インド関連本紹介:「深い河」遠藤周作・著

深い河:遠藤周作
この本は芥川賞作家、遠藤周作の「最後の純文学長編」である。(と本の帯に書いてあった)

話の概要としては、インド旅行に参加した5人の人間模様を通し、宗教とは何か、信仰とは何かを問いかけるものとなっている。
主な登場人物の5人には、それぞれの人生で背負ってしまった重荷があり、それがためにインド旅行への参加を決意する。そして訪れたガンジス河の聖地ヴァーラーナスィで、それぞれに何かを感じるというものである。

でも、ここではそれ以上の内容には踏み込まず、あくまでもインドがらみでお話しさせていただくとする。

主人公とその関連人物は、もともとインドとはまったく縁のない人生を送っていた。(だからツアーでの参加なのだが)
しかし登場人物の中で唯一、ツアー添乗員である江波は四年間のインド留学の経験があり、その流れで添乗員として働くことになったのだが、インドに関する知識と思い入れが深いため、たびたびツアー参加者の安易なインド感にムキになって応対してしまう。

そんな彼の思いを描いたシーンを以下に抜き出してみる。

 
江波は午前中、わざとガンジス河のガートに行くことを避けたが、それは日本人観光客たちにたんなる好奇心でこの聖なる河、聖なる儀式、聖なる死の場所を見学させたくなかったからである。日本人たちが沐浴しているヒンズー教徒を舟上から見て必ず言う言葉は決っていた。
「死体の灰を川に流すなんて」
「よく病気にならないね、印度人たち」
「たまらないな、この臭い・・・・・・印度人、平気なんだろうか」
今度もいずれは軽蔑と偏見のまじった観光客のそんな声をきかねばならぬが、それは夕暮で結構だ。
【遠藤周作著「深い河」講談社文庫版より引用】
 

ヒンドゥー教徒(作品の中では「ヒンズー教徒」と表記)は輪廻転生を信じる。そのことはこの作品の中にも繰り返し出て来る。そしてヒンドゥー教徒の最終的な願いは、その輪廻からの解脱である。そのためみなガンジス河までやって来るのである。

ツアー添乗員江波も、日本人旅行者を案内して何度もガンジス河にやって来る。
まさしくそれは輪廻のようであり、その都度上記引用文のような思いをさせられ、ストレスが溜まることであろう。インド人が生きることは苦しいことであると思うように、江波にとって添乗という仕事は苦しいものなのだ。しかし苦しくとも生きねばならないのが人生であり、苦しくとも働かなければならないのが生活というものなのである。

はたして江波には、いつ解脱の時が訪れるのであろうか。

私は作品の本題とはまた別に、そんなことを考えてしまったのである。

2016年グジャラート再訪・第29回 / ジュナーガルのおやつ・その3

ウパルコート砦を出て、なんとなく坂道をだらだら下りて来たら生ジュース屋に行き当たった。

インドの生ジュース屋

手動のミキサー一つの屋台と違い、ここではいくつもの電動ミキサーが並ぶ。

ちょうど喉も乾いていたのでそのまま入店し、奥の席に座る。

インドの生ジュース屋

こうした店では通りが眺められる席が良い。

メニューを見たら屋台のジュース屋と比べ値段がだいぶ高かった。だいたい倍くらいだろうか。
もちろんゆっくり座って飲めるし、衛生環境もだいぶ違うのだろうから高いのは当然なのだが、そういう事もなにも考えずに入ってしまったので、メニューを見てちょっとうろたえてしまった。

インドの生ジュース屋

屋台のジュース屋との違いは値段にも表れる。

一通りメニューを眺めたが、食に関しては一切冒険をしない人間なので、定番のオレンジジュースにした。
このグラスで70ルピー(約112円)である。

インドの生ジュース屋

グラスもおしゃれである。

メニューにあった「 MOSAMBI 」(たぶん「モサンビ」と発音するのだと思う)というのが気になり、帰りがけ店員に聞いてみると「スイートライム」のことだと言い、カウンターの上に積んであるものを指差した。
見れば真ん丸のオレンジのようなものであるが、味はオレンジとどう違うのだろう。

インドの生ジュース屋

見た目は普通のオレンジにしか見えない。

モサンビを教えてくれた店員は、チックーの皮むき作業の真っ最中だった。
チックーというのは、見た目がジャガイモみたいなものだが一応フルーツで、この店ではミルクシェークで出しているようだった。

インドの生ジュース屋

ジュース屋の主な仕事は皮むきかもしれない。

モサンビは知らなかったがチックーは知っているので、皮むきしている店員の手元を指差して「チックー、チックー」と子供のように繰り返すと一切れくれた。しかしいい大人のやることではない。

インドの生ジュース屋

チックーは不思議な味なのだ。

肝心のチックーの写真がボケてしまったが、味の方もボケたものである。
あまり上手く表現できないが、干し柿のような味と食感というのがまあまあ近い表現だろうか。

でもどうせくれるなら、モサンビの方が良かったな。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インドのショール

