2016年グジャラート再訪・第23回 / ジュナーガルのホテル

ジュナーガルでの宿は、以前泊まったことのあるホテル・ハーモニーにした。
場所はバススタンドのすぐ目の前だし、なにより勝手知ったるホテルなので安心なのだ。

とは言え予約してあるわけでもなし、はたして部屋はあるだろうか。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

バススタンドの近くのホテルはちょっと騒がしいが便利でいい。

しかしそんな心配は無用であった。まだ時間も昼の一時過ぎと早かったこともあり、すんなり部屋を取ることができた。

部屋は三階の208号室である。
もっともこのホテルはショッピングモールの三階にあるので、フロントを含めすべての部屋が三階なのだ。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

前に来た時よりずいぶんきれいになっていた。

フロントでは気が付かなかったが、全面的にリノベーションしたようで、3年前に比べてきれいになっている。

この部屋で一泊1,328ルピー(約2,100円)、二泊する予定なので2,656ルピー(約4200円)となる。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

エアコンと薄型テレビがある。

壁にはなにやらカラフルな額が掛けられているし、ベッドシーツと枕カバーも柄物を使っていておしゃれである。インドでもホテルのシーツは白のところが多いのでとても珍しい。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

まあ趣味の良し悪しは別にして、柄物のシーツもたまにはいい。

ところがである。

翌日市内をあちこち回ってホテルに帰ってくると、今度はシーツも枕カバーも白になっていた。
私は「なるほど、シーツの柄を毎日変えることで『ちゃんと交換してますよ』と客にアピールをしているのだな」と勝手に解釈して感心していた。
しかしベッドにうつぶせに寝転がって日記を書いていたら、白いシーツの下に見覚えのある柄が透けて見えた。
そう、それは昨日「おっしゃれ~」と思ったシーツの柄なのである。

つまり、

夕べはシーツも枕カバーも無いまんま寝てしまったのである。

たぶん午後一番にチェックインしたので、まだ完全に部屋の準備が終わっていなかったのだろう。
今までどんな安宿でもシーツがなかったことはなかった。ツギが当たっていたり、穴が開いていて足の親指がそこに入ってしまうようなものでも、一応あるにはあった。あんな薄い布一枚で、こんなにも気分が違うとは初めて知った。
それからついでに言うと、二日目は毛布にもカバーがかかっていた。

まあそれは次の日のことで、今はまだ「おっしゃれ~」と思っているので、このまま部屋の紹介を続ける。

バスルームを見たら床も壁もピカピカで、やはりきれいに直したのだなということがよくわかった。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

バスルームはわりときれいに維持されている。

しかしこの便座はどうしたことか・・・
取り付け位置が合わないのはわかるが、なんとかしようとは思わないのか、インド人。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

こういうちょっとしたところに性格というか国民性というか、とにかく違いが出るのである。

便器の左側に伸びる白いホースは、用便後に尻を洗うための水を出すものである。壁にあるコックを回すと、便座の後ろのノズルから勢いよく水が出る。
いわばインド式ウォシュレットなのだが、ノズルは固定式でウィ~ンと前には出て来ない。そしてノズルから出て来るのはただの水である。
でもこれがあると用便後の始末が実に楽なのだ。気候温暖なインドなので、水でも特に問題はない。

ところがである。

なにがどうなったのかは知らないが、ある時ノズルからお湯が出た。それも結構熱いやつが。シャワーで使うにも熱すぎるくらいのやつである。
もちろん壁のコックは一つだけで、それは間違いなく水のものである。

まさかインドの単純構造ウォシュレットから、いきなり熱いお湯が出るとは思ってもいなかったので、私は度肝を抜かれた。怖い思いをすると尻の穴がすぼむと言うが、こういう時のための無条件反射だったのか。

さらに、便器に水を流したら、その水からももうもうと湯気が立った。

いったいどうすればこのようなことが起こるのか、理解に苦しむ。

まったく、勝手知ったるホテルと安心してはいけないのだった。ここはインドなのだから。

そんなホテル・ハーモニーだが、もちろんどれも悪気があってのことではない。
なのでここは、外国人に「インド」を感じてもらうための「お・も・て・な・し」の一種なのだと考えるべきであろう。

そもそもこのホテルのサービスや雰囲気は決して悪くない。その証拠に、部屋に案内してくれたボーイは、一通りの説明を終えた後で冷たいウエルカム・ドリンクを私にくれた。11月とは言え日中は汗ばむほどの陽気のグジャラートなので、確かにその時私は喉が渇いていた。なかなか気が利くのだ。

もっともそれは、あのジーラ・マサラ(詳しくは「インド版青汁」をご覧ください)ではあったが。

インド・ジュナーガルのホテルハーモニー

味はともあれ、その気持ちは嬉しい。

それにしても数ある清涼飲料水の中から、よりによってこれとはなあ・・・

しかし喉の渇きは味覚に打ち勝ち、私は一気にそれを飲み干した。

う~ん・・・不味い。

でも口の中一杯に、確かに「インド」を感じるのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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2016年グジャラート再訪・第22回 / ディウからジュナーガルへ

明日は早く発つと言っておいたのに、ゲストハウスの入り口はまだシャッターが閉ざされていた。

時刻はもう6時半だが、インド西部に位置するグジャラートの夜明けは遅く、外はまだ薄暗いのでまあ仕方ないか・・・

インド・ディウのゴールデンゲストハウス

防犯のためとは言いながら、勝手に出入りできないのはちょっと不便なのだ。

このゲストハウスはフロントを通らずに外に出られる構造なのだが、玄関が閉まっていてはどうにもならない。一旦フロントに行き、床で布にくるまり寝ている従業員に声を掛けるが、ぐっすり眠りこけていてなかなか起きない。
他の宿泊客に遠慮をしながら何度か声を掛けると、ようやくもそもそ動き出す。

そんな風にして、眠気眼の従業員に玄関のシャッターを開けさせ、やっと外に出ることができた。
まだ明けやらぬディウの街は、メインストリートにもほとんど人がいない。

インド・ディウの夜明け前の街並み

まだ夜が明けておらず、フォート・ロードも閑散としている。

しかしそこはディウ、灯りのついた店がある。
どうやら夜通しやってる酒場らしい。
くれぐれも酔っ払いには気を付けて、さっと通り過ぎねば・・・

インド・ディウの夜明け前の街並み

夜明けまでやってる酒場がある。さすがディウ。

バススタンドにもまだバスは一台もおらず、オートリキシャが整然と並んでいるだけである。

インド・ディウの夜明け前のバススタンド

早朝のバススタンドにはバスが一台もいなかった。

昨日一度このバススタンドに来て、係員にジュナーガル行のバスの時刻を尋ねたところ、7:00とのことだった。
しかしGSRTC(グジャラート州交通局)のサイトでは7:30となっていた。
どちらが正しいかはわからないが、こういう場合は早い方に合わせるしかないので7時前に来たのである。

