インド関連本紹介:「インドの大道商人」山田和・著

インドの大道商人:山田和
この本はインドの至る所で見かける、道端の露天商(屋外作業者も含む)たちを取材した記録である。

著者である山田和氏はノンフィクション作家であるが写真家でもあり、よって本書にもたくさんの写真が使われている。
それは本編の合間に三部に分けて差し込まれたもので、そこでは110種もの大道商人たちが、彼らの写真と自己紹介文を使って一人(複数人の場合もあるが)一ページという形でまとめられている。

なのでこの本はそのページだけ見て行っても非常に楽しい。しかも巻末には商売名別五十音索引まで付けられている。
たとえば「オウム売り」「体重測定屋」「南京豆売り」「代書屋」「鼻緒売り」「歯磨き粉作り」などなど、まさしくインド露天商大百科である。

しかし、もしひとたび本文を読み出したら(まあ普通はそうなるだろうけど)、瞬く間に山田和氏の世界に引き込まれて行ってしまうことだろう。
なにしろ冒頭の、古い地図を巡っての骨董屋のおやじとの駆け引きからしてインディ・ジョーンズを彷彿させ、これから始まるであろう大冒険に胸がワクワクして来るのである。

本書の主な取材時期は1980年代である。
思えばその時代はインドが自由経済に舵を切る(1991年)直前であり、高関税のかかる外国製品などほとんどなく、全体的に物が不足していた時代である。
いわば夜明け前の一番寒い時とも言えるが、それだけにインド独自の商売というものが一番花開いていた時であり、そこにスポットを当て、長大な時間と膨大な労力をかけて取材を積み重ねられた山田和氏には、ただただ敬服するばかりである。また、よくぞこれだけの貴重な資料を後世に残していただいたと、お礼すら言いたくなる。

インドはその後目覚ましい経済発展を遂げ、本書に掲載された商売ですでに無くなってしまったものも多々ある。
しかしそこは日本からは物理的にも文化的にも遠いインドのこと、当のインドには失礼かもしれないが、どの商売も「あー、インドならこんなのがあるんだろうなあ」といった感じで、今でも充分楽しめる一冊なのである。

真鍮製のアンティーク弁当箱

鈴の音は相手を遠ざけたり引き付けたり:インドの家畜の鈴・アニマルベル

イソップ童話で「猫の首に鈴を付ける」という話があります。

内容は、ネズミたちが天敵の猫から身を守るため猫の首に鈴を付け、鈴の音が聞こえたらいち早く逃げようという、実にナイスなアイデアを思い付いたものの、肝心の「猫の首に鈴を付ける」という危険な役をやる者が誰もいなかったというお話です。誰でも危ない橋を渡るのは嫌ですからねえ。

また逆のパターンで、こちらが鈴を付けて相手に自分の接近を知らせるというのもあります。登山者などがクマ除けに付ける鈴がそうですし、サンタクロースもこれ見よがしに鈴をシャンシャン鳴らしながらやって来ます。私も子供の頃、干し柿を二個もらいました。クリスマスという特別の日に、そんな普通のおやつレベルの物はあまりうれしくなかったです。

それから鈴の音で人を呼び寄せるというのもあります。
たとえば少人数でやってる宿やお店で、カウンターの上に置いてある鈴(ベル)を鳴らすと奥から人が出て来たりします。あとロバのパン屋もそうですね。あー、そういえばコルカタの人力車夫も鈴を鳴らして客寄せをしていました。

まあとにかく、鈴の音というのは自分(または相手)の居場所を知らせるには打って付けの方法なわけです。

なので大切な家畜の首にも付けたりします。

鈴を首からぶら下げたインドのヤギ

家畜の首に付けられた鈴は、視覚と聴覚の両方で確認できる目印(耳印?)なのだ。

これはインドのヤギですが、首に巻かれた紐に小さな鈴が付けられています。

鈴を首からぶら下げたインドのヤギ

歩くたび、首を動かすたびに鈴が鳴る。

上の写真では小さくて良く見えませんが、その鈴はこんなやつです。
こういう鈴をヤギに付けておけば、誰んちのヤギだかすぐわかりますし、またヤギがどこにいるかもわかるというものです。