2016年グジャラート再訪・第28回 / ジュナーガルのおやつ・その2

ウパルコート砦でようやく見つけた落花生は生っぽくて食べられず、それじゃもうひとつの好物を食べるかと、こちらの店に来た。

これはトウモロコシ屋である。
インドのトウモロコシ屋は焼くのとゆでるのがあるが、ここはゆでトウモロコシである。

インド、グジャラートのトウモロコシ屋

ウパルコート砦にはたくさんの観光客がいたが、この店にはまだ客がほとんど来ていなかった。

どうやらこの店は家族で切り盛りしているらしく、奥さんらしき人がトウモロコシの皮をむき、それをおやじが釜でゆでている。

インド、グジャラートのトウモロコシ屋

家族一丸となって働いている店はつい応援したくなる。

そして息子も手伝っている。
しかしこれをひとくくりに児童労働と非難するなかれ。

インド、グジャラートのトウモロコシ屋

きっと今は学校もディワリのお休みなのだろう。きっとそうに違いない。

なにしろおやじは左腕にギプスをし、首から吊っているのだ。
つまりこの少年はまさしくおやじの片腕としてがんばっているのである。

インド、グジャラートのトウモロコシ屋

少年は無理やりやらされている風ではなく、本当に一生懸命働いていた。

そうこうしているうちに、私のトウモロコシが出来上がって行く。
これは最後の仕上げ、塩と唐辛子の粉をレモンに付け、それをごしごしトウモロコシにすり込んで行く作業だ。担当は少年である。

インド、グジャラートのトウモロコシ屋

初めの頃はこのサービスはありがた迷惑に思ったものである。

実は私は初めの頃これがダメだった。
なにしろ何度も使ったくちゃくちゃのレモンで、得体のしれない粉(当時の私はその茶色がかった粉が塩だとは思えなかった)をトウモロコシにすり込むのである。バッチイというのもあるが、それよりトウモロコシにレモンはないだろうと思っていたので、いつもそれは断ってなにも味のないものを食べていた。

ところがある時、私が制止する前にごしごしやられてしまい、仕方なくそれを食べたのだが、あ~ら不思議、レモンの酸味と塩味が混ざり合うと、なんとなく醤油みたいな感じになるのである。(その時は唐辛子はなかった)
それ以来この味付けがすっかり気に入ってしまい、たまに気の利くトウモロコシ屋が「レモンはどうする?」と聞いて来たりするが、ガシガシごしごしやっちゃってと頼むほどになった。

インド、グジャラートのトウモロコシ

この黄色がインドの大地によく映えるのだ。

このトウモロコシは10ルピー(約16円)だが、値段はサイズによって変わる。
この店ではトウモロコシを紙皿に載せてくれたが、通は捨ててあるトウモロコシの皮の中からきれいそうなのを選んで拾い、そいつで包んで食べたりする。それが粋なトウモロコシっ食いてもんでい。てやんでい、べらぼうめい。

とにかく店の奥にある椅子に座り、トウモロコシをゆっくり食べる。
まだ下痢が治り切っていないので、本当にゆっくりしっかり咀嚼しながら食べる。

客は客を呼ぶ。特に外国人が食べていると、インド人たちはそれを目ざとく見つけ、われもわれもと店に殺到する。

インド、グジャラートのトウモロコシ屋

お客はお客の招き猫、千客万来商売繁盛で笹持って来い、なのだ。

まあ、そうすぐにはやって来ないかもしれないけど、なるべくゆっくり食べて、少しでも客を呼び込む手助けができたらいいなと思うのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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2016年グジャラート再訪・第27回 / ジュナーガルのおやつ・その1

私はジュナーガルに着いてから、ずっとあれを探していた。
というのも、バスでジュナーガルに来る途中で、それを見かけたからである。

最初は車窓から見た畑だった。
畑のところどころに、なにやら小山のようなものができていた。
それを見たとき、もしやと思った。なにしろ窓から入る風の中にも、それの匂いを感じ取ったのである。

インド、グジャラートの落花生畑

沿道には子供の頃の記憶を呼び覚ます光景が続く。

そしてバスが山のような荷を満載したバイク型三輪を追い抜くとき、はっきりこの目でそれを確認した。

インド、グジャラートの落花生

子供の頃、まさしくこういう光景を何度も目にしていた。

それは落花生である。
畑にあった小山は、掘った落花生を乾燥させていたのである。
風で運ばれて来た匂いは、もちろんあの煎った芳ばしい落花生のものではなく、ほとんど土の匂いなのだと思う。
でもそれは私が子供の頃に見た秋の風景であり、匂いそのものだった。私が育った町は落花生の生産が盛んだったのだ。