まあどうしてもジュナーガルに行かなければならないということではないので、どこか他の街に行くバスが先に来たら、それに乗ってしまってもいいなと思っていたら、ジュナーガル行が一番最初に来た。

インド・ディウの夜明け前のバススタンド

バスの発着時刻は列車に比べてあいまいである。

初めは「最も危険な席」ということで敬遠していた最前列左側の席に座る。それは危機管理が薄らいだというより、ドライバーの運転テクニックと神のご加護を信じてのことである。

インド・ディウから出るバス

まあ安全より見晴らしを取り、最前列に座ったというわけなのだ。

結局バスの出発は7時8分だった。
出発時刻に関する情報はどちらも正しくなかったということになるが、7時前にちゃんとバススタンドに来て待っているという判断は「正解」なのである。

グジャラート本土とを結ぶ大橋を再び渡る。

インド・ディウから出るバス

この橋を渡ってしまえば、もうディウとはお別れなのだ。

尚、今日移動するルートはおおよそ以下の通りである。(若干細かいところが違うかもしれないが)

20分ほどでウナの街に入る。
陽も上り、街は早くも大勢の人が出ている。

インド・ディウから出るバス

新しい朝が来て、街にはまた活気が戻って来た。

一昨日長時間待たされたウナのバススタンドに到着。
朝の通勤通学時間なのだろう、バスが列をなして入って行く。

インド・ウナのバススタンド

ほらほら、こんなにちらかしたまんまだから、バスが通りづらくてしょうがない。

バスはここで一時間近くも停まったままだった。
一昨日もここで一時間半バスを待ったが、私はウナのバススタンドに好かれているのかもしれない。まあ何事も嫌われるより好かれる方がいいのだ。

インド・ウナのバススタンド

このバススタンドに好かれてしまったのか、ずいぶん長いこと引き留められた。

8時半になりようやくウナを出発した。

一時間ほど走りコディナール(KODINAR)到着。
このバススタンドも工事中のようだが、グジャラートのバススタンドは一斉に建て替え期にでも入っているのだろうか。

インド・コーディナルのバススタンド

このバススタンドも工事が行われていた。

10時半頃広い川を渡る。
どうやらそろそろソームナス(SOMNATH)が近いようだ。

インド・ソームナス近郊

川を渡るともうソームナスは近い。

ソームナスはヒンドゥー教の聖地であるらしく、大きな寺院もあるとのことで、ちょっと見てみたかったのだが、このバスは市街地へは入らず街の縁をかすめるだけだった。
それでも遠くにヒンドゥー寺院の特徴的な屋根が見えた。

インド・ソームナス近郊

ソームナスはヒンドゥー教の聖地である。

この辺りから道はぐんと良くなる。ほとんど高速道路のようなのだ。

インド・ソームナス近郊

グジャラートはこうした道路の整備が進んでいる。

なので私もここでようやく朝食を取ることにする。
今日の朝食はシンプル塩味のポテトチップスである。あー、おいしい・・・

インド・ソームナス近郊

こうしたスナック類はバナナと並ぶ旅食である。

道は高速道路のようだがそこはインド、ちゃんと(?)牛車も走っている。

インド・ソームナス近郊

インドの高速道路は車だけのものではない。

10時50分、ヴェラヴァル(VERAVAL)のバススタンド到着。
ここもまたターミナルが新築工事中である。グジャラート州出身のモディ氏が首相になったので、大量の予算がついたのだろうか。

インド・ヴェラバルのバススタンド

ヴェラバルは想像以上に大きな街だった。

ソームナスからの道がとても良かったので、州営のオンボロバスもスムーズに走る。
お陰様で午後一時、バスは終点であるジュナーガルのバススタンドに無事到着したのであった。神様、ありがとう。

インド・ジュナーガルのバススタンド

一度来たことのあるところは安心感があっていい。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インドのマフラー

2016年グジャラート再訪・第21回 / ディウの海岸通り

ディウで一番のメインストリートは、海岸沿いを東西に結ぶフォート・ロードである。

フォート・ロードは、バススタンドからポルトガル要塞までの1.5Kmほどの距離だが、散歩するにはなかなか気持ちのいい通りである。私も日曜日の朝、のんびり散歩を楽しんだ。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード

これは要塞側から大橋方向を見たところ。

沿道には、まだ一部ではあるがきれいな歩道も造られている。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード

個人的には山中湖畔を思い出してしまう。

犬ものんびり昼寝(朝寝?)をしていた。わずかな柱の陰であり、また体が少し日なたに出てしまっているが、海風に吹かれて気持ちよさそうである。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード

昼間の犬はおとなしくていいが、日が暮れると豹変するのだ。

海とは反対側には飲食店もたくさんあるので、歩き疲れたら一休みできる。
私もここでチャイを一杯いただいた。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの店

この店ではモーニング・チャイを飲んだ。

ポルトガル要塞の手前にはちょっとした公園もある。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

朝ではあったがほとんど人がいなかった。

木陰に座って海を眺めてのんびりするにはいいところなのだが、なぜかほとんど人がいなかった。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

景色も良く木陰もあってなかなか居心地が良いのだが、ベンチがあまりよくなかった。

遠くにはかつての監獄だった人工島の ” Fotim do Mar ” も見える。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

右手にはかつての監獄島も見える。

西側からこの公園に来ると、特になんの問題もなく自然と中に入れるのだが、要塞側の出入り口にはなぜが頑丈な門扉があり、カンヌキもしっかり閉められていた。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

ここだけ警戒厳重にしてもねえ。

ところがそのすぐわきには人が通れるほどの隙間があり、私はカンヌキを外すのが面倒だったのでそこから外に出た。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの公園

しかも抜け道があるしねえ。

要塞は公園のすぐ先にあり、入場料も取られないので散歩のついでに足を延ばすのもいいが、ここではUターンして元来た道を戻ることにする。

フォート・ロードの中ほどには小さな港があり、漁船が何隻かいた。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの漁港

小さな漁船がたくさん係留している。

ちょうど漁から戻って来たところらしく、船倉から魚を出している真っ最中であった。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの漁港

この漁船はちょうど漁から戻ったところだった。

獲物は大ぶりのカワハギのような魚である。
これを刺身にして肝醤油で食べたらうまいだろうなあ。すぐそこにはビールを飲ませる店もあるしなあ。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの漁港

なかなかの豊漁である。

港には警察の監視艇も泊まっていた。
どうやらここは官民共用の港のようである。
ちなみに大橋の近くにはフェリーふ頭(というほどの規模ではないが)が別にある。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロード沿いの漁港

官民の船が仲良く寄り添っている。

香辛料貿易の権益争いは遠い昔となり、すでに要塞は無用の長物と化したが、今は今で警戒すべきことがいろいろあるのだろうなあ。

インド・ディウの海岸通りフォート・ロードの風景

沿岸警備隊は今日も行く。

しかし今のところ朝のフォート・ロードは平和そのもので、たちの良くない酔っ払いもまだいないようであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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ブロックプリントの版木

