2016年グジャラート再訪・第13回 / バーヴナガルのガンディーミュージアム

バイクでさっと来てしまったため、まだ開館の3時までには少し時間がある。

すると係員と思しき男が「一階のミュージアムを先に見ろ」と言う。
なるほど、ガンディー・ミュージアムは二階にあるのだが、それとは別のミュージアムが一階にあり、そこは開いている。
特に見たいとも思わなかったが、ここでこうしてぼぉーと待っているよりはいいか、という程度でミュージアムに入ろうとするとなんと有料だった。まあそりゃそうかもしれないが、外国人料金で50ルピー(約80円)もするのだ。
さらに展示物を撮影したければカメラ持込料を払えと言うが、それは断った。

インド・バーヴナガルのバートンミュージアムの入場券

めったに来ない外国人のために、わざわざ専用のチケットを印刷するなんてどうなのかなあと思うが、すでに1500人以上の外国人がここを訪れているようである。

ここはこの地方の民俗博物館のようなもので、たとえば神様の木像や石像、古いコインや発掘土器みたいなものが展示されているのだが、とにかく手入れが行き届いておらず、陳列棚が壊れていて貴重な展示物が落ちていたりしていてひどい有様である。

さほど広くもないのですぐに見終わってしまう。しかし他に見学者もおらず、しかるに先ほどの係員は私のためだけに入り口にたたずんでいる。
なのでこちらも精一杯の牛歩戦術で、3時ちょうどまでゆっくり拝見する。

インド・バーヴナガルのガンディーミュージアム

インド各地にあるガンディーミュージアムはおおむねどこも静かだが、その中でもここはまた一段と静かであった。

3時になったので二階に上がったが、ガンディー・ミュージアムはまだ開いていない。先ほどの係員が付いて来て開けてくれるのかと思ったが、どうやらこちらは担当が違うらしい。
仕方がないので奥の図書室らしきところに入って行き、そこにいたじいさんに開けてくれるよう頼んだ。

インド・バーヴナガルのガンディーミュージアムの扉は今開かれる

ガンディーミュージアムの扉は催促して初めて開かれた。

ガンディー・ミュージアムは入館無料である。
内容はどこのガンディー・ミュージアムもだいたい同じようなもので、ガンディーの生涯をインドの歴史、特に植民地化からその解放までの時代に重ね合わせ、説明パネルや写真、模型などで紹介しているというものである。
なのでそれほどおもしろいものではない。たまに遠足かなにかの小中学生の集団と一緒になることがあるが、子供たちはほとんど展示物を見ず、ただ順路に沿ってくねくね歩いて行くだけだったりする。

ここの展示物のほとんどは写真パネルであった。
しかしそのシンプルさが返って見やすく、ガンディーの生涯をしっかり復習することができた。

インド・バーヴナガルのガンディーミュージアムの展示物

ガンディーミュージアムの展示物のほぼ全部が写真パネルだった。高校の時の文化祭を思い出し、とても懐かしい気持で見学できた。

そんな展示物の中で私が一番興味を惹かれたのが、ガンディーの検眼票である。

インド・マハトマガンディーの検眼票

ガンディーの検眼風景というのも、ちょっと見てみたいものである。

丸メガネはガンディーのトレードマークにもなっているが、あのメガネにはいったいどんなレンズが入っていたのかということは、ガンディーマニアの私としてはぜひ知りたいところである。

この地に展示されているということは、大学在学中のガンディーのものであろうと数値を見てみると、なんと遠視ではないか。若きガンディーが遠視だったとは知らなかった。
はたしてこれは本当にガンディーのものなのかと、名前の欄を見直すとちょっとおかしい。
ガンディーは「モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)」というのが正式名であるが、ここに記された名前は「Mohandas」ではなく「Mahatma」と読める。
マハトマとは「偉大なる魂」という意味で、のちに非暴力運動で注目されたガンディーに与えられた尊称である。
それが学生時代の検眼票に書かれている。まさかガンディー自身が書き入れたのか。だとしたら相当ずうずうしい。私も小学一年の時、テスト用紙の名前欄に「様」付で自分の名前を書き入れ、さらに赤ペンですべての答えに丸を付け、採点欄に「100点」と記して提出して大目玉をくらった経験がある。ガンディーよ、常に謙虚であれ。

さらによく検眼票を見直してみると、日付が9/7/47とあるのに気が付いた。これがイギリス式の西暦の表し方だとすると1947年7月9日となる。
なるほど、その時ガンディー77歳、つまり老眼なのだな。納得納得。

インド・アーマダバードのガンディーアシュラム

禿頭丸眼鏡、そして懐中時計はガンディーのトレードマークである。(写真はアーマダバードのサーヴァルマティーアシュラム)

さて、この検眼表が1947年7月9日のものだとすると、本当にガンディーの最晩年のものとなる。
インドは1947年8月15日に独立を果たす。しかしそれはガンディーの望む形ではなく、イスラム教を国教とするパキスタンとの分離独立であった。
あくまで統一インドでの独立を主張し、そのためイスラム教徒に対し多大なる譲歩を見せたガンディーは、1948年1月30日、ヒンドゥー極右派の青年によってデリーのビルラ邸にて暗殺されるのである。