インド、グジャラートの落花生

かつてのアメリカ合衆国カーター大統領も落花生を作っていた。そしてかつての日本の総理大臣はアメリカの会社からピーナツをもらっていた。

なのでジュナーガルには落花生を売る店がきっとあると思って探していたのだが、ようやくそれをウパルコート砦の中で発見したのであった。

インド、グジャラートの落花生屋

ようやく見つけた落花生売りの屋台。おっさんは新聞を読んでいるのではない。包装紙を作っているのである。

こうしたインドの屋台の豆売りは、さやをむいた豆を鉄鍋に入れた砂で煎るというのが多いのだが、この店ではさやごと煎っていた。

インド、グジャラートの落花生

落花生はさや煎りが一番おいしい。ちなみに二番目はゆで落花生なのだ。

値段はわからないがそんなに高いものではないはずである。なにしろインドは落花生の生産量で世界第二位であるし、実際袋詰めのものなどはそこらじゅうで売られている。またちょっと気の利いたレストランでビールを注文すると、サービスでピーナッツがどっさり出て来たりする。

こうした量り売りのものを買う時には、先にお金を出して見せ、その分だけもらうのがいい。
今回はとりあえず10ルピー札を出してみた。

ひとつかみほどの落花生が新聞紙に載せられて差し出された。
その写真を撮ろうとすると、落花生屋のおっさんが慌ててなにやら言う。

インド、グジャラートの落花生屋

ちょっと待ってくれと落花生屋は言った。

写真を撮ったのがマズかったのかと思ったらそうではなく、撮るならちゃんと手渡しているところを撮れとのことで、一旦私の手から包みを取り上げ、あらためて手渡してくれた。
お気遣いありがとうございます。

インド、グジャラートの落花生屋

へい!お待ち!と落花生屋は言った。

さっそくさやをむいてみたら・・・ん?

これも落花生の産地で育った人間なのでよく知っているのだが、この色はまだ生である。生の落花生を知らない人でも、良く煎ったものとはだいぶ色が違うのがおわかりになるだろう。そう、普通よく見かける物は渋皮が赤茶色になっているのだ。

インド、グジャラートの落花生

むむ、なんだか思っていたのとは違うのだ。

まだ下痢も完全には治っていないし、「生で食べたら腹をこわすぞ」と言われて育って来たのでちょっと躊躇してしまったが、そもそも待ち切れずに店の真ん前でむき始めていたので、食べないわけにはいかないだろう。あの気配りのできる豆屋のおっさんだってまだ見てるし。

むいてしまった落花生を口に入れて噛むと・・・う~ん、やっぱりこれは生である。畑に取り残されたものを拾って食べたことがあるので知っている。

口に入れた分はちゃんと飲み下し、豆屋のおっさんに「グッドだ」とうそを言い、残りの豆は新聞紙で包んでかばんにしまいその場をあとにした。

どこかに捨ててしまおうと思っていたのだが、なんだか捨てるのは気が引けて、ホテルまで持ち帰った。
そしてその夜、一人で特にすることもないもので、なんとなく落花生をむいて口に入れたら、まあこれはこれで食べられないことはない。いや、実際ああして売られているものなのだから、食べられるはずなのだ。確かに良く煎ったものと比べたら生に近いかもしれないが、一応火を通してはあるのだし・・・

なんて考えながらぽつぽつ食べてたら、新聞紙の中はいつの間にか成長不良の小さな落花生がひとつ残るだけとなり、それだけ捨てるのも忍びないので、爪の先で一生懸命さやを割り、結局全部食べてしまったのであった。

食べ物を粗末にすると罰が当たるかもしれないが、全部食べたら食べたでやはりなにかしら当たりそうな気がする。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インド先住民族の工芸品ドクラ

2016年グジャラート再訪・第26回 / ジュナーガルの街散策その2・ウパルコート砦

無事にナルシン・メヘタ詣でを終え、次にジュナーガルで一番の見どころであるウパルコート砦へと向かうことにした。

ウパルコート砦に行くのは今回で二度目であるが、ナルシン・メヘタを経由したため頭の中の位置関係がすっかり狂い、だいぶ遠回りをしてしまった。

ようやくウパルコート砦に続く坂道に出たが、なぜか三年前とは違って観光客の姿が少ないような気がする。
そもそも以前は、観光客を満載したバイク型三輪が何台も追い抜いて行ったというのに、今回は一台も見ない。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

ウパルコート砦に向かう道には、以前ほど観光客の姿が見えなかった。

この砦はなんと紀元前319年に、マウリヤ朝初代王チャンドラグプタによって築かれたとのことである。
やがて遷都によってこの地の重要性がなくなったことから、7世紀から10世紀まで完全に忘れ去られ、すっかり森に埋もれてしまっていたのであった。
その後発見されたこの砦は、時の支配者によって再び砦として使われるようになったとのことで、残っている建造物はそれ以降のものが多いのだろう。
しかし門を入って最初に通るこの通路は、あたかも紀元前の昔に戻るタイムトンネルのように思える。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

