ポルバンダールの宿は高級ホテルになった。
といっても「われわれにとって」の高級ということであり、料金は二人部屋で3000ルピー(約5000円)程度のものである。
それも初めから「今夜は贅沢するぞ!」と決めて狙ったホテルではない。
バスターミナルから歩き出す方向を誤ったゆえの結果なのである。
ポルバンダールはマハトマ・ガンディーの生誕地という他に特に見どころのある町ではなく、従ってガイドブックにも紹介されていなければ、町の地図なども持っていなかった。
私はまず、バスから降りたらとにかくより多くの人が歩いて行く方向に付いて行こうと決めていた。しかし乗客たちはそれぞれいろいろな方向に散って行ってしまい「多数派」というのが見当たらず、仕方がないので自らの勘を頼りに歩き出すことにした。それでも念には念をと言うことで、バスターミナルを出たすぐの交差点で屋台のあんちゃんに「ホテル、ホテル」と連呼してみたところ、あんちゃんはまさしく私が目指していた方向を指差したので、私の勘は確信へと変わったのであった。
両側が空地という殺風景な道ではあったが、しばらく歩くと隣り合って建つ二軒のホテルが見えて来た。どうやらこの辺りにはそれ以外にホテルはなさそうである。ひとつはきれいなホテルで、もう一つはきたないホテルであった。
昔話の教えに従えば、ここは欲を出さずにきたないホテルを目指すと良い事がありそうだが、そんな教えに頼らずとも、予算の関係で迷わずきたないホテルへ入って行った。
きたないホテルは生意気にも満室で断られた。まるでお土産に小さいツヅラを選んだのに、お化けが出て来てしまったような気分である。
ということできれいなホテルに泊まることになったのだが、われわれに与えられたのは大きな窓があるオーシャンビューで、エアコンの効きがすこぶる良く、シャワーのお湯の出も申し分なく、トイレだってちゃんと流れるという夢のような部屋だった。まるで王侯貴族になったような気分であったが、さらにその後街に出ると、はからずも肉食にありつけるという幸運にも恵まれ(前回のお話ですね)、私とY棒は「まあたまにはおいしいものを食べ、良いホテルでゆっくり体を休めるのも必要だよな」などと言い合い、その晩はいつもとは比較にならないほどの安らかな眠りについたのであった。
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夜中に寝苦しくて目が覚めた。
なんだか部屋が蒸し暑い・・・
額や首筋が汗でべっとりだ。どうやらエアコンが止まっているようである。
どうしてエアコンが止まってしまったのだろう・・・
もう一度エアコンのスイッチを入れようと思ったが、暗くてリモコンの在りかがわからない。
そこでベッドサイドの電燈に手を伸ばし、カチッとスイッチを入れるのだが電燈が点かない。
手探りでバスルームまで行き、壁のスイッチを入れてドアを開け放ったが、相変わらずの真っ暗闇である。
停電か・・・
インドではいまだに停電は珍しくない。
そのためインドの旅に懐中電灯は必需品である。
もちろん私も持って来ているが、これが今回の旅初の出番である。
まさか今までで一番高級なホテルに泊まった日に限って停電になるなんて・・・
手元の時計を見ると午前2時半である。
しかしちょっとしたホテルでは停電に備え自家発電の装置が用意されていて、エアコンのような消費電力の大きなものは別として、電燈くらいは点くはずなのである。
これはちょっとおかしいぞ・・・
とりあえずフロントに電話してみることにした。
電話機の横に置いてある番号案内で、フロントは11番もしくは12番であることを確認すると、1を2回プッシュした。
10回コールしても誰も出ない・・・
くそっ、寝てやがるな!
