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罪のない遊び心は心を和ませてくれるのだ:インドの路上に見た砂の芸術

         
  • 公開日:2014年7月22日
  • 最終更新日:2022年7月25日

海の日に合わせるかのように各地で梅雨明けし、ついに本格的な夏がやって参りました。

ということで、みなさん

暑中お見舞い申し上げます

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さて、砂浜の海水浴場などに行くと、最初の頃は波と戯れたり泳いだりするものの、そのうち疲れて砂浜にどっかと座り込み、気が付けば大きな砂山を無心に作っていたなんて経験が誰しもあるのではないだろうか。
中には結構本格的な砂の作品作りに挑戦している人などもいたりする。
もしかしたら砂遊びというのは、もともと人間に備わっている本能なのかもしれない。

で、こちらは海ではないのだが、デリー中心地のコンノートプレイスからニューデリー駅に向かうチェルムスフォード通りで見た光景である。

その通りは広い道路の両側に補助道路のようなものがつけられているのだが、そこに工事用に使うのであろう砂が置かれていた。まあ初めはただの砂山だと思っていたので、特に気にも留めずに横を通り過ぎようとしていたのだが、近づくにつれ砂山になにやら手が加えられているのに気が付いた。

人の顔である。
しかも首飾りのような装飾までされている。残念ながら私が見たときにはもうあちこち壊れかかってしまっていたが、おそらく小さな子供ではないであろう作者(たち)が、せっせとこの顔を作っている姿を想像したら、なんとも可笑しく気持ちが和らぐのを感じた。
芸術作品が作者の思いを見る側へ伝えるものであるなら、この砂の顔は立派な芸術作品と言えるであろう。
おそらくこの作者は作りながらすごく楽しかったに違いない。もしかしたらクスクス笑いながら作っていたかもしれない。それをすごく感じるのであった。

と、騒がしい大都会デリーに在って、ひとときの心の安らぎを覚えていた私であったのだが、すっと私の横に歩み寄り「こういうの好きか?」と話しかけて来る男があった。
そう、そいつはいつでもどこでもほんのちょっとの「チャンス」があれば蠅のように群がって来る輩で、とにかくカモと話すきっかけを作り出し、やがて本題の「すぐそこに政府のお土産屋がある」という話に持っていくのだ。
まったくやつらは芸術鑑賞をするなどという、心の余裕などまったく持ち合わせていないのである。

私は先ほどまでの和やかな気持ちから、急激に通常のデリーモードに引き戻され、そいつに一瞥もくれずに「いや、嫌いだね」と言って足早にその場を離れたのだが、後から考えてみると、その男があの作品の作者だった可能性もないわけではないのである。

いや、ないわけでもないというか、実際そうなのかもしれないぞ・・・なにしろあの場所にいたんだからな。

そうか、あいつはただ単に自分の作品に対する批評を聞きたかっただけなのか。

それはすまないことをした、あんなに冷たい態度を取って。
本当は好きだぞ、ああいうの。

結局心に余裕のないのは、この私の方なのであった。

動物の鈴・アニマルベル