのです。
一度目の2001年はエルナクラムに宿泊していて、またこの辺りの観光スポットに関する知識も皆無だったため、フォート・コーチンに行くのがせいぜいでマッタンチェリーには来ませんでした。
二度目の2010年はフォート・コーチンに宿を取り、徒歩でマッタンチェリーを目指したのですが、一歩手前で腹痛に見舞われガソリンスタンドのトイレに駆け込み、すっかり意気消沈して宿に帰ってしまい、マッタンチェリーには到達しなかったのです。
まあ強いて言えば、その2010年の時にはフェリーをフォート・コーチンで下りはぐってマッタンチェリーまで来てはいたのですが、まずは宿を探すのが先決とすぐにオートリキシャでフォート・コーチンに移動してしまい、この辺は全然見ていないのです。
なのでちゃんとしたマッタンチェリー観光はこれが初めてということで、結構気合を入れて来たつもりだったのですが、そんな私をユダヤの神はお許しにならなかったのでしょう。その門は固く閉ざされ、またしても近づくことを拒否されたのでありました。仕方がないのでこのシナゴークの一番の特徴と思われる鐘楼と時計をパチリと写し、おとなしく立ち去ることにしました。
ユダヤの神よ、次はせめて事前に休館日を調べるくらいの気合は入れて来るようにするよ。この他のマッタンチェリーの見どころというと、ダッチ・パレスと呼ばれる元オランダ総督の邸宅があるのですが、それほど見たいとは思いません。
まあ今回の南インドの旅はあくまでもバカンスであり、ゆっくり過ごすのが目的なので観光なんて別にどうだっていいのです。 と、強がったりする。
ということで、
お土産屋街のやはり古い建物を利用したカフェ(というほどのものでもないですが)に入り、通りを行き交う人たちをぼんやり眺め、往時のマッタンチェリーに思いを馳せてみたりするのでありました。
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