インド・グジャラートの旅:目次

エピソード編
第1回:まずは旅の概要から
第2回:ラージダニエクスプレスは相変わらず食事でおもてなしなのであった
第3回:何事もなめてかかるとやられてしまうものなのである
第4回:ガンディーゆかりの時計は私をしあわせにしてくれるのであった
第5回:アーマダバードで写真を配る・その1
第6回:アーマダバードで写真を配る・その2
第7回:アーマダバードで写真を配る・その3
第8回:長距離バスは意外と順調に走ったのだった
第9回:たった一言に救われることもあるのだ
第10回:注目されるのはなかなか大変なのだ
第11回:インドでライオンを見に行く
第12回:その輝きは記憶の中に永遠に生き続けるのだ
第13回:ガンディーと同じ悔恨の情を味わう
第14回:たまには贅沢したって罰が当たるもんじゃないでしょ
第15回:お願いだから特別扱いはよしとくれ
第16回:苦難を乗り越え歓喜に至る
第17回:神に捧げる唄は東京五輪音頭に負けないくらい長く唄い継がれていた
第18回:ごく当たり前のことがインドでは実にありがたく感じるのである
最終回:居心地のいい場所

実録編
第1回:デリー出発
第2回:デリー発アーマダバード行列車
第3回:アーマダバード到着、宿探し
第4回:アーマダバード / 写真配り
第5回:アーマダバード / ホテルにて
第6回:アーマダバード / ガンディーアシュラム
第7回:アーマダバード / ダーダーハリーの階段井戸
第8回:アーマダバード / アダラジの階段井戸
第9回:アーマダバード / 再び写真配り
第10回:アーマダバード / 駅まで歩く
第11回:アーマダバード / シディバシールモスク
第12回:アーマダバード / 新市街を歩く
第13回:アーマダバード / 旧市街にて
第14回:アーマダバードを早朝出発
第15回:アーマダバードからジュナーガルへのバス移動
第16回:ジュナーガル到着、宿探し
第17回:ジュナーガル / 昼食
第18回:ジュナーガル / 街歩き
第19回:ジュナーガル / ウパルコート砦への道すがら
第20回:ジュナーガル / 野菜市場を覗く
第21回:ジュナーガル / ウパルコート砦のナヴァハンクーヴァの井戸
第22回:ジュナーガル / ウパルコート砦のアディカディの階段井戸
第23回:ジュナーガル / ウパルコート砦のブッディストケイブ
第24回:ジュナーガル / 楽器屋
第25回:ジュナーガル / 動物園
第26回:ジュナーガル / マハーバト・マクバラー
第27回:ジュナーガル / ホテルにて
第28回:ジュナーガルからポルバンダールへのバス移動
第29回:ポルバンダール / ホテルへ
第30回:ポルバンダール / ガンディーの生家
第31回:ポルバンダール / 野菜市場と肉食
第32回:ポルバンダール / 海辺
第33回:ポルバンダール / 造船所
第34回:ポルバンダール / 漁港
第35回:ポルバンダール / オートリキシャでホテルへ帰る
第36回:ポルバンダール / ホテル前の海にて
第37回:ポルバンダール / ホテルの寝苦しい夜
第38回:ポルバンダール / 朝の海と国旗掲揚
第39回:ポルバンダール / バスターミナルにて
第40回:ポルバンダールからドワルカへのバス移動
第41回:ドワルカ / ホテルへチェックイン
第42回:ドワルカ / 町歩き
第43回:ドワルカ / 食事
第44回:ドワルカ / 夕方から日没へ
第45回:ドワルカ / 朝の風景
第46回:ドワルカ / バスターミナルへ
第47回:ドワルカからジャムナガルへのバス移動
第48回:ジャムナガルのホテル
第49回:ジャムナガル / ジュースと昼食
第50回:ジャムナガル / バラ・ハヌマーン・テンプル
第51回:ジャムナガル / ラコータ宮殿と旧市街
第52回:ジャムナガルを早朝に発つ
第53回:ジャムナガルからブジへのバス移動
第54回:ジャムナガルからブジへのバス移動
第55回:ブジのゲストハウス
第56回:ブジ / 昼食と常備食
第57回:ブジ / 朝のゲストハウス
第58回:ブジ / プラグ・マハル
第59回:ブジ / 刃物屋と湖
第60回:ブジ / 昼食と骨董品屋
第61回:カッチ・ツアー / ローガンアート
第62回:カッチ・ツアー / コッパー・ベル
第63回:カッチ・ツアー / ラック・アート
第64回:カッチ・ツアー / チェックポイントと昼食
第65回:カッチ・ツアー / カーロ・ドゥンガル
第66回:カッチ・ツアー / 染織工房とリゾートホテル
第67回:カッチ・ツアー / 塩の大地ホワイト・ラン
第68回:カッチ・ツアー / ホワイト・ランの夕陽
第69回:ブジ / 遅い夕食
第70回:ブジ / ゲストハウスの朝
第71回:ブジ / 染織工房へ
第72回:ブジ / 民家で昼食
第73回:ブジ / ラクダのラグ作り見学
第74回:ブジ / 染織工房もういっちょ
第75回:ブジ / ガイド氏宅での夕食
第76回:ブジ / 朝食とインフォメーション・オフィス
第77回:ブジ / 小さなヒンドゥー寺院見学
第78回:ブジ / 街歩き
第79回:ブジ / ランドリーサービス
第80回:ブジ / 朝食と朝の散歩
第81回:ブジ / カッチ博物館
最終回:ブジ / チェックアウト、列車出発

インド・グジャラートの旅:実録編・最終回:ブジ

この記事は2013年に相棒Y君(略してY棒)とインドのグジャラート州を旅した時のメモを元に各種解説を加えたものです。実際のメモ帳には文章が言葉足らずになっていたり、本来漢字で書き表すべきところをひらがなで書いていたりするところもありますが、それはあくまでも現場で書いて行く「メモ」という特性上仕方のないことであり、ここに転載するにあたっては最少範囲内で体裁を繕っております。だからもし「あっ、この人絶対この漢字書けてないよね」などと気が付いても、ぜひ黙って優しく見守って欲しいとお願いする次第なのであります。尚、登場人物の氏名に関しては原則としてイニシャル表記(一部インド人や日本人以外の外国人を除く)とし、人物の風貌や雰囲気を表現する言葉は、万が一本人が読んでもたぶん気にしないであろうと思われる場合のみ原文を採用しております。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月24日(日)ブジ 晴 