インドのアニマルベル

これは小ぶりでつるんとしたタイプの鈴。

そんな家畜用の鈴(アニマルベル)をインドからたくさん仕入れました。
実際に使われていたものということで、仕入先で汚れたまま山になっていた中から、良さそうなものだけを選び出して来ました。

インドのアニマルベル

これは縄模様のついた中くらいのタイプの鈴。

鈴の汚れはある程度あちらできれいにしてから日本に送ってもらいました。
きれいになった鈴(といってもピカピカではありません)をあらためて見てみると、かなり使い込んですり減ったものや、ほとんど使っていないように見えるものまでいろいろありました。

インドのアニマルベル

これは壺のような形をしたちょっと大きなタイプの鈴。

鈴の形や大きさも様々で、そこに汚れやキズ、へこみ、ゆがみなどが加わって来ますので、それぞれ違う個性があります。
ご興味がありましたらぜひこちら「動物の鈴・アニマルベル」でご覧ください。

あー、鈴でお客さんを呼ぼうとしているのは、コルカタの人力車夫と同じだなあ。

動物の鈴・アニマルベル

2016年グジャラート再訪・第23回 / ジュナーガルのホテル

ジュナーガルでの宿は、以前泊まったことのあるホテル・ハーモニーにした。
場所はバススタンドのすぐ目の前だし、なにより勝手知ったるホテルなので安心なのだ。

とは言え予約してあるわけでもなし、はたして部屋はあるだろうか。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

バススタンドの近くのホテルはちょっと騒がしいが便利でいい。

しかしそんな心配は無用であった。まだ時間も昼の一時過ぎと早かったこともあり、すんなり部屋を取ることができた。

部屋は三階の208号室である。
もっともこのホテルはショッピングモールの三階にあるので、フロントを含めすべての部屋が三階なのだ。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

前に来た時よりずいぶんきれいになっていた。

フロントでは気が付かなかったが、全面的にリノベーションしたようで、3年前に比べてきれいになっている。

この部屋で一泊1,328ルピー(約2,100円)、二泊する予定なので2,656ルピー(約4200円)となる。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

エアコンと薄型テレビがある。

壁にはなにやらカラフルな額が掛けられているし、ベッドシーツと枕カバーも柄物を使っていておしゃれである。インドでもホテルのシーツは白のところが多いのでとても珍しい。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

まあ趣味の良し悪しは別にして、柄物のシーツもたまにはいい。

ところがである。

翌日市内をあちこち回ってホテルに帰ってくると、今度はシーツも枕カバーも白になっていた。
私は「なるほど、シーツの柄を毎日変えることで『ちゃんと交換してますよ』と客にアピールをしているのだな」と勝手に解釈して感心していた。
しかしベッドにうつぶせに寝転がって日記を書いていたら、白いシーツの下に見覚えのある柄が透けて見えた。
そう、それは昨日「おっしゃれ~」と思ったシーツの柄なのである。

つまり、

夕べはシーツも枕カバーも無いまんま寝てしまったのである。

たぶん午後一番にチェックインしたので、まだ完全に部屋の準備が終わっていなかったのだろう。
今までどんな安宿でもシーツがなかったことはなかった。ツギが当たっていたり、穴が開いていて足の親指がそこに入ってしまうようなものでも、一応あるにはあった。あんな薄い布一枚で、こんなにも気分が違うとは初めて知った。
それからついでに言うと、二日目は毛布にもカバーがかかっていた。

まあそれは次の日のことで、今はまだ「おっしゃれ~」と思っているので、このまま部屋の紹介を続ける。

バスルームを見たら床も壁もピカピカで、やはりきれいに直したのだなということがよくわかった。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

