インド:2001年7月15日(日)バラナシ・2001年インドの旅第88回

この記事は2001年にインドを旅した時のメモを元に、遠ざかりつつある記憶を引き戻し加筆、補足したものです。つまりこのブログを利用してもう一度旅をなぞり、記録を整理しようというわけなのであります。なので最新のインド事情ではありませんので、参考程度(まあ他の記事も同じようなものですが)にお読み下さい。 尚、記事は概ね時系列で書き連ねて参りますので、「あれ?これ前にどこかで見たなあ」というものも出て来よーかと思いますが、そこらへんはどうぞご了承下さいませ。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時Rs.1が約2.7円、3倍にして1割引けば簡単に計算できます。

7/15(日) バラナシ 曇り 時々 雨 気温28℃

窓のない部屋でぐっすり寝てしまい、目が覚めたのは8時過ぎであった。
今日も昨日の少年たちにガイドをしてもらう約束だったので少々あせる。また今日は河の見える部屋に移れる約束がしてあったので、外出までに荷物をまとめなければならない。
10時ぴったりにホテルの入口に行くと、少年たちはちゃんと来ていた。

まず有名な火葬場マニカルニカ・ガートに行く。
狭い路地をくねくね歩き、マニカルニカ・ガートの入口とおぼしき場所に出る。
まさに山のような薪が積まれており、太い丸太にくさびを打ち込んで割っていたり、船で新たな薪を運んで来たりと忙しそうであった。
少年の話では火葬は10:30から始まるとの事で、あと15分程で見られると言っていた。
マザーテレサのホスピスという建物の屋上へ行く。屋上からは火葬場が見下ろせる。
じいさんが近くに来て勝手に説明を始める。
無視していてもどんどんしゃべって行く。新しい死体が来たぞとか、老人は金糸のきれいな衣にくるまれ、若い人は白い布に巻かれているなどと説明する。
火葬場では薪を慎重に積み上げており、そのかたわらには赤地に金糸で刺繍をした衣にくるまれた死体が、担架のような竹の上に横たえてある。
ガンガーの流れは早く、観光客を乗せた船が船着き場に向かって来るが、流水を計算してかなりのスピードで岸に向かっている。何隻か泊まっている船にそのままぶつかり止まった。ロープを使い船着場に寄せ、観光客を降ろしている。
火葬を見たいとは思わないので、その場を後にする。じいさんがいろいろ言って来るが、何も取り合わずに去る。

ふたたび路地に入って行き、水入れ容器をRS.15で買う。クツを脱いで店に入ったので、外に置いたクツを踏まれる。
しばらく通りをぶらつき、昨日行ったレストラン、アンカーへ行く。
水、リムカ、チキンオニオンスープ、チキンチョーメンをたのむが、1時間以上出て来ない。その間も少年は二人でふざけたりちょろちょろして、ちっとも落ち着かない。
長い間待たされたチョーメンの味は格別だった。

食後、少年の言う「早い」ネットの店へ行く。
アルカホテルのすぐそばのゲストハウスだった。よく確認せずに始めると日本語対応ではなく、書けも読めもしないのですぐ出る。RS.20取られた。
もう一軒の店で、1時間かけてメール2通と返事1通こなす。

少年たちにホテルまで案内させ、ガイド料としてRs.50ずつ渡すが、もっとくれと言うのでRs.10ずつ追加。大きい方の少年はもっとくれとしつこい。難色を示していると、小さい方が大きい方を制し握手を求めて来た。りこうな少年である。

ホテルは約束通り一番いい部屋をくれ、すでに荷物も移動してあった。
さすがに良い部屋で、屋上部分の独立した建物のような場所なので、なんと三方に窓があり、バルコニーまで付いている。
水量の増したガンガーがすぐ真下を流れて行く。右手にはガートも見える。
エアコン付なので当然エアコンを入れていると、突然電源が飛び点かなくなった。
しばらく待ったがまったく復旧しないので、フロントに伝え直してもらった。
結局その後もまた止まり、夜は窓を開け、天井ファンを回して寝ることにする。

なんだか寝つけず、バルコニーに出て河を眺めたりする。
いったいサルはどこで寝ているのだろうか。
大きなタガメが2匹バルコニーにいる。

川岸につながれたボートが揺れているだけで、人が誰もいない。その光景が返って、ここも同じ「人間」が住む町なんだということを思い起こさせ、安心する。

川の流れを枕にして寝るとは「流石」である。

雨が降った。

今日もまたリュウとケンに案内を頼み、まずはバラナシの名物(この表現はちょっと不謹慎ですが)ともいえる火葬場に行ってみることにしました。

雨季でぐちゃぐちゃになった狭い路地を、少年二人は慣れた足取りですいすいと進んで行きます。
途中彼らより年長と思われる少年たちに呼び止められ、なにやらからまれたりしておりましたが、子どもの社会もいろいろあるのでしょう。私も子どもの頃、お祭りで他の地区から来た悪い少年に金をせびられたりしたものです。
私たちの手前か、からんで来た少年たちは意外とあっさり引き下がりましたが、もしかしたら次に出会ったときには、もっと手ひどくやられてしまうのかもしれません。

さらに路地をくねくねと行くと、急に視界が開けガンジス河のほとりに出ました。ここが有名な火葬場、マニカルニカ・ガートのようです。

しかし辺りはうず高く積まれた薪の山ばかりで、火葬場らしい感じがしません。
すると少年たちはそれを見透かしたように、「この建物の上からよく見える」と言い、近くの建物の階段を上がって行きます。当然だれか所有者がいるはずの建物に、勝手に入ってしまって良いものなのでしょうか?