2016年グジャラート再訪・第20回 / ディウでの食事その2

ディウでの二日目は朝から要塞見学をし、その流れで早めの昼食を取ることにした。

この時点でもまだビールを飲もうかどうか迷っていたが、こんな早い時間から飲んでしまったら一日が無駄になりそうなので思いとどまり、フォートロード沿いにあった感じのいい店に入る。

インド・ディウのレストラン

道から一段高くなっていて、風も良く通り抜ける気分のいいレストランである。

まずはライムソーダ。本物の果汁なのでおいしい。
値段は35ルピーに12.5%の税がかかり39.375ルピー(約63円)である。
ちなみに税金は飲み物に12.5%、食事に5%となっているようである。

インド・ディウのレストランで飲んだフレッシュライムソーダ

ライムの果汁を炭酸水で割るだけなので爽やかでおいしい。

そしてお腹にやさしいトマトスープ。値段は90ルピー+5%の税で94.5ルピー(約151円)。
グジャラートの料理は総じて味付けが甘いのだが、このスープも実に甘かった。
グジャラート出身の奥さんを持つ人が「あいつらは何にでも砂糖を入れる。まったくクレージーだ」と言っていたほどである。

インド・ディウのレストランで食べたトマトスープ

お腹にやさしいスープだが、甘すぎるのが玉に瑕である。

スープにはパン(クルトンと言うにはデカすぎる)がたくさん入っていたので、もうそれでだいぶお腹がいっぱいになってしまったが、注文するときにはそんなことはわからないのでもう一品出てくる。

これはベジ・チョーメン。メニューの正式名はハッカ・ヌードルであるが、要するにインディアン・チャイニーズのやきそばである。値段は140ルピー+5%の税で147ルピー(約235円)だった。

インド・ディウのレストランで食べたベジタブル・チョーメン

インドにはフライドライスとこのチョーメンがあるので、日本食など恋しくならないのだ。

この他にペットボトル入りの水も頼んだので、総額は309ルピー(約495円)となった。

店の名前はリラックス・イン。
まだ時間が早かったので客も少なく、店の名前の通りなかなか居心地の良い店だったが、酒の入った若者にからまれたため(詳細はこちら)長居ができなかったのが実に残念であった。

インド・ディウのレストラン

酔っ払いさえいなければもっとゆっくりしたかった。

くどいようだが、酒は飲んでも飲まれるな、である。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インド先住民族の工芸品ドクラ

2016年グジャラート再訪・第19回 / ディウ要塞

今はビーチリゾートとしてにぎわうディウだが、その名が歴史に刻まれたのは「ディウ沖海戦」であった。

インド・ディウの海岸沿いのフォートロード

色とりどりの店が並び、いかにもビーチリゾートの雰囲気が漂う海岸通りである。

時に1509年2月3日、新たなインド航路の発見で勢力を伸ばしつつあるポルトガルと、ヴェネチア共和国などの援助を受けた既成勢力であるエジプト、インド諸侯の軍がディウの沖合で相まみえた。
これは取りも直さず新旧貿易ルートの競い合いであり、地中海-中東経由の東方貿易と喜望峰経由のヨーロッパーインド洋航路が、この地でぶつかったと言うことである。
結果はポルトガルの勝利に終わり、ポルトガルはアラビア海の制海権を得るとともに香辛料貿易を独占することになる。
さらにポルトガルは1535年にディウを占領し、要塞を築き船舶の航行監視の拠点とした。
以後、1961年のインド軍の侵攻までディウはポルトガル領であり続け、インド復帰後はグジャラート州に属さない連邦直轄地となったのである。

というわけで、ディウにはポルトガル統治時代の痕跡があちこちに残り、その最大のものがディウ要塞である。

なのでこれはぜひ見に行かなければいけないだろうと、朝の涼しいうちに行ってみることにした。

島の入り口である橋から続く海沿いの道はフォート・ロードという名がつけられていて、まさしくこの道を行けば迷うことなく要塞にたどり着く。

インド・ディウの朝の風景

その名もフォート・ロードの突き当りに要塞はある。

さすが日曜日とあって、フォート・ロードは要塞に向かう車や人で朝から賑やかである。
要塞のすぐ手前には大きな駐車場があり、すでにバスや乗用車がたくさん停まっていた。

インド・ディウの日曜日の朝

ディワリ休暇の明けやらぬ日曜日は、朝から観光客がどんどん来る。

まずは海を利用した堀に渡された石橋を渡って城塞へと入って行く。

インド・ディウのポルトガル要塞

細い通路をおねえさん方の後について要塞に入って行く。

渡り終わった左側には海に突き出た石の桟橋がある。

インド・ディウのポルトガル要塞

アーチの先は石の桟橋が海に突き出ている。

桟橋の周りは階段状になっていてまるでガート(沐浴場)のようであるが、さすがにここで沐浴している人は見かけなかった。

インド・ディウのポルトガル要塞

海の水はなかなかきれいである。

桟橋の先に見えるのは「Fotim do Mar(フォーティム・ド・マールと読むのかな?)」と呼ばれる石造りの人工島で、かつては監獄として使われていたとのことである。
この船を思わす建造物は、フォート・ロードのずっと手前から見え始め、なかなか目を惹かれ興味をそそられるのだが、残念ながら今のところ内部の観光はできないようである。

インド・ディウのポルトガル要塞

かつての監獄はまるで軍艦のように海に浮かぶ。

桟橋を後にして今度は右に進み、いよいよ要塞の内部へと入って行く。

インド・ディウのポルトガル要塞

いよいよ要塞の内部に潜入する。

それにしても朝からすごい人である。

インド・ディウのポルトガル要塞

ほかのインド人観光客に続いてぞろぞろ歩く。

通路の傍には石の砲弾(砲丸と言った方が適切か)がごろごろ転がっている。
それにしてもこんな丸い石を飛ばして、本当に船に命中したのだろうか。またもしうまいこと当たっても爆発するわけではなく、せいぜい船体に穴をあけるくらいなので、木造船が主流だった時代のまさしく歴史の遺物である。

インド・ディウのポルトガル要塞

昔の大砲の弾がごろごろ置かれている。

砲弾を見ながら進むと、今度は道が左に折れる。要塞なので道がくねくねしているのである。
その曲がりばなにこの要塞の説明板があった。

インド・ディウのポルトガル要塞

説明板には英語表記もあるが、私には猫に小判である。

英語での説明もあったのでここに掲示することにするが、ここは自習ということにしたい。

インド・ディウのポルトガル要塞

ディウ要塞の案内板である。各自これをよく読んで理解を深めて頂きたい。

さて、説明を読んで要塞の理解が深まったところで先に進むとしよう。

だらだら坂を上ると左手に石の坂が出現する。
ここから見ただけでも空が抜けていて、いかにも見晴らしが良さそうなので上ってみることにしよう。
それにしても石のスロープなので滑って上りづらい。思わずドリフターズの急坂を駆け上がるコントを思い出してしまう。

