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2010年インドの旅・実録編:第36回 コーチン

         
  • 公開日:2012年10月30日
  • 最終更新日:2022年6月10日
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時1ルピーが約2円だったので、ただ単に2倍にすれば円価になります。

2010年4月6日(火) フォート・コーチン 晴 27℃(朝の室温) 30℃(日中) 昨日より湿度が低い

7時頃目が覚める。昨夜はぐっすり眠れた。
雨上がりの青空で、空気も涼しく爽やかな朝。

8時過ぎ朝食 ティー、チーズ・トマトサンド、プレーン・ラッシー Rs.85

9時、そのまま散歩

一度ホテルに帰り、10時頃外出
シューマッハ現れず

チャイニーズ・フィッシングネットを見ながら物売りと話す。

フィッシングネットは10分間沈めるようだ。
その後も引き続き(一時間くらい)その場に座ってフィッシングネットを観察したところ、網の上げ下げの時間に特に決まりはないようで、1~2分で沈めた網を上げたり、上げて魚を回収した後すぐに沈めてみたりといった感じだった。

かつてここで会った青年が泊まっていたあたりを歩く。
グランドでは少年のホッケークラブが練習しており、父兄と思われる大人もたくさんいた。

大きな木のある広場で、高校生くらいの男の子がクリケットをしていた。

またひたすら歩く。
イスラム教徒の多い地区に入ったようで、肉屋を見かけるようになった。

スパイスを扱う店(倉庫)が並ぶ通りを抜け、桟橋があったので入ってみる。ボートの修理をしていた。

小さな店でコーラを飲む。Rs.8
なんとその店の住所はフォート・コーチンだったので驚く。てっきりマッタンチェリーだと思っていた。

なるほどしばらく歩くとバススタンドがあり、チャイニーズ・フィッシングネットが見えて来た。

【以下の解説は2012年10月30日のものです】

〔以下メモに解説を加えて〕

2010年4月6日(火) フォート・コーチン 晴 27℃(朝の室温) 30℃(日中) 昨日より湿度が低い

7時頃目が覚める。昨夜はぐっすり眠れた。 雨上がりの青空で、空気も涼しく爽やかな朝。

昨夜の久々の(自分にとってだが)雨、そして今朝の明るい日差し、さらにはよく眠れたことで実に爽やかな気分である。 この宿は中央の吹き抜けを囲んで部屋が並ぶ構造なのだが、そんな頭上の小さな空からも明るい陽光が降り注いでいる。
フォート・コーチンの宿

8時過ぎ朝食 ティー、チーズ・トマトサンド、プレーン・ラッシー Rs.85

宿の一階は食堂になっているのでとても便利。もちろんここの宿泊者だけでなく、他からやって来た者も食事が取れる。 「プレーン・ラッシー」はヨーグルトドリンク。他にも「スィート・ラッシー」や「マンゴー・ラッシー」などのアレンジ版があるため、あえて普通のものを「プレーン」を付けて呼ぶ。

9時、そのまま散歩

朝食の後部屋に戻らず散歩に出たのは、もしかしたら探しているオートリキシャのドライバー「シューマッハ」がいるかも、と思ったため。なんたって彼は感が良く、9年前は私の行く先行く先に現れたものなのである。
フォート・コーチンの風景

一度ホテルに帰り、10時頃外出 シューマッハ現れず

チャイニーズ・フィッシングネットの前からバス・ターミナルと、軽くぐるっと回ってみたがシューマッハはどこにもおらず、一旦ホテルに戻り本格的な町歩きの準備をする。
フォート・コーチンの宿

チャイニーズ・フィッシングネットを見ながら物売りと話す。

さて町歩きに出掛けようか、と思うのだが、どうしてもシューマッハのことが気にかかり、結局またチャイニーズ・フィッシングネットのところへ来てしまった。しかし彼の姿は微塵もなく、落胆して堤に腰掛けフィッシングネットで魚を獲る作業を眺める。 初めしつこく私に付きまとっていた物売りの青年も、ついに商売をあきらめ隣に座り込み、同じようにフィッシングネットを眺め始めた。「仕事は何をしてる」と聞くので、「お前と同じだよ。日本でそういうインドの物を売ってるんだ」と答える。すると青年は手にしていたオートリキシャのおもちゃを軽く持ち上げ、「こいつは中国製だよ」と言った。 やがて白人の団体客が来たので、青年は立ち上がり中国製のオートリキシャのおもちゃの売り込みを始めたが、しばらくするとまた戻って来て座り込んでしまった。どうやら空振りだったらしい。