11時頃宿に戻り、荷物を持って下りる。
チェックアウト
宿代@Rs.500x5=Rs.2500
朝食代計Rs.580(3日分)
合計Rs.3080

ポストは宿の目の前に小さな郵便局があり、その前に吊るされていた。

11:30 リキシャに乗り駅へ Rs.50

水 Rs.15
サムズアップ Rs.35
サモサ Rs.8
アルー・ワダ Rs.6

定刻出発 12:25

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月24日(日)ブジ 晴

11時頃宿に戻り、荷物を持って下りる。
チェックアウト
宿代@Rs.500x5=Rs.2500
朝食代計Rs.580(3日分)
合計Rs.3080

宿代はともかくとして、朝食代など細々した代金はその都度払わないと不明朗会計になっていけない。
といっても不当な額を請求されたわけではない。宿の主人と額を突き合わせ、「これは払った」「これはまだ」とひとつずつ確認しなければならなかったということ。
こちらもウソはついていないし、主人の方も素直にそれを信じてくれたので問題はなし。
ちょっと心配だったのが、一度はランドリーに出し、三日間も預かってもらっていたズボン代が計上されているかもしれないということだったが、さすがにそれはなかった。

呼んでもらったオートリキシャも到着し、いよいよお別れである。
ご丁寧にみんなして玄関まで見送りに来てくれた。
それでは、みんさんさようなら。ご主人ありがとうございました。従業員のおっさん、洗濯は毎日やれよ。
インド、ブジのゲストハウスの主人

ポストは宿の目の前に小さな郵便局があり、その前に吊るされていた。

ブジで書いた絵ハガキは、当然ブジから送りたい。
オートリキシャにポストのある場所で止まってもらおうと、宿の主人にポストの在りかを聞くと、なんとまあ宿の向かいが郵便局であった。
日曜日で郵便局は閉まっていたのでポストに投函。
ブジの郵便ポスト

11:30 リキシャに乗り駅へ Rs.50

思えばブジでオートリキシャに乗るのはこれが初めてだった。
駅まではほんの10分かそこらであったが、大の大人が二人とその荷物を載せて50ルピーは安いと思う。
インド、ブジのオートリキシャブジ駅は意外にも新しくてきれいな駅だった。
でも西の最果ての駅にはもっと古い駅舎の方が似合うと思う。
せめてこの地方の民家風にすればよかったのに。
インド、ブジ駅駅に着いてまずすることといえば、乗車予定の列車の発着確認である。
われわれがこれから乗るのは、電光掲示板一番上の「ALAHAZRAT EX」で予定通りのようである。
ちなみにブジからは毎日4~6本の列車が出ている。そのうち毎日運行があるのは3本のみで、あとは曜日によってあったりなかったりする。
で、今日は日曜日なので、12時25分発の次はなんと19時50分までない。
インド、ブジ駅の列車出発案内板

水 Rs.15
サムズアップ Rs.35
サモサ Rs.8
アルー・ワダ Rs.6

列車の発着確認が終われば、次は腹ごしらえと食料調達である。
列車本数は少ないが、ちゃんと売店があるところが偉い。
インド、ブジ駅の売店私は昨日のポップコーンがまだ残っているので飲み物だけ買った。
サムズアップは今飲んで、水は列車に持ち込む。
アル―・ワダとはジャガイモの入った揚げパンのようなもので、ビニール袋に入れられたカレー汁に浸けて食べる。
それにしてもベンチまでステンレス製できれいである。
インド、ブジ駅の売店で買った食料とにかく発着本数が少ない上に終着&始発駅であるからして、すべての列車は1番線、つまりは駅舎を出たすぐのホームから出る。
乗車予定の列車はすでに入線していたが、エアコン付の車両はあまり早く乗り込むのは考え物である。
なぜならまだ冷房が効いておらず、窓も開かないので暑くて仕方ないのである。
インドの寝台列車今回の旅は一か月前に急遽Y棒が参加することになり、切符の手配などをすべてやり直すことになったのだが、この列車では席が離れてしまった。
一人は向かい合わせの四人用席の上段ベッドである。
インドの寝台列車そしてもう一人は通路を挟んだ二人用席の上段ベッドとなる。
二人掛けの席は自分の空間だけをカーテンで仕切れるので、誰にも邪魔されたくない時などは実にいい席である。
長旅で疲れていた私は、本来Y棒の名前となっていた二人用の上段ベッドをさっさと押さえ、これから始まる長い列車旅を少しでも快適に過ごそうと目論んだ。
インドの寝台列車

定刻出発 12:25

さすが始発駅、列車は定刻通りにゆっくりと走り出した。
ホームでは見送りに来た人たちが、まるで映画の一シーンのように手を振っているが、それはあたかも私に向かって振られてるように見える。いや、実際私に向かって振っているのではないだろうか。まあスモークフィルムが貼られた窓なので、あちらからは中がよく見えず適当に振っているという可能性もあるが。

とにかく私は、ポップコーンをつまむ手をしばし休め、指先の塩をパラパラと落とすと、万感の思いで手を振りかえしたのであった。

さようなら、みんな

さようなら、ブジ

そしてさようなら、グジャラート

インド、ブジ駅で見送る人たち

**********************************

これにて2013年11月に行ったグジャラートの旅・実録編はおしまいです。
今回もまた長期間にわたりだらだらとやってしまいましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

なお、お話は列車がブジを出たところでおしまいとなりましたが、実際の旅はそれから26時間列車に乗り続けるというものでした。

列車に乗り込むや素早くY棒のベッドを横取りした私でしたが、出発してしばらくして乗り込んで来た周囲の乗客たちが、まだ明るいというのにどんどんカーテンを閉めて寝てしまったため、窓もない二人用上段ベッドに押し込まれる形となり、外の景色も見えず、従って時の流れもよく把握できぬまま、長い長い一夜を過ごさねばなりませんでした。

そんな私の頼りは、愛用のウォークマンに入れた膨大な量の昭和歌謡の名曲たちでしたが、さすがのソニー・ウォークマンも26時間もの再生には耐えられず、翌日の午前中、キャンディーズの危ない土曜日を歌い終えることなく、私を置き去りにして静かに深い眠りに就いたのでありました。

ああ、26時間とはかくも長きものかな・・・

ということで、次回からはまたインド関連の小ネタになります。
そしてその次回は、切りの良いところで7月1日の予定となります。

では、また!