インド・ディウのポルトガル要塞

この石の坂道が滑って危ないのだ。

やはりここは見晴らしのいい場所だった。
さらに向こうには塔屋のようなものが見えるが、狭い階段に常にたくさんのインド人が取り付いているので、そこに上がるのはさっさとあきらめて、そのすぐ横から景色を楽しむことにする。

インド・ディウのポルトガル要塞

ここが要塞で一番高いところとなる。

ここから見えるのは主に島の北側である。
見下ろせばグジャラート本土との境となる狭い海峡が見渡せる。
この先には昨日バスで渡って来た橋が見え、また先ほど歩いて来た海岸線もきれいに見える。

インド・ディウのポルトガル要塞

これは島の北、グジャラート本土との境界側であり、この海岸線を歩いて要塞まで来たのである。

次に南側を見渡せる場所に行ってみる。

南側には外海であるアラビア海が広がり、この要塞の本来の目的である船の航行監視のための大砲が何門も配置されている。

インド・ディウのポルトガル要塞

要塞の南側は外海で、最重要監視地帯である。何門もの大砲を配し、臨戦態勢が敷かれていた。

ただしこの要塞は16世紀から400年もの長きにわたり使用されてきたものなので、これらの大砲がいつの時代のものなのだかわからない。特に年代など考えず、ただここに残っていたものを適当に並べただけなのかもしれないし、ことによると先ほど見た石の弾丸を飛ばした大砲も混ざっているかもしれない。
まあ少なくともインド軍を相手とした最後の戦い(1961年)で、この大砲が使われたとは考えにくい。まさかインド軍も象で攻めて来たわけじゃないだろうし。

インド・ディウのポルトガル要塞

この大砲も幾たびか火を吹いたのだろうか。

それはともかく、世界史の授業で習ったあの香辛料貿易の利権保護の任務として、この大砲がこうして目の前の大海原に向けられていたのだということを思うと、なかなか感動的である。

インド・ディウのポルトガル要塞

砲身は自国の利権を守るため日々海ににらみを利かせていた。

今ではこの要塞には灯台が建てられている。

インド・ディウのポルトガル要塞の灯台

今ではこの灯台が要塞一の見晴らし台となり、そしてディウでの最高地点となっている。

かつてこの海を航行する船にとって脅威ともなった砲台に代わり、今では船の安全を守る灯台が設置されているというのはなかなか面白いことである。

今もいろいろ問題のある世の中だが、それでも昔よりはいい時代なんだろうなあと、しみじみ思うのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インド先住民族の工芸品ドクラ

2016年グジャラート再訪・第18回 / ディウのアルコール顛末記

ディウはどこの州にも属さない連邦直轄地である。

地理的にはグジャラート州の一部のような位置にあるが、1961年までポルトガルが支配していたという特殊な地域なのだ。

ということで、一般的なインドとはちょっと異質なところのあるディウなのだが、その違いの一つに気軽に酒が飲めるというのがある。
しかも周りを取り囲むグジャラート州が筋金入りの禁酒州なので、その存在価値は非常に高い。
普段酒に無縁なグジャラートの人たちも、ディウに来てここぞとばかりに酒を飲む。そして私もここぞとばかりに酒を飲みたい。

インド・ディウの酒屋

禁酒州のグジャラートから来た人たちで、ディウの酒屋は大賑わいである。

もっともそれがディウに来た目的というわけではないが、私はすでに一週間も酒を飲んでいないので肝臓は元気である。
ただしまだ下痢が治っていない。
それがちょっと心配ではあるが、ビールの一本くらい大丈夫であろう。なんたって酒は百薬の長なのだ。

ということで、宿に荷物を置くとすぐに街へと出て行った。
あれだけへとへとになりながら宿探しをしている最中も、「BAR」の看板だけは見逃さなかったので、どこにそういう店があるか知っているのですぐ着いた。

ところがその店は酒は提供するが食べ物は一切ないとのこと。
私はこの二日間でバナナを二本食べただけなのでかなり空腹である。
だからできれば何か食べながら酒を飲みたい。
仕方がないので別の店に行くことにする。なにも酒を出すのはここだけではないのだ。

次に覗いた店は、すでに酔っ払ったインド人たちが盛り上がっていて、この雰囲気の中に一人で入る気にはなれない。でもまあこういう状態はこの店だけではなく、きっとどこも似たようなものなのだろう。

そこでちょっと考え直し、自分でつまみを買って先ほどの店に戻り、そこでビールを飲むということにした。先ほどの店は小さなテーブルが2、3あるだけだったが、他に客がいなかったのである。

ポテトチップスとピーナッツを買って先ほどの店に戻ると、この時間はテイクアウトしか対応していないとのこと。なるほど、どうりで空いてるわけだ。
食事も出さないのに、店で飲ませる時間が決まっているというのは合点がいかなかったが、とにかくここでは飲めないのである。かといってビールをぶら下げて帰って、宿のあの狭い部屋で一人飲むのもわびしい。

今度は海岸通りにある店に行ってみた。
ここにも酔っ払ったインド人のグループが何組かいたが、空席があるのを確かめてカウンターでビールを買う。この店は(たぶん他の店も)まずカウンターでビールを買い、空いている席に座って飲むというシステムなのだ。
ビールは70ルピー(約112円)だった。やっすいっすね!

インド・ディウの酒場

まずはこのカウンターで酒を買い、空いている席に座って飲む。まあフードコートと同じようなシステムなのだ。

そこで財布から500ルピー札を出して手渡すと、なんとお釣りがないと言う。
確かに70ルピーの買い物に500ルピー札は大きすぎるかもしれない。またインドではお釣りの用意のない店などいくらでもあるのも知っている。
しかしだ、この店には今だけでもこれだけの客がいて酒を飲んでいるのである。430ルピーくらいのお釣りがないってのはおかしいだろ!
ビールを目の前にして飲めないという苛立ちから、私は店員の手から少々乱暴に500ルピー札を奪い返すと素早く店を飛び出した。

しかしビールへの思いは簡単には断ち切りがたく、店を飛び出した後も、どこぞで両替をしてもう一度あの店に戻ってみようかなどと未練がましく考えていた。なにしろ冷えたビールが私のほんの目と鼻の先まで来ていたのである。

だが酒の飲める店はまだある。ほらあそこにも「BAR」の看板があるではないか。

ところが今度は、まだランチメニューなので酒は出さないと言うのだ。
ランチ?もう夕方の6時になろうとしているのだぞ。いつまでランチを食べているのだ。口の中でウンチになるぞ!

