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2010年インドの旅・実録編:第26回 ムンバイ

         
  • 公開日:2012年10月16日
  • 最終更新日:2022年6月10日
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時1ルピーが約2円だったので、ただ単に2倍にすれば円価になります。

2010年3月30日(火) ムンバイ 晴 昼頃28℃

5:30ちょうどに旅行社へ
水を買ってツアースタート

最初のポイントはマリーンドライブ

次は丘に上りジェインテンプル
そして公園で時間をつぶし、夜景を見る。

夜のドビーガートを橋の上から眺め、あとは空港へと続く新しい橋(往復Rs.75)を渡る。

10時15分前にホテルへ
早めに駅へ行き列車を待つ。18番線

10時過ぎには列車が入線して来た。
ホームで歯を磨き乗り込む。
四人掛けの席は自分一人で他は誰も来ない。
チケットの検札だけ済ませて寝る。

【以下の解説は2012年10月16日のものです】

〔以下メモに解説を加えて〕

2010年3月30日(火) ムンバイ 晴 昼頃28℃

5:30ちょうどに旅行社へ 水を買ってツアースタート

約束の時間ちょうどにタージ・マハル・ホテル裏手の旅行会社に到着。すでに待機していた車は小型のインド国産車インディカだった。どうせならムンバイのタクシーの定番であるパドミニがよかったが、その古いタイプの車だと、エアコンが付いていたとしてもその効きに若干の不安が残るので、まあ仕方ないだろう。ドライバーは四十がらみの痩せて目つきの鋭いおっさん。ちょっと危ないタイプに見える。

最初のポイントはマリーンドライブ

まず向かったのは昨日徒歩で行ったマリーン・ドライブ。時間は6時ちょっと前。これからロマンティックに夕日を眺めながら愛を囁こうかというカップルがたくさん防波堤に座っていた。また夕涼みがてらの散歩の人も多い。
ムンバイのマリーン・ドライブ

次は丘に上りジェインテンプル

車はしばらく左に海を見ながら走り、湾をぐるっと回り込んだ辺りで鋭角に右折し、坂道を上り始めるとすぐに停まった。そしてドライバーは道の反対側にある寺院を指差して「あれを見て来い」と言った。 「ジェイン」とはジャイナ教のこと。すなわちドライバーが見せようと思ったものはジャイナ教寺院である。しかし今までいくつか見て来たジャイナ教寺院は、いずれも豪華な彫刻で飾られた規模の大きなものだったのに対し、そこにあるのは比較的小ぢんまりとしたものだったので、にわかにはジャイナ教寺院とは気づかなかった。しかもドライバーは「その先の角を曲がったところで待ってるから」と言うとさっさと行ってしまい、案内もしてくれないのである。仕方がないので外観の写真だけ撮ってすぐにタクシーに戻ると、ドライバーは休憩モードに入ろうとしたところだったらしく、私を見ると「えっ、もういいのか?」と驚いたように言ったのだった。
ムンバイのジャイナ教寺院

そして公園で時間をつぶし、

車は再び坂道を上り、そしてまたすぐ停まった。ドライバーは「ここには大きな公園があるから見て来い」と言い、さらに念を押すように「いいか、ゆっくり見て来るんだぞ」と付け足した。 この公園はバック・ベイ(先ほど回り込んで来た湾)を見下ろすマラバール・ヒルという丘の上にあり、その名も「空中庭園(Hanging Gardens)」と言う。 そんな夕刻迫る空中庭園にもたくさんの人が出ていたが、その中で目を引いたのがウォーキングをする人たちであった。どうやらこの辺りは高級住宅地と見え、公園の周りにも高層マンションが立ち並んでいる。おそらくそんな裕福な住人達が、涼しくなった夕方(そしてたぶん早朝にも)ここにウォーキングに来ているのだろう。なにしろ貧乏人なら普段から歩くことが多いので、わざわざ時間を割いて歩くなんてことはしないだろうし、サリーを着た太めのおばさんの足元が、決して安くはないであろうジョギングシューズで固められていたのがなによりの証拠なのである。人間食うことの心配がなくなると、次は健康の心配ということなのである。
ムンバイの空中庭園