バスルームはわりときれいに維持されている。

しかしこの便座はどうしたことか・・・
取り付け位置が合わないのはわかるが、なんとかしようとは思わないのか、インド人。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

こういうちょっとしたところに性格というか国民性というか、とにかく違いが出るのである。

便器の左側に伸びる白いホースは、用便後に尻を洗うための水を出すものである。壁にあるコックを回すと、便座の後ろのノズルから勢いよく水が出る。
いわばインド式ウォシュレットなのだが、ノズルは固定式でウィ~ンと前には出て来ない。そしてノズルから出て来るのはただの水である。
でもこれがあると用便後の始末が実に楽なのだ。気候温暖なインドなので、水でも特に問題はない。

ところがである。

なにがどうなったのかは知らないが、ある時ノズルからお湯が出た。それも結構熱いやつが。シャワーで使うにも熱すぎるくらいのやつである。
もちろん壁のコックは一つだけで、それは間違いなく水のものである。

まさかインドの単純構造ウォシュレットから、いきなり熱いお湯が出るとは思ってもいなかったので、私は度肝を抜かれた。怖い思いをすると尻の穴がすぼむと言うが、こういう時のための無条件反射だったのか。

さらに、便器に水を流したら、その水からももうもうと湯気が立った。

いったいどうすればこのようなことが起こるのか、理解に苦しむ。

まったく、勝手知ったるホテルと安心してはいけないのだった。ここはインドなのだから。

そんなホテル・ハーモニーだが、もちろんどれも悪気があってのことではない。
なのでここは、外国人に「インド」を感じてもらうための「お・も・て・な・し」の一種なのだと考えるべきであろう。

そもそもこのホテルのサービスや雰囲気は決して悪くない。その証拠に、部屋に案内してくれたボーイは、一通りの説明を終えた後で冷たいウエルカム・ドリンクを私にくれた。11月とは言え日中は汗ばむほどの陽気のグジャラートなので、確かにその時私は喉が渇いていた。なかなか気が利くのだ。

もっともそれは、あのジーラ・マサラ(詳しくは「インド版青汁」をご覧ください)ではあったが。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

味はともあれ、その気持ちは嬉しい。

それにしても数ある清涼飲料水の中から、よりによってこれとはなあ・・・

しかし喉の渇きは味覚に打ち勝ち、私は一気にそれを飲み干した。

う~ん・・・不味い。

でも口の中一杯に、確かに「インド」を感じるのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

前のページへ行く目次へ行く次のページへ行く

インドのお正月:ディワリ(Diwali)

今年もディワリの季節がやって来た。

ディワリ(Diwali)というのはヒンドゥー教の新年を祝うお祭りで、つまりインドのお正月である。太陰暦によるものなので毎年日にちが変わるが、おおよそこの時期(10月から11月)となり、西暦の新年よりはるかに盛大に祝われる。

それでなくてもインドは今(インドは広いので一概には言えないが)、あの酷暑季、そしてその後に来る雨季を通り過ぎ、からっとした秋晴れの続くとても気持ちの良い季節である。
そこにいろいろなお祭りが次から次へと続き、ディワリはその大トリのようにやって来るので、人々の興奮もここで一気に最高潮に達する。
またディワリの時期に新しいものを買うと良いとされるため、人々は街に繰り出し大量に買い物をしたりする。