このトンネルがなかなか雰囲気があっていいのだ。

ところが、ふと後ろを振り返ると一台の乗用車が入って来るではないか。確かここは車では入れないはずである。なにしろ入り口からしばらくは狭い通路が続くのである。

初め私はそれがこの砦の関係者の車か、または重要人物の乗った特別な車なのだろうと思った。インドでは政治家などの「実力者」が、日本では考えられないくらいの特別扱いを受けることがあるからである。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

良い雰囲気なのに車が入って来ると台無しなのだ。

ところが入って来る車は一台ではなかった。

なんと驚いたことに、この三年の間にここは車入場OKとなったようで、砦内の通路の至る所に車が停まっている。
なるほど、車で中まで入って来る人が増え、その分歩いて来る人の姿が少なかったのかな。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

これも時代の流れ、というか通過点なのだろう。

ここまで来るとジュナーガルの街が一望できる。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

ここに来る道はそれほどきつい坂ではないが、ここから眺めるとだいぶ上がって来たことがわかる。

それにしてもすごい人の数である。
しかしこの中のどれくらいの人が、ここまで自分の足で上がって来たのだろう。
自分の力で上がって来てこそ、この眺望がより一層素晴らしく思えるのだぞ、と少しひがんでそう思う。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

インドも秋は絶好の行楽シーズン。お祭りなどもあって休みの日も多く、観光地はどこも賑やかである。

たくさんの観光客を目当てにした馬がいた。
いや、別に馬が自分で観光客目当てに来たというのではなく、客を馬の背に乗せたり一緒に写真を撮らせたりしてお金を取るという商売人が連れて来た馬である。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

意外に思うかもしれないが、インドの観光地には馬が付きものなのだ。

また記念撮影をする写真屋も出ていた。
携帯電話やスマホを含め、すっかりカメラの普及した時代に写真屋なんていう商売が成り立つのだろうかと思ってしまうが、ちゃんと撮影用の小道具を用意してお客様のお越しをお待ちしているのだ。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

ライオンはこの近くに生息しているのでわかるが、ギターはなんだろう。

ほら、この人まんまとライフル構えちゃったよ。
私もあんまり近くで撮ると写真屋からお金を請求されそうなので、ちょっと離れたところからこっそり撮った。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

まったくウケ狙いなのか真剣なのかよくわからないのだ。

砦の東側からは遠くにギルナール山を望むことができる。
あの山はグジャラート州の最高峰である。もっとも標高は1000mちょっとではあるが。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦からの眺め

ギルナール山はグジャラート州の最高峰である。

またギルナール山はヒンドゥー教の聖地でもあり、たくさんの寺院が建てられている。
なのでたくさんの信者、そして観光客がギルナール山を訪れるのだが、私は頂上まで9999段もの石段があるということに恐れをなして、近づくことさえしないのである。

インド、ジュナーガルのギルナール山

そしてギルナール山はヒンドゥー教の一大聖地でもある。

ウパルコート砦はとても広く、内部には階段井戸や洞窟、モスクなどの見どころもたくさんあるのだが、私は再訪ということで、今回はのんびり景色だけを眺めるという、なんとも贅沢な時間を過ごした。

*ウパルコート砦に関しては「インド・グジャラートの旅:実録編・第21回:ジュナーガル」にてもう少し詳しく紹介しております。

私が帰る時には同じように帰る車もたくさんいて、入り口(出口?)の狭い通路は渋滞ができるほどだった。なにしろここは車がすれ違えない狭さなので、係員による交互通行が行われているのだ。

インド、ジュナーガルのウパルコート砦

さすがのインド人たちも、ここではちゃんと交通整理に従っていた。

でもきっと、今にこの砦の維持保存を真剣に考えるようになったら、車は再び入場禁止になるのではなかろうかと、そう思うのである。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インド関連本紹介:「インド大修行時代」山田和・著

インド大修行時代:山田和
前回の「インドの大道商人」に続き、今回も山田和氏の著書である。

この本はまだインド初心者であった若き日の著者の体験記となる。
のちにインドの大地を自由に走り回り、膨大な量の取材をするようになる著者も、初めてのインドではやはり苦戦を強いられた。

各地でインド人たちに騙されぼられ、そして病に倒れる。飛行機に乗り遅れ、バスを見失い、タクシーは目的地に着かない。
その一方で高級ホテルにも泊まり、おいしいものも食べ、少年たちとも仲良くなる。
インドの旅のなんと内容の濃きことか。しかもこれが感受性豊かな時期に体験できたというのは、本当に幸せなことだと思う。実にうらやましい限りである。

本書は1974年の初インドのエピソードに初期何度かの渡印を加えたもので、いずれにしても古い話なのだが、登場するトラブルのほとんどは今でもインドで日常的に旅行者に襲い掛かるものなので、これからインドに行こうとしている人も体験できるチャンスは充分あるのでご安心いただきたい。