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インドの伝統工芸細密画

インド・グジャラートの旅:実録編・第81回:ブジ

この記事は2013年に相棒Y君(略してY棒)とインドのグジャラート州を旅した時のメモを元に各種解説を加えたものです。実際のメモ帳には文章が言葉足らずになっていたり、本来漢字で書き表すべきところをひらがなで書いていたりするところもありますが、それはあくまでも現場で書いて行く「メモ」という特性上仕方のないことであり、ここに転載するにあたっては最少範囲内で体裁を繕っております。だからもし「あっ、この人絶対この漢字書けてないよね」などと気が付いても、ぜひ黙って優しく見守って欲しいとお願いする次第なのであります。尚、登場人物の氏名に関しては原則としてイニシャル表記(一部インド人や日本人以外の外国人を除く)とし、人物の風貌や雰囲気を表現する言葉は、万が一本人が読んでもたぶん気にしないであろうと思われる場合のみ原文を採用しております。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月24日(日)ブジ 晴

カッチ博物館へ
入場料 Rs.50 カメラ Rs.100

展示品は古代の出土品、布製品、コイン、武器、村の暮らしなど。

30分ほどで見終わる。

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月24日(日)ブジ 晴

カッチ博物館へ
入場料 Rs.50 カメラ Rs.100

二度にわたり休館日で阻まれたカッチ博物館への入館だが、ついにブジを発つその日に入ることができた。
インド、ブジのカッチ博物館

展示品は古代の出土品、

ただしあまり時間がないので、まずは早足で全部を見て回り、残った時間で「これは」と思う展示物をじっくり見ることにした。
なのでこうした説明板を読まないとよくわからないようなものは最後までわからずじまいなのである。
インド、ブジのカッチ博物館

布製品、

布製品は今でもカッチ地方の女性の手仕事として重要な位置を占めている。
この展示物は古い刺繍の布だが、他にも染物やミラーワークなど色々な布が展示されている。
インド、ブジのカッチ博物館

コイン、

古いコインのコレクションがあった。
かつての藩王国で発行されていたものなので、コインは王様の在位と深く関係している。
通貨単位は「Kori」と言い、なんとインド独立の1949年まで藩王国内で流通していたということである。
インド、ブジのカッチ博物館そんな中に「近隣諸国のコイン」というコーナーがあり、わがニッポンのコインも収蔵されていた。
インド、ブジのカッチ博物館ところが、そのコインというのが十銭銅貨というのはいかがなものであろうか。
いったいいつの時代に収蔵したのだろうか。
インド、ブジのカッチ博物館

武器、

インドの博物館、特にマハラジャ関連の博物館には必ずといっていいほど武器のコレクションの展示がある。
しかし私はあまりこういうものが好きではない。どうしてもやられる方の身で見てしまうのである。
なのであまりの恐ろしさに写真もぶれてしまった。
インド、ブジのカッチ博物館こうした武器コレクションの中でも、特に嫌いな武器は腹に突き刺す短剣である。
この写真のものなどは刃が二本になっていて、腹に突き刺した後に回転させたら、それはもうハラワタがねじれるほど可笑しい、いや、痛いに違いない。
さらに残酷なものでは、腹に突き刺した後レバーを握ると、二つの刃が外側に開くというものがある。
いったいどんなやつが考えたのであろうか。相当な変態野郎に違いない。
インド、ブジのカッチ博物館

村の暮らしなど。

こういう展示物は好きだなあ。なんせわかりやすい。
ただひとつ注文をつけるとしたら、背景の写真は風景だけにして欲しい。
写真に写ったおっさんと人形のおっさんがそっくり同じなので、「ははあ、この写真のおっさんが人形のモデルなんだな」と余計な事を考えてしまい、肝心の村の生活ぶりの方に思いが至らなくて困る。
インド、ブジのカッチ博物館

30分ほどで見終わる。

カッチ博物館は、駆け足で見て回った後もう一度見たい展示物の所に戻ってじっくり見学しても、30分ほどで見終わってしまう規模であった。

最後に外に展示されていた大砲を見た。
インド、ブジのカッチ博物館以前別のところでも書いたが、私が子どもの頃「インドの大砲」という遊びがあった。通称「ドンケツゲーム」というもので、二人が背中合わせに立ち、合図に合わせて尻を付き出し相手をよろけさせるというあれである。
で、その合図が「インドの大砲、どっか~ん!」なのであった。
その号令がいつ頃から始まったのかは知らないが、とにかく大砲の所有者は他のどの国でもなく、インドなのである。
もしかしたらあの十銭銅貨と引き換えに、インド人から教えてもらった遊びなのかもしれない。
そんな風に考えると、実にロマンを感じるじゃないか。インド、ブジのカッチ博物館

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インドのマフラー

インド・グジャラートの旅:実録編・第80回:ブジ

この記事は2013年に相棒Y君(略してY棒)とインドのグジャラート州を旅した時のメモを元に各種解説を加えたものです。実際のメモ帳には文章が言葉足らずになっていたり、本来漢字で書き表すべきところをひらがなで書いていたりするところもありますが、それはあくまでも現場で書いて行く「メモ」という特性上仕方のないことであり、ここに転載するにあたっては最少範囲内で体裁を繕っております。だからもし「あっ、この人絶対この漢字書けてないよね」などと気が付いても、ぜひ黙って優しく見守って欲しいとお願いする次第なのであります。尚、登場人物の氏名に関しては原則としてイニシャル表記(一部インド人や日本人以外の外国人を除く)とし、人物の風貌や雰囲気を表現する言葉は、万が一本人が読んでもたぶん気にしないであろうと思われる場合のみ原文を採用しております。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月24日(日)ブジ 晴 