インドのお正月、ディワリでにぎわう町

気候も良くなり、インド人の顔もなごやかに見える。

そんな新年を迎えるため、みんなで自宅や事務所、そして店舗などをきれいに飾りつける。

インドのお正月、ディワリの飾りつけをする人たち

一生懸命飾りつけをする姿は、なかなか微笑ましい光景なのだ。

ディワリにはあちこちに燈明が置かれ、最近ではそこに派手な電飾も加わり、街は一斉に光にあふれる。

インドのお正月、ディワリの電飾飾り

ディワリは「光りの祭り」とも呼ばれ、街中が燈明や電飾で飾り付けられる。

また人々はここぞとばかりに花火に興じ、ディワリ当日を待ち切れず、何日も前からバンバンという炸裂音があちこちで響き始める。

インドのお正月、ディワリの花火

インド人は花火が大好き。いったいどれくらいのお金を花火にかけるのだろう。

さらに打ち上げ花火も街のあちこちで上げられる。

インドのお正月、ディワリの花火

しょぼいものだが、打ち上げ花火も上げられる。

もっとも個人で打ち上げる花火なので大したものではない。しかしそれでも夜空高く打ち上げられる花火は、なかなか良いものである。

インドのお正月、ディワリの花火

街のあちこちから花火が打ち上げられ、どこを見たらいいのかわからないほどなのだ。

宿の屋上にあるレストランは、そうした花火を見るには最高の場所であるが、いかんせん音がうるさい上にいつも以上に空気が悪く、そうそう長時間いられるものではない。
とは言え、自分の部屋に戻ってもうるさくて寝られたものではないのだが・・・

インドのお正月、ディワリの花火

ルーフトップレストランは花火見物の特等席である。

そして迎えた新年の朝、街は昨日までの喧騒が嘘のように静まり返り、あとには大量の花火のゴミが散らかり、空気もまだ煙っているように見える。

インドのお正月、ディワリの翌日

「祭りのあと」とはまさにこのことなのだ。

そんなインド人たちのバカ騒ぎは、一年の締めくくりとして「やり切った感」が実感でき、新しい年を迎えるのにふさわしい行事(?)なのかもしれない。

とにかく今年も、

ハッピーディワリ!

なのである。

インドのマフラー

2016年グジャラート再訪・第22回 / ディウからジュナーガルへ

明日は早く発つと言っておいたのに、ゲストハウスの入り口はまだシャッターが閉ざされていた。

時刻はもう6時半だが、インド西部に位置するグジャラートの夜明けは遅く、外はまだ薄暗いのでまあ仕方ないか・・・

インド・ディウのゴールデンゲストハウス

防犯のためとは言いながら、勝手に出入りできないのはちょっと不便なのだ。

このゲストハウスはフロントを通らずに外に出られる構造なのだが、玄関が閉まっていてはどうにもならない。一旦フロントに行き、床で布にくるまり寝ている従業員に声を掛けるが、ぐっすり眠りこけていてなかなか起きない。
他の宿泊客に遠慮をしながら何度か声を掛けると、ようやくもそもそ動き出す。

そんな風にして、眠気眼の従業員に玄関のシャッターを開けさせ、やっと外に出ることができた。
まだ明けやらぬディウの街は、メインストリートにもほとんど人がいない。

インド・ディウの夜明け前の街並み

まだ夜が明けておらず、フォート・ロードも閑散としている。

しかしそこはディウ、灯りのついた店がある。
どうやら夜通しやってる酒場らしい。
くれぐれも酔っ払いには気を付けて、さっと通り過ぎねば・・・

インド・ディウの夜明け前の街並み

夜明けまでやってる酒場がある。さすがディウ。

バススタンドにもまだバスは一台もおらず、オートリキシャが整然と並んでいるだけである。

インド・ディウの夜明け前のバススタンド

早朝のバススタンドにはバスが一台もいなかった。

昨日一度このバススタンドに来て、係員にジュナーガル行のバスの時刻を尋ねたところ、7:00とのことだった。
しかしGSRTC(グジャラート州交通局)のサイトでは7:30となっていた。
どちらが正しいかはわからないが、こういう場合は早い方に合わせるしかないので7時前に来たのである。

まあどうしてもジュナーガルに行かなければならないということではないので、どこか他の街に行くバスが先に来たら、それに乗ってしまってもいいなと思っていたら、ジュナーガル行が一番最初に来た。

インド・ディウの夜明け前のバススタンド

バスの発着時刻は列車に比べてあいまいである。

初めは「最も危険な席」ということで敬遠していた最前列左側の席に座る。それは危機管理が薄らいだというより、ドライバーの運転テクニックと神のご加護を信じてのことである。