数々のエピソードの中で私が一番面白く読んだのは、デリーの靴磨き少年とのバトルの話である。
旅の途中で出会った若者から、デリーには靴にシュークリームを乗せ、それを拭き取ることで法外な料金をふんだくる輩がいると聞いた著者は、果敢にも過去の犠牲者の仇を取るため立ち上がる。
まあ詳しくは読んでのお楽しみだが、とにかく私はこの話を読み、まさに戦友を得たような気分であった。

ということで、いまやインドの大家である山田和氏も初めは初心者であった。
千里の道も一歩から、塵も積もれば山となる、何事も続けてやっていればやがて大成するのだなあ。

でも「初心忘るべからず」という言葉もある。
初心でいればこそ、見えて来るものもあるのである。

最後にこの本の中の、次のような一節をご紹介させていただく。

 それで僕らは、自分の小さな旅をあえて「あてどない旅」と呼び、地球の地図がまだ描ききれていなかった時代の心をもって遥かな時空へと旅立つ。
 未踏の地や処女地は存在しない。しかし、それを夢想し感得する権利は今もある。幸いなことに、僕らは大勢の人が住み、車と自転車にあふれた異国の雑踏にも、宇宙から地球を眺めたガガーリンが感じたのと同じ質の、あるいは褐色の大地に碧いロプノール湖を見たヘディンが感じたのと同じ質の感動を得ることができるのだ。
【山田和:著 講談社文庫版「インド大修行時代」より引用】

私も次の休みにはどこかに散歩にでも出て、何かを「発見」してみようかな。

インドのマフラー

ほんわかする丸いフォルム:ニワトリの形の木製ボウル

私が高校の時の漢文の教科書に「桃花源記」という話が載っていました。
内容は、ある時漁師が道に(川に?)迷い、たどり着いたところが桃源郷であったというものです。

そののどかな風景を表す文章に、桃源郷という言葉の由来となる「桃花の林に逢う」というのがあり、さらに桃源郷に近づくと「鶏犬(けいけん)相聞こゆ」というのが出てきます。

「鶏犬相聞こゆ」とはニワトリや犬の鳴き声が聞こえる、つまり近くに人々の暮らす場所があるという意味になるのですが、それほどニワトリや犬は古くから人の生活に溶け込んでいたということなのでしょう。

で、今はどうかと言えば、犬は都会でもペットとしてたくさん飼われていますが、ニワトリはあまり見かけません。少なくとも人口密集地ではまず見ません。

それはなんと言っても鳴き声の大きさが一番の理由かと思います。ニワトリを飼ったことのある人ならわかると思いますが、あれは本当にうるさいです。なにしろ「桃花源記」でも、人里に近づいたことを表すのに、人々の話し声ではなくわざわざニワトリや犬にご登場願っているのです。それだけニワトリや犬の鳴き声は大きく、そして遠くまで響くということです。

ただし犬ならしつけでなんとかなります。飼い主が自分でできなくても、ちゃんと犬の学校があり、そこで無駄吠えをしないようにしつけてくれるので、都会の暮らしもできるというわけです。

ところがニワトリときたら・・・

本当はニワトリの鳴き声(それから匂いもありますが)なんか気にならないような暮らしが、桃源郷に近い暮らしということになるのかもしれませんが、現実にはなかなかそうもいきません。

そこで、すっかり犬に置いてけぼりをくわされてしまった本物のニワトリの代わりに、せめてニワトリの形をした木彫りのボウルを置くなんてのはいかがでしょう。

インド雑貨、ニワトリ形の木彫りボウル

これならうるさい鳴き声にも悩まされません。

ほら、この表情を見てください。まるで自分(ニワトリのことですね)が桃源郷にいるようではありませんか。

インド雑貨、ニワトリ形の木彫りボウル

そしてエサをくれとも言いません。

このボウルに桃を入れて飾れば、もうリビングは桃源郷になる・・・かもしれません。

インド雑貨、ニワトリ形の木彫りボウル

丸く柔らかいフォルムがまたなんともいい感じです。

ご興味のある方は、ぜひ道に迷わず「ニワトリ型木彫りボウル」までお越しください。

ニワトリのボウル

2016年グジャラート再訪・第25回 / ジュナーガルの街散策その1・ナルシンメヘタを求めて

ガンディー大学に通うK氏は「ジュナーガルに行くならナルシン・メヘタですよ」と言った。

アーマダバードでガンディー大学(正式名は Gujarat Vidyapith )を案内してくれたK氏は、私がジュナーガルにも行く予定だと知るとそう言って、マハーバト・マクバラーのすぐそばですからと付け加えてくれた。

ナルシン・メヘタは15世紀に実在したグジャラートの宗教詩人で、グジャラートのタラージャ( Talaja )で生まれ、その後ジュナーガルに移り住んでいた。
かのマハトマ・ガンディーも、ナルシン・メヘタの詩にメロディーをつけた「 Vaishnav Jan To 」という詩( bhajan )が大のお気に入りで、塩の行進の際にも歌われたという。

