それではこちらをご覧下さい。これはパンチマハルと呼ばれる建物なのですが、「パンチ」というのが「5」という意味の言葉でありまして、ご覧の通り五層の建物なわけです。まあインド版五重塔みたいなものですね。
そしてこの建物のデザインこそ、ヒンドゥー様式そのものなのであります。(もちろん某文献からの受け売りです)
このパンチマハルはファテプール・シクリの中では一番高い建物になるのですが、時の皇帝アクバルは、この前庭で行われた人間チェス(人間が駒の代わりとなるもの)をこの楼の上から眺めたと言われているのであります。
さて、それではこの新都ファテプール・シクリがなぜたった14年で放棄されてしまったかと言うことなのですが、一般的には「水不足」と言われております。
ただこの写真にあるような貯水槽を始めとして、水の確保に関するシステムは都市建設の基盤にきちんと据えていたことがうかがえることから、水不足だけが再遷都の理由ではないのではという意見もあるようです。そういえば私がここを初めて訪れた時(1987年)には、そんな水瓶のひとつに高所から飛び込んで見せるというジジイがおりまして、しきりに「日本のテレビでも紹介されたんだぞ」ということを言っては(実際に「なるほど・ザ・ワールド」という番組で紹介されていました)「飛び込んで見せるから金をくれ」とうるさく付きまとって来たことを、これを書いていて思い出しました。あら懐かしい・・・
とにかく理由はどうあれ、たった14年で打ち捨てられてしまった都はやはりどことなく寂しげに見え、麓の村を見下ろす高台などに立ちますと、どこからともなく「荒城の月」なんかが流れて来るように思えるのであります。
*すべて2008年3月時点の情報です。
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