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2001年7月6日(金)~7日(土)ハイダラバードから列車移動・2001年インドの旅第79回

         
  • 公開日:2010年1月27日
  • 最終更新日:2022年6月24日
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時Rs.1が約2.7円、3倍にして1割引けば簡単に計算できます。

7/6(金) ハイダラバード 曇

5:00 起床
6:15 Check Out
7:04 列車出発

重い曇り空の中、また早朝であり窓ガラスが汚れているせいもあり、暗い雰囲気での出発である。
いくつものポイントを越え、徐々にスピードを上げて行く列車。外は雨。

13:30 ベジタブルビリヤーニ Rs.20

VIJAYAWADA JN で進行方向変更

8時過ぎ、注文の夕食が届いた。
スプーンも付いておらず、食べづらいので、ほとんど残してしまう。

7/7(土) 列車内 外雨 室温24℃

7:30に起き出す。外は雨。

だいぶ前にずいぶん長い停車があった。たくさん人が降りたようだ。ブバネシュワルか?
そこで物売りもいろいろ乗り込んで来ていたが、まだ眠かったので買いそびれてしまう。
ランチの注文も断ってしまった。

列車の進行方向がまた変わっていた。夜中に途中停車した際、向きが変わったような気がしたが、その時か?

外は雨の水田風景で、日本の様な感じである。
オリッサ州の大地は今、緑一面である。

8時24分、広い川を渡り始める。茶色い水がゆっくりと流れている。列車は最徐行で進む。マハーナディー川か? 3分かけて通過する。

相変わらず一面の緑。大地はどこもたっぷりと水を含み、木々は生き生きとしている。

8:42 久々の駅に着く JAJPUR KEONJHAR ROAD駅 薄日が差して来た。

9:00 夏の日差しが戻って来た。
真黒な雨雲と、真っ白な入道雲と、青空が同居している。広大な場所だからであろうか。

また真黒な雨雲に覆われたかと思ったら、青空が見え、強い日差しが差したりしている。

この辺の村落は、カヤ葺き屋根の軒の低い小さな家が、固まって建っている。中には水に浸かってしまっているのではないかというような家もある。

すごい景色である。ジャングルクルーズのようだ。川や池とそれを取り囲む家々。

12:40頃、KHARAGPUR JN 到着
機関車交換をする模様。30分くらい停車。
ここは一大車両基地になっており、電気機関車もある。どうやら電化区間に入ったようだ。
ホームにはウシも歩いている。
日差しが強く、木陰は本当にオアシス。車内の適温に慣れた体には、この暑さは参る。たぶん気温32℃以上。

田植え 横一列に並び、大規模に行っている。

広い茶色の川を渡る。小舟がたくさん見える。向こうの橋はトラックが渋滞している。

ピーナッツRs.3 イオウの匂い

15時過ぎ、激しい雨が降って来た。

15:38 早めの到着

【以下の解説は2010年1月27日のものです】

今日はハイダラバードを発ち、一路コルカタ(カルカッタ)へ向かいます。(おっ、「世界の車窓から」みたい)

本来なら次はオリッサ州のブバネシュワルを目指すはずでしたが、少々日程が押して来てしまい、一気にコルカタへ行くことにしたために、今回の列車移動は約33時間という今までで最長のものになってしまいました。
私はいつも列車を選定する際に、到着地の時間を一番気にします。なにしろ到着してからホテル探しをしなければならないので、やはり明るいうちに到着したいのです。
で、今回もそうやって列車を選んだのですが、そうするとハイダラバードは朝の出発ということになってしまい、今日はこうして5時起き、6時過ぎにチェックアウトと相成ったのであります。このホテルは到着した時も朝だったため、チェックインと同時に朝食クーポンがもらえ「ラッキー!」と喜んだのですが、今日は朝食が食べられないので結局プラスマイナスゼロってことなのです。

7時4分、列車はゆっくりと動き出しました。
スモークガラスを通して見る朝のハイダラバードは、どんよりとした曇り空ということもあり、ちょっと寂しげに見えました。

名古屋にいたというおっさん、ジュース屋の子ども店長、そして親切なバスの乗客のみなさん、さようなら!

インド・寝台列車の座席今回の席は進行方向に対して平行に寝るというもので、昼間は向かい合わせの二人席です。上段ベッドは常設のものですが、下段ベッドは「跳ね橋」式になっていて、その背もたれを前方に倒して作ります。
まあそれは特に問題ないのですが、この跳ね橋式ベッドは、その合わせ目(両方の背もたれが合わさる部分)がちゃんと平らにならず、段差の部分が出っ張ってしまいそこが背中に当たって痛いのです。
また幅も狭く、私の計測によりますと45cmしかありませんでした。4人向かい合わせ席のベッドは、下段が幅60cm、上段が幅50cmですので、なんだか損した気分です。

そんな席にMくんと向き合って座ること5時間ちょっと、列車はヴィジャヤワラジャンクション駅に到着しました。
事前に調べておいた時刻表を見ると、この駅でしばらく停車するようでしたので、ホームに降りて駅弁を買うことにしました。

