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インド:独立インド建国の父ガンディーのお話し・その1

         
  • 公開日:2007年1月29日
  • 最終更新日:2022年6月25日

ここはグジャラート州アーマダバードのサーバルマティー・アシュラムです。なんだか聞きなれないカタカナばかり並んでしまい、「なんじゃらほい?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、サーバルマティー・アシュラムが、別名ガンディー・アシュラムと呼ばれていることを知れば、ここがあのマハトマ・ガンディーゆかりの場所で、そこに鎮座している像が、ガンディー本人であるということに、すぐに思い当たることでしょう。

マハトマ・ガンディー、本名モハンダズ・カラムチャンド・ガンディーは、1869年10月2日、グジャラート州ポルバンダールで生まれました。
1888年、法学を勉強するためロンドンに渡り、弁護士資格を得ます。
1893年、インド人商社の顧問弁護士として南アフリカに渡りました。

ガンディーは南アフリカの任地へ赴く列車から、「インド人」という理由だけで放り出され、人種差別の現実を身をもって体験します。そして有色人種に対する数々の差別待遇を改善すべく活動を開始しました。

しかし当初は、あくまでも「大英帝国の一員」としてのインド人の地位向上を目指していたようで、1899年に勃発したボーア戦争に於いては、イギリス軍を援護するための衛生隊を編成し、勲章も受けています。

また、その後のズールー族の反乱(1906年)、第一次世界大戦(1914年)などでも、同様の活動をしていますが、そのことに関しては、その著書「わたしの非暴力」の中で、「自分が大英帝国臣民であると考えていたのは間違いであった」「それが自由への道を切り開くと本気で信じていた」と記しています。

そのような南アフリカでの活動の後、1914年インドに帰国し、翌1915年にアーマダバードに最初のアシュラム(当初はコチラブという場所に作られ、2年後に現在の場所に移設)が設立され、のちに独立運動にまでつながる活動の拠点となったのであります。

インドの伝統工芸細密画