インドの詩人ナルシン・メヘタ

ナルシン・メヘタはかのマハトマ・ガンディーも崇拝していた。

つまりはガンディーつながりということで、せっかくジュナーガルに来たのだから行ってみようと思ったのである。

まずはその「起点」となるマハーバト・マクバラーに向かう。

マハーバト・マクバラーは、かつての太守マハーバト・ハーン3世の廟である。
ここは三年前にも来ているが、その時は午後だったため逆光気味の写真しか撮れなかったので、もう一度午前中に来てみようと思っていたのでちょうどいい。

インド、ジュナーガルのマハーバト・マクバラー

正面が東に面しているので、午前中なら順光で眺められる。

マハーバト・マクバラーのすぐ隣にはヴァジールズ・マクバラーという廟もあり、そちらはらせん階段が絡みつく二本のミナレットが大変印象的で、どちらかと言えばそっちの方が観光客受けしそうである。

インド、ジュナーガルのヴァジールズ・マクバラー

くねくね階段に見守られ、少年たちがクリケットに興じていた。

しかし今回はこちらはあくまでも「ついで」であり、目標は「ナルシン・メヘタ」なのだ。

さて、K氏は「マハーバト・マクバラーのすぐそば」と言っていたが・・・
と、その言葉を額面通りに受け取って、マハーバト・マクバラーの前でキョロキョロ周りを見渡せば、道の反対側になにやら存在感のある建物があった。
うん、あれに違いない。

インド、ジュナーガルの建物

これが何だか知らないが、なにやら目を引く建物なのだ。

その建物の前のベンチにのんびり座っているおっさんたちに、これはナルシン・メヘタか?(ナルシン・メヘタは建物のことではないが)と確認したら、なんと「違う」という答えが返った来た。

インド、ジュナーガルの人々

月曜日の朝にのんびりしているが、右の人はリタイヤ組とは思えない。

じゃあいったいナルシン・メヘタはどこなのさ?と問えば、ずっと向う、刑務所の通りを右に行けとのこと。
ん?ナルシン・メヘタはマハーバト・マクバラーのすぐそばではないのか?

しばらく歩くと、なるほど刑務所らしき高い塀が見えて来た。
ふむふむ、ここを右に行くのか。

インド、ジュナーガルの刑務所

高い塀があるとはいえ、近くを通る時はちょっとドキドキする。

しかし刑務所の前の通りをナルシン・メヘタを求めて歩くのだが、やっぱりそれらしきものが見当たらない。

そこでもう一度人に尋ねると、そこの路地を入って真っ直ぐだとのこと。
ずいぶん遠いのねえ。

インド、ジュナーガルの路地

お仕事中に失礼してもいいのだろうか。

道は工事中であったが、そのわきをすり抜けてさらに路地を奥に入って行く。
なんだかだんだん心細くなって来て、もうナルシン・メヘタはどうでもいいやと半ばあきらめかけたとき、ひょいっと広い道路に出て、目の前にいかにも「ナルシン・メヘタ!」といった感じの建物が現れた。

インド、ジュナーガルのナルシン・メヘタ寺院

ようやくそれらしい建物が現れた。

念のため近くの人に、これはナルシン・メヘタですか?(だからナルシン・メヘタは建物じゃないんだけどね)と聞けば、そうだとのこと。
到着してみればそんなにたいした距離ではなかったのかもしれないが、本当にマハーバト・マクバラーのすぐ近くだと思い込んでいたのでものすごく遠く感じた。

インド、ジュナーガルのナルシン・メヘタ寺院

静か過ぎてちょっと入るのがためらわれる。

とまあなんとかナルシン・メヘタに到着したのだが、実はここがナルシン・メヘタの何なのかがわからない。
見たところ寺院のようであり、ナルシン・メヘタの博物館や記念館とかではないようだ。

インド、ジュナーガルのナルシン・メヘタ寺院

中にもあまり人がいない。

その証拠にハヌマーンらしきものを祀った祠がある。
ナルシン・メヘタは実在の人物だったが、やがて神格化され寺院に祀られることになったのだろうか。

インド、ジュナーガルのナルシン・メヘタ寺院

かたわらには祠もある。

たくさんの鳩がエサをついばんでいる丸い柵の反対側にも祠があった。
それにしても入り口のシャッターが閉めてあるのはわかるが、手前のナンディ像にも鉄の檻がかぶせてあるのはなぜだろう。
こうしないと誰かに持ち去られる恐れがあるのだろうか?
それとも夜な夜なナンディが歩き回ってしまうのだろうか?