と、ことここに至り、もしかしたらこれは神様が「酒を飲んじゃいかん」と言ってるのではないかと解釈することにして、隣のフードコートで食事をし、おとなしく宿に帰ることにした。

 

さて、その翌日である。
朝からあちこち見て回り、食堂で早めの昼食を取っていると、居合わせた若いインド人が勝手に私の前に座り、いろいろしつこく話しかけて来る。
どうやら酔っ払っているようなのだが、こちらは酒も飲まず、一人静かに食事をしているところなのでとても煩わしい。普段酒を飲みつけないインド人は、ビールをコップに一杯飲んだだけでもかなり酔ってしまい狂暴化することがある。特にこうしたリゾート地ではよけいに羽目を外したりするので恐ろしいのだ。
とにかくこのしつこい酔っ払いにはかなり神経を逆なでされ、ついには「うるせえな!」と言い返す。もちろんこういう時は日本語である。
結局険悪な雰囲気を察知した店員が割って入り、それ以上の国際紛争には至らなかったが、グジャラート(ここはグジャラートじゃないけど、そいつはたぶんグジャラート人であろう)でこんな嫌な思いをしたのは初めてである。

そんなこともあり、私はすっかり酒を飲む気が失せてしまった。どうせ酒を出す店に行けば、あいつのような輩がいるであろう。酒は飲んでも飲まれるな、飲んだら乗るな乗るなら飲むな、飲んで飲まれて飲まれて飲んで、とにかく酒乱は断じて許せん。酒など飲むな!なろー!

なので午後は誰もいない海岸で長い時間を過ごした。
ずっと海を眺め、寄せ来る波を見てはビールの泡みたいだなあなと思っていた。

インド・ディウの海岸

島の繁華街とは反対側のこの海岸にはほとんど人がいない。

少し日が傾き、私は元来た道をとぼとぼ歩いて街の中心地に戻って行った。
しかしその道中も、私の心は揺れ動いていた。それはこのまま酒を飲まずにディウを後にしてしまってもいいのか、ということである。そりゃあ悪い酒飲みにからまれて嫌な思いはしたが、それは酒が悪いのではない、酒に飲まれたあいつが悪いのだ。人を憎んで酒を憎まず!である。

インド・ディウの狭い路地

ディウは島なので、反対側に行くときは小高い丘を越えることになる。

そこで私は、もう一度だけこの街にチャンスを与えることにした。もしこの私にまた「酒が飲みたい!」という気を起こさせることができたら、その時は今までの狼藉を一切水に流し、喜んでビールを喉に流し込んでやろうと決めたのである。

行ったのは海岸通りのBAR、昨日お釣りがないと言われた店である。

インド・ディウのバー

この店は海岸通りにあり、海の家を思わせるたたずまいなのだ。

店を覗くと、インド人のおやじが二人で静かに飲んでいるだけである。
おお、これは神様が「酒を飲むなら今じゃ。さあ、早く早く」と言っているに違いない。その証拠に自分の意志とは関係なく、体が自然に店内に入って行く。
さっそくカウンターでキングフィッシャーの大瓶を買う。もちろん値段は昨日と同じ70ルピーである。そして今日の私は小額紙幣も持っている。
しかし私は財布の中の小額紙幣は無視し、500ルピー札を店員に手渡した。昨日のリベンジである。ここでまた店員がお釣りを出すのを渋るなら、その時は酒を飲まずにこの店を、いや、ディウを出ようと決めていたのである。
そんな私の勝手な力みなど知ろうはずもない店員は、特になんという反応も見せず、素直にお釣りをよこした。なんだかちょっと物足りない。

店内はガラガラなので、一番奥の窓側の席に座る。
入り口に背を向けて座った上に、椅子の背もたれも高いので、これなら誰にも邪魔されずゆっくり飲めそうである。

インド・ディウのバーで飲むキングフィッシャービール

この窓からは小さな漁港が見える。

しかしついにその時が来た。私の隣のテーブルにもインド人のグループがどやどやと入って来たのである。
しかもそのグループは、隣のテーブルだけでは収まり切らない人数だったようで、みんなしてちょっと困った顔をして周りを見回している。こういう店は相席など普通のことなのだろうが、私が外国人なので遠慮しているようなのだ。
そんなインド人らしくない謙虚な気持ちが気に入った。私は自分の前の椅子を彼らに勧め、さらにつまみのピーナッツも勧めた。
彼らもまた自分たちの買ったポテトチップスを私に勧め、そこでぐっと両者の距離が縮まった。デタントである。

インド・ディウのバーで相席となったインド人グループ

彼らは初め一本のビールをみんなで飲んでいた。

そして酔いが回り始めると、彼らは追加のビールをどんどん買って来ては私のコップにも注いでくれるようになった。ビールの継ぎ足しはおろか、違う銘柄でも気にしないで注ぐ。しまいには勢い余って私のズボンにもビールを注いでくれた。でも私も気にしない。楽しく酔えれば人種や宗教、ビールの銘柄、そしてズボンが濡れているか乾いているかなんてまったく関係ないのである。

インド・ディウのバーで相席となったインド人グループ

次第に飲むペースが速くなり、みんなからお金を集めては追加のビールを買いに行くのであった。ちなみに右の席に座っていた二人は早々に倒れた。さすがに早すぎるだろ。

彼らはグジャラート州の大都市ラジコット(ラージーコート)からの6人グループということで、今朝早いバスで来たとのことである。
そしておそらく日帰りなのだろう、意気投合して盛り上がっていた割には、一時間足らずで引き揚げて行ってしまった。

インド・ディウのバーで相席となったインド人グループの帰った後

インド人はゴミを平気で床に捨てる。袋の切れ端を袋に戻して捨てる日本人(私のことね)とは対照的である。

彼らが帰った後には、空き瓶とゴミくず、そしてようやく心が穏やかになった私が残された。

インド・ディウのバーで相席となったインド人グループの帰った後

私が買ったのは最初のキングフィッシャーの一本だけ。あとは彼らが買ってきたものを注がれるままに飲んだ。きっと彼らは当初の予定より、だいぶお金を使ってしまったのではないだろうか。

う~ん、ディウは実にいいところだなあ。
そしてやっぱり、酒はやめられないなあぁ。

こうしてディウは許されたのであった。めでたしめでたし。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インドの南京錠

2016年グジャラート再訪・第17回 / ディウでの食事その1

ディウでの宿も決まり、ホッとしての夕食である。

本当はビールが飲みたかったのだが諸般の事情で飲めず(詳細は次回)、フォートロード沿いのフードコートに入った。

インド・ディウのフードコートの屋台

ここにはこのような屋台がたくさん集まっていて、好みのものを買ってテーブルで食べる。

まずは可愛い女の子が店番をしていた売店でコーラを買う。
350ml入りで25ルピー(約40円)である。

インドのコカ・コーラ、ペットボトル入りで350ml

日本でもおなじみのコカ・コーラ。味は変えなくてもいいが、ロゴくらいヒンディー語やグジャラート語で書いて欲しいところである。

タンドーリチキンの店などもあったが、どうせここではビールも飲めないし、それになによりまだ下痢が続いているので、比較的おとなしめのフライドライスを注文することにした。