インドの駅弁駅弁はベジタブルビリヤーニ(野菜の炊き込みご飯)を買ったのですが、真っ白なビニール袋にパックされていて、なかなか近代的で実に清潔そうに見えました。
ところがそれは外装だけで、ビニール袋から引っ張り出したビリヤーニは、私が中高生だった頃の弁当箱のように新聞紙に包まれており、それを開くと今度は葉っぱを何枚かつなぎ合わせたものに包まれていて、なんだか大きなチマキみたいな感じになっておりました。
駅弁にはスプーンなどといったものは付いておらず、当然割り箸などあろうはずもなく、そこはインド風に手で食べることになるのですが、ぎゅっと押されてチマキ状になったビリヤーニは、手で食べるのにはとても都合がよかったのであります。

この駅での停車が長かったのは、ここで列車の進行方向を変えるため、機関車を入れ替えていたようでした。
はたして列車は先ほどとは逆方向に動き出し、それまで進行方向に向かって座っていた私はちょっとがっかりしてしまいました。

ようやく時間は午後になり、そして夕刻を迎え、痩せた男が夕食の注文を取りに来ました。
これからまだ20時間以上も列車に乗らなければなりませんので、食べられるときに食べなければと、ベジタブルミール20ルピーというものを頼んだのですが、これがいつまでたっても運ばれて来ないのです。確か注文をしたのが5時頃だったと思うので、6時か、遅くとも7時には来るものと思っていたわけですよ、私は。ところが運ばれて来たのは8時を回った頃でありまして、その時になって初めて「あー、インド人って夕食の時間が遅いんだな」ということに思い当ったのであります。
しかし私はいつも夕食(というか遅い昼食と兼用だったりするのですが)が早く、また寝るのも早いので、その時間になるともうあまり食欲もわかず、またこの食事にもスプーンが付いておらず食べづらかったこともあり、ほとんど残してしまいました。

毎日ちゃんと食事の取れない人たち、本当に申し訳ない!

とまあ、これでようやく今日という日が終わり、眠りに就いたのであります。

で、翌朝目を覚ますと、すでに列車はオリッサ州の平地を走っているようで、外はモンスーンの雨でした。

夜の間にまた列車は進行方向を変えたようで、私の席は再び進行方向に向かうようになりました。
私はシートをベッドにしたまま足を伸ばして座り、車窓に流れゆくオリッサの田園風景を飽かず眺めていたのですが、上段ベッドのMくんがカーテン越しに「もう起きた?」と聞いて来ました。しかし私は「いや・・・まだ寝てる・・・」と答え、Mくんが下に降りて来るのを少しでも阻止しようとしました。なにしろMくんが下に来ると、こうして悠々と足を伸ばすことができませんので、この楽園生活を少しでも長く味わおうとしたのです。でもまあMくんからしたら、窓のない上段ベッドでは息が詰まるのでしょう。なんとかして早く下に降りたいようで、そこで両者の利害がぶつかり合い、しばしの攻防があったわけですが、さすがにいつまでもMくんを上に閉じ込めておくわけにもいかず、仕方なく私はベッドを畳んだのでありました。

列車は快調に緑のオリッサを駆け抜けて行きます。
でも、まだまだコルカタには到着しません。まだたっぷり8時間もあります。

9時過ぎ、雨が止み太陽が顔を出しました。

12時40分、カラグプルジャンクション駅に到着しました。
窓から外を見ていたら、たくさんの乗客がホームに降りて体を伸ばしています。
どうやらこの駅でしばらく停車するようなのですが、私の調べた時刻表では、この駅の通過予定時間はすでに過ぎていて、いったいどれくらいの停車時間なのかわかりません。
それでは安心してホームに降りていられないと思い、やはりホームに降りていた車掌に出発時刻を確かめると、なんと車掌は時刻表に載っていた出発時刻を言うではありませんか。

だからぁ、それはもうとっくに過ぎた時間でしょうがぁ。
そーじゃなくて、本当の出発時間を知りたいんだよ!

とは言っても、たぶんその車掌にもよくわからないのでしょう。
まあ少なくともあの車掌が列車に乗り込むまでは発車しないと思いますので、それまでのんびりホームをぶらぶらすることにしました。結局その駅には30分ほど停車し、1時過ぎに列車はふたたび走り出しました。

しばらくは相変わらずの田園地帯でしたが、列車は確実に大都市コルカタに近づいているようで、次第に周囲に家が目立ち始め、ついには車が大渋滞する橋まで見えました。

到着予定時刻は午後4時頃だったので、途中の遅れなどを考慮すると、5時か・・・あるいは6時か・・・と思っておりましたら、突然列車が停車し、みんながぞろぞろ降りて行くではありませんか。時計を見たらまだ午後3時38分です。
そこで通り過ぎる乗客をつかまえて、「ここはどこか?」と尋ねたら、なんとまあコルカタだとのこと、私の調べた時刻表はなんだったのでしょう?

そんなわけでようやく32時間半の列車の旅が終わりました。
今回の記事もだらだらと長かったですが、私としてはこの列車の旅はそれよりはるかに長く、そしてまたこの記事と同じくらい退屈だったのだということを力説したかったのであります!

つづく

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インドの南京錠