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第30回:ポルバンダール / ガンディーの生家

         
  • 公開日:2014年3月19日
  • 最終更新日:2022年6月17日
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月16日(土) ポルバンダール 晴

ガンディーの家はそのままらしいが、そのすぐ横に記念館ができていた。
入場料はないが喜捨でRs.10

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月16日(土) ポルバンダール 晴

ガンディーの家はそのままらしいが、そのすぐ横に記念館ができていた。
入場料はないが喜捨でRs.10

長年にわたり一度は行ってみたいと思い続けて来たガンディーの生家に関して、メモに残したのはたったこれだけであった。今読み返して自分でも唖然としてしまう。
しかしまあ写真があるので、それを見ながらガンディーの生家を今一度巡ってみたいと思う。

ということで今回はガンディーの生家の紹介だけで終わってしまうのである。
なのでガンディーに特に興味のない方や、ましてやガンディー嫌いという人はここで読むのをやめてしまった方が良いだろう。

さて、ガンディーの生家には、狭い道に面してそびえ立つ立派な門から入る。まずは入り口で靴を脱ぐのだが、そのまま靴をここに置いて行くのが若干不安である。
まさか偉大なる魂ガンディーご生誕の地で、靴泥棒をする輩などいないと信じたいが、そのガンディー自身が少年期には盗みを働いているので心配である。
門を通り抜けるとこれまた立派な建物が建っているが、これはガンディーの生家に隣接して造られた記念館である。私は生家だけがひっそりと建っているのかと思っていたので拍子抜けしてしまった。
記念館にはガンディーの生い立ちや活動を紹介したパネル、愛用品や関連書籍などの展示があり私も一通り見たが、内容は他の街にあるガンディー記念館とさほど変わらないので、そちらの紹介は割愛させて頂くのでご安心あれ。記念館の石敷きの中庭の左手に、目指すガンディーの生家はあった。
それにしても大きなガンディー記念館と完全に密着した形で生家があるが、記念館ができる前はどんな感じだったのだろうか。ガンディーに関する本のいくつかにも、「ガンディーの生家」としてまさしくこの門の写真が載っており、中にはかなり古そうなものもあるが、その周辺まで写っていないのでよくわからない。
そんなガンディーの生家は、下から眺めただけではその全貌をうかがうのが少々難しいので、まずはムンバイのマニバワン(ガンディーがボンベイでの活動拠点とした家で、今は記念館になっている)に展示されていた生家の模型をご覧頂くとしよう。ガンディー家はこの地方の藩王に使える宰相を務めた名門で、この三階建の家に父親とその五人の兄弟家族とともに暮らしていた。
ガンディー自身も六人兄弟であることから、いったい何人がこの家に住んでいたのであろうか。
それではさっそくこの入り口を入り、右手にある玄関から建物の中に入ってみよう。家の中は家具などがほとんどなくがらんとしていた。
多くの親類と住んでいたということだが、まさかこれほどまでに何もない状態で住んでいたとは思えない。もしかしたら家具などはそれこそ記念館にでも移したのかもしれない。
で、この部屋がガンディーが生まれたまさしくその部屋であるということである。奥の部屋にある木造階段を使って二階へ上がれるのだが、この階段がすごい急勾配で、コブをいくつも作ったロープが垂らされているので、それにつかまりよじ登るといった感じになる。階段を上がるとこんな感じで、裏の家の庭が見える。ガンディー少年もあそこから水鉄砲で隣の洗濯物をビシャビシャに・・・という記述は伝記本にはない。
しかしかなりのいたずら坊主であったというのは事実であるらしい。
ここは左に鉤の手に曲がったところの部屋である。つまり入り口から見て正面の部屋であり、こちらからは記念館の広場が見える。再び急勾配の階段を這い上がり三階へ上がる。ちなみに玄関と二つの階段はいずれも建物の右手にある。(もしかしたら左手にもあるのかもしれないが、少なくとも見学者は右手のもので上り下りする)

上がってすぐの部屋が、ガンディーが暮らしていた部屋のようである。ものの本によると、ガンディーとその直接の家族はこの家の二部屋で生活していたとある。
その本にはどの部屋かまでは書かれていないが、この案内板からすれば三階の(正面から見て右側の)二部屋ということになるようである。三階は外廊下(細長いベランダ)を挟んでもう一部屋ある。
そこは他の部屋から独立したような形になっているので、もしかしたら家長(たぶんガンディーの父親)が使っていたのかもしれない。そんな外廊下からは、今はガンディー記念館が見下ろせる。実はガンディーは7歳の時にはすでにこの町を後にし、ラジコットの小学校に入学している。
しかしこの家でたくさんの兄弟や従兄弟たちに囲まれて過ごした幼少期は、その後のガンディーの人格形成に大きく影響したことはまず間違いないのである。

私も今回マハトマ・ガンディーの出発点たる場所に来られたことで、ずいぶんあやふやになって来ているガンディーに関する記憶をもう一度整理するため、家に帰ったら伝記本を読み返してみようかなと思うのであった。

ちなみに入り口で脱いだ靴(正確にはスポーツサンダルだが)は、盗まれもせずちゃんと元のところにあったということをご報告申し上げ、ガンディーの生家訪問のお話しを終わらせて頂く。
最後までお付き合いありがとうございました。

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木彫りのガネーシャ