インド、ジュナーガルのナルシン・メヘタ寺院

ナルシン・メヘタは固く門を閉ざし、無知な東洋人を寄せ付けなかった。

たいして広くない境内なので、あっという間に一回りしてしまい、ベンチに腰掛けしばし休憩する。

目の前では近所の人らしいおばさんやおじさんが、鳩やヤギにエサをあげている。
そして時折インド人の団体が入って来て、メインの建物に入って行ったりするが、それもすぐに帰って行ってしまう。

結局ナルシン・メヘタはよくわからなかったが、その神秘性がまたいいのでないのかと、自分を納得させナルシン・メヘタをあとにしたのであった。

インド、ジュナーガルのナルシン・メヘタ寺院

人々は動物たちにエサをあげていた。

*帰国後いろいろ調べてみたら、どうやらメインの建物の中にナルシン・メヘタに関する展示物があったようである。私にはただのヒンドゥー寺院にしか見えなかったので、異教徒であるので入場を控えてしまった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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動物の鈴・アニマルベル

とにかく今をしっかり生きよう:インドのバイク型三輪車

グジャラートに行くと、こうした乗り物をよく見かける。

インドのバイク型三輪トラック

グジャラートではこうしたタイプの貨物車が活躍している。

オートバイの後ろに荷台を取り付けたものなので、ここでは「バイク型三輪」と呼ばせていただくが、バイクの「バイ」は二つという意味なのでちょっと変と言えば変なのだ。かといって「トライク」ではイメージが違い過ぎる。とにかくそこにこだわっていると先に進めないので、気にしないで話を進める。

さて、この乗り物は見ての通り貨物用である。
ここは街中なので袋に入った商品を積んでいるが、農村部では畑の収穫物を山積みにして走っていたりする。そういう姿を見ると、こいつは耕運機のようにも見える。

インドのバイク型三輪トラック

毎日様々な荷物がこれに積まれ、どこかへ運ばれて行く。

あくまでもこれは実用車であるので、たいていはあまりきれいではない。
しかし中には愛車をきれいに飾り付けている、グジャラート版トラック野郎もいる。

インドのバイク型三輪トラック

大切な愛車をきれいに飾りたいというのは万国共通の思いなのだ。

でも貼り付けられている絵は神様のようで、さすがに八代亜紀や工藤静香はないようだ。

インドのバイク型三輪トラック

やはりピカピカ光るパーツは飾りつけのマストアイテムなのだろう。

また、エンジンには「 ROYAL ENFIELD(ロイヤル・エンフィールド)」のロゴが付いている。

インドのバイク型三輪トラックのエンジン

エンジンはロイヤル・エンフィールドというロゴが付けられている。同じエンジンがオートバイにも使われているのか。

ロイヤル・エンフィールドはもともとイギリスの会社であり、20世紀初頭にはもうオートバイの生産を始めていたそうである。
しかしその後、幾多の紆余曲折の果てにイギリスの会社はなくなり、現在はインドで生産され続けているというオートバイである。

インドのバイク、ロイヤル・エンフィールド

これはオートバイの写真である。ロイヤル・エンフィールドのバイクはクラッシックで実にかっこいいのだ。

もしかしたらバイクに搭載しているのと同じタイプのエンジンなのかもしれないが、バイクのものとは決定的に違うのがスターターである。
見るとキック式のスターターも付いているようだが、なんといってもむき出しのプーリー(滑車)が目につく。

インドのバイク型三輪トラックのエンジン

エンジンをスタートさせるプーリーが懐かしい。

そう、このプーリーに紐を巻き付け、勢いよく紐を引っ張ることでエンジンをかけるのである。
日本でも自家発電機やチェーンソーなどで同じ仕組みのスターターが使われているが、それは紐が巻き取られるリコイル式というものである。その点こちらは昔懐かしいロープスターターで、ここだけみるとやはり耕運機のようなのである。

先にも述べたように、これはあくまでも貨物用の車である。
しかしそこはインド、人も乗ってしまう。まあ日本でも昔は刈り取った稲を耕運機に満載し、その上に人が乗るなんていうのはごく当たり前の光景だった。

で、これはジュナーガルの観光名所、ウパルコート砦のそばに停まっていたバイク式三輪である。こいつは先ほどこの荷台に観光客を満載して坂を上って来たのである。
そして今は荷台の頭上に作られた仮設網棚に置かれた荷物を、運転手が見張りながら客の帰りを待っているというわけである。

インドのバイク型三輪貨物

運転手のおっさんは乗客の大切な荷物も守る。

そんな風に貨物用に、そして乗用にと大活躍のバイク型三輪であるが、どうもその栄光にも暗い影が忍び寄って来ているようなのだ。

下の写真は三年前(2013年)のウパルコート前のものであるが、当時はここに観光客を乗せて来たバイク型三輪がたくさん停まっていた。

インドのバイク型三輪貨物

3年前はバイク型三輪貨物も乗客をたくさん運んでいた。

ところが2016年に行った時には、バイク型三輪の姿は一台もなく、オートリキシャがたくさん停まっているだけだった。

インドのバイク型三輪貨物

オートリキシャもバイク型三輪と比べるとモダンに見える。

これはもしかしたら何らかの法的規制ができたか、または庶民の生活向上に伴う「荷台に乗るのはいやだよお」気運の高まりによるものに違いない。
まあいずれにしても、バイク型三輪の乗り合い仕様は、オートリキシャに押されて次第に姿を消しているようである。