インド・ディウから出るバス

まあ安全より見晴らしを取り、最前列に座ったというわけなのだ。

結局バスの出発は7時8分だった。
出発時刻に関する情報はどちらも正しくなかったということになるが、7時前にちゃんとバススタンドに来て待っているという判断は「正解」なのである。

グジャラート本土とを結ぶ大橋を再び渡る。

インド・ディウから出るバス

この橋を渡ってしまえば、もうディウとはお別れなのだ。

尚、今日移動するルートはおおよそ以下の通りである。(若干細かいところが違うかもしれないが)

20分ほどでウナの街に入る。
陽も上り、街は早くも大勢の人が出ている。

インド・ディウから出るバス

新しい朝が来て、街にはまた活気が戻って来た。

一昨日長時間待たされたウナのバススタンドに到着。
朝の通勤通学時間なのだろう、バスが列をなして入って行く。

インド・ウナのバススタンド

ほらほら、こんなにちらかしたまんまだから、バスが通りづらくてしょうがない。

バスはここで一時間近くも停まったままだった。
一昨日もここで一時間半バスを待ったが、私はウナのバススタンドに好かれているのかもしれない。まあ何事も嫌われるより好かれる方がいいのだ。

インド・ウナのバススタンド

このバススタンドに好かれてしまったのか、ずいぶん長いこと引き留められた。

8時半になりようやくウナを出発した。

一時間ほど走りコディナール(KODINAR)到着。
このバススタンドも工事中のようだが、グジャラートのバススタンドは一斉に建て替え期にでも入っているのだろうか。

インド・コーディナルのバススタンド

このバススタンドも工事が行われていた。

10時半頃広い川を渡る。
どうやらそろそろソームナス(SOMNATH)が近いようだ。

インド・ソームナス近郊

川を渡るともうソームナスは近い。

ソームナスはヒンドゥー教の聖地であるらしく、大きな寺院もあるとのことで、ちょっと見てみたかったのだが、このバスは市街地へは入らず街の縁をかすめるだけだった。
それでも遠くにヒンドゥー寺院の特徴的な屋根が見えた。

インド・ソームナス近郊

ソームナスはヒンドゥー教の聖地である。

この辺りから道はぐんと良くなる。ほとんど高速道路のようなのだ。

インド・ソームナス近郊

グジャラートはこうした道路の整備が進んでいる。

なので私もここでようやく朝食を取ることにする。
今日の朝食はシンプル塩味のポテトチップスである。あー、おいしい・・・

インド・ソームナス近郊

こうしたスナック類はバナナと並ぶ旅食である。

道は高速道路のようだがそこはインド、ちゃんと(?)牛車も走っている。

インド・ソームナス近郊

インドの高速道路は車だけのものではない。

10時50分、ヴェラヴァル(VERAVAL)のバススタンド到着。
ここもまたターミナルが新築工事中である。グジャラート州出身のモディ氏が首相になったので、大量の予算がついたのだろうか。

インド・ヴェラバルのバススタンド

ヴェラバルは想像以上に大きな街だった。

ソームナスからの道がとても良かったので、州営のオンボロバスもスムーズに走る。
お陰様で午後一時、バスは終点であるジュナーガルのバススタンドに無事到着したのであった。神様、ありがとう。

インド・ジュナーガルのバススタンド

一度来たことのあるところは安心感があっていい。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

前のページへ行く目次へ行く次のページへ行く

インドのショール

インド関連本紹介:「インドの樹、ベンガルの大地」 西岡直樹・著

インドの樹、ベンガルの大地:西岡直樹

この本は主に、著者西岡直樹氏が若き日に過ごしたベンガル(東インド)での体験を綴ったものである。

しかし単なる異文化体験記と一線を画すのは、ベンガル地方の自然(特に植物)の細かな描写に加え、それを上手に生活に取り入れて暮らす人々の日常を、実に自然なタッチで描いているところである。
それは取りも直さず著者の豊富な知識に裏打ちされた描写であり、さらに自らもその暮らしの中に身を置き、しっかり溶け込んでいたからこそ表現できることなのだろう。その余計な力の入らないさらっとした文章に、つい遠いベンガルでの話しであるということを忘れ、自分の子供のころの生活(もちろん日本での)、特に夕餉の支度が始まる頃合いの情景などを重ねて読んでしまうほどだった。