6時に起き出し、7時過ぎに朝食を取りに下に行く。
まだ誰もいない。

昨夜はインド人グループ(家族、親せき)が到着したようで、夜遅くまで騒がしかった。

朝食はいつもと同じ、チャイ、バタージャムトースト、マサラオムレツ Rs.60

9時になったので荷造りする。

9時45分 外出

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月24日(日)ブジ 晴

6時に起き出し、7時過ぎに朝食を取りに下に行く。
まだ誰もいない。

人がいない分インコなどの鳥がたくさん来ている。
インド、ブジの朝

昨夜はインド人グループ(家族、親せき)が到着したようで、夜遅くまで騒がしかった。

こうしたゲストハウスは「バックパッカーが泊まるところ」と思ってしまいがちだが、この宿には普通のインド人旅行者も結構泊まるようである。
そういえば先日この場所でモルジブの土産布をくれたおっさんも、ムンバイからのビジネスマンであった。
インド、ブジのゲストハウスの朝

朝食はいつもと同じ、チャイ、バタージャムトースト、マサラオムレツ Rs.60

この朝食を食べるのもいよいよこれで最後である。
まあ別に名残惜しいという味ではないが。
インド、ブジのゲストハウスの朝食

9時になったので荷造りする。

この宿は24時間制のチェックイン/アウトシステムなので、私の場合夕方の4時くらいまでいられることになる。
しかし今日は12時25分発の列車に乗る予定になっているので、11時半頃には宿を出ようと思う。
同じ宿にしばらく居ると荷物がだらしなく広がってしまうので、荷造りに取り掛かるのは早目が良い。

9時45分 外出

そしてやることをやった上で、余った時間町をぶらつくのである。
まずは手始めに宿のすぐ近くのプラグ・マハルに行って見る。
ここは敷地内に入るのはタダなので、散歩がてらぶらつくにはうってつけの場所である。
インド、ブジのプラグ・マハル大震災で大きなダメージを被ったこのマハルであるが、近年観光に力を入れているグジャラートのことであるから、ここもきっと年々きれいに修復されていくのであろう。
楽しみだけど、そうなると入館料なども上がるんだろうなあ。
インド、ブジのプラグ・マハル

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動物の鈴・アニマルベル

インド・グジャラートの旅:実録編・第79回:ブジ

この記事は2013年に相棒Y君(略してY棒)とインドのグジャラート州を旅した時のメモを元に各種解説を加えたものです。実際のメモ帳には文章が言葉足らずになっていたり、本来漢字で書き表すべきところをひらがなで書いていたりするところもありますが、それはあくまでも現場で書いて行く「メモ」という特性上仕方のないことであり、ここに転載するにあたっては最少範囲内で体裁を繕っております。だからもし「あっ、この人絶対この漢字書けてないよね」などと気が付いても、ぜひ黙って優しく見守って欲しいとお願いする次第なのであります。尚、登場人物の氏名に関しては原則としてイニシャル表記(一部インド人や日本人以外の外国人を除く)とし、人物の風貌や雰囲気を表現する言葉は、万が一本人が読んでもたぶん気にしないであろうと思われる場合のみ原文を採用しております。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月23日(土)ブジ 晴 26℃くらい

一旦宿に帰り、再度外出しようとした時、「まさかな」と思いつつもフロントを覗くとそのまさかで、ランドリーに出したズボンがまだそのまま置いてあった。
従業員のおっさんは「明日の夜にはできる」と言うので、ふざけんな!!と部屋に持ち帰りすぐに洗い、ベランダに干した。
まったくいくらインドだからといっても、ランドリーに3日もかかるというのは言語道断である。

マハラジャレストランで食事。
先日と同じカレーとパン、パッパルに千切りキャベツの定食 Rs.60 水 Rs.15

宿の近くで見つけたポップコーンを買いたかったが、すでに昼休みに入っていて閉まっていた。

まだ2時半だったがシャワーに入りズボンまですべて洗濯する。
ベランダに干してしまえば早く乾くだろうが、万が一の紛失に備えて部屋に干す。

午後は部屋でゴロゴロする。
Y棒は一人で外出。
一旦ポップコーン(200gででかい)Rs.30を持って帰ってくれ、また出掛ける。

8時少し前にY棒が戻り、食事をしに一緒に出掛けるが、先日行ったノンベジレストランが見つからず、バナナ(Rs.30)と甘いお菓子(Rs.20)を買って帰る。

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月23日(土)ブジ 晴 26℃くらい

一旦宿に帰り、再度外出しようとした時、「まさかな」と思いつつもフロントを覗くとそのまさかで、ランドリーに出したズボンがまだそのまま置いてあった。
従業員のおっさんは「明日の夜にはできる」と言うので、ふざけんな!!と部屋に持ち帰りすぐに洗い、ベランダに干した。
まったくいくらインドだからといっても、ランドリーに3日もかかるというのは言語道断である。

昨夜の帰宿時にランドリーが出来ていなかった時も驚いたが、その時は「まあインドだから仕方ない」と自分を納得させ、翌日の仕上がりを疑うこともしなかったのだが、さすがに今日の午後の段階で何も手を付けていないのには驚いた。
なにしろ洗濯を頼んだのは木曜の朝なのである。で、その日の夜は「今日は洗濯は休みだ」と言われ、昨日の夜は「金曜日だから休みだ」と説明され、今日は「明日の夜にできる」とはいったいどうなっているのだろうか。
私もインドに携わって結構長いので、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなっているが、いまだにインド人の仕事の遅さが私の想像と我慢の限界を超えることがある。わざとこちらを怒らせようとやってるんじゃないかとさえ思う。

とにかく洗われぬまま放置されていたズボンを奪い取るようにして部屋に持ち帰り、すぐさま洗って屋上の物干し場に堂々と干してやった。
なにが洗濯禁止だ!ばーろー!

