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お願いだから特別扱いはよしとくれ:2013年グジャラートの旅:エピソード編・第15回

         
  • 公開日:2014年1月29日
  • 最終更新日:2022年6月15日

ポルバンダールから次に目指すのは、ヒンドゥー教の聖地ドワルカである。
ガンディーの生誕地からヒンドゥー教の聖地という、それはそれはもったいなくもありがたいルートなのである。まるで愛国駅から幸福駅行のようである。

ドワルカ行のバスの時間は調べていなかった。しかしガンディーの生誕地から聖地へ行くバスなのである。なんとなく頻繁に出ているような気がしていたのだが、そうでもなかった。
高い金を払って不快な思いをしたホテルは7時半に引き払い、早々にバスターミナルに来たというのに、ドワルカ行は9時20分発とのことである。
なんとまあ、まだ一時間半もあるじゃないの。

石のベンチに腰かけてじっと待っている間にも、次々とバスがやって来る。それを見ているとつい心配になり、バスの案内所のおっさんに「あれは違うのか?」と何度も聞いてしまい、その都度「あれじゃない。来たら教えてやるから座っていろ」と言われるのであった。

案内所のおっさんにうるさがられるほど何度も尋ねるのは、われわれの存在を常に意識させ、バスが来たら真っ先に教えてもらえるようにする狙いがある。なにしろ自慢じゃないが私はグジャラートの文字が読めないのである、えっへん。
もっともここはバスターミナルなのでバスは空の状態でやって来るはずで、それほど慌てなくても席には着けると思う。しかし今日は3時間ほど乗ることになるので、なるべくいい席が欲しいところである。

できれば一番後ろの席が気楽でいいな。
それから海が見えるかもしれないから左側がいいな。
でもダメなら右側でも我慢しよう。
大人だからな。

******************************

結局バスが来たのは9時45分であった。

字の読めない私は、そのバスがドワルカ行などとはもちろん気付かなかった。
ただたくさん人が乗ってるバスがターミナルに入って来て、そこにさらにたくさんの人たちが群がっているなあとぼんやり見ていただけであった。

そんな私にバスの案内所のおっさんが「あのバスだ」とのんびりした声で言うのである。

えっ、あのバスって・・・あのバス?

最悪である!完全に出遅れである!いったい何のために二時間近くも案内所のそばに座り続けていたというのか。
そして何のためにうるさがられながらも何度もあんたに確認したというのか。
それもこれも座って楽して行きたいがためでしょうがあ!

あー!もう今さらそんなことを言っても始まらない。
とにかく行かなくちゃ・・・・

慌ててバスに走り寄って行ったものの、乗り込めたのは一番最後であった。
第一希望は最後部の席だったのに、なぜか通路の一番前に立っている。しかしこの時はまだ、必ず途中で座れると思っていた。
少なくとも今まで乗ったバスでは途中で結構乗客の入れ替わりがあり、時にはかなり空いた状態の時もあったのである。

なあに、まだまだ時間はたっぷりあるさ。

******************************

案の定バス停に止まる度に誰かしらが降りて行く。
通路に立つわれわれを押しのけるようにして、大きな荷物を持った乗客が半ば強引に通り過ぎ降りて行く。

そのたびに後ろを振り向いて車内の状況を確認するのだが、通路にはまだわれわれの他にも立っている人がいる。そしてなぜかわれわれの近くの席の客は一人も降りて行かない。そんな状態で一時間が過ぎ、二時間が経過し、ついに立っているのはわれわれ二人だけとなった。

こうなると辛いというよりなんとなく恥ずかしくなって来る。
なにしろこれだけ乗客の乗っているバスで座れないのが二人だけなのである。
しかもそれがたった二人だけの外国人なのである。
実にマヌケな絵ではないか。私だったら笑っちゃうな。

と思ったらまたまた何人かが降りて行った。
もう通路の障害物もわれわれだけとなったので、降りて行く人も楽そうである。

さあ、いよいよ座れるぞ!

と思って後ろを振り返るのだが、なぜか空いてる席がない。

これはおそらくそれまでぎゅうぎゅう詰めに座っていたからであろう。
インドでは二人掛けのところに三人とか、三人掛けのところに五人といった具合に詰合せて座ることが普通であり、私はそのことをインド人が持つ美しい習慣のひとつであると、常日頃から感心して見ているのである。

なのに今のこのざまはどうしたことか。
なぜわれわれの為には席を詰めない。
外国人だからか?
味噌くさいからか?

とうとうわれわれ二人だけ、終点のドワルカまで三時間立ちっぱなしだった。

どうしてわれわれだけがこのようなひどい仕打ちに遭わなければならないのかと、他の乗客との相違点をY棒とあれこれ話し合ったところ、われわれだけが日本人であるということのほかに、おそらく昨日肉を食べたのはわれわれだけだったのではないかという意見で一致した。

ああ、神よ、かくも肉食は汚れた行為なのでありましょうか。

しかしその上で「肉を食べて三時間バスに立って行くのと、肉を食べずに座って行くのではどちらがいいか?」という問いに対し、「肉を食べて三時間立って行く方がいい」という意見で再び一致を見た二人だったのであった。

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インドの南京錠