フィッシングネットは10分間沈めるようだ。 その後も引き続き(一時間くらい)その場に座ってフィッシングネットを観察したところ、網の上げ下げの時間に特に決まりはないようで、1~2分で沈めた網を上げたり、上げて魚を回収した後すぐに沈めてみたりといった感じだった。

一時間ほど物売りの青年と並んでフィッシングネットを眺め続けたが、この漁法の漁獲量は、装置の規模からすると拍子抜けするほど少ないもののようだった。 とにかくまあ、魚を獲るのも物を売るのも人を探すのも、なんでもそう簡単には行かないということである。
フォート・コーチンのチャイニーズ・フィッシングネット

かつてここで会った青年が泊まっていたあたりを歩く。 グランドでは少年のホッケークラブが練習しており、父兄と思われる大人もたくさんいた。

どうもフォート・コーチンでは、かつての人との出会いの思い出が重なり、どうしてもセンチメンタル・ジャーニーになってしまう。シューマッハが来ないとなれば、やはりここで出会った青年との思い出探訪となり、今こうして書いていて、いい加減にせいや!と言いたい気分である。 「ホッケー」とはグランドホッケーのこと。まあ真夏のインドの屋外グランドでアイスホッケーの練習をしていると思う人はいないだろうが、とにかくインドではグランドホッケーはメジャーなスポーツなのである。
フォート・コーチンの街角

大きな木のある広場で、高校生くらいの男の子がクリケットをしていた。

そしてもう一つインドでメジャーなスポーツと言えば「クリケット」である。こちらはプロリーグまである。クリケットは日本ではあまり馴染のないスポーツだが、大英帝国並びにその旧領地域では絶大な人気がある。手で握れるサイズのボールを投げ、木の棒で打って走るので、うっかり「野球の親戚みたい」と言ってしまうとクリケット愛好家から袋叩きにされること間違いなしである。野球の方こそクリケットからの派生スポーツと言われているのであるから。 ちなみにクリケットではボールを投げる人をピッチャーと言わずボウラ―と言い、ひじを曲げずにワンバウンドで投げる。そして野球で言うバッターはバッツマンと呼ばれ、ボウラーの投げるボールが背後にあるウィケットと呼ばれる棒に当たるのを防ぐためにボールを打ち返すのである。とまあ基本的なところは野球とよく似て・・・いえ、野球「が」よく似ているのだった。あっ、バットでぶたないで。
クリケットに興じるインド人男子

またひたすら歩く。 イスラム教徒の多い地区に入ったようで、肉屋を見かけるようになった。

適当に見当をつけて歩いて行くと、住宅に挟まれて小さなモスクがあった。どうやらこの地域はイスラム教徒が多いようである。残念ながらムンバイやアーマダバードの時の様に、店先でシシカバブを焼くという光景には出会えなかったが、大きなまな板(と言うより丸太だが)の上で肉をさばく光景をよく目にするようになった。う~ん、生肉でもうまそうである。
コーチンの肉屋

スパイスを扱う店(倉庫)が並ぶ通りを抜け、

肉の次はスパイスだった。これであとビールがあれば即宴会である。
フォート・コーチンのスパイス屋

桟橋があったので入ってみる。ボートの修理をしていた。

一般のフェリー乗り場とは違う雰囲気の桟橋があった。どうやら地元の人が利用する桟橋らしく、傷んだ船底を修理していた。ここでは自動車より船の方が活躍しているのかもしれない。
フォート・コーチンの桟橋

小さな店でコーラを飲む。Rs.8 なんとその店の住所はフォート・コーチンだったので驚く。てっきりマッタンチェリーだと思っていた。

歩き疲れてコーラを飲み、ふと店の看板に書かれた住所を見たら、いつの間にかフォート・コーチンに戻って来てしまっていて驚いた。お釈迦様の手のひらでもてあそばれている気分である。
フォート・コーチンの店

なるほどしばらく歩くとバススタンドがあり、チャイニーズ・フィッシングネットが見えて来た。

あれだけ歩いて目的地には着けず、舞い戻って来たチャイニーズ・フィッシングネット前にはやはりシューマッハはおらず、そこには先ほどの物売りの青年と、彼と話し込むM君がいるだけなのであった。

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インドの伝統工芸細密画