マハラジャレストランで食事。
先日と同じカレーとパン、パッパルに千切りキャベツの定食 Rs.60 水 Rs.15

初日にも行ったバススタンド近くの定食屋は「マハラジャ・レストラン」というたいそうな名であった。
でも食べるのは先日と同じカレーとパンの定食なのである。
インド、ブジでの昼食

宿の近くで見つけたポップコーンを買いたかったが、すでに昼休みに入っていて閉まっていた。

ブジの商店は一部の店を除いて午後の休みを取る。
宿の近くの商店街にポップコーンを売る店を見つけたが、残念なことにそこも昼休みに入ってしまっていて買えなかった。
インド、ブジの商店街

まだ2時半だったがシャワーに入りズボンまですべて洗濯する。
ベランダに干してしまえば早く乾くだろうが、万が一の紛失に備えて部屋に干す。

今回私はインドにズボンを二本しか持って来ていない。
そのうちの一本は約三日間の放置ののち、わたくし自らの手できれいに洗われ、今は屋上に干されている。
しかし貴重なもう一本のズボンを同じ場所に干してしまうというのは、大変危険な行為である。たとえば突風による飛び去り、ゲリラ豪雨による水濡れ、先ほど怒鳴りつけた従業員のおっさんによる報復攻撃とかを警戒する必要がある。
なのでここはリスク分散のため、少々乾きは悪くても一番安心な部屋に干すのである。

午後は部屋でゴロゴロする。
Y棒は一人で外出。
一旦ポップコーン(200gででかい)Rs.30を持って帰ってくれ、また出掛ける。

若きY棒はさすがに体力があるので、部屋でじっとなんかしていない。もっとも二人して狭い部屋にこもっている必要もないのである。

で、Y棒は一人外出して行ったのだが、すぐに大きなポップコーンの入った袋を抱えて戻って来た。私が欲しがっていたので買って来てくれたのだ。
なんでも200g入りの大袋だそうで、Y棒は手柄顔で「いくらだと思う?」と聞いて来た。
しかし私が「30ルピー」というドンピシャの答えを出してしまったので、いかにも残念そうな顔になっていた。
インド、ブジで買ったポップコーンお徳用

8時少し前にY棒が戻り、食事をしに一緒に出掛けるが、先日行ったノンベジレストランが見つからず、バナナ(Rs.30)と甘いお菓子(Rs.20)を買って帰る。

結局私はその後ずっと部屋でウダウダ過ごした。
その間やったまともな事と言えば、屋上に干したズボンを取り込みに行ったくらいである。
で、そのズボンなのだが、私が干しに行った時は屋上には洗濯物など一枚もなかった。なにしろこの三日間ずっとサボタージュをしているのだから当然である。
ところがそろそろ乾いた頃かと思い屋上に上がってみると、そこにはおびただしい数の洗濯物が干されているではないか。どうやらついに洗濯をする気になったようである。
でまあやる気になったことはもちろん喜ばしいことではあるのだけれど、なんで私のズボンに重なるように干すかなあ、まだ濡れた洗濯物をさあ。
お蔭で一部重なった部分が湿ったまま(というか、おそらく一度は乾いたのに隣の洗濯ものからもらい水をしたのだと思う)となり、結局そのズボンも部屋で干し直しとなった。これは報復攻撃と考えていいのだろうか。

暗くなってから帰宿したY棒を誘って、一昨日行ったノンベジレストランを目指すが、いくら探してもぜんぜん見つからない。この間はツアー参加者に連れて行ってもらったのである。
それらしき場所をかなりしつこく探し回った挙句、とうとうブジ最後の夜の豪華な晩餐をあきらめ、すっかり食べなれたバナナとお菓子の夕食となったのであった。
インド、夜のブジ

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木彫りのガネーシャ

インド・グジャラートの旅:実録編・第78回:ブジ

この記事は2013年に相棒Y君(略してY棒)とインドのグジャラート州を旅した時のメモを元に各種解説を加えたものです。実際のメモ帳には文章が言葉足らずになっていたり、本来漢字で書き表すべきところをひらがなで書いていたりするところもありますが、それはあくまでも現場で書いて行く「メモ」という特性上仕方のないことであり、ここに転載するにあたっては最少範囲内で体裁を繕っております。だからもし「あっ、この人絶対この漢字書けてないよね」などと気が付いても、ぜひ黙って優しく見守って欲しいとお願いする次第なのであります。尚、登場人物の氏名に関しては原則としてイニシャル表記(一部インド人や日本人以外の外国人を除く)とし、人物の風貌や雰囲気を表現する言葉は、万が一本人が読んでもたぶん気にしないであろうと思われる場合のみ原文を採用しております。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月23日(土)ブジ 晴 26℃くらい

ニューマーケットの辺りから細い路地の商店街を通り抜け、大通りまで出る。

大通りまで行き、車の修理屋でゴム玉ラッパがないか聞くが、無いとのこと。
裏通りへ行って見なと言うのでそちらへ行ってみたが、そもそも修理屋や部品屋がない。

帰路に就くが、チャイ屋に呼び止められ休憩。
少々腹具合が悪いので早く帰りたかったが仕方ない。

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月23日(土)ブジ 晴 26℃くらい

ニューマーケットの辺りから細い路地の商店街を通り抜け、大通りまで出る。

ブジの人口は15万人ほどとのことで、商店街はなかなか活気がある。
インド、ブジの商店街この道は鉄道駅方面にも通じていて、ブジとしては車の通りも多い方だが、それでもどことなくのんびりした感じである。
インド、ブジの大通り

大通りまで行き、車の修理屋でゴム玉ラッパがないか聞くが、無いとのこと。
裏通りへ行って見なと言うのでそちらへ行ってみたが、そもそも修理屋や部品屋がない。

大通りまで出て来たのには訳があり、オートリキシャに付いているゴム玉ラッパが欲しかったのである。
それも新品ではなく使い古した年季の入ったものが欲しく、車の修理屋に行けば不要になったラッパの5、6個は転がっているだろうと思っていたのだがそんなものはなかった。
店のおっさんは裏手に回れば修理屋があるみたいなことを言っていたので、その周辺を見て回ったが結局見つからなかった。
インド、ブジの修理屋

帰路に就くが、チャイ屋に呼び止められ休憩。

通行人を呼び込むのは商売の常とう手段ではあるが、このチャイ屋のおやじはあきらかに私に照準を絞って、すでに店の前を大きく通り過ぎていたというのに大声で呼びかけて来た。
インド、ブジのチャイ屋

