2001年6月16日:風になった日 / コーチン

インドな日々

2001/06/16 風になった日 コーチン

さわやかな海風が、さわやかな男の頬を撫でていく。

さわやかに恋をして、さわやかに傷ついて、さわやっかぁにぃー泣っこおぅぉー・・・

いかん、いかん、「ありがとう」のテーマ曲になってしまった。
水前寺清子のウミネコのような歌唱法が耳にこびりついてしまう。ちっともさわやかではない。

私は今日もフェリーに乗っている。
すでに5分間のエンジン観察の任務も無事済ませ、緑に覆われた島々を眺めているのだ。
行き先は昨日と同じフォート・コーチン。
あの青年に本を渡すために、はるばる海を越えてやって来た。
昨日その青年は、日本の本があれば読みたい、と言っていたので、私の持ってきた3冊の文庫本をあげることにした。
一冊はすでに読んでしまっており、二冊めもあらかた読んでしまっていた。
三冊めは、ぜんぜん手も付けていなかったのだが、それは植村直己の「極北に駆ける」という北極探検物である。
酷寒の地に挑む男の話を、酷暑のインドに挑む男が読むと、どんな感じなのだろうかという好奇心だけで持って来たのだが、まったく読む気が起きないので、本とともにその仕事を青年に譲りたい。そして感想文だけ書いてもらおう。

青年はフォート・コーチンにある安い宿に泊まっている。
彼は自分の部屋を「なんか、倉庫みたいな所なんです」と照れて話していたが、実際に見せてもらったら、それはぜんぜん倉庫みたいなんかじゃなくて、倉庫そのものであった。
青年は倉庫に寝泊まりしているのである。くすくす・・・

私は宿の人に来意を告げ、彼の倉庫・・・失敬!彼のお部屋を覗いた。

いたいた・・・くすくす・・・蚊帳の中で寝ているぞ・・・

そこにはノックするようなドアがないので、土蔵の壁をごつんごつんと叩いた・・・

お!起きたぞ・・・くすくす・・・

私は彼のルームメイトでもある、蟻さんたちのお家を踏まないように気を付けて彼に近づいた。
寝起きの彼は、少しさわやかさに欠けていたが、本を渡すと笑顔を見せた。
それは昨日、私の絵を見たときには見せなかった笑顔だった。

彼を昼食に誘い、近くの食堂で飯を食べた。
彼ともいよいよお別れである。
お互いに、今後の益々のご繁栄とみなさまのご健康を祈り、幸多かれと店を出た。

するとそこには誰あろう、シューマッハが彼のマシンとともにいるではないか!

おー、シューマッハ!よくここが判ったな!

私たちは再会を喜び合い、次いで料金交渉に入った。
また今日も、彼のマシンでいろいろなところに案内してもらおうと思ったのだ。

シューマッハはあんなに再会を喜んでいたくせに、料金は別らしい。しっかり取ろうとしている。
彼は「無償の愛」という言葉を知らないのだろうか?

とにかく話はまとまり、青年に別れを告げると、シューマッハのマシンは唸りを上げてトコトコ走り出した。
しばらく走ると「ここがお土産屋だ」と言う。
シューマッハ!昨日も言った通り、私は何も買わないのだ。

そのあとは、お定まりの観光コースをトコトコ走ったが、ちっとも面白くない。
そこでシューマッハに「私は普通の人の生活が見たいのだ。できればそれを写真に撮りたい」と、皇室関係の人みたいに告げた。

シューマッハは本当に正直でいいやつなのだが、マシンの向かったのは細い裏通りの住宅街で、マシンの中からでも台所や部屋の中が全部見えてしまうような、古ぼけた小さな家ばかりあるところであった。
シューマッハは写真を撮れと言うが、さすがにそれははばかられるような状況であった。
だって家の中から人がぎろぎろこっちを見ているのだ。
安易に人の生活を覗き見しようとした私が悪かったのだ。すまん、その地域の人たちよ。

そこで私は、予てより間近で見てみたかった、あぜ道にヤシの木の生えているような水田に連れて行ってくれないか、と切り出してみた。
私はそれを列車の車窓から見て、そのあまりの美しさに感動し、是非あそこに立ってみたいと思っていたのだ。

その申し入れに対してシューマッハは「この近くには水田はない。遠くに行かなければそれは見られない」と言う。

そうかもしれない・・・私が見た風景は、コーチンに着く一時間以上も前のものだったからだ。
私はもしかしたら、この近くでもあんな風景が見られるのではないかと、勝手に想像していただけだったのだ。