そんな著者西岡氏の経歴を見ると、宇都宮大学農学部卒とある。なるほど、植物に詳しいのもうなづける。
しかもお名前が「直樹」である。これが本名であるとしたら、まさしく樹木関係に真っ直ぐ突き進んで行ったということで、まさしく「名は体を表す」である。

またこの本の中ほどには絵を使った植物紹介ページもあり、それが文章だけではわかりづらい部分を補ってくれ、ベンガルの暮らしをよりリアルに想い描くことができる。

そんな植物の絵は西岡氏自らが描いたもので、そうしたイラストをまとめた「インド花綴り」という本も出されている。
その本はほとんど図鑑といってもいい本で、このコーナーではたぶん取り上げることはないと思うので、なんだか「ついで」みたいで申し訳ないのだが、ここで一緒にご紹介させていただこうと思う。

インド花綴り:西岡直樹

この本はすでに出版されていた「インド花綴り」と「続・インド花綴り」」という二冊を合わせ、さらに加筆されたものである。

内容は先に述べたように、インドの花を紹介した図鑑のような本であるが、図鑑のように挿絵に説明文だけが添えられているのではなく、西岡氏の体験に基づく関連知識などを織り交ぜた、情緒豊かな解説文で紹介されている。まあ言ってみれば今回メインでご紹介している「インドの樹、ベンガルの大地」の植物中心バージョンといったところだろうか。

とにかくインドの花に興味のある方には、ぜひともお奨めしたい一冊、いや、二冊なのである。

インドの伝統工芸細密画

ずしりと重いのは担う責任ゆえか:インドの南京錠

私は子供のころから南京錠が好きでした。
お祭りの夜店で買ったブリキ製のちゃちで小さなものが、初めて手に入れた南京錠だったと記憶しています。

でもやはり南京錠は頑丈なものに限ります。
なにしろ夜店で買ったものは、すぐにボディが前後に割れて(というか外れて)しまい、まったく財産を守る用をなさなかったのです。もっともその頃の私は、守るほどの財産もありませんでしたが。

頑丈な南京錠は、あのずしりとした重さもまた魅力です。
金属という堅牢な物質の塊であり、しかもそれがちゃんと機能を備えているというのがたまりません。

日本では以前ほど南京錠を見かけなくなりましたが、インドではまだまだあちこちで大切な財産を守るために日々活躍しています。
なので南京錠の専門店なんていうものもあり、いろいろな種類の南京錠が売られています。

インドの南京錠屋

こんなに必要なのだろうかと疑問に思うくらい、いろいろな種類の南京錠が並べられている。


インドの南京錠

これはインドの形がデザインされた南京錠。


インドの南京錠

こちらはタージマハルの描かれた南京錠。

インドの南京錠には年号の刻印されたものがあります。
錠前屋のおやじに聞いたところでは、もしその年号までに南京錠が破られてしまったら、全責任を錠前屋(製造者)が取るということでした。つまり保証というわけです。

昨年、そんな年号が刻印された古い南京錠を仕入れて来ました。

インドの古い南京錠

ボディに刻み込まれたキズは、長年警護の任にあったことへの勲章なのだ。

先に述べましたように、刻まれた年号は保証期限を表すようですが、もしかしたら製造年そのものを刻んだものかもしれません。それは造った人に確かめなければわかりませんが、少なくともその年号以前に造られた南京錠に間違いありません。

