これで2010年インドの旅のお話はおしまいです。
無事にガンジス河畔の宿に落ち着いた私は、48時間ぶりの食事を取り、シャワーでさっぱりすると、あとは列車乗車日までの一週間、毎日このような風景を眺めながら廃人のようにして過ごしました。今回のインド滞在中に半世紀という節目の誕生日を迎えていた私には、この旅は体力的にかなりきついものとなり、特に旅の後半は「ジャグダルプルに行ってこの目で工芸品の制作を見るんだ」という一念だけで必死に耐えていた、というのが正直なところでありました。
ですので最後の山(本当に山に行ったのですが)となったジャグダルプル滞在を終えた時には、体力ばかりでなく気力までもが急速に減退して行くのが自分でもわかり、少々慌ててしまいました。なにしろまだ旅は終わっておらず、そこからデリーに帰るまでの行程すらちゃんと決まっていなかったからです。
そのジャグダルプルからの道のりはすでに書いた通りですが、本当に最後のバス移動は厳しいものでした。結局23時間近くかけてバスを乗り継ぎ、一気に700km以上の距離を移動したことになりました。
でも、もしかしたらそれは驚異的なスピードだったのかもしれません。
いえ、おそらくそうでしょう。
そしてそれは、私を助けてくれたたくさんのインド人たちの存在があってこそのことであり、自分の力だけではそのスムーズさでライプールからヴァラナシまで移動することはとても不可能だったことでしょう。
ライプールではアラハバード行のバスに乗るよう指示され、アラハバードではヴァラナシ行(実際はヴァラナシ行ではなかったのですが)のバスに引き渡され、そして最後はサイクルリキシャに乗せられる、というように次々にインド人の手から手へと受け渡され、私はヴァラナシに着いたのです。
考えてみればそれはなにも最後の移動の時ばかりでなく、インドを旅している間中、常に私はインド人たちの手で動かされて来たような気がします。
時としてそれはスムーズな旅を実現してくれ、時には「まだ行くな」といわんがばかりに足止めされたりもしましたが、どのシーンでも常に誰かがそばにいて、見ず知らずの私の旅に干渉して来るのです。
なんとまあお節介なインド人たちなのでしょう。
そしてなんて親切な人たちなのでしょう。
これだからインドの旅はやめられないのです。
次は還暦を迎えたころ、またインドをぐるっと回ってみたいと思います。
その時はまたよろしく頼むぞ!インドの人たちよ!
最後になりましたが、実に長々と続けて参りました「2010年インドの旅」にお付き合い頂きましたみなさまに、この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
で、
まだまだこの一連の旅日記で取りこぼしたネタが山ほどあります。
なので次回からはまた以前のような読み切り形式で、再びインドの旅を振り返って参ります。
えっ? お前も結構しつこいなって?
そりゃそうです。
なんたってインド仕込みなのですから!
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