インド・ディウのフードコートの屋台

こういう屋台の調理員は、どう見てもごく普通のあんちゃんなのだが、それでもそれなりの味を出す。

屋台のあんちゃんはフライパンでちゃちゃちゃっとご飯を炒め、手際よく調理して行く。

そして出来上がったベジタブル・フライドライス。これで100ルピー(約160円)である。
内容からしてやや高めであるが、ここはリゾート地だから仕方ないところか。

インド・ディウのフードコートのフライドライス

屋台のあんちゃんが作るベジタブルフライドライス。味付けはインド風で辛いが、一応ご飯なので日本人向きである。

思えば二日前、アーマダバードのホテルでウッターパンを食べて以来のまともな食事である。
その間食べたものはバナナを2本だけだったが、わが腹よ、久しぶりのご飯に驚くでないぞよ。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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真鍮製のアンティーク弁当箱

2016年グジャラート再訪・第16回 / ディウでの宿探し

すでに一時間以上も歩き回り、もうへとへとである。だいぶ陽も傾き、時刻はそろそろ5時になろうとしている。

やはりディワリ(インド正月)の休みはまだ続いているらしく、しかも今日は週末ということもあり、宿はどこも満室であった。

バスで親切にしてくれたおじさん推薦の宿に始まり、路地をかなり深く入り込んでまでの宿探しはすべて失敗した。

インド・ディウの裏路地

犬よ、お前はちゃんと今夜の寝床があるのか。

さらに最後の手段と、海沿いのメインストリートに面した、誠に雰囲気の良い高そうなホテルにも行ってみたがダメだった。まあそりゃそうか。でも裏をかいてというつもりだったのだ。

かくなる上は、またバスに乗って別の街に行ってしまおうかとも思ったが、その前にちょっと一休み。こんなに疲れ果てた体と頭では、妙案も浮かばなければツキも回って来ないだろう。

売店でコーラを買い、ベンチに座ってゆっくり飲む。
目の前には先ほど断られた高そうなホテルがあり、家族連れが楽しそうな顔をして出入りしている。きっと今夜は海の見える部屋に泊まるのだろうな。いいなあ。

空き瓶を返しながら店のおっさんに「宿はどこもいっぱいだねえ。泊まるところが全然ないよ」と言うと、「裏通りには行ってみたか?」と言う。裏通りも裏通り、かなり奥まで行ったけどなかったと答えたが、そこでふと、ディワリ休暇の上に週末の重なったこんな日に、地元の人であろうこのおっさんが、言下に「そりゃ無理だ」とは言わずに「裏通りに行けば」などと言うということは、もっとよく探せば空き部屋のひとつくらいあるかもしれないと思い直した。まあ一休みして少し元気が出たということもあるが、とにかく「もう一度裏通りを探してみるか」と、おっさんに言うとともに自分にも言い聞かせ、元来た道を引き返した。

まず行ってみたのは、先ほど素通りしてしまったゲストハウスである。
そのゲストハウスはフロントが2階にあるため、そこまで上がるのが面倒でやめてしまったのであった。情けないことにその時私は足が釣ってしまっており、痛くて歩くだけで精一杯、階段など上がれるような状態ではなかったのである。
それが先ほどの休憩で足の釣りは収まった。もしかしたら脱水症状かなにかだったのだろうか。

今度はちゃんと2階のフロントに上がって行き、空室があるか聞いてみると、なんと「ある」と言うではないか。うそでしょ。

インド・ディウのゴールデンゲストハウス

フロントが2階というのは、やはり商売としては不利なのだろう。

値段を聞くとエアコン付で3000ルピー(約4800円)、エアコンなしで2500ルピー(約4000円)とかなり高い。
「足下を見る」という言葉は、昔の駕籠かきが旅人の足の疲れ具合を見て取り、その弱みに付け込み高額な料金を要求するところから来たものだそうだが、この時の私はまさしくそうだったのかもしれない。まあ「お正月料金」ということもあるのだろうし、だからこそ空室があったのだろうけど。
部屋を見せてもらうとこれまたかなり狭い部屋ではあったが、そろそろ日も暮れるし、もうこれ以上体力と時間を使うのも嫌なので泊まることにした。しかも二泊である、なにしろ一泊だと明日の朝またバスに乗ることになり、ただ単に寝るためだけにディウに来たことになってしまうのである。

インド・ディウのゴールデンゲストハウス

部屋の窓は外廊下に面したひとつだけ。手前の通路を入ったところに入り口のドアがある。

宿の名前はゴールデン・ゲストハウス。与えられた部屋は3階の206号室である。
南側に窓があるが、窓の前は外廊下になっているので、あまりカーテンを開け放ってはいられず、ちょっと息が詰まる感じがする。

ベッドはセミダブルくらいのものがひとつあり、あとはエアコンとテレビがある。
わりと最近リノベーションしたのか一見きれいであるが、掃除はあまり行き届いていない。

インド・ディウのゴールデンゲストハウスの客室

セミダブルほどのベッドがあり、あとはその周りにある程度の「余白」があるのみの狭い部屋である。

ホットシャワーが使えるということだったのだが、蛇口をひねってもお湯が出ない。
とかくこういう宿では、フロントでボイラーのスイッチを入れてもらわないとお湯が出ないことが多々あるため、フロントに下りて行ってそう言うと、スイッチを入れる代わりに従業員のあんちゃんが電熱コイルを持って部屋まで付いて来た。なんでもホットシャワーは朝だけらしい。これもまたインドではよくあることなのだ。

インド・ディウのゴールデンゲストハウスの湯沸かしシステム

従業員のあんちゃんのこの立ち方とベルトの傷み具合からもこの宿のレベルが知れる。まあ、こんなのでお湯を沸かすくらいの宿だからなあ。

あんちゃんはバケツに水を張り、電熱コイルをそこに垂らす。
しばらくしてコイルを持ち上げ、これくらいでいいかと聞く。
私がバケツに手を入れてみるとまだ水である。
もう少し温めろと言い、ふたたびあんちゃんはコイルを水に浸す。
しばらくしてコイルを持ち上げ、これくらいでいいかと聞く。
バケツに手を入れてみると、上の方は暖かいが下はまだ水である。なにしろコイルはあまり水に深く入れられないので、そのままでは上しか温まらないのである。
そこでもっと温めろと言い、あらためてあんちゃんはコイルを水に浸す。
しばらくしてコイルを持ち上げ、これくらいでいいかと聞く。
私はバケツの中をゆっくりかき回してみる。う~ん、まだぬるま湯程度である。
しかし私はもうこれ以上、このやる気のないあんちゃんの相手をするのが嫌になってしまい、OKと言って部屋から追い出した。

インド・ディウのゴールデンゲストハウスの湯沸かしシステム

シャワーでもなければホットでもない。せめて自分でやらせて欲しいものである。

ぬるま湯ではあるが体が洗えるのはうれしい。
さっそく湯あみをしようと思ったらタオルも石鹸もなにもない。
しかたなくもう一度フロントに行く。まったく何回階段を上り下りさせるのだ。
それにしても客から言われるまで何もしないとは、気が利かないにもほどがある。