1990年のインド製南京錠

1990年なんてついこの間くらいに思っていたが、もう四半世紀以上も前なんだなあ。


そこで仕入先で見せられた南京錠の山から、1990年までのもの(四半世紀以上は経っているもの)だけを選び出しました。
南京錠はどれもずいぶん汚い状態でしたから、年号を確かめるのに刻印場所を指でゴシゴシこすり、きれいにしてからでないと判別できず、全部見終えるまでに指紋がなくなってしまうのではないかと思ったほどでした。

とまあ、そんな風にして掘り出してきた古い南京錠です。
もしあなたの記念すべき年号のものがありましたら、おひとつお手元にいかがでしょうか。
新品の南京錠も扱っていますので、ぜひご覧ください。

インドの南京錠

2016年グジャラート再訪・第21回 / ディウの海岸通り

ディウで一番のメインストリートは、海岸沿いを東西に結ぶフォート・ロードである。

フォート・ロードは、バススタンドからポルトガル要塞までの1.5Kmほどの距離だが、散歩するにはなかなか気持ちのいい通りである。私も日曜日の朝、のんびり散歩を楽しんだ。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード

これは要塞側から大橋方向を見たところ。

沿道には、まだ一部ではあるがきれいな歩道も造られている。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード

個人的には山中湖畔を思い出してしまう。

犬ものんびり昼寝(朝寝?)をしていた。わずかな柱の陰であり、また体が少し日なたに出てしまっているが、海風に吹かれて気持ちよさそうである。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード

昼間の犬はおとなしくていいが、日が暮れると豹変するのだ。

海とは反対側には飲食店もたくさんあるので、歩き疲れたら一休みできる。
私もここでチャイを一杯いただいた。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの店

この店ではモーニング・チャイを飲んだ。

ポルトガル要塞の手前にはちょっとした公園もある。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

朝ではあったがほとんど人がいなかった。

木陰に座って海を眺めてのんびりするにはいいところなのだが、なぜかほとんど人がいなかった。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

景色も良く木陰もあってなかなか居心地が良いのだが、ベンチがあまりよくなかった。

遠くにはかつての監獄だった人工島の ” Fotim do Mar ” も見える。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

右手にはかつての監獄島も見える。

西側からこの公園に来ると、特になんの問題もなく自然と中に入れるのだが、要塞側の出入り口にはなぜが頑丈な門扉があり、カンヌキもしっかり閉められていた。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

ここだけ警戒厳重にしてもねえ。

ところがそのすぐわきには人が通れるほどの隙間があり、私はカンヌキを外すのが面倒だったのでそこから外に出た。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

しかも抜け道があるしねえ。

要塞は公園のすぐ先にあり、入場料も取られないので散歩のついでに足を延ばすのもいいが、ここではUターンして元来た道を戻ることにする。

フォート・ロードの中ほどには小さな港があり、漁船が何隻かいた。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの漁港

小さな漁船がたくさん係留している。

ちょうど漁から戻って来たところらしく、船倉から魚を出している真っ最中であった。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの漁港

この漁船はちょうど漁から戻ったところだった。

獲物は大ぶりのカワハギのような魚である。
これを刺身にして肝醤油で食べたらうまいだろうなあ。すぐそこにはビールを飲ませる店もあるしなあ。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの漁港

なかなかの豊漁である。

港には警察の監視艇も泊まっていた。
どうやらここは官民共用の港のようである。
ちなみに大橋の近くにはフェリーふ頭(というほどの規模ではないが)が別にある。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの漁港

官民の船が仲良く寄り添っている。

香辛料貿易の権益争いは遠い昔となり、すでに要塞は無用の長物と化したが、今は今で警戒すべきことがいろいろあるのだろうなあ。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロードの風景

沿岸警備隊は今日も行く。

しかし今のところ朝のフォート・ロードは平和そのもので、たちの良くない酔っ払いもまだいないようであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

