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2001年6月15日:波涛を越えて / コーチン

         
  • 公開日:2001年6月15日
  • 最終更新日:2022年6月2日

インドな日々

2001/06/15 波涛を越えて コーチン

「十戒」という映画で、モーゼは海を二つに割りユダヤの民を渡らせた。

落語では、居候のことを「二階」に「やっかい」になっているので「じゅっかいの身」などと言う。
ぜんぜん関係のない話であった。

私の神通力とラッキーボーイぶりは、雨季の南インドの雨雲を、二つに割って青空を覗かせた。
人々は、久しぶりの青空に「神の降臨」を知ったのである。
私は地上に降りた最後の天使なのだ。

日本の主婦が、梅雨の晴れ間を待って洗濯物を干すのと同じ素早さで、私はフェリーに飛び乗った。
おー、なんだかスピードを感じさせるではないか。
実際は人に聞きまくって切符を買い、船に乗る際も何度も確認し、しかも足を滑らせて海に落ちたりしないように、用心しながらそろりと乗ったのである。
しかしここは「飛び乗った」と書かせて頂きたい。是非、そうさせて頂きたい。

とにかく木造のおんぼろフェリーは、地上に降りた最後の天使を乗せ、むき出しのディーゼルエンジンを唸らせて岸を離れた。
私はたまたまエンジンの近くに立っていたため、またもやインド人の注目の中、技術大国ニッポンを代表して、うんうん頷きながらエンジンを見つめなければならなかった。うー、景色が見たい。
しばらくして、インド人も景色を見だしたので、私も目をそちらに移した。
水面には、ホテイアオイのような、茎の太く膨れた水草がたくさん浮いている。
それをかき分けて、わがフェリーはぐんぐんスピードを上げていく。

コーチンという街は、4つの地区から成っており、私の泊まっているのは、鉄道駅などもあるエルナクラムという地区で、まあ「本土」といった所である。
そこからウィリンドン島を挟んで、半島が突き出している。
そこに、バスコ・ダ・ガマゆかりの聖フランシス教会を持つ、フォート・コーチン地区とマッタンチェリー地区がある。
このフェリーは、そのフォート・コーチンへ向かっているのである。

私は別に、バスコ・ダ・ガマには特に思い入れはない。
でも、仮面の忍者赤影に出てくる、ガマ法師には思い入れがある。
ガマ法師は、霞谷七人衆のひとりで、大きなガマガエルの上に乗っている。
考えただけでも気持ちが悪い上に、刀で切られても傷口がすぐに治りそうで、とても強そうだ。
赤影はどうやってガマ法師を倒したのか、気になるところである。

ガマの話はそのくらいにして、私の目当てはというと、チャイニーズ・フィッシング・ネットなのである。
これは、太い竿の先に、四角い大きな魚網を吊り下げて、海に沈めては引き上げるという、魚採りの巨大な装置なのである。いわゆる「四手網」というやつなのだ。
ここにはそんな装置が何基もあり、ひとつの観光名所にもなっている。

フェリーはさらに進み、ウィリンドン島が左舷に見えてきた。
ここは貨物の積出港になっており、岸壁には大きな船が横付けされ、コンテナもたくさん積み上げられてある。
そんなコンテナのマークを見てみると、世界最大の海運会社マースクラインのものが目立つが、その中に埋もれるようにして、わがニッポンの商船三井や川崎汽船のコンテナも見えるではないか。
やあ!久しぶりじゃないか!と声をかけても、所詮は鉄の箱である。
いくら待ってもこたえは返ってこんてな・・・

乗客を飽きさせないよう笑いを振りまきながら、フェリーは無事に目的のフォート・コーチンの船着き場へと到着した。

更に空には晴れ間が広がり、インドの強い日差しは、地面や木々の水分を蒸発させて、歩いていても息苦しいほどだ。
お肌が乾燥しない代わりに、皮膚がふやけて、なんだかケシゴムのカスみたいなのがボロボロ取れる。とても不思議な現象だ。

さて、ようやくチャイニーズ・フィッシング・ネットにたどり着き、写真撮影のグッド・ポイントなどを探してうろうろしていると、私の脇に一台のオートリキシャが止まった。
そして後部座席に座っていた青年が「日本人ですか?」と日本語で声をかけてきた。

なんで日本人だとわかったのだろう?

私は自分で言うのも何だが、日本人にしては手が長いのだ。
できれば長いのは足にして欲しかったが仕方ない。天は二物を与えずである。
でも、木から木に移動するときはとても便利であろう。

「類は友を呼ぶ」という迷信が、密かにささやかれているように、その青年もなかなかさわやかな感じであった。
今、インドにいる日本人では、私に次いで好感度No.2といったところであろうか。

青年はスケッチブックを抱えており、絵を志す者であるらしい。
私は彼の絵を見せてもらった。
うーん、さすがに本格的に勉強しているだけのことはある。
私は彼の絵を誉め、お礼に私の帳面を見せた。
私の帳面にも、雑感やメモ書きといったものに混じって、いろんな絵が描いてあるのだ。
青年はなぜか少し困ったような顔をしていたが、私の絵を見て「僕には逆にこういう絵は描けません」と誉めかえしてくれた。
さわやかな男同士の友情の一幕であった。

オートリキシャの運転手は「シューマッハ」と名乗った。
おー、F1ドライバーと同じではないか。
シューマッハは、金は要らないからおまえも乗れ、と言う。
おー、こんな親切なインド人と巡り会った私は、なんてラッキーなんだと、さっそく青年の隣に乗り込んだ。

シューマッハのマシンは、たびたびエンストをしながら進み、彼は街のあちこちを案内してくれた。
なぜかお土産屋が多かったが・・・

しばらくあちこち見て周った後、まだチャイニーズ・フィッシング・ネットの写真を一枚も撮っていないことに気が付き、そこまで戻ってもらうことにした。

元の場所まで戻り、写真を何枚か撮ると空腹であることに気付いた。
私は良くいろんなことに気付くナイスガイでもあるのだ。

そこで、シューマッハへのお礼を兼ね、青年を交えてシーフードの豪華昼食会を開こうではないかと提案した。
魚網の前の魚屋でシューマッハに食材を選んでもらい、近くの食堂で調理してもらうのだ。
シューマッハは魚屋でエビとサメを選び、それを近くの食堂に持ち込み、豪華な昼食会は開催された。
それはインドに来てから最高の食事であった。

結局私は、シューマッハのマシンでホテルへ帰ることにした。
実は陸上の交通機関を利用して、ここからエルナクラム地区へ行くには橋を通らねばならないため、時間もお金もかかるのである。
しかし、彼は今日何も金を稼いでいないのである。お礼のつもりで乗って行くことにした。

マシンは快調に走り、橋に差し掛かったあたりで雨が降り出した。
しかも、かなり強く降って来た。
コーチンのオートリキシャは、みんなブルーシートを付けているというのに、なぜかシューマッハのマシンにはそれが装着していない。
空気抵抗を極力押さえるためのエアロダイナミックの観点からそうしているのか?
はたまた、ただ単に金がないだけなのか?
私には判断できなかった。
吹き込む雨で既に私のケツはべちょべちょになっており、それどころではなかったのだ。

なんでもいい!
走れ!シューマッハ!雨よりも早く!

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