しかし所詮この世は無常、栄枯盛衰である。
そのオートリキシャもデリーでは徐々に電動式の新型車に置き換えられつつある。

こうしてだんだんインドならではの面白いものが無くなって行ってしまうが、まあそれが時の流れというものなのだろう。

追うものも、いつかは追われるものになる。 なのだ。

インドのおもちゃ

2016年グジャラート再訪・第24回 / ジュナーガルでの食事

今日はまだポテトチップスとジーラ・マサラ・ジュースをお腹に入れただけなのでさすがに腹が減った。

下痢はまだ完全には治り切ってはいないが、だいぶ快方に向かっているようで、なんだか無性に肉が食べたい。食べたいったら、食べたい。これは私のワガママなどではなく、体からの要求なのである。

三年前にジュナーガルに来た時は、ベジタリアンの定食屋しか見つけられなかったのだが、実は肉屋らしき店は見かけていた。

場所はバススタンドからメインストリートを東に5分ほど歩いた辺りである。
そこでメインストリートは大きく左にカーブし鉄道駅へと至り、メインストリートから外れて真っ直ぐ進むと、この街一番の観光名所ウパルコート砦に至る。
そのウパルコート砦へ続く道の入り口辺りで、その店を見たのであった。

インド、ジュナーガルの肉屋

この界隈は食料品を中心とした店が集まっている。またこの少し先には市場もある。

もっとも肉屋と言っても店先に生きたニワトリの入った籠が積まれ、看板にニワトリの絵が描いてあるというだけの店で、はたしてそこが本当に肉屋なのかは確認しなかった。でもそこが肉屋なら、たぶんその近くには肉料理を出す食堂もあるだろうと見当をつけていた。

はたしてニワトリの絵の看板を掲げる店は、三年前と同じ場所にあった。

インド・ジュナーガルの大衆食堂

ここが肉屋だとすると、きっとこの辺りに肉を食べさせる食堂があるはずなのだ。

看板はグジャラート語で書かれているので「&」しか読めないが、看板にはニワトリと玉子の絵が描かれているので、普通に考えればここは肉屋かペットショップのどちらかであろう。そしてさらにごく常識的に考えれば、ここは紛れもなく肉屋に違いないのである。

インド・ジュナーガルの大衆食堂

材料があればその製造物もあるはずなのだ。

とにかく適当に見当をつけ、その辺りの路地に入って見る。
するとわりとすぐに料理の写真をたくさん掲げた店を発見した。
看板の写真からは「肉」が使われているかどうかは判らず、またグジャラートの文字からは何も伝わって来ないが、私の鼻が確かに肉の匂いをかぎ分けた。

入り口で揚げ物を売っているおっさんに「ここはノン・ベジレストランか?」と尋ねると、そうだとの答え。ピンポ~ン!である。

インド・ジュナーガルの大衆食堂

ちょっと入りづらい雰囲気だったが、肉の魅力はそれより強い。

それほど広くない店内はほぼ満席であったが、一番奥のテーブルが空いていた。
殺風景な店内は薄暗く、見たところ客層もそれほど良いとは言えないようだが、インドの地方都市としては標準的な定食屋といったところか。

インド・ジュナーガルの大衆食堂

たくさんの人が黙々と食事をしている。

メニューなんて見てもどうせ何もわからないので、周りの人が食べているものを指差して「あれは何か?」と尋ねると、それはチキンビリヤーニだという。
ビリヤーニは炊き込みご飯のことなので、米好きの私には願ったりかなったりである。迷わずそれを注文する。

値段はオニオンスライスがついて30ルピー(約48円)。
量は多くないが、今の私にはちょうどいいサイズである。

インド・ジュナーガルの大衆食堂

ちゃんと大きなチキンがいくつも入っていてエライのだ。

腹が減っていたこともあるが、それを差し引いてもなかなかうまい。
フライドライスではなく炊き込みご飯というところもいいが、入っている肉がぐにゅぐにゅしていて私好みである。いったいどこの部位なのだろう。

あまりのうまさに心から感動し、わざわざ厨房のおっさんにお礼を言った。
それにしても汚いTシャツだなあ。

インド・ジュナーガルの大衆食堂

服はちょっとバッチイが、いい仕事してるぜ、おっさん!

もちろん次の日も同じ食堂に行った。

ところが意気揚々と「チキンビリヤーニ!」と注文する私に、店員は無情にも「ない」と言う。
昨日より早い時間に来たのにもう売り切れなのかとがっかりしたら、そうではなくて、その日はマトンビリヤーニの日だったのである。どうやらビリヤーニの具は日替わりのようである。じゃあ明日はビーフかポークかな。

マトンビリヤーニも30ルピー(約48円)だった。
そしてその味もやはりチキンビリヤーニに勝るとも劣らないうまさであった。

インド・ジュナーガルの大衆食堂

チキンもうまいがマトンもうまい!

いくらインドといっても、いま時たったの30ルピーでこれが食べられるなんて、実に素晴らしい食堂なのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インドの南京錠