少々腹具合が悪いので早く帰りたかったが仕方ない。

この時私は下っ腹がちくちく痛み始めていて、早いとこ宿に戻ってその原因を取り除こうと足早に歩いていたのだが、執拗なチャイ屋のおやじの呼び込みに「もしかしたらタダでチャイが飲めるかも」といやしい心を抱いて店に入ることにした。
ところがおやじはいざ私が椅子に腰かけると、あとは特に話し掛けるでもなく黙々とチャイを作り始めた。
どうやらおやじは外国人と話しがしたかった訳ではなく、ましてや外国からの賓客にご馳走をしようと思ったのではなく、ただ単にチャイを飲む客の一人として呼び込んだらしかった。
もちろん5ルピーではあったがチャイの代金もしっかり取られた。
で、払ったからにはゆっくりチャイを楽しもうと思うのだったが、いかんせん時折下っ腹を襲う痛みの周期が次第に短くなって来ており、そうそうゆっくりもしていられないのであった。
インド、ブジのチャイ屋

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インド先住民族の工芸品ドクラ

インド・グジャラートの旅:実録編・第77回:ブジ

この記事は2013年に相棒Y君(略してY棒)とインドのグジャラート州を旅した時のメモを元に各種解説を加えたものです。実際のメモ帳には文章が言葉足らずになっていたり、本来漢字で書き表すべきところをひらがなで書いていたりするところもありますが、それはあくまでも現場で書いて行く「メモ」という特性上仕方のないことであり、ここに転載するにあたっては最少範囲内で体裁を繕っております。だからもし「あっ、この人絶対この漢字書けてないよね」などと気が付いても、ぜひ黙って優しく見守って欲しいとお願いする次第なのであります。尚、登場人物の氏名に関しては原則としてイニシャル表記(一部インド人や日本人以外の外国人を除く)とし、人物の風貌や雰囲気を表現する言葉は、万が一本人が読んでもたぶん気にしないであろうと思われる場合のみ原文を採用しております。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月23日(土)ブジ 晴 26℃くらい 

マハルから湖に向かう。

湖近くの寺院で、中を見て行けと言うおじさんが現れ、自ら案内を始めた。
お蔭で寺院内部をいろいろ見ることができた。

バスターミナル方面へ歩く。
もしやと思って博物館へ行くが、やはり第四土曜は休館日であった。
あとは明日のチェックアウト前に駆け足で見に行くかどうかだ。

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月23日(土)ブジ 晴 26℃くらい

マハルから湖に向かう。

プラグ・マハルはハミルサール湖のすぐ近くに建っているので、湖畔まで歩いて5分とかからない。
インド、ブジのハミルサール湖

湖近くの寺院で、中を見て行けと言うおじさんが現れ、自ら案内を始めた。

インドの地方都市では親切な人に出会うことが多い。
これがデリーなどの大都市や有名観光地では、話し掛けられただけですぐに下心を疑ってしまう。
インド、ブジのおじさん

お蔭で寺院内部をいろいろ見ることができた。

寺院はごく小さなもので特別珍しいものがあるわけでもないのだが、普通の生活の中に息づいているという感じがなかなか良かった。

で、こちらが祭壇。
インド、ブジのヒンドゥー寺院そしてこちらがシヴァ・リンガで、敷いてあるラグの上に僧侶が座って祈りを捧げるのである。
インド、ブジのヒンドゥー寺院寺院のすぐ横には井戸があり、何人かの女性が水汲みをしていた。
そしておじさんはその中の一人を「妹だ」と紹介してくれた。
インド、ブジのヒンドゥー寺院の人たちさらにおじさんは寺院内にいた友人たちも紹介してくれた。
もっとも紹介されても特になにをどうするということもないのだが、なんだか遠く異国の地に知人ができたような気分になりちょっと嬉しい。
インド、ブジのヒンドゥー寺院の人たちおじさん、案内と紹介ありがとうございました。

バスターミナル方面へ歩く。
もしやと思って博物館へ行くが、やはり第四土曜は休館日であった。
あとは明日のチェックアウト前に駆け足で見に行くかどうかだ。

まったくタイミングが悪く、ブジに到着した翌日は水曜日でカッチ博物館は休館日、そしてこの日は第四土曜日でまたしても休館日であった。
確かにガイドブックにも「休館日:水曜、第二・第四土曜日、祝日」と書いてあるのだが、インドのことなのでもしかしたら開いているかもと思って覗いてみたのであった。

これからブジに行こうとする人には、まずアイーナ・マハルのインフォメーション・オフィスで情報をもらい、次にカッチ博物館で予習をしてから観光をすることをお奨めする次第である。

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インド・グジャラートの旅:実録編・第76回:ブジ

この記事は2013年に相棒Y君(略してY棒)とインドのグジャラート州を旅した時のメモを元に各種解説を加えたものです。実際のメモ帳には文章が言葉足らずになっていたり、本来漢字で書き表すべきところをひらがなで書いていたりするところもありますが、それはあくまでも現場で書いて行く「メモ」という特性上仕方のないことであり、ここに転載するにあたっては最少範囲内で体裁を繕っております。だからもし「あっ、この人絶対この漢字書けてないよね」などと気が付いても、ぜひ黙って優しく見守って欲しいとお願いする次第なのであります。尚、登場人物の氏名に関しては原則としてイニシャル表記(一部インド人や日本人以外の外国人を除く)とし、人物の風貌や雰囲気を表現する言葉は、万が一本人が読んでもたぶん気にしないであろうと思われる場合のみ原文を採用しております。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月23日(土)ブジ 晴 26℃くらい 

6時半頃目が覚める。
二日続きで帰宅(?)が遅かったため体がだるい。
腹の調子もあまり芳しくない。

7時過ぎに下に行き、チャイを飲む。

二階からハンガリー人男性が時刻を聞く。
昨日と全く同じ7時45分だった。

マハルの中にあるインフォメーションカウンターに行き、カッチに関する本(地図付)を買う。Rs.120
また絵ハガキがあるというので6枚買う。@Rs.10x6=Rs.60