インド・ガンディー暗殺の地

あの日、夕べの祈りに赴くガンディーは、この小道の先で三発の兇弾に倒れた。(写真はデリーにあるガンディー終焉の地)

杖一本で大英帝国に立ち向かい、幾多の困難にも決して屈せず、そして非業の最期を遂げたガンディーは、とかく神格化され等身大の人間像が見えづらくなってしまうが、一人の生身の人間としての、何気ないガンディーの日常をこの検眼票から垣間見たようで、私は少しうれしかった。

帰りは素直にオートリキシャに乗った。ホテルまでは40ルピー(約64円)だった。

インド・バーヴナガルのオートリキシャ

タダの厚意より有償のサービスの方が気が楽だったりするが、人との出会いは旅の醍醐味なのだ。

考えてみたら、バイクのおっさんにあげたボールペンは日本で100円以上したものである。いくら使いかけのものといっても、このオートリキシャ代より高くついたのは間違いない。

でも、それでもやっぱりお金で済まさなくてよかったなと、思うのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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わずかなスペースを有効利用・インドの露店本屋

グジャラート州バーヴナガルの交差点に露店の本屋があった。

メイン商品は雑誌や新聞のようで、古本屋というわけではなさそうである。
道路わきの金属製の柵を上手に利用して、たくさんの雑誌の表紙を見せている。インドでは間口の狭い店が多いが、その点この店はなかなかの好立地と言えるかもしれない。

インド・街角の露店本屋

露店の本屋は道路の柵を利用して上手に雑誌を陳列している。

また時間が昼下がりということで、本屋のおやじも柵の台座のわずかなスペースに、平積みの本と並んで昼寝をしていた。
こんなに狭いところで落ちやしないかと心配になるが、おやじの左手の指はしっかり柵に引っ掛けられていて、落ちることはないのである。

インド・街角の露店本屋の昼寝風景

露店の本屋のおやじは道路の柵を利用して上手に体を横たえている。

インドは広い国土を持つ国なのに、ちょっとしたスペースを最大限に利用する知恵は日本人以上だなあと、思わせられることがよくあるのである。

2016年グジャラート再訪・第12回 / バーヴナガルでバイクに乗る

結局昼飯は抜くことにして、この街に来た最大にして唯一の目的ガンディー・ミュージアムに向かうことにした。

実はガンディーはこの街の大学に通っていたのである。
しかし学業はあまり振るわなかったようで、中途退学してしまう。
つまりこの街は、青年ガンディーにとって大きな挫折を味わった苦い思い出の地ということになるが、氏ゆかりの地には違いなく、それゆえガンディー・ミュージアムも建てられているのである。ガンディーからしたら忘れ去りたい過去をほじくり返されるようで、さぞかしありがた迷惑なことであろう。

さて、現在の時刻は午後2時半、下痢と空腹に暑さも加わりへとへとではあったが、ガンディー・ミュージアムは午後3時にならないと開かないので、時間つぶしに歩いて行くことにする。

インド・バーヴナガルの街を歩く

この道の向こう側は人造池になっているが、くたくたで道を渡る気力がなく写真を撮りに行かなかった。

事前に見ておいた街の地図の記憶を頼りに歩く。しかし行けども行けどもそれらしい建物が見つからない。
そこで道端で靴の修理屋を営んでいるおっさんに、ミュージアムへの行き方を尋ねた。

身振り手振りを交えたおっさんの説明では、どうやら見当違いな方向に歩いて来ていたようである。しかもここから距離が結構ありそうなのだ。
その時私は相当くたびれた顔をしていたのだろう、おっさんはなんと「おれのバイクで送ってやる」と言い出した。まあグジャラート語なのでホントは何を言ってるのかわからないのだが、たぶんそう言ったのだと思う。

インド・道端の靴修理屋

たぶん来る日も来る日もここに座って客待ちしているので、おっさんも退屈していたのだろう。

せっかくのご厚意なので素直に甘えさせていただき、二人してバーヴナガルの風となってガンディー・ミュージアムを目指す。

インド・靴修理屋のおっさんのバイクに乗せてもらう

風を切ってバイクは快走する。

しかしこういう時悩むのが「お礼」である。
相手が心底厚意からしてくれている場合、お金を渡すのはとても失礼になってしまう。お金より心を込めた「ありがとう」のひと言の方がいい。
また相手がちょっとでも下心というか、もしかしたらという期待を持っての親切だった場合、お茶代程度の小銭を喜んでくれることもある。
はたして今回はどうなんだろう。
私はおっさんの背中を見つめ、心の中を見透かそうと意識を集中してみた。
う~ん・・・よくわからない。

