結局昼飯は抜くことにして、この街に来た最大にして唯一の目的ガンディー・ミュージアムに向かうことにした。
実はガンディーはこの街の大学に通っていたのである。
しかし学業はあまり振るわなかったようで、中途退学してしまう。
つまりこの街は、青年ガンディーにとって大きな挫折を味わった苦い思い出の地ということになるが、氏ゆかりの地には違いなく、それゆえガンディー・ミュージアムも建てられているのである。ガンディーからしたら忘れ去りたい過去をほじくり返されるようで、さぞかしありがた迷惑なことであろう。
さて、現在の時刻は午後2時半、下痢と空腹に暑さも加わりへとへとではあったが、ガンディー・ミュージアムは午後3時にならないと開かないので、時間つぶしに歩いて行くことにする。
事前に見ておいた街の地図の記憶を頼りに歩く。しかし行けども行けどもそれらしい建物が見つからない。
そこで道端で靴の修理屋を営んでいるおっさんに、ミュージアムへの行き方を尋ねた。
身振り手振りを交えたおっさんの説明では、どうやら見当違いな方向に歩いて来ていたようである。しかもここから距離が結構ありそうなのだ。
その時私は相当くたびれた顔をしていたのだろう、おっさんはなんと「おれのバイクで送ってやる」と言い出した。まあグジャラート語なのでホントは何を言ってるのかわからないのだが、たぶんそう言ったのだと思う。
せっかくのご厚意なので素直に甘えさせていただき、二人してバーヴナガルの風となってガンディー・ミュージアムを目指す。
しかしこういう時悩むのが「お礼」である。
相手が心底厚意からしてくれている場合、お金を渡すのはとても失礼になってしまう。お金より心を込めた「ありがとう」のひと言の方がいい。
また相手がちょっとでも下心というか、もしかしたらという期待を持っての親切だった場合、お茶代程度の小銭を喜んでくれることもある。
はたして今回はどうなんだろう。
私はおっさんの背中を見つめ、心の中を見透かそうと意識を集中してみた。
う~ん・・・よくわからない。
目的地に到着すると、私はまず「ありがとう」とお礼を言い、素早くおっさんの表情を観察した。
ふ~む、おっさんの顔はちょっと物足りなさそうである。
そこで「あっ、そうそう」と、今気が付いたというような顔をしてメモ帳にはさんであったボールペンを手渡した。これはバイクの後ろに乗っかりながら一生懸命考えた末の行動なのだ。
しかしおっさんの表情はあまり変わらず、ボールペンにちょっと目を落としただけである。実にわかりづらい。
とにかくまあ気は心、それに私から乗せてくれと頼んだわけじゃないしと自分に言い聞かせ、もう一度お礼を言ってそそくさとガンディー・ミュージアムの中に逃げ込んで行ったのであった。
*情報はすべて2016年11月時点のものです。
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