とまあ、狭い、高い、やる気がない、の三拍子そろったゲストハウスではあるが、路頭に迷うよりはずっと良いのである。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インドの南京錠

2016年グジャラート再訪・第15回 / ウナからディウへ

ウナのバススタンドは改修中だった。

しかしどこにも工事車両や作業員の姿が見えない。もしかしたらまだディワリ休暇なのだろうか。
ディワリというのはインドの新年を祝うお祭り、つまりお正月ということで、インドの数あるお祭りの中でも最大のものである。
しかしそのディワリからそろそろ一週間になろうとしている。もっとも今日は土曜日なので、ことによると明日の日曜日まで休む人も多いのかもしれない。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

ウナのバススタンドは瓦礫の山だった。

とにかくディウ行のバスの時刻を調べなければならない。
遠くに人だかりのする小屋が見えたので、おそらく案内所だろうと思って行ってみるとやはりそうだった。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

案内所も掘立小屋のようなところである。ちなみに野豚の後ろに見えるわやわやは、コンクリートから取り出した鉄筋の山である。

ディウ行のバスは1時30分発とのことで、あと5分もない。なんというタイミングの良さだろうか。やはりここからディウへはバスが頻繁に出ているのだろう。

それにしてもこのバススタンドの現状はひどい。
まだ古い建物は壊している最中で、あちこちに瓦礫の山が築かれており、しかもあろうことかそれがバスの出入り口を狭めてしまっている。結構広い敷地なのだから、もう少し置き場所を考えたらよさそうなものだと思う。
また新しい発着所の建物も建設途上で使えず、バス待ちの人たちはバスが土ぼこりを舞い上げて行き来する狭い場所に居るしかない。せめてもの救いは、大きなひさしが日陰を作ってくれていることである。
まったく壊すか造るかどちらか一方を片付けてから次に進めばいいのに。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

そもそもバスの出入り口からして瓦礫で狭くなってしまっている。

ディウ行のバスがすぐ出るということはわかったが、それがどのバスなのだかわからない。字が読めない上に、ここには正式なバス乗り場もないので余計わからない。他の人たちはバスが来ると、それぞれバスに駆け寄り乗り込んで行く。私もその都度彼らの後を追い「これはディウ行か」と尋ねるのだが、答えはすべて「ノー」だった。

そこでまた親切そうなおじさんを探す。
まあ別におじさんでなくてもいいのだが、女性にはちょっと話しかけられないし、若い人より歳を経た人の方が総じて物をよく知っているので、自然おじさん頼りになるのだ。

ここにもそんな頼りがいのあるおじさんがいた。
そのおじさんもバーヴナガルのおじさん同様とても親身になってくれ、周りの人や停車中のバス、さらには先ほどの案内所にも行って情報を聞き集めてくれた。
それによると、ディウ行のバスは他の街から来るもので、到着が少し遅れているとのことである。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

ここでも親切なおじさんの登場で大いに助かった。

とにかくここで待っていればバスは必ず来ると言われ、静かに待つ。

しかしこれがなかなか来ない。
おじさんもどこかに行くためにこのバススタンドに来たのであろうが、私と並んでじっと待つ。
その間何台ものバスが来ては乗客を降ろし、そしてまた乗せて走り去って行く。時間がゆるやかに、しかし確実に過ぎて行く。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

ちゃんとした乗り場も待合所もなにひとつない場所で、ひたすらバスを待つ。

結局バスが来たのは3時を少し過ぎた頃だった。1時間半以上ここで待っていたことになる。
しかしおじさんも私に付き合ってずっと待っていてくれたので、何の心配もせず待つことができた。本当にありがたいことである。
それにしても、その間別のディウ行のバスが一台も来なかったということは、ウナとディウを結ぶバスの便はそれほど多くないということなのだろうか。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

おじさんはバスまでエスコートしてくれた。

おじさんも同じバスに乗り込んで来た。なんでも自分の家がその途中にあるのだという。
とはいえ、おそらく家に帰るバスはなにもディウ行でなくても良かったのだろう。いくらインドでも、日常使うバスをこれほど長時間待つはずがない。
だからやはりこれはおじさんの親切以外に他ならないのだ。

おじさんは若い頃ディウで働いていたとのこと。とてもいい所だと言う。
そして宿が決まっていなければここに行きなさいと、おすすめのゲストハウスまで教えてくれた。

インド・ウナ発ディウ行のバス

おじさんはディウでの宿まで教えてくれた。大変お世話になりました。

おじさんは木のたくさん生い茂る沿道でバスを降りた。降り際、ほんのお礼のつもりでメモ帳にはさんで使っていたシートレンズのしおりをあげると、ことのほか喜んでくれた。

やがてバスは長い橋を渡り始めた。
ディウはカーティヤーワール半島の最南端にある島で、連邦直轄地となっていてグジャラート州には属さない。しかしグジャラート州とは二本の橋でつながれていて、まさしく一衣帯水の関係にある。

インド・ディウに渡る橋

この海に架かる橋を渡るともうそこはグジャラート州ではない。

15時45分、ディウのバススタンドに到着。
バーヴナガルのバススタンドから出発してから実に8時間と15分、当初の予定より大幅に時間がかかってしまったが、それでも無事にディウまで来られた。
そしてそれも親切なインド人の助けがあったればこそと、あらためて心より感謝申し上げる次第である。本当に本当にありがとうございました。

インド・ディウのバススタンド

結局一日中移動に費やしてしまった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インドのマフラー

2016年グジャラート再訪・第14回 / バーヴナガルからウナへ

5時半起床で7時にホテルをチェックアウトし、昨日降りたバススタンドに向かう。
下痢はまだ続いており、食事は夕べと今朝バナナを一本ずつ食べただけである。

インド・バーヴナガルのバススタンド

バススタンドは朝からたくさんの人が出入りする。

今日の最終目的地はディウ(DIU)という街だが、まずはディウの手前の街ウナ(UNA)行のバスに乗る。

実はバーヴナガルからディウまで行くバスもあるのだが、調べたところでは6時発と10時半発ということだった。わがままを言うわけではないが、それでは帯に短しタスキに長しなのだ。6時発は出発にちょっと早過ぎ、10時半発では到着にちょっと遅すぎる。この時間に来るにも5時半起きなのである。それが6時のバスだと4時半に起きなきゃならない。また到着が遅くなると、あちらでの宿探しに難儀する可能性がある。
なので7時半発のウナ行に乗り、ウナでディウ行のバスに乗り換えようというのである。
なにしろウナとディウは15kmほどしか離れていない。そしてディウはリゾート施設もある観光地で、ウナはその玄関口に当たり、そこからバスが頻繁に出ているはずなのだ。

インド・バーヴナガルのバススタンド

列車の駅ほどではないが、みんな早めに来てバスを待っているのだろう。

ということで行先は決まったが、こちらの文字がまったく読めないので、どのバスに乗ればよいのか皆目見当がつかない。
そこで困ったときの人頼み、近くにいたおじさんに尋ねてみた。