なるほど、屋上からは火葬場の風景が一望できました。

遺体と思われるものを載せた竹組みの担架が置かれ、その横で男たちが薪をきれいに積み上げている様子などを眺めていると、いつの間にか私のすぐ横に老人が来ており、「ほら、あそこに新しい遺体が運ばれて来た」などと説明を始めます。
どうせ後でガイド料を請求されるのはわかっていましたので、老人を無視して少年にあれこれ聞いてみるのですが、そこは子どもの悲しさ、老人とは生きた時間があまりにも違い過ぎ、こちらの望む答えが返って来ません。特に船着場に激突するようにして到着したインド人観光客を見ながら、「あの人たちはインドのどの辺から来たのだろう?」という疑問を口にした時には、少年が見当もつかずに戸惑っているのを尻目に、老人は「南インドから来た人たちだ」と即座に断言するものですから、こちらも思わず「無視」していることを忘れ「なぜわかる?」と聞き返してしまいました。すると老人はこともなげにたった一言、「彼らの言葉だ」と言うものですからすっかり感心してしまいました。

火葬場では先ほどの遺体が薪の上に載せられ、これからいよいよ火が点けられるようでしたが、火葬自体を見たいとは思いませんでしたので、それは見ずに立ち去ることにしました。
案の定、立ち去り際に老人はガイド料を要求して来ましたが、頼んだ覚えはないので無視して行こうとすると、老人はなにやら呪いの言葉のようなものを私の背に浴びせて来ました。

う~ん、どうせエセ・サドゥーなのでしょうが、こういう場でそういうことをされるとやはりちょっとキモチ悪いものです。

でも、そんなことをされるとますます「びた1ルピー」もあげる気はしなくなるものです。
こちらも怒りのパワーで老人の呪詛など吹き飛ばしてしまうのです。なろー!

私はこのバラナシで特に何がしたいということはなく、本当に物見遊山のまったく不謹慎ないち観光客だったのですが、記念にガンジス河の水を持ち帰るための壺(私は水を持ち帰るわけではないのですが)が欲しくなり、途中の店で真鍮製の小さなものを買いました。その店での買い物ははなからそれだけだったのですが、店主は商売っ気全開で「さあ、上がれ上がれ」といって私たちを店の二階に上げ、高価な織物などを見せるのです。でも当然そんなものは買わずに店を出ようとすると、店の前をオレンジ色の衣を着た巡礼者の一団がどかどかと通り過ぎて行くところで、店の前の道に脱いで置いてあった私のクツがその一団に次々と踏まれて行き、あっという間に泥だらけになってしまいました。
これはあの老人の呪いなのでしょうか。

インド・ヴァラナシの宿の部屋ホテルに戻ると、約束通りガンジス河の見える一番高い部屋に移れる手筈が整っていました。

部屋は屋上に建つ独立家屋といった感じのもので、そのためガンジス河に向かって正面と左右に窓があり、実に明るく開放的な雰囲気でした。
もちろん部屋代も高く、一部屋(二人で使用して)750ルピーでした。
しかし昨日の窓のない部屋でも300ルピーしましたので、長逗留しないのであれば、だんぜんこちらの部屋の方がいいでしょう。

部屋にはテレビもありましたので久しぶりにニュースを見ていると、近々アグラで開催されるインド・パキスタン首脳会談の特番の宣伝がバンバン流れていて、それだけでその会談がどれほど重要なものかがわかるのでした。

この部屋には専用のバルコニーも付いていて、思う存分ガンジス河を眺めることができます。

インド・ヴァラナシのガンジス河さっそくバルコニーに出てガンジス河の流れを見つめていると、この旅で出会ったたくさんの人たちや出来事が次々と思い出されて来ました。
インドに来てから2か月とちょっとが経ち、だいぶ疲れも溜まって来ているということもありましたが、いよいよ明日はデリーに向かう列車に乗り、長いようで短かった旅も終わるということで、ちょっと感傷的になってしまったのでしょう。

そのためか、その夜はなかなか寝つけませんでした。

いや、もしかしたら寝つけなかったのは、あの老人の呪いのせいだったのかもしれません。

とにかくバランナシは、どこか神秘的な雰囲気があることだけは確かなのです。

つづく

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インドのマフラー