「インドで一番の観光スポットってどこ?」
と聞かれれば、まあ100人中83人くらいの人は「タージマハル!」と答えるでしょう。
でも残りの17人も本当は「タージマハル」と答えたいのです。
ただ、「なんだよ、タージマハルばっかりちやほやしちゃってさ」という反感や、「それじゃあ途中すっ飛ばされちゃったマトゥラーがかわいそうだわ」なんていう同情から、つい素直に答えられないだけなのです。
注:マトゥラーは、デリーからタージマハルのあるアグラに向かう途中の街です。古代の仏像が有名でよくガンダーラ仏と比較されますが、アグラへ急ぐ人たちは素通りしてしまう場所です。
まあ、ことタージマハルに関しましては有名過ぎるということもあり、人によって好き嫌いが分かれるところかと思いますが、やはりインドを代表する名所であり、どうせインド(少なくともデリー近辺に)行くのであれば一度は見ておきたいスポットでしょう。(「二度はいいや」という声も多数聞きますが・・・)
それでは、これからタージマハルへと入って参りますが、その前にタージマハルに関しましての最低限の知識だけは身につけておきましょう。
それは、タージマハルは第5代ムガル皇帝シャー・ジャハンが、愛妃ムムターズ・マハルのために建てた霊廟だということです。
つまりお墓なわけですが、たまにお城と勘違いして「まあステキ!こんな大きなお家に住みたいわあ。いったい何LDKなのかしらねえ?まさかおトイレが一箇所ってことはないわよねえ?だってそうでしょ。この広さでおトイレがひとつだったらさあ、間に合わないじゃないのよお~!やだわあ~、あたしい!」なんて言う方がおられますので、その辺に気をつけて、いざ行かん!
まずは入場料を払うのですが、外国人は750ルピー(約2,000円)もします。(2005年6月時点)
えっ?
その入場券には「Rs500」って書いてあるじゃないか?
まあ、そうなんですけどね・・・
なんでも入場料とは別に支払わなければならないお金があるそうでして、とにかく750ルピー取られちゃうのは確かなのです。
でも何年か前は1000ルピーくらいしていたこともあるようですので、入場料に関しましては今後も変動があるかと思います。
さて、入場料も払ったし、いよいよ生タージマハルとのご対面だ!
と思ったら大間違いです。
その前に厳しい検問が待ち構えているのです。
最初の門を入ると金属探知機のゲートがあり、さらには警備員による手荷物検査が行われます。
これはタージマハルの美観を汚す恐れのあるものや、テロ行為に利用される恐れのあるものの持込みを防ぐためのものです。
ちなみに持込禁止品は、タバコ、ライター、マッチ、電卓、携帯電話、飴、ガムなどがあります。
火に関するものがダメだというのは理解できますが、飴やガムはちょっと驚きです。
まあ建物の美観を汚す行為に至らしめないための処置なのでしょう。
そして観光客は電卓と携帯電話でひっかかる人が結構いるのです。(インドで使えない日本の携帯電話もダメです)
なのでせっかくタージマハルから携帯電話で友だちに、「あー、オレ。今どこいるかわかる?わかんね?実は、マハル(尻上りに発音すること)にいるんだよね。わかる?マハル?タージよ、た・あ・じ!それってすごくね?」なんて報告しようとしてもダメなのです。
どうしてもタージマハルから生の報告をしたい人は、このポストから郵便で送るしかありません。
タージマハルを訪れる際には、ぜひ筆記用具と便箋、封筒、切手などをご持参下さい。
ちなみにポストの向こうに見えるのがチェックポイントで、そこで引っかかった手荷物は門前の「ロッカー屋」に預け、再びチェックを受けます。
さあ、みなさんうまく通り抜けられましたでしょうか。
ここまで来ればあとはのんびり見学するだけです。
大変お待たせ致しました。
ついにこの瞬間がやって参りました。
えっ?
なんですか?
カラーじゃないのでイマイチ美しさがわからない?
そうですか、実はこれ、絵葉書なのです。
神田の古本屋でみつけたものなのですが、おそらく昭和初期のものではないでしょうか。 某百貨店の主催した「回教圏展覧会」という催しで売られていたもののようです。
写真の下には、「ルーハマジタ 度印」と書いてあるのが見えます。
どうしてこんな古い写真をわざわざお見せしたかと申しますと、近年タージマハルは大気汚染による酸性雨のために、かなりのダメージを被ってしまったとのことなのです。中には「昔より黄ばんだ」と断言する人もいるくらいなのです。
そこで、まだ工場も自動車も少なかった頃の美しいタージマハル、いえ、「ルーハマジタ」を見て頂こうと思い、こうして神田の古本屋からがさごそ探し出して来たという次第なのであります。
どうです、親切でしょ。
では、その後のタージマハルの変貌振りを、私のコレクションの中からお見せいたしましょう。
これは1963年の写真です。
日本がようやく戦後の復興を果たし、「もはや戦後ではない」と言われた時代です。そして翌年にオリンピック開催を控え、東京が急ピッチで変貌していった頃です。
タージマハルも復興中だったのか、並木がまだ小さいですね。
これは1987年の写真です。
日本は再び景気が良くなり始め、バブルと呼ばれる時代に突入する頃です。
インドはまだまだ経済的鎖国状態が続いており、外国製品の輸入は厳しく制限されていました。コーラもインド製の「カンパ・コーラ」というものしかなく、コカ・コーラの復活はまだ先のことです。
並木もだいぶ大きくなりました。
そしてこれは2005年の写真です。
こうして連続して比較しますと、その変貌振りがよく分かるかと思います。
ずいぶん観光客が増えましたね。
えっ? タージマハルの汚染状況?
