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本日のお宿:ポンディチェリー

         
  • 公開日:2011年1月17日
  • 最終更新日:2022年6月3日

ポンディチェリー(ポンディシェリー)はタミル・ナドゥー州の東海岸に位置する街で、1954年まで250年にもわたりフランスが統治していたところです。インドに返還された後は連邦直轄領とされたため、タミル・ナドゥー州には属していません。
正式にインド風に「プドゥチェリー」と改名された今でも、フランス風の街並みが残り、住民の生活様式や気質もどことなく一般的なインド人とは違うように感じる実に不思議な場所なのであります。そんなフランス文化の色濃く残る地域は、街を南北に流れる運河の東側に集中しているのですが、どうせならその真っただ中に滞在しようと思った私は、バスターミナルからオートリキシャに乗り、このフランス風に「RUE(通り)」で始まる名前の通りで降りたのでありました。時間は午後2時半、暑い盛りではありますがまずは宿探しです。

さっそく重いリュックを背負って「リュ」を歩き始めたのですが、それがどうにも他の街とは勝手が違うのです。
まず見るからに「今着いたばかりの観光客」の風体をしているというのに、宿の客引きが一人も寄って来ないのです。
でもまあ客引きに関しては普段からただ単に煩わしいだけの存在としか思っていないのでそれはそれでいいのです。
それより問題は、他の街ではあれほどデカデカとそしてハデハデと誇示しているホテルの看板が、ここでは一向に見当たらないのです。

とまあ、そんなわけでちょっと戸惑いながら通りから通り、リュからリュへと渡り歩いて行ったのですが、ちっともそれらしい宿に行き当たりません。たまに取り澄ましたような小さな看板に「ホテル(フランス風だからオテル?)」と見つけたとしても、なんだか雰囲気がおしゃれで、とても私ごときが入って行ける感じではないのです。

汗だくになりながら1時間も歩いたでしょうか。
もうすっかりくたくたになり、さて、これからどうしようかと思ったところに、木陰で休む一台のオートリキシャが目に入りました。すると私はなぜか吸い寄せられるようにそのオートリキシャに近づいて行き、「どこか手ごろな宿知らない?」と聞いてしまったのです。

普段の私ならそんなことは絶対にしません。だいたいリキシャマンの勧める宿というのはマージン目当てですので、宿代が割高になるに決まっているのです。

ところがその時はもう疲れが限界に達していて、藁にもすがる気持ちだったのです。

オートリキシャのドライバーは真面目そうなおっさんでしたが、あくまでもフランス風の街中での滞在にこだわる私の「このあたりの宿」という念押しの言葉を無視するように運河を越えて西側の地域に入り、さらに3区画ほども先に行ったところを右折して一軒の小さなゲストハウスの前で止まりました。あ~あ、ここ、ぜんぜん違う地域じゃないかよお・・・

リキシャマンは「とにかくここで聞いてみろ」と言うので、しぶしぶフロントに入ってみましたところ、応対に出たおねえさんがなかなかいい笑顔で、またボーイの少年もにこやかでとても感じがよかったので、1400ルピー(約2800円)のトリプルルームしか空いていないとのことでしたがここに決めました。オートリキシャに荷物を取りに戻り、料金を払う段になって料金交渉をしなかったことに気づきましたが、バスターミナルから乗った時の料金を参考にして宿の紹介料を少し上乗せした額を支払うと、おっさんも満足そうな顔で走り去って行きました。

ということで、リキシャマンにこちらから宿の紹介を頼んだのも、料金交渉をしないで乗ったのも、どちらも初めての経験だったのですが、今回はまあ結果オーライというところだったのありました。

でもやはり普通ならしないな、こういうことは。

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