インドのホテルでは「24時間体制」と謳っていても、実際のところ従業員はフロントのソファーなどで「寝て」待機していることがよくあるので、こうなったらフロントまで下りて行くしかないなと、部屋のドアを開けて外を窺うと廊下も真っ暗だった。
う~ん、これはもしかしたらポルバンダールは今夜未曽有の大停電に見舞われ、なにもかもが闇の中に沈黙してしまっているのかもしれない。
そうだとしたらこれはもうあきらめるしかない。あきらめるしかないんだけど蒸し暑い。
この蒸し暑さだけでもなんとかしたいと思い、窓を開けることにした。
カーテンを開けると海が見え、湾を挟んだ対岸にオレンジ色の灯りの帯が見えた。あの辺は電気が来てるのか・・・じゃあ未曽有の大停電ではないのかな・・・
とにかく唯一開く窓を開け放つと、波音とともに涼しい風が部屋に入って来た。
これなら充分寝られそうである。
しかし入って来たのは風だけではなかった。
ベッドに横になり目をつぶるとすぐ、耳元でプ~ンという耳障りな羽音が聞こえた。
蚊だ。
私は蚊が大嫌いなので常に蚊取り線香を愛用しているのだが、今回の旅にはワンプッシュで12時間効果が持続するという小さなスプレーも持参した。
そんな二重の防衛のおかげで、今回はこれまで一度もあの嫌な羽音を聞いたことがなかったのである。
それがこの高級ホテルで聞こうとは・・・
私はすぐさま窓を閉め、新たな蚊取線香に火をつけるとともに、ワンプッシュで12時間効果が持続するというスプレーを、部屋の四隅に向かってお払いのように一回ずつ噴霧した。
それにしても外は電気が点いてるところがあるというのに、いつまでたってもこの部屋の電気が復旧しないというのはおかしいぞ・・・
もしかしたら誰かがこの部屋の元電源を落としたのではないだろうか・・・
だとしたらそれは人為的なミスである。停電なら我慢するが、そういうことなら我慢はしないぞ。なにしろわれわれはこのホテルに宿泊している限り、文化的で快適なビューティフル・ヒューマンライフを満喫する権利があるのだ。そのために3000ルピーもの大金を払っているのである!
とは言ったものの、フロントの電話はつながらず、廊下も真っ暗とあってはどうにもならない。
時計を見たら午前3時半になっていた。かれこれもう一時間も右往左往しているのだ。
そこで私はこれ以上「人為的ミス」を疑うことをやめた。疑えば怒りでますます眠れなくなる。私は今夜高級ホテルでしっかり休み、明日への活力を養わなければならない身なのである。
だからこれはあくまでも「停電」であり、誰の責任でもないと自分に言い聞かせ、心を穏やかに保ちなんとか眠りについたのである。
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電気の来ない部屋にも朝はやって来た。
目が覚めたのは6時20分だった。まず枕元の電燈のスイッチを入れてみる。
点かない・・・
いくらインドでも、こんなに長い停電は珍しい。
ましてやここはホテルなのである。これは宿泊客の安全にもかかわる問題である。
これは絶対に、オ・カ・シ・イ
再び頭に血が登って来た私は、すぐさまフロントに降りて行った。
フロントの男は今起きて来たばかりのようで、眠そうな顔でネクタイを締めているところだったが、その呑気な顔が実に腹立たしい。
「夜中から部屋の電気が点かないぞ!」と強い口調で言う私。
「電話をしてくださればよかったのに」と言うフロントの男。
「したさ!したさ!したともさ!」と私。
「何番にお掛けですか?」とフロントの男。
「11番だよ!番号案内にあった番号だよ!」と私。
「あー、その番号は現在使われておりません」と電話会社の録音テープのようなことを言うフロントの男。
あー!もう話にならん!
すぐに係りの者に調べさせるから部屋に居てくれと言うフロントの男の言葉に従い、部屋に戻って待機していると、あっけないほどに電気が復旧した。
部屋に確認に来た係の男に原因を尋ねると、やはり部屋の元電源が落とされていたとのことである。どうやら同じ階にあるバンケットホールで昨夜宴会かなにかがあり、その終了後にこのフロアすべての電源を落としたようなのだ。
そこで私は「一晩中電気が使えなかったんだぞ!」と文句を言うと、係りの男は平然と「でも今はもう使えますから問題ありません」などと言うのである。
そりゃまあ確かにこの男としては、自分が任された「電気の復旧」という仕事を忠実に遂行しただけであって、お礼こそ言われても文句を言われる筋合いではないのかもしれない。
あー、それはどうもすいませんでしたね。
それにしても腹の虫が治まらない。
チェックアウトの時にもう一度「昨夜はずっとエアコンが使えなくてぜんぜん眠れなかったんだぞ」と言ってみた。
するとフロントの男はどこぞに電話を掛け、なにやら相談しているようである。
おっ、これは宿泊料金が安くなるかもよ。
はたして前金で渡しておいた3000ルピーに対し、100ルピー返して来た。
想像したより少ない金額だったが、要は気持ちである。謝罪する気持ちが伝われば、私だって気持ちよく許すことができるのだ。なんたってここはガンディーが生まれた町なのだから、私だってできれば寛容な心で民衆と接したいのである。
ところが後でホテルの明細書をよく確認し直してみたら、そもそもの宿泊料が税込2900ルピーだったようで、つまりはびた一文負からなかったということであり、従ってやつらは謝罪の気持ちなんてこれっぽっちも持っていなかったということが判明したのであった。
くそっ、まったくなんてこった・・・
ん、ひょっとしてこの災難は、ガンディーのお膝元で肉食をしたからなのか?
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