どうでしょう・・・前より白いようにも見えますが・・・
あー、写真の色が違うだけですか。
それにしても並木、また小さくなりました。とてもフシギです。
えー、さて、
タージマハルの変貌振りも把握致しましたので、ずずずいっと近づいてみましょう。
タージマハルに近づきますと、あらためてその大きさに驚かされます。
本体の高さは約67m、中央の大ドームだけでも高さ約26m、直径約18mもあります。
それに匹敵する建造物を調べてみましたら、エジプトのメンカウラー王のピラミッド、タイのワット・アルン(暁の寺)、シドニーのオペラハウス、浅草の凌雲閣(関東大震災で解体)などがそれぞれ67mの高さがあるようです。
またウルトラマンを倒したゼットンは66mで、あと一歩及びませんでした。
そしてこれからタージマハルの基壇部に上がるわけですが、そこへは靴を脱いで上がらなければなりません。
靴は基壇部へ上がる階段の前で脱いで、そのままそこに置いていってもいいのですが、帰って来たときに靴がそのままそこにあるかどうかは保証できません。
やはり靴の紛失が心配ですので、基壇部左手にある靴預かり所に預けることに致しましょう。
えーと、どこにも料金が書いてありませんが、タダなのでしょうか?
では係りのおっさんに聞いてみることにしましょう。
「ねえ、いくらで預かってくれるの?」
「アズ・ユー・ライク」
でました! この言葉は慣れていないととても面倒な言葉です。
こいつらは「あんたの好きな額でいいよ」と言いながら、本当に好きな額をあげると嫌な顔をするのです。
う~ん・・・悩んだ挙句にポケットにあった3ルピーをあげました。
あっ、おやじ、かなり喜んでるぞ。
これはあげ過ぎたかもしれません・・・相場は1ルピーくらいなのかな?
でもまあ、そこでケチって大切な靴にヤモリでも入れられたら困ります。
それにお金を払いたくないなら、靴をビニール袋にでも入れて持ち歩けばいいわけですからねえ。
とにかく喜んだおやじは、他の人には渡していない「預かり証」を発行してくれました。
これで安心してタージマハル見物ができるわけです。
ところが裸足(靴下は履いていましたが)で歩き出したら、その熱いこと熱いこと。
その日の気温はおそらく45度近かったと思います。
空気ですらそれくらいありますので、その強烈な太陽光に熱せられた石は、そりゃあもう熱いです。
あまり長い時間足を石に接地していると火傷をしますので、その前に素早く反対側の足と交代する要領で、さささっと爪先立ちで素早く移動しましょう。
よやく基壇の上に上がりました。
では、タージマハルに施された細工をつぶさに見て参りましょう。
ここはタージマハルの正面アーチの左側です。
アーチの周囲にはコーランの言葉が刻まれています。
そしてその左側の柱は、その表面にギザギザ線を入れただけの六角柱(外に出ているのは三面のみ)なのですが、まるで星型断面の柱であるかのように見せています。
これは目の錯覚をうまく利用したものなのですが、こうした手法はタージマハル全体の大きさ配分などにも取り入れられていて、たとえば大ドームの形は、下から見る目線を考慮して造られているそうです。
タージマハルは総勢2万人の工夫や職人が借り出され、約22年の歳月をかけて造られたと言われています。
また腕のいい職人たちに対しては、タージマハル以外にその腕を振るうことを禁ずるため、工事完了後にその指や腕を切り落としたとも伝えられています。
これは大理石に数々の貴石を埋め込んだ象嵌(ぞうがん)細工です。
タージマハル見学を終えた観光客は、必ずと言っていいほど近くの象嵌細工の工房見学に誘われます。
そのとき彼らはこう言います。
「タージマハルを造った職人の子孫たちが、その伝統の技を今に受け継いでいるのだ。決してただのお土産屋ではない。これは芸術なのだ」と。
腕のいい職人は、指を失い技術継承もできなかったと思うのですが・・・
真実やいかに。
そのようにタージマハルは、当時の技術の粋を集めて造られましたので、見る人が見れば興味の尽きない建造物かと思います。
ただ私のような者にとりましては、「うわあ!すげえなあ!」くらいしかわからない代物でして、ましてや酷暑季の見学ではその細部まで見てやろうという気さえ起こりません。
インド各地からやって来たインド人観光客も同じようで、みんな疲れて休んでおります。
ちなみにみんなが休んでいる奥にある入り口から、王と王妃の棺の安置された内部へと入って行けます。
もう暑くて暑くて・・・
しかしでっかい背中だなあ・・・
いえ、誰っていうわけではないんですけどね。
さて、しばらく休みましたので、タージマハルの裏手に回ってみましょう。
タージマハルの裏手にはヤムナー河が流れています。
このような巨大な墓を造らせるほどの強大な勢力を誇ったムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハンも、その後息子であるアウラングゼーブによってアグラ城(矢印の所です)に幽閉され、タージマハルを遠望しながらその生涯を終えていったのであります。
歴史に「もし」はありませんが、でもあえて、もし、シャー・ジャハンが失脚していなければ、彼はヤムナー河の対岸にタージマハルとそっくり同じ墓を、自分のために建てていたはずなのです。
そしてそれは、黒大理石で造られるはずだったのであります。
なんか煤けた感じになっちゃいました。
シャー・ジャハンよ、
なにぶん素人の仕業ゆえ、
しゃーないじゃん!
私きっと、指を切り落とされる代わりに、
打ち首だな・・・こりゃ。