前のページへ行く目次へ行く次のページへ行く

インドの南京錠

頼もしき動く水瓶:インドの給水車

日本では災害時か極端な水不足の時くらいにしかお世話にならない給水車だが、インドでは慢性的な水不足に悩む地域も多く、またインフラ整備がなかなか追いついていかないということもあり、大きなタンクを装備した(または牽引した)給水車をよく見かける。

これはディウで見かけた給水車なのだが、何でもすぐに古ぼけさせてしまうインド特有の高速経年変化現象の影響か、はたまた実際に年季が入っているのか、かなりくたびれた外観をしている。

インドの給水タンク車

インドでは普段から給水車が大活躍しているので、この車体もかなり酷使されて来たのだろう。

こう外側が埃にまみれていると、タンクの中の水まで濁っていそうに思ってしまうが、たとえ水が多少濁っていたとしても、この走る水瓶はインドではとても重要な存在であり、万が一故障して使えなくなってしまっては一大事なのだ。

ということで、ぼろっちい給水車のすぐ隣にほとんど新車と思えるきれいなのが停まっていた。次の世代を担う戦力というわけである。

インドの給水車

まだ真新しい給水車は見るからに頼もしく、今後の活躍が期待できる。

新しい車も基本的には古いものと同じタイプのようなのだが、車体の色が違うからか、その顔つきもなんとなく頼もしそうに見える。
また当然タンクも新しいので、中に満たされた水も澄んでいそうな気がする。

でも本当はタンクの水が澄んでいるかなんてことより、いつでも水道から水が飲め、給水車など見ずに済むのがいいのである。

インド先住民族の工芸品ドクラ

2016年グジャラート再訪・第20回 / ディウでの食事その2

ディウでの二日目は朝から要塞見学をし、その流れで早めの昼食を取ることにした。

この時点でもまだビールを飲もうかどうか迷っていたが、こんな早い時間から飲んでしまったら一日が無駄になりそうなので思いとどまり、フォートロード沿いにあった感じのいい店に入る。

インド・ディウのレストラン

道から一段高くなっていて、風も良く通り抜ける気分のいいレストランである。

まずはライムソーダ。本物の果汁なのでおいしい。
値段は35ルピーに12.5%の税がかかり39.375ルピー(約63円)である。
ちなみに税金は飲み物に12.5%、食事に5%となっているようである。

インド・ディウのレストランで飲んだフレッシュライムソーダ

ライムの果汁を炭酸水で割るだけなので爽やかでおいしい。

そしてお腹にやさしいトマトスープ。値段は90ルピー+5%の税で94.5ルピー(約151円)。
グジャラートの料理は総じて味付けが甘いのだが、このスープも実に甘かった。
グジャラート出身の奥さんを持つ人が「あいつらは何にでも砂糖を入れる。まったくクレージーだ」と言っていたほどである。

インド・ディウのレストランで食べたトマトスープ

お腹にやさしいスープだが、甘すぎるのが玉に瑕である。

スープにはパン(クルトンと言うにはデカすぎる)がたくさん入っていたので、もうそれでだいぶお腹がいっぱいになってしまったが、注文するときにはそんなことはわからないのでもう一品出てくる。

これはベジ・チョーメン。メニューの正式名はハッカ・ヌードルであるが、要するにインディアン・チャイニーズのやきそばである。値段は140ルピー+5%の税で147ルピー(約235円)だった。

インド・ディウのレストランで食べたベジタブル・チョーメン

インドにはフライドライスとこのチョーメンがあるので、日本食など恋しくならないのだ。

この他にペットボトル入りの水も頼んだので、総額は309ルピー(約495円)となった。

店の名前はリラックス・イン。
まだ時間が早かったので客も少なく、店の名前の通りなかなか居心地の良い店だったが、酒の入った若者にからまれたため(詳細はこちら)長居ができなかったのが実に残念であった。

インド・ディウのレストラン

酔っ払いさえいなければもっとゆっくりしたかった。

くどいようだが、酒は飲んでも飲まれるな、である。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

前のページへ行く目次へ行く次のページへ行く

インドのショール