カウンターにいたおじさん(おそらくガイドブックにも紹介されている人)があれこれ親切にカッチについて話してくれ、車の手配などもできると説明してくれる。
もうすでに行って来たとは言えず、もう2~3日いるので考えて来ると言っておく。

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月23日(土)ブジ 晴 26℃くらい

6時半頃目が覚める。
二日続きで帰宅(?)が遅かったため体がだるい。
腹の調子もあまり芳しくない。

中庭の夜更かし組には加わらず早く寝たのに疲れが取れない・・・歳のせいか。
お腹の調子もなんだか良くない・・・やはり夕べのバターミルク・・・いや、それを言っちゃあおしまいよ。
インド、ブジの夜明け

7時過ぎに下に行き、チャイを飲む。

明るくなるのを待って中庭に下りる。
従業員のおっさんは、仕事はのろいが朝はちゃんと早くから起きているので助かる。
インド、ブジのゲストハウスの朝

二階からハンガリー人男性が時刻を聞く。
昨日と全く同じ7時45分だった。

ふいに頭上から声が掛かり、ふり仰ぐとハンガリー人のおっさんだった。
まったく昨日の朝と同じ情景で時間もぴったり同じ。
なるほど、これなら彼には時計は必要ないかもしれない。
インド、ブジのゲストハウスの朝食

マハルの中にあるインフォメーションカウンターに行き、カッチに関する本(地図付)を買う。Rs.120
また絵ハガキがあるというので6枚買う。@Rs.10x6=Rs.60

「マハル」というのは先日行ったプラグ・マハルのこと。
実はその敷地内にはアイーナ・マハルというのもあり、ツーリスト・インフォメーション・オフィスはそのアイーナ・マハルの入り口付近にある。
私はもう明日ブジを発つので、いまさらカッチ案内の本を買ってもなあとも思ったが、帰国後旅の話を書く際の資料になるかと思い買うことにした。
しかし帰国後そんなことはすっかり忘れていて、今この記事を書いていて思い出し、引っ張り出して来てあらためて旅の思い出に浸っているのである。
インド、ブジのトラベルインフォメーションオフィス

カウンターにいたおじさん(おそらくガイドブックにも紹介されている人)があれこれ親切にカッチについて話してくれ、車の手配などもできると説明してくれる。
もうすでに行って来たとは言えず、もう2~3日いるので考えて来ると言っておく。

ガイドブックによると、このオフィスのおっさんは旅行会社を営んでいるとのことなので、そりゃまあ親切に教えてくれるわけである。
でも実際会って話を聞いたところではなかなか感じの良いおじさんだったので、初めてブジに行く人は、情報収集を兼ねてまず初めにこのオフィスに行ってみるのがいいかもしれない。

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木彫りのガネーシャ

インド・グジャラートの旅:実録編・第75回:ブジ

この記事は2013年に相棒Y君(略してY棒)とインドのグジャラート州を旅した時のメモを元に各種解説を加えたものです。実際のメモ帳には文章が言葉足らずになっていたり、本来漢字で書き表すべきところをひらがなで書いていたりするところもありますが、それはあくまでも現場で書いて行く「メモ」という特性上仕方のないことであり、ここに転載するにあたっては最少範囲内で体裁を繕っております。だからもし「あっ、この人絶対この漢字書けてないよね」などと気が付いても、ぜひ黙って優しく見守って欲しいとお願いする次第なのであります。尚、登場人物の氏名に関しては原則としてイニシャル表記(一部インド人や日本人以外の外国人を除く)とし、人物の風貌や雰囲気を表現する言葉は、万が一本人が読んでもたぶん気にしないであろうと思われる場合のみ原文を採用しております。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月22日(金)ブジ 晴

郊外にあるガイド氏の家は、大震災後3年間のシェルター暮らしののちに、政府の用意した土地を買い建てたものとのこと。
ホームステイも受け入れており、なかなかモダンな生活をしているように思う。

ご両親も奥さん(現在妊娠中で1月10日が予定日)もなかなかリベラルな感じで話が弾む。

食事は小麦粉で作ったパスタ様のものが入ったカレー(味はトマト系であまり辛くない)、ジャガイモのカレー(ドライタイプ)、チャパティ、雑穀米のリゾット風といったラインナップ。

昼食に続いてのインド家庭料理と体の疲れから少々警戒していたが、思いのほかおいしかった。特にジャガイモの味が昔ながらのクセのある味でとてもおいしく、リゾット風のやわらかいご飯も疲れた胃にやさしくとても良かった。

バターミルクは甘くなく、ほのかな酸味でこれまた思いのほかおいしく、口の中がサッパリして良かった。

9時頃車で送ってもらう。

ランドリーは金曜日で休み。明日の夕方に仕上がるとのこと。
そういう事は先に言って欲しいものである。

中庭では若者たち(一部年配者もいる様だが)が話に花を咲かせている。(現在22:46)

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月22日(金)ブジ 晴

郊外にあるガイド氏の家は、大震災後3年間のシェルター暮らしののちに、政府の用意した土地を買い建てたものとのこと。

昨日、今日とブジ郊外の村をいくつか見て回った際、ガイド氏から多くの家が2001年の大震災で壊れてしまい新しく建て直したものなのだと説明を受けていたのだが、ガイド氏自身もまた被災者だということに思いが至っていなかった。

ガイド氏宅は大邸宅ではないが、お世辞抜きでなかなか良い家に見えたのでそう言うと、彼は「It’s a long story.」という英会話の教材以外では初めて聞く言葉から、震災からの経緯を簡単に話してくれた。

ホームステイも受け入れており、なかなかモダンな生活をしているように思う。

外国人のホームステイも受け入れているとのことで、二階のゲストルームを見せてもらったが、全体的にピンクで統一されたかわいい部屋から察するに、おそらく女性のみ受け入れているのであろう。
インド、ブジのガイド氏宅

ご両親も奥さん(現在妊娠中で1月10日が予定日)もなかなかリベラルな感じで話が弾む。

奥さんはなかなか闊達によくしゃべる人で、私のインド人家族並びにその家の嫁というイメージがすっかり崩れ去った。
お蔭でわれわれ一行はすっかりくつろぐことができた。
インド、ブジのガイド氏宅

