2001年5月21日:備えあればうれしいな / デリー-アーマダバード

インドな日々

2001/05/21 備えあればうれしいな デリー-アーマダバード

世に鉄道好きは少なからずいる。
紀行文では宮脇俊三氏などは鉄道のことばかり書いている。
阿川弘之氏も大の乗り物好きのようで、その著書に「南蛮阿房列車」とその続編があり、「きかんしゃやえもん」などという名著もある。

テレビでも「世界の車窓から」をもう何年もやっているし、「各駅停車の旅」と言っておきながら、どんどん駅を飛ばして行ってしまう番組だってある。

私も「鉄道マニア」とまではいかないが、まあ、子どもが「わぁい電車だぁ電車だぁ」と喜ぶ程度の鉄道ファンではある。

そんな私のインド鉄道初体験は、ニューデリーからアーマダバードまで約14時間半で結ぶ「ラージダニ・エクスプレス」だったダニ。

私が乗るのはAC(エアコン付)2nd(二等)というエリートにふさわしいクラスである。
まあ二等であるから、その上に一等があるだろう!と言う人もいるだろうが、一等はコンパーメントになっており、これでは私の「インドの庶民と触れ合い、そのありのままの姿をつぶさに観察しつつ、人生の喜び悲しみ幾星霜に思いを馳せる」ということが出来なくなる。
また、ついでの話で、これはぜんぜん関係ないことだが、料金も倍くらいするのである。

さて、常に冷静かつ慎重な私は、列車に乗る前に2つの事をしておいた。
それは食事をしっかり取っておく事と水を持って乗るという事である。

なにしろ私はインドの列車初体験なのである。よくテレビなんかで見かけるように、途中駅に停車したわずかな時間で、窓から弁当やくだものなどを買う、という事は至難の業であろうと判断したからである。

とにかく私は駅の近くでカレーの入ったパイを二つ食べコーラを2本飲んだ。満腹だ。
ミネラルウォーターも持ったし準備万端だ。

そしていよいよ、われらがラージダニ・エクスプレスは定刻の19時35分、ニューデリー駅を出発したダニ(もういいってか?)

列車は駅構内のいくつかのポイントをガタンガタンと越えて行き、だんだんスピードを上げていった。

すると間もなく1リットル入りのミネラルウォーターが全員に配られた。

なんだ、水はもらえるのか。まあ、水は生命の根源だ。いくらあってもいいだろう。

しかしこのペットボトルが壁のボトルホルダーに入らない。サイズが合わないのである。
他の人を見るとみんな逆さに突っ込んでいる。さすがである。

程なく各自にプラスチック製のお盆が配られ始めた。
見ると食事のようではないか。
しかしパンにスープとサラダ、それにヨーグルトという軽食だった。
夕食を食べてきたことを多少後悔したが、なあにこの程度なら腹の足しにもならんと、あっと言う間に平らげヨーグルトも食べた。

しかし周りの人はヨーグルトに手を付けない・・・・と思ったら、それもそのはずメインディッシュが出て来た。

チキン入りのホーレン草カレーに煮豆、プラーオ(ピラフ)とパラータ(バター入りチャパティ)・・・・

当然そんなに食べられる訳がない。
周りのインド人の目を気にし、飢えに苦しむ子供達を思い、必死に食べようとしたのだが半分以上も残してしまった。

すまない、インド10億の民よ!

私の向かい側はエディ・マーフィ似のインド人である。
そして鼻メガネをかけたような顔のインド人もいる。
どんな顔かと言うと、昔イランの大統領をしていたバニサドル氏みたいなのである。
彼らはおそらくインドのエリート層の人達であろう。なにしろAC2ndに乗れるのだから。

私たちはしばらくの間エリート同士の国境を越えた交流を、言葉の壁を無視して行った。
実に充実した時間であった。(まことに残念だが内容は省略させていただく)

やがて消灯時間となり、各自でベッドメイキングをしなければならなかった。

私は要領が分からずもたもたしていたのだが、見かねたエディ・マーフィが手伝ってくれた・・・
って言うか全部やってくれ、おまけに「おまえは邪魔だからもっとそっちへ行っておれ」などと言い、私のベッドはエディひとりの手で完成した。

エディは自分の仕事に満足し、ご丁寧に毛布を半分めくり、私に寝ろと言う。
私はまだ本を読んだりしたかったし、だいたい毛布に入るほど寒くはなかったのだが、好意を無にするわけにもいかずおとなしく従うことにした。

エディは優しく毛布をかけ、父親が子供に言うように「グッド・ナイト」と言い、ニッ!と笑った。

私はその晩、顔先10センチくらいに迫ったエディの笑顔にうなされ続けた。

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