困った人を見るとほっとけないのがインド人の美徳、たとえ自分も知らなくても「心配するな」と請け負ってくれる。
私が訪ねたおじさんも、バスが入って来るたびわざわざバスのところに歩み寄り、行先表示を見てくれる。私が一緒に行こうとしても、いいからここで待ってろと制止して、自分一人でせっせと見に行く。

インド・バーヴナガルのバススタンドでバスを待つ。

おじさんはバスが入って来るたび、行先確認に行ってくれる。

そうこうするうち、ようやく目的のバスが入って来た。
おじさんはそれを確認し、あのバスだと教えてくれた。そして我がことのようにうれしそうな顔をする。
まあこれでもうバスへの往復をしなくてもいいので、それが嬉しいのかもしれないが、とにかくただただ感謝感謝なのである。

インド・バーヴナガルのバススタンドで親切にしてくれたおじさん

本当にありがとうございました。

他のバスは満員のものも多々あるというのに、ウナ行のバスは空いていた。
後ろの方に座席間の広いシートがあるので、そこを陣取り出発を待つ。

インドのバスは後ろの方が安全だと思う

衝突事故を考えると、やはり後ろの方の席が安全だろう。

すると前の方から声が掛かる。聞けば「僕もウナまで行くので着いたら教えてあげる。だからこちらの席に来ないか」とのこと。
まあウナは終点なので寝過ごすこともないし、せっかく足元の広い席を確保したということもあり、本当は移動したくなかったのだが、人の親切を無にしてはいけない。そもそもこのバスだって人の親切があってこそ乗れたのである。

インド・バスの中で親切にしてくれたあんちゃん

あんちゃんは、同じ行先だからここに座れと言ってくれた。

前回のバスはまだ前から二列目だったが、今回は最前列となった。
ここは本当に怖い席である。なにしろインドのバスはバカみたいに飛ばす。飛ばすだけでなく他の車を追い越す。もちろん対向車線にはみ出して追い越す。たとえ対向車がかなり近づいて来ていても果敢に追い越すのだ。

7時30分、バスは定刻に出発する。
とにかくこうなりゃもうまな板の鯉である。あとは運転手の腕と判断力、そして日ごろからの信心の賜物を信じるしかない。

インド・バーヴナガル発ウナ行の路線バス

一番前で見晴らしはいいのだが、この席はかなりスリルを味わえる席なのだ。

バスは市街地を抜け、幹線道路に出る。
するとほらほら、さっそく追い越しにかかる。相手は車長の長いコンテナ牽引車だ。
でももうすっかり身を任せてしまったので好きなようにして。

インドの路線バスの追い越し

インドではかなり強引で乱暴な追い越しがたびたび繰り返される。この道はもちろん片側二車線などではない。

ちなみに追い抜く際にコンテナを見たら、マジックペンかなにかで「水ヌキ」と日本語が書き込まれていた。
このコンテナの作業をした方、あなたの文字が書かれたコンテナは、しっかりインドの大地を走っていますよ。

9時、タラージャ(TALAJA)のバススタンドに到着。
近くの山の頂上に寺院らしきものが見えるが、ここは有名な巡礼地ででもあるのだろうか。

これで全体の4分の1ほどの距離を来たことになるので、バーヴナガルからウナまでの全工程は約6時間といったところであろうか。

インド・グジャラート州タラージャのバススタンド

山の上に寺院らしきものが見える。

道がだいぶ狭くなって来た。
しかも簡易舗装なので、車がすれ違う時お互い路肩に片輪を落とすことになり、バスなどは大きく傾く。

インド・簡易舗装の狭い道で車がすれ違う

路肩にタイヤが落ちるたびにバスは大きく傾く。

10時15分、マフーヴァ(MAHUVA)のバススタンド到着。
最初にこのルートを移動しようと計画した時、いきなりバーヴナガルからディウに行くには距離があり過ぎるため、途中の街で一泊しようかと思っていた。そしてその候補地のひとつがこのマフーヴァだったのだが、実際にここに来てバスの窓から街並みを見ると、とくにどうということのない田舎町で、気の利いた宿もなさそうなのでやめてよかったと安堵した。

インド・グジャラート州マフーヴァのバススタンド

バススタンドも大きく乗降客も多かったが、外国人が滞在して面白そうな街という感じではなさそうだった。

バスは南下から西進に転じており、私の座っている左側は太陽光線がまともに当たりかなり暑くなって来た。

10時45分、道端の食堂で休憩。
本当になんてことのない小さな食堂だが、みんなそそくさと降りて行く。特に運転手はもう3時間も運転し通しだったので、本当にうれしそうである。
バスは結構込み合って来ていたので、うっかり降りて席を取られてはいけないと、私はバスに留まることにした。幸いトイレにも行きたくないし、何も食べたくない。いつもこうした移動のときは、あまり食事や水分を取らないようにしているので、その成果(?)が発揮されているのだ。

インド・路線バスの休憩所

本当はバスから降りて手足を伸ばしたいところではあるが、今は席の確保の方が大切である。

20分ほど休憩し、バスはふたたび走り出す。
運転手もすっかりリフレッシュし、また全力でぶっ飛ばすことであろう。

11時48分、ラジュラ(RAJULA)到着。
ラジュラは幹線道路からやや内陸に入ったところにある。
私の手持ちのグジャラートの地図(30kmの距離が24mmの縮尺で描かれた大雑把なもの)では、ここラジュラ付近の幹線道路はかなり海岸線に近づくはずなのだが、ここまでのところ海はたま~に、しかもはるか向こうに見える程度であった。はたしてこの先、海が見えることはあるのだろうか。

インド・グジャラート州ラジュラの街

バスは一旦内陸に入りラジュラを通る。

グジャラート州のこの近くにはインドライオンの生息地があり、沿道のところどころにライオンのシルエットが描かれてた道路標識が立っている。日本では黄色に四角の道路標識は警戒標識ということで、ドライバーになんらかの注意を与えるものである。
そうするとこの標識は「ライオン出没注意!」となりそうだが、幸か不幸かインドライオンはそんなに簡単にお目に掛かれるほど頭数がいるわけではない。なのでこれはササンギール自然保護区の看板なのだろう。そこなら確かにインドライオンが生息しており、それを目当てにしたサファリツアーなどもあるのだ。
ただしそこに行ってもそうそうライオンが見られるわけではないらしい。

道端の注意看板にはインドライオンが描かれている

道端の注意標識にはインドライオンが描かれている。

1時25分、終点のウナバススタンドに到着。
カーティヤーワール半島の東岸から南岸へと辿った旅であったが、結局最後まで海もライオンも目の前に姿を現さなかった。
しかし無事に到着しただけで満足である。それにまだ充分陽が高く、これならディウでの宿探しも問題ないことだろう。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

6時間かかったが、ここまでは陽の高いうちに来ることができた。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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