2016年グジャラート再訪・第38回 / 聖地ドワルカ、朝の寺院

ドワルカのガートのすぐ後ろには大きなヒンドゥー寺院がある。
寺院の名前は「Dwarkadhish Temple」である。発音は「ドワルカディーシュ」であろうか、でも自信がないので以後ドワルカ寺院と呼ばせていただく。

ガートでご来光を拝んだ信者たちが次に向かうのはこのドワルカ寺院である。
ガートからは両側に土産物屋の並んだ石段を登って行けばそのまま寺院に入ることができる。しかしこちら側は裏門といった位置づけとなる。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

寺院の南側は門前市となっていてにぎやかである。

では正門のある寺院の北側に回り込んでみよう。

すると、おお、さすがにこちらの方が人が多い。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院Dwarkadhish Temple

さすが正門は人の数が違う。

寺院の本堂は高さが50m以上もあるとのことで、近くに寄ると大きすぎてその全貌がよくわからないほどである。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

見上げるばかりの大きな寺院である。

なので寺院の全貌を眺めたい場合は、ガートの反対岸に渡り、そこから眺めるのがいい。
なお、この画像は2013年のもので、時刻は夕方だったので左側から日が当たっている。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

寺院は河の対岸から見るのがいい。

河には対岸に渡る橋が架けられている。
この橋は2016年に開通した(つまりこの時はわりと出来立て)らしいが、いつでも渡れるというわけではなく、通行できる時間が決められておりしかも有料である。
でもこの河は海の潮が引く時間になると歩いても渡れる。(季節や天候にもよるだろうけど)実際3年前は歩いて渡った。
もっとも完全に水がなくなるわけではなく、ひざ下くらいまでは濡れることになるが、その代わりタダで渡れるので文句を言ってはいけない。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

インドの建築業界もずいぶんスピードアップしたものである。3年前は工事の気配すらなかったのにもう立派に完成している。

さて、正門の方に戻るが、門の前には神様に捧げる花輪を売る人がたくさんいる。そしてそれは買う人もたくさんいるということである。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

寺院の入り口には神様に捧げる花輪売りがたくさんいる。

寺院の入場は無料であるが、寺院内は土足禁止となっており履物を脱いで裸足で入らなければならない。
なおドワルカ寺院は開門時間が決められており、月曜から木曜日と土曜日は8時~12時、16時~20時の二回、日曜日は8時~14時の一回、金曜日は休みとなっている。

注:6時~13時、17時~21時30分と書かれている記事もあるので、いろいろな事情(季節や祭典、警戒レベルなど)で開門時刻を変えているのかもしれない。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

寺院内は土足禁止なので、信者たちはその辺に履物を脱いで行く。

この時は開門直前であったので入り口にはたくさんの信者が殺到していたため、私は入るのを遠慮した。
なお寺院内は撮影禁止で、カメラ類の持ち込みもできない。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

やはり朝の礼拝時間が一番込み合うのだろう。

今やインドに限らず世界的に「人の集まるところテロあり」なので、ドワルカ寺院にも機関銃を備えた監視所ができていた。しかし恐ろしい世の中である。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

信者たちは神様と銃口の二重に守られているのだ。

寺院の周りには巡礼者をあてにした土産物屋がたくさんある。
店にはもちろん宗教関係の商品もたくさんあるが、おもちゃなど普通の観光客向けの商品の方が目を惹く。旅行に出ると財布のひもが緩むのは万国共通なのであろう。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

たとえ「巡礼」といっても旅行は楽しいものなのだ。

小さな子供を連れた家族などを見ると、子供がなにか買ってもらえるといいなとつい思ってしまうのである。

インド、ドワルカのヒンドゥー寺院

サルのぬいぐるみもじっと買われるのを待っている。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インド先住民族の工芸品ドクラ

扉は常に大きく開かれていて欲しいものだ:ガンディーアシュラム

インド・サーヴァルマティ・ガンディー・アシュラムここはグジャラート州アーマダバードにあるサーヴァルマティー・アシュラムである。

通称ガンディー・アシュラムと呼ばれ、その名の通りかのマハトマ・ガンディーが活動の拠点とした場所である。
私はアーマダバードに来るたびにここを訪れていて、今回(2014年11月)は一年ぶりの訪問であったが、なんだか前回と比べ内部がこぎれいになったように感じた。

それは本館にあるガンディーの生涯をパネルなどで伝える展示コーナーでも感じたのだが、それより右手奥にあった建物の雰囲気がずいぶん変わったようであった。

インド・サーヴァルマティ・ガンディー・アシュラム以前は学校のような造りで、実際小さな子供たちがたくさんいたし、外国人も加わってなにやらワークショップのようなことをしているのも見たことがあった。

少なくともこんな小さな建物ではなかったのになあ・・・

インド・サーヴァルマティ・ガンディー・アシュラムと思って中を覗いて見ると、なんとこれはミラ・ベンの部屋であった。

ミラ・ベンは本名をマドレーヌ・スレイドというイギリス人であったが、ガンディーの弟子となりその名を授かり、インド独立へと続く道のりをともに歩み続けた女性である。

そんなミラ・ベンの居住していた部屋を再現したようである。
しかしなんせ質素を旨とするアシュラムの生活であるからして、部屋の中はほとんど何もなく、見ても特にどうということもないのであった。

さらにその隣には、ミラ・ベンハウスよりかなり大きな建物ができていた。

インド・サーヴァルマティ・ガンディー・アシュラムその建物にはベランダのようなスペースがあり、そこでおばさんがクルクルと糸車を回して糸紡ぎをしており、いかにも「おお、ガンディー・アシュラムじゃん!」という雰囲気をかもし出している。

そしてそのベランダの横には「ガンディーの部屋」が再現されていた。
それを見て、そういえば本館の片隅にあったガンディーの部屋の再現コーナーがなかったなあということに、そこでようやく気付いた私であった。

インド・サーヴァルマティ・ガンディー・アシュラムミラ・ベンの部屋とは違い、ガンディーの部屋には金網入りの扉が付けられ、鍵が掛けられていて中には入れない。
しかしせめてもの温情か、ドアには四角い穴が開けられていて、そこから写真が撮れるようになっていた。ああ、ありがたやありがたや。

インド・サーヴァルマティ・ガンディー・アシュラムこれがその「ガンディーの部屋」である。
質素な生活をしていたガンディーであるが、ミラ・ベンから比べるとずいぶん物持ちである。
と言っても、糸車と杖、書見台に肘掛くらいしかなく、テレビもねえ、ラジオもねえ、車もそれほど走ってねえ、といった部屋なのである。

インド・サーヴァルマティ・ガンディー・アシュラムと、そこになにやら偉そうなおっさんが現れた。
この日のアシュラムにはパトカーや救急車、それになぜか消防車まで繰り出し、なんともものものしい雰囲気であったが、どうやらそれはこのVIPらしきおっさんを迎えるためのものであったらしい。もちろん私も遠くに追いやられてしまった。

インド・サーヴァルマティ・ガンディー・アシュラムおっさんはたくさんの随行員や警備員、そしてマスコミ関係者まで引き連れてベランダに上がった。
見れば先ほどまで固く閉ざされていたガンディーの部屋の扉が大きく開かれているではないか。

あー、いいなあ、あのおっさん中に入れるんだぁ

そのおっさんがいったい誰なのかは知らないが、ガンディーが生きていたら、はたしてこんな差別を許したであろうか・・・

ガンディーが凶弾に倒れた日に、あらためて差別のない社会の実現を願いつつ、アシュラム関係者に、次は私も特別中に入れてねと、心からお願いする次第なのである。

インドのショール