食事は小麦粉で作ったパスタ様のものが入ったカレー(味はトマト系であまり辛くない)、

白く見えるのがパスタのようなもの。
インド、ブジのガイド氏宅での食事

ジャガイモのカレー(ドライタイプ)、

これはインド版肉じゃがといったところだが、肉は入っていない。
インド、ブジのガイド氏宅での食事

チャパティ、

チャパティはナンのように発酵させず、また焼くのもフライパンであるが、一般の家には当然タンドール(窯)などないので、これが普通である。
インド、ブジのガイド氏宅での食事

雑穀米のリゾット風といったラインナップ。

日本人が来るからわざわざ作ったということではないのだろうが、これはなかなか日本人の口に合う料理だと思う。
インド、ブジのガイド氏宅での食事

昼食に続いてのインド家庭料理と体の疲れから少々警戒していたが、思いのほかおいしかった。特にジャガイモの味が昔ながらのクセのある味でとてもおいしく、リゾット風のやわらかいご飯も疲れた胃にやさしくとても良かった。

好きなものを好きなだけ注文できる食堂とは違い、家庭料理はこちらの口と胃を料理に合わせないといけないので、時として辛いこともある。
しかしガイド氏宅で供されたものは、こてこてのインド家庭料理ではなかったのでどれもおいしく頂けた。

バターミルクは甘くなく、ほのかな酸味でこれまた思いのほかおいしく、口の中がサッパリして良かった。

しかしそんな料理の中で唯一誰も手を出さないものがあった。
それがバターミルクである。
バターミルクは発酵乳であるが、おそらくとかくお腹を壊しがちな牛乳と水という組み合わせから、みな手が出なかったものと思われる。
インド、ブジのガイド氏宅での食事そしてほぼ食事が済んだ頃、ついに奥さんがそのことに触れた。「バターミルクは誰も飲まないの?」と・・・
私も普段から牛乳を飲むと下痢をする体質であり、ヨーグルト飲料であるラッシーなどでも、飲んだ後毎回下痢をしてしまうので、このバターミルクも避けていたのである。
しかし、先ほどまであれだけ朗らかに話をしていた奥さんから、ちょっと悲しそうな顔で「誰も飲まないの」なんて言われたら、そりゃあ「飲みます飲みます、もちろん飲みますよ。今からもらおうと思っていたところなんですよお、はっはっは!」などと言いながら飲むしかないのである。なんだか失礼な言い方かもしれないが、インド人と深く付き合うと、生水や得体の知れない飲み物なんかも、どうしても断れず飲み干さなきゃならないこともあるのである。

注:でもちょっと知り合っただけの人からのもらいものは、睡眠薬強盗などの可能性もあるので要注意である。

でも飲んでみたらなかなかおいしかった。
ただし飲み心地とお腹の調子はまた別物であるから、果たしてこの後どうなるかはわからないのである。

9時頃車で送ってもらう。

夕食時にお酒が出ないのは残念だが、その代り帰りも車で送ってもらえるので助かる。
インド、夜のブジ

ランドリーは金曜日で休み。明日の夕方に仕上がるとのこと。
そういう事は先に言って欲しいものである。

なんと昨日の朝出した洗濯物がいまだに手も付けられていなかった。
ランドリーのセームデイ・サービスというのはあるが、スリーデイズ・サービスなんて聞いた事がない。
こちらはいつ出発するかわからない旅人なんだぞ。

中庭では若者たち(一部年配者もいる様だが)が話に花を咲かせている。(現在22:46)

若いY棒は仲間に加わり楽しいひと時を過ごしているようであるが、私はもう限界である。
中庭に面したドアと窓を開け放ち、人々の話し声を子守唄代わりにして寝てしまうのである。

インド、夜のゲストハウス

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インドのショール

インド・グジャラートの旅:実録編・第74回:ブジ

この記事は2013年に相棒Y君(略してY棒)とインドのグジャラート州を旅した時のメモを元に各種解説を加えたものです。実際のメモ帳には文章が言葉足らずになっていたり、本来漢字で書き表すべきところをひらがなで書いていたりするところもありますが、それはあくまでも現場で書いて行く「メモ」という特性上仕方のないことであり、ここに転載するにあたっては最少範囲内で体裁を繕っております。だからもし「あっ、この人絶対この漢字書けてないよね」などと気が付いても、ぜひ黙って優しく見守って欲しいとお願いする次第なのであります。尚、登場人物の氏名に関しては原則としてイニシャル表記(一部インド人や日本人以外の外国人を除く)とし、人物の風貌や雰囲気を表現する言葉は、万が一本人が読んでもたぶん気にしないであろうと思われる場合のみ原文を採用しております。
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。

2013年11月22日(金)ブジ 晴

食後ダマルカへ
この街もアズラックを制作する人たちが多く住んでいる場所。

すでに時刻は5時近くになっていたので、もうそれ以上の見学はせずブジに戻ることにする。

夕食はガイド氏の家に招待されている。
ポーランド人女性が加わることになった。

〔以下メモに解説を加えて〕

2013年11月22日(金)ブジ 晴

食後ダマルカへ
この街もアズラックを制作する人たちが多く住んでいる場所。

実は午前中に行ったアジュラックプリは、このダマルカの染織工房が何軒か移り住んだ所なのである。
なんでもこの町の川の流れが変わってしまい、移転を余儀なくされたとか。
インド、ダマルカのアズラック工房ということで、ダマルカとアジュラックプリはいわば本家と分家の様な関係になるわけで、布の制作方法や工程はほとんど同じである。
インド、ダマルカのアズラック工房

すでに時刻は5時近くになっていたので、もうそれ以上の見学はせずブジに戻ることにする。

それでも工房ごとに独自のデザインや商品があるので、ここでもかなり時間を掛けてじっくり見学した。
昨日の浅く広くといった盛りだくさんの内容とは打って変わり、今日は狭く深くといったところなのである。
インド、ダマルカのアズラック工房からの帰り道

夕食はガイド氏の家に招待されている。
ポーランド人女性が加わることになった。

同行の日本人女性のうち一人は他に約束があるとのことで、彼女に替わって昨日のツアーで一緒だったポーランド人女性と再び合流し、われわれは一路ガイド氏宅へ向かったのであった。
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インドのマフラー