2001年7月15日:俗と聖の交わるところ その2 / バナラス

インドな日々

2001/07/15 俗と聖の交わるところ その2 バナラス

雨季のガンガーはさすがに水量が多かった。
茶色に濁った水がとうとうと流れて行く。

バナラスにはガートがたくさんあるのだが、私は迷わず一番有名なガートに行った。
別にミーハーな訳ではないのだが、他に知らなかっただけである。
しかし階段状のガートのほとんどは、水量の増したガンガーの水に浸かってしまっており、写真で見た光景とまるで違うのである。
写真で見た階段ガートは幅も広く、そこでたくさんの人々が沐浴しているというものであった。
それに反して私の目の前にあるのは、普通のサイズのコンクリート製の階段が河に向かって降りているというものであった。

それでも水を触ってみた。
聖なるガンガーの水は、私にはただのばっちい濁り水であった。
まあ、普通の観光客にとってはそんなものであろう。
私はこのばっちい水を、日本にいる罪深き人々にも分けてあげようと思い、はがきを取り出すとその表面にべちゃべちゃかけ始めた。
もうすぐこのはがきを受け取った人は、ガンガーの聖なる菌に侵され、高熱にうなされたあと、善良な心を取り戻すであろう。

さて、これでバナラス訪問の目的の99%が終わってしまったことになる。
ここはインドでも有数の聖地であるのだが、日本人観光客にとっては、この有名ガートで沐浴することと、やはり有名な火葬場で荼毘に付される死体を見ることくらいであろう。

私は小学校の時、着替えが面倒という理由だけでプールの授業が嫌いだったのである。
それをインドにまで来てわざわざ沐浴などするわけがない。手だけ浸ければ充分である。
それに火葬だって見たいとは思わない。
私は火葬を見て人生の空しさを考えるより、欽ちゃんの仮装大賞を見て人生の楽しさを知る方を取る人間なのである。

それでも火葬場には行った。
バナラスは狭い路地が入り組んでおり、ナビゲーションシステムなしでは歩くのが難しい。
迷子になってしまい、気が付くと絹のサリーなどを買わされていたりする恐ろしいところなのである。
そこで私はナビを雇うことにした。
観光客を見つけると何人ものナビ候補者が付いてくるので雇うのには苦労をしないのである。

私が雇ったのは、リュウとケンと名乗る二人の少年であった。
少年たちは英語を上手に話し、日本語も少しできた。
案内しながらも「カトちゃん、ぺっ!」とか「アイーン」とか「がちょーん」とか言ってくる。
いったい誰が教えたのだ。
しかも「がちょーん」は手の動きが間違っており、修正するのが大変であった。
教えるなら責任を持って正しく教えて欲しいものである。
ついでに言うと「コマネチ!とはどういう意味だ?」とも聞いてきて説明するのが大変だった。

さて、火葬場近くの建物の屋上に上がり、火葬場を眺めてみた。
火葬場は露天で、煉瓦造りのただのテラスである。
そこでは男たちが、薪をキャンプファイヤーのように井桁状に積み上げているところであった。
みんな慎重に平らになるように気を配りながら積み上げている。
たぶん崩したものが負けなのであろう。

河の方を見ると、たくさんの観光客を乗せた船がガンガーの早い流れにのって猛スピードで船着き場に突っ込んでくる。
そしてかなりの衝撃で停泊している船にぶち当たりようやく止まった。遊園地のダッゼムカーのようである。

そんな周りの風景を眺めていると後ろで声がした。
ここを職場にしているガイド料目当てのじいさんである。
無視する私にじいさんは「見ろ、新しい死体が来たぞ」と言う。
死体を指して「新しい」というのも変だと思ったが、先ほどのテラスを見てみた。
竹の担架に載せられた死体が、積み上げられた薪のそばに置かれていた。
じいさんは「老いて死ぬと赤い布でくるみ、若くして死ぬと白い布にくるむ」と説明する。
見ればその死体は赤地に金の刺繍がしてある。どうやら老人のようである。
いったい何歳が老人と若者の境目なのかを聞いてみたかったが、ガイド料を払うつもりがないので聞けなかった。
うー、知りたい!50歳ならどっちなのだ?

もうすぐ火葬が始まりそうであったが、バーベキューは好きだが火葬は好きではないので帰ることにした。
じいさんはしつこく追いすがるが、最後まで無視し続けた私の態度は立派であった。初志貫徹である。

そんなわけで、私は聖地バナラスで何の悟りも開けなかった。

ただ、オーダーしてから1時間も待たせる安食堂で、食事の最後にようやく出て来たスープをすすりながら、「まあこんなものだよな。まじめに人生を送るのはばからしいよな」と再確認したのである。

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