目的地に到着すると、私はまず「ありがとう」とお礼を言い、素早くおっさんの表情を観察した。
ふ~む、おっさんの顔はちょっと物足りなさそうである。
そこで「あっ、そうそう」と、今気が付いたというような顔をしてメモ帳にはさんであったボールペンを手渡した。これはバイクの後ろに乗っかりながら一生懸命考えた末の行動なのだ。
しかしおっさんの表情はあまり変わらず、ボールペンにちょっと目を落としただけである。実にわかりづらい。

インド・靴修理屋のおっさんとバイク

もしかしたらおっさんの方でも少々戸惑っていたのかもしれない。カメラに向ける表情もなんとも曖昧である。

とにかくまあ気は心、それに私から乗せてくれと頼んだわけじゃないしと自分に言い聞かせ、もう一度お礼を言ってそそくさとガンディー・ミュージアムの中に逃げ込んで行ったのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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凧屋の株は今が買いということか・インドの凧屋

インドは凧揚げが盛んである。
中でもグジャラート州は、年に一度凧フェスティバルが開かれるほど盛んである。

なのでインドでは凧の専門店がある。しかも一軒や二軒ではなく、軒並みあったりするので驚く。

これはバーヴナガルの旧市街の凧屋である。そしてその隣も凧屋である。

インドの凧専門店

凧がこれだけあるということは、それを作っている人もたくさんいるということである。

当然売っているのは凧である。あちらの言葉で「パタン」という。
日本でも凧のことを「ハタ」という地方があるが、このパタン語源説もあるようだ。

インド。凧専門店の店頭で山のように積み重なる凧

この界隈の凧を全部積み上げたら、揚がる高さより高くなるかも。

専門店なので凧本体だけでなく、その用品も扱っている。
しかし凧用品といっても糸と糸巻くらいしか思いつかないし、実際店内の棚を見たところ、やはりその程度の商品しかないようであった。

インド・凧専門店の商品棚には凧糸がたくさん並ぶ

凧糸もたくさん売られているが、素人にはその違いがわからない。

とにかく一軒の店だけでもかなりの数の凧を売っている。
さすがにこれだけの凧がすべて売り切れるとは到底思えないのだが、実はインドの凧揚げは喧嘩凧で、相手の凧と糸の切り合いをするのだ。
つまりどう少なく見積もっても、ふたつにひとつはどこかへ飛んで行ってしまうことになる。さらに戦いが続けばもっと多くの凧が空の藻屑(?)となるのである。

ということで、糸を切られた凧とはまさしく対照的に、凧屋の方では切れ目なく凧が売れていくということなのであろう。

心を震わす音色は振動というより感動なのだ・インドの真鍮製シンギングボウル

シンギングボウルというものは、真鍮(他の材質のものもあります)のボウル(器、鉢)です。

インド・真鍮製のシンギングボウル

お菓子を入れたり金魚を飼ったりもできそう。

しかしそのボウルの周りを木の棒などでこすると「うぉ~ん」という音が鳴るのです。
なのでシンギングボウルと呼ばれるわけです。

インド・真鍮製のシンギングボウル

木の棒も付いているので料理もできそう。

ではその「うぉ~ん」という音が何かといえば、それは共鳴音なわけです。
でもってその「共鳴」が何かと広辞苑で調べますと・・・

物理系が外部からの刺激で固有振動を始めること。特に刺激が固有振動数に近い振動数を持つ場合をさす。
広辞苑 第三版 昭和六一年一〇月六日 第三版第四刷発行(かなり古いですがたぶん原理は変わってないでしょう)

とあります。

よくわかりません。

でも、とにかくシンギングボウルはその胴体を震わすことで音を発します。
そしてその振動に合った刺激(木の棒でこすって)を与え続けると、その音が増幅されて行くのです。

それだけのものではあるのですが、「単なる真鍮の器」を「何の変哲もない木の棒」でこすると、あの「うぉ~ん」という音が出るというのがなんとも不思議で心地良いのです。

それでも木の棒のこすり方にはちょっとコツが要って、震え出したシンギングボウルの振動に上手く合うスピードでこすらなければなりません。
下手にこすると振動が消えてしまい、上手くこすると振動を増幅させ音も大きくなります。
またどうかすると高音のキーンとした音が混じることがあるのですが、それもこする位置やスピードを調整することで消すこともできるのです。

そんな「音を育てる」というような感覚もまた、シンギングボウルの魅力なのだと思います。
何度も練習してきれいな音が出せたときには、本当に嬉しくなります。

インド・真鍮製のシンギングボウル

このシンギングボウルのように、人生もまたでこぼこ道だが、それも味というものなのだ。

つまりシンギングボウルの振動は、単に音を出すだけでなく、私たちの心をも揺さぶり感動を呼び起こすのだと私は思うのです。

で、そんな私の考えに共鳴して頂ける方は、ぜひこちら「真鍮製のシンギングボウル」もご覧いただきたいと思う次第であります。

またこの商品は「ラクダ隊商パインズクラブ楽天市場店」にて販売しております。

*すでに売り切れている場合もございます。その際は何卒ご容赦願います。