2001年7月7日:鉄道旅行の一考察 / ハイダラバード-カルカッタ

インドな日々

2001/07/7 鉄道旅行の一考察 ハイダラバード-カルカッタ

列車の旅はなかなか良いものである。

お弁当とお茶、それに冷凍みかんなんかを買い込んで、出発を待つ時の気持ちは格別である。
不思議と列車が出発するまでは買ったものに手を付けない。
ホームに停車している車窓に、もくもくと弁当を頬張る人の姿をあまり見かけない。
みんな列車が動き出すのを待っているのだ。
なんて素晴らしいマナーであろうか。

そうなのだ。これはマナーなのだ。
鉄道の旅においては、停車中の弁当とうんこは禁止なのだ。
出発前に飲食を始める人がいたら、今からでも遅くない。悔い改めよ!

ハイダラバードを出発した列車は、カルカッタのハウラー駅に33時間後に到着する。
33時間後である。天文学的な数字である。

簡単に33時間と書いてしまったが、どれほどの時間か今一度再確認しておこう。
ざっとこういうことである。

列車が出発する。朝飯を食う。外の景色を見る。昼飯を食う。昼寝をする。夕飯を食う。本格的に寝る。朝起きて朝飯を食う。外の景色を見る。昼飯を食う。昼寝をする。晩飯を何にするか考える。目的地到着。

このように煩雑な手順を踏んだ後に栄冠を勝ち取るのである。

この膨大な時間を過ごすには、雑誌を読むかゲームをするとか、方法はいくつかあるが、残念ながらホームで売られている雑誌は英語か現地語になってしまう。
普段の私なら簡単に読破してしまうのだが、いかんせん揺れる列車内ではそうもいかない。
ゲームも家に帰ればサッカーゲームを始めとして、野球盤、バスケットボールゲームなどのスポーツシリーズを持っているという、言わばスポーツ万能で女子にもてるタイプの私なのだが、ここには無い。
しかたなく空に浮かぶ雲など見ながら人生に付いて考えたりするのだが、すぐに思考はくだらないことに移ってしまい、「静岡の人がここに来たら『ハイダラバードだらー』などと言うのだろうか?」といった事を考えてしまう。いつもそうなのである。
だいたいもっとまじめに物を考える人間なら、こんな事をしていないで真面目に働いて、少しは出世なんかもしているはずであろう。実におしい人材である。

やはりこのような状況下では、食べる事が重要な娯楽になるようで、ついついチャイやコフィを売りに来る度に買ってしまう。腹ががぽがぽである。
ハイダラバードではとうもろこしを一日一本とノルマを決めて食べていたのだが、残念ながら列車内には売りに来ない。ポップコーンも来ない。かくなる上は豆類であるのだが、これもなかなか来ない。
結局2日目の昼過ぎにやっと豆売りが来たので購入した。
この豆はピーナッツなのだが、日本の物に比べかなり小粒である。大豆くらいの大きさしかない。
これが小さいビニール袋に入って3ルピーであった。
早速袋を開けて食べて見たのだが、なんだか変な臭いがする。

何だろう?

懐かしいような気もするが・・・

あー、イオウの臭いではないか。

しかしなぜこの豆はイオウの臭いがするのであろうか?謎である。

イオウの臭いは考え様によって、良くも悪くもなる臭いのひとつではないだろうか。
良い方の捕らえ方でいけば、この豆は食べると同時に温泉に入っている気分が味わえるというすぐれ物という事になろう。
悪い方の捕らえ方をすると、公衆便所で豆を食ってる気分である。
どちらの捕らえ方をするかで、その人の人生観が分かるというものである。
同じ人生を生きるなら、良い捕らえ方で前向きに生きたいものである。

当然私は人生を楽しい方に捕らえたい。楽して生きたいのである。

田植えの始まったオリッサ州の水田風景を眺めながら、インドにいながらにして箱根にも行った気分になれる幸運を、豆と一緒にかみ締めていた私であった。

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