バイクでさっと来てしまったため、まだ開館の3時までには少し時間がある。
すると係員と思しき男が「一階のミュージアムを先に見ろ」と言う。
なるほど、ガンディー・ミュージアムは二階にあるのだが、それとは別のミュージアムが一階にあり、そこは開いている。
特に見たいとも思わなかったが、ここでこうしてぼぉーと待っているよりはいいか、という程度でミュージアムに入ろうとするとなんと有料だった。まあそりゃそうかもしれないが、外国人料金で50ルピー(約80円)もするのだ。
さらに展示物を撮影したければカメラ持込料を払えと言うが、それは断った。
ここはこの地方の民俗博物館のようなもので、たとえば神様の木像や石像、古いコインや発掘土器みたいなものが展示されているのだが、とにかく手入れが行き届いておらず、陳列棚が壊れていて貴重な展示物が落ちていたりしていてひどい有様である。
さほど広くもないのですぐに見終わってしまう。しかし他に見学者もおらず、しかるに先ほどの係員は私のためだけに入り口にたたずんでいる。
なのでこちらも精一杯の牛歩戦術で、3時ちょうどまでゆっくり拝見する。
3時になったので二階に上がったが、ガンディー・ミュージアムはまだ開いていない。先ほどの係員が付いて来て開けてくれるのかと思ったが、どうやらこちらは担当が違うらしい。
仕方がないので奥の図書室らしきところに入って行き、そこにいたじいさんに開けてくれるよう頼んだ。
ガンディー・ミュージアムは入館無料である。
内容はどこのガンディー・ミュージアムもだいたい同じようなもので、ガンディーの生涯をインドの歴史、特に植民地化からその解放までの時代に重ね合わせ、説明パネルや写真、模型などで紹介しているというものである。
なのでそれほどおもしろいものではない。たまに遠足かなにかの小中学生の集団と一緒になることがあるが、子供たちはほとんど展示物を見ず、ただ順路に沿ってくねくね歩いて行くだけだったりする。
ここの展示物のほとんどは写真パネルであった。
しかしそのシンプルさが返って見やすく、ガンディーの生涯をしっかり復習することができた。
そんな展示物の中で私が一番興味を惹かれたのが、ガンディーの検眼票である。
丸メガネはガンディーのトレードマークにもなっているが、あのメガネにはいったいどんなレンズが入っていたのかということは、ガンディーマニアの私としてはぜひ知りたいところである。
この地に展示されているということは、大学在学中のガンディーのものであろうと数値を見てみると、なんと遠視ではないか。若きガンディーが遠視だったとは知らなかった。
はたしてこれは本当にガンディーのものなのかと、名前の欄を見直すとちょっとおかしい。
ガンディーは「モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)」というのが正式名であるが、ここに記された名前は「Mohandas」ではなく「Mahatma」と読める。
マハトマとは「偉大なる魂」という意味で、のちに非暴力運動で注目されたガンディーに与えられた尊称である。
それが学生時代の検眼票に書かれている。まさかガンディー自身が書き入れたのか。だとしたら相当ずうずうしい。私も小学一年の時、テスト用紙の名前欄に「様」付で自分の名前を書き入れ、さらに赤ペンですべての答えに丸を付け、採点欄に「100点」と記して提出して大目玉をくらった経験がある。ガンディーよ、常に謙虚であれ。
さらによく検眼票を見直してみると、日付が9/7/47とあるのに気が付いた。これがイギリス式の西暦の表し方だとすると1947年7月9日となる。
なるほど、その時ガンディー77歳、つまり老眼なのだな。納得納得。
さて、この検眼表が1947年7月9日のものだとすると、本当にガンディーの最晩年のものとなる。
インドは1947年8月15日に独立を果たす。しかしそれはガンディーの望む形ではなく、イスラム教を国教とするパキスタンとの分離独立であった。
あくまで統一インドでの独立を主張し、そのためイスラム教徒に対し多大なる譲歩を見せたガンディーは、1948年1月30日、ヒンドゥー極右派の青年によってデリーのビルラ邸にて暗殺されるのである。
杖一本で大英帝国に立ち向かい、幾多の困難にも決して屈せず、そして非業の最期を遂げたガンディーは、とかく神格化され等身大の人間像が見えづらくなってしまうが、一人の生身の人間としての、何気ないガンディーの日常をこの検眼票から垣間見たようで、私は少しうれしかった。
帰りは素直にオートリキシャに乗った。ホテルまでは40ルピー(約64円)だった。
考えてみたら、バイクのおっさんにあげたボールペンは日本で100円以上したものである。いくら使いかけのものといっても、このオートリキシャ代より高くついたのは間違いない。
でも、それでもやっぱりお金で済まさなくてよかったなと、思うのであった。
*情報はすべて2016年11月時点のものです。
[dfads params=’groups=39&limit=1′]