夜景を見る。

いつまでも他人のウォーキングを見ていてもそう面白くないし、かと言ってすぐに車に戻るとドライバーが怒りそうだし、それにこちらとしてもガツガツ観光をしたいわけではなく、ただ列車の時間までなるべく楽に暇つぶしをしたいだけだったので、薄闇が迫って来た頃合いを見計らって歩いて別の公園に移動した。もっとも移動したと言っても道を渡っただけではあるが、そこは「カマラー・ネルー公園」という、一応空中庭園からは独立した公園なのである。ちなみに「カマラー・ネルー」とは、独立インド初代首相ジャワハルラール・ネルーの夫人にして、インド初の女性首相インディラ・ガンディーの母の名である。 そんなカマラー・ネルー公園は道沿いに造られた幅の狭いもので、特にどうという特徴のないものなのだが、ところどころが見晴らし所のようになっていて、この時間なら先ほど通って来た海岸線の夜景が望めるのである。 バック・ベイを包み込むようにして輝く光の湾曲は、英国統治時代に「女王陛下の首飾り」と称されたそのままに、いや、おそらくその当時よりはるかに光の量と厚みを増して眼下に横たわっていた。
ムンバイの夜景

夜のドビーガートを橋の上から眺め、

今度はたっぷりと時間を使って来たので、ドライバーも満足そうだった。 途中ドライバーの私的な買い物に付き合いながら(携帯電話で妻と思しき人物と話したのち、八百屋の前に車を停めると、なにやら買い込んでいた。きっと女房の尻に敷かれてるのだ、ははっ)、ドビー・ガートのあるマハー・ラクシュミ駅の跨線橋上に到着した。 「ドビー・ガート」とは大きな洗濯場である。ここにはコンクリート造りの大きなマスがいくつも並び、ドビーと呼ばれる洗濯屋が100年以上の長きにわたり、ここで手作業で洗濯をしているのである。この時は夜だったので静かなものだったが、昼間は活気にあふれている場所なのである。
ムンバイのドビー・ガート

あとは空港へと続く新しい橋(往復Rs.75)を渡る。

ドライバーはまったく観光案内をせず、こちらも積極的に観光をしようとしないので、なんとも時間が過ぎるのが遅い。ついに適当な見学先がなくなってしまったようで、ドライバーは「最近できたばかり」という、空港へと続く道路へ車を走らせた。この道路の最大の「見もの」は、海の上を渡って行く橋の部分であるようだ。まあ日本で言えばレインボー・ブリッジとかベイ・ブリッジみたいなものなのだ。 そんな真新しい道路を走りながら、ドライバーは私に「旅行社にはいくら払ったんだ?」と聞いて来た。私が正直に「1500ルピーだ」と答えると、あきれたという風に「そりゃ高過ぎる。おれを直接雇えば600ルピーだぞ」と履き捨てるように言った。おそらくそれが今回の彼の取り分なのだろう。 確かにこのチャーター料はちょっと高いなと思った。しかしこちらとしては単に車を借りるのではなく、ガイド的なものも期待していたのである。それにまた時間がなかった。思い立ったのが遅かったので、交渉に時間をかけることができなかったのである。これは料金交渉をする際に一番不利な要因である。 ドライバーが手渡す名刺には、自分の名前以外にも二人の名前とそれぞれの携帯電話番号が書かれていた。もしかしたらこの車は、その三人の共同所有なのかもしれない。とにかく携帯電話の普及に伴い、こうして直接取引をしようとするドライバーが増えた。しかしはたして本当に彼の言う「600ルピー」で済むかといえばそうはいかないだろうと思う。きっとやれチップをよこせだとか、ガソリン代は別だとか、エアコンを点けるなら別料金だとか、女房に頼まれたジャガイモ代をくれとか言い出すに決まっているのである。 ドライバーは「次はおれに直接電話してくれ」と言うが、このドライバーは道行く歩行者に怒鳴るなど態度がすこぶる乱暴(さすがに客である私には従順だったが)だったので、まず機会があっても使わないであろうと思いつつ、「わかった、そうするよ」と大人の対応をする私なのであった。
ムンバイ空港への道路

10時15分前にホテルへ 早めに駅へ行き列車を待つ。18番線

それでもなんとか所定の時間をつぶし、タクシーをホテル前で降りた。ホテルに預けてあった荷物を受け取ると、あとはCST駅で列車を待てばいいだけである。

10時過ぎには列車が入線して来た。 ホームで歯を磨き乗り込む。 四人掛けの席は自分一人で他は誰も来ない。 チケットの検札だけ済ませて寝る。

今回乗る列車は23時05分発の「KONKAN KANYA Exp.」である。これに乗れば明日はもうゴア、いよいよ南インドに入るのだ。 始発駅としてもやけに早い入線であったが、すぐに客車に乗り込めるわけではなかったので、まずは歯を磨き、乗ったらすぐに寝られる準備をしておく。 意外にも列車は空いており、自分の与えられた向かい合わせの二段ベッドには他に乗客がいなかった。しかし同行のM君と席が離れたことを考えれば、当然この後途中乗車で席は埋まるのである。 発車して早々に回って来た車掌の検札を済ませると、すばやく睡眠モードに入った。明日目を覚ますと、辺り一面椰子の木で覆われた風景が広がっていることであろう。

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真鍮製のアンティーク弁当箱