私の落胆を見たシューマッハは、マシンの後ろから一冊のガイドブックを取り出して、一つの場所を指し示した。

そこには「アレッピー」と書いてあった。

アレッピーは、コーチンから南に約65kmのところに位置する町である。
この町は、バック・ウォーターと呼ばれる水郷地帯を、小船に乗って巡るという、人気ツアーの発着する中心地であるのだ。
たしかに水田はたくさんあるだろう。

シューマッハは「ここに行けば、広大な水田や、ヤシの木に囲まれた農村風景などが見られる。とても美しい所だ」と言う。
そうは言っても、ここから65kmもあるのだ。それをシューマッハのしょっちゅうエンストするオンボロリキシャで行けるのか?
行けたとしても、最低1時間半はかかるだろう。
時計を見ると既に午後3時を回っている。早くても到着は4時半過ぎになってしまうだろう。
しかも今は雨季なのである。幸い今は雨が降っていないが、空は雲に覆われている。
せっかく行っても雨が降ってはどうしようもない。
だいいち、シューマッハのマシンにはブルーシートだってないんだぞ。

私はしばらく思案した。

そして出した結論は・・・・・・「シューマッハに懸けてみる!」であった。

「行け!シューマッハ!はるかかなたのアレッピー目指して!」

シューマッハは、ニコリと笑って頷くと、今までのトコトコ走りはどこへやら、アクセル全開でぶっ飛ばし始めた。

なんだ、スピード出るじゃないか!シューマッハ!

マシンは快調だった。
リキシャを抜かす。自転車を抜かす。オートバイに抜かれた。バスにも抜かれた。トラックを抜かす。アンバサダーがクラクションを鳴らして抜いて行く・・・・・
私たち二人とマシンは風になった・・・

国道を南へ南へとぐんぐん走るシューマッハのマシン。
いったい何キロくらい出ているのだ?
私は後部座席から身を乗り出してスピードメーターを覗き見た・・・

壊れていた・・・

猛スピードで突っ走っているように見えるが、たぶん60キロくらいだろうか。
体感速度が実際より早く感じさせるのだろう。しかし、うまくいけば1時間で着くかもしれない。

行け!行け!シューマッハ!

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結局アレッピー到着までに2時間半かかってしまった・・・

途中、道を聞き聞き来たので、余計に時間がかかってしまったのだ。
それでもマシンは、いよいよアレッピーの町並みを通り抜けようとしている。
そして、突然視界が開け、広大な水田地帯が目の中に飛び込んで来た!

いっぱいに水をたたえた水田。畦を取り囲むようにして生い茂るヤシの木。木陰にひっそりと佇む家。一日の仕事を終え家路につく農夫たち。道端で草をはむ牛・・・・・

そして・・・・・・青空!

そんな風景を、切り裂くように真っ直ぐ延びる道の片隅に、シューマッハのマシンは静かに止まった。
エンジン音の消えた田園風景は、また元の静けさを取り戻した。

私はマシンから飛び降り、あまりの光景にその場に立ち尽くした。
シューマッハは天を仰ぎ、両手をいっぱいに広げてくるくるまわっている。
本当にF1のチャンピオンシップでも取ったかのようである。

シューマッハは私に向かって「どうだ!すごくきれいだろ!おれの言った通りだろ!」と興奮気味に自慢する。
そして、少し照れたように「実はおれも初めて来たんだ」と言った。

なーんだ、それなら私と一緒じゃないか。自慢すんなよ、シューマッハ!

マシンはいつものトコトコ走りに戻り、周りの景色に圧倒されながら進んでいった。

何もかもがすばらしい!

ありがとうシューマッハ!そして相棒のマシンよ!

しかし一番偉いのは、シューマッハに持ち点全部懸けた私だぞ!
忘れんなよ、シューマッハ!

当然、同じ道を同じマシンで帰るのだから、時間もやっぱり同じだけかかる。あたりまえのことである。
アレッピーを6時に出たわれわれが、コーチンに戻って来たのは8時であった。
さすがのシューマッハも、この遠征には疲労の色が隠せなかった。

でも、シューマッハは帰りの道々で、コーチンへの行き方を何人もの人に尋ねていた。
それは、別に道が判らないのではなく、「おれはこのマシンで、コーチンから来たのだぞ」と、みんなに自慢したいだけなのだということを私は知っている。

いったい誰が一番喜んでいたのであろうか?シューマッハよ!

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