2001年5月23日:真の自由 / アーマダバード

インドな日々

2001/05/23 真の自由 アーマダバード

人間にはどうしても避けては通れないものがある。
仏教でいうところの「四苦八苦」である。

「四苦」とは、生・老・病・死 の四つであり、さだまさしも防人の歌で「いきーるくぅーるぅしぃーみと、おいてゆくかぁーなしぃーみと・・・」と歌っているあれである。
それでは「八苦」とは何かというと、ここでは関係ないので別の機会に譲ることにする。

今回はその「四苦」のうちの「病」の話なのである。

ついに私は病に侵されてしまった。下痢だ。下痢なのだ。

朝起きたらいきなりシャワーのような雫がほとばしった。
その後も何回かトイレに行ったが、まったく息張らなくてすむほどのすがすがしいお通じであった。

まあインドに来て10日以上が過ぎ、そろそろ疲れが出てきたのだろう。
持参の正露丸を飲み、昼はバナナだけにして様子を見ることにした。

翌日も下痢が治らず、あいかわらずのすがすがしさだった。
しかしこれしきの下痢は日本でも日常茶飯事だ。丹波左門次だ!(注:男どあほう甲子園参照)

私の冷静な診察では、今回の下痢は俗に「インド腹」と呼ばれている症状とは違うと判断された。
実は20年以上も前にパキスタンへ行ったのだが、3週間程経過した頃にそれに見舞われたことがあるのだ。
それは始め普通の下痢だったのだが、しだいに腹が痛くなり、ベッドに横になっていてもじっとしていられず、七転八倒の苦しみだった。
まるでエクソシストみたいにベッドごと、どたんどたんと跳ね回る程だった。

それと比べれば今回のはどうってことはない。
だいたい血も混ざっていないじゃないか。
私はそういったことに関しては百戦錬磨なのだ。

ただ参ったのは、ここのホテルのトイレである。
洋式なのだがデリーのホテルにあったようなウォシュレットが付いていないのである。

今まで私は、沢木耕太郎氏にならって紙を使わず排便後の処理をすることで自由になれたと思い込んでいた。
しかしそれはただの錯覚だったのだ!
私はインド式ウォシュレットの力、更に言えばノズルから吹き出す水の力を借りて自由を得ていただけだったのだ!
それは言ってみれば、強い力の庇護の下で自由を謳歌している子供のようではなかったか・・・
申し訳なかった、インドのウォシュレットよ!そして10億の民よ!

とにかくここは普通の洋式トイレなのである。壁の左下には蛇口があり、バケツと手桶が置いてあるのだが使い方がよく分からない。
私は二冊法師でもあるのだが、その二冊のガイドブックにも図解などなく、ただ右手で水を汲み左手で処理する程度のことしか書いていない。
学校の先生も教えてくれなかった。もっとも授業でやったとしても、先生の話なんか聞いていなかったのだが。

そんなことをいつまで考えていても仕方がない。早くケツを拭かなければ肛門がかゆくなってしまう。

私は右手で手桶の水を腰のあたりからかけてみた。
しかしそれではケツを少し濡らしただけで下に流れて行ってしまうだけだった。

もっと前傾姿勢を取らなければ。

私はひざに顔がつくくらいの前傾姿勢を取り、今度は尾骨のあたりから水をかけた。
すると水は肛門にまで達し、みごとに処理が完了したのだった。

この姿勢は飛行機が不時着するときなどに、乗客が取る安全姿勢そのものである。

こうして私は、毎日この安全姿勢を取りながらせっせと水をかけ、排便の処理をしているのだが、いつか本当に飛行機で安全姿勢を取る危機にさらされた時、動揺してケツに水などかけぬか心配である。

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