最果ての町ジャイサルメールの旅・目次

2010年にジャイサルメールとバルメールを旅した時のお話しです。

*これはブログ形式で書いた記事の目次です。

最果ての町ジャイサルメールの旅・その1
最果ての町ジャイサルメールの旅・その2
最果ての町ジャイサルメールの旅・その3
最果ての町ジャイサルメールの旅・その4
最果ての町ジャイサルメールの旅・その5
最果ての町ジャイサルメールの旅・その6
最果ての町ジャイサルメールの旅・その7
最果ての町ジャイサルメールの旅・その8
最果ての町ジャイサルメールの旅・その9
最果ての町ジャイサルメールの旅・その10
最果ての町ジャイサルメールの旅・その11
最果ての町ジャイサルメールの旅・その12
最果ての町ジャイサルメールの旅・その13
最果ての町ジャイサルメールの旅・その14
最果ての町ジャイサルメールの旅・その15
最果ての町ジャイサルメールの旅・その16
最果ての町ジャイサルメールの旅・その17
最果ての町ジャイサルメールの旅・その18
最果ての町ジャイサルメールの旅・その19
最果ての町ジャイサルメールの旅・その20
最果ての町ジャイサルメールの旅・その21
最果ての町ジャイサルメールの旅・その22
最果ての町ジャイサルメールの旅・その23
最果ての町ジャイサルメールの旅・その24
最果ての町ジャイサルメールの旅・その25
最果ての町ジャイサルメールの旅・その26
最果ての町ジャイサルメールの旅・その27
最果ての町ジャイサルメールの旅・その28
最果ての町ジャイサルメールの旅・その29
最果ての町ジャイサルメールの旅・その30
最果ての町ジャイサルメールの旅・その31
最果ての町ジャイサルメールの旅・その32
最果ての町ジャイサルメールの旅・その33
最果ての町ジャイサルメールの旅・その34
最果ての町ジャイサルメールの旅・その35
最果ての町ジャイサルメールの旅・その36
最果ての町ジャイサルメールの旅・その37
最果ての町ジャイサルメールの旅・その38
最果ての町ジャイサルメールの旅・その39
最果ての町ジャイサルメールの旅・その40
最果ての町ジャイサルメールの旅・その41
最果ての町ジャイサルメールの旅・その42
最果ての町ジャイサルメールの旅・その43
最果ての町ジャイサルメールの旅・その44
最果ての町ジャイサルメールの旅・その45
最果ての町ジャイサルメールの旅・その46
最果ての町ジャイサルメールの旅・その47
最果ての町ジャイサルメールの旅・その48
最果ての町ジャイサルメールの旅・その49
最果ての町ジャイサルメールの旅・その50
最果ての町ジャイサルメールの旅・その51
最果ての町ジャイサルメールの旅・その52

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インド:最果ての町ジャイサルメールの旅・その52

結局バルメールはあまり見どころのない街でした。
しかしそれでも自分たちだけで歩き回るよりずっと充実した一日を過ごせたのは、やはりガイドの案内あってこそのものです。

インド・バルメールの旅で、この男がそのガイドなのですが、彼はなぜか本名を明かさず自ら「ガイド」と名乗っていましたので、ここでもそのまま「ガイド」で通して来たわけです。

さてこのガイド氏、なかなか頭の回転が速く知識も豊富でした。
ただそれだけに自尊心が強く、うまくコントロールできないとちょっと面倒なことになる可能性もあります。
たとえば彼は私たちの昼食に当然のように同席して来ました。通常ガイドはこちらが誘わない限り同席することはありません。しかも彼は堂々と「ビールを飲みたい」と言ったのです。
そりゃあ私もビールは大好きです。ましてや気温も高く空気の乾いたバルメールでは、さぞかしビールはうまいことでしょう。しかし彼は今仕事中なのです。私だって飲んでしまっては午後からの見学が面倒になってしまいますのでここは我慢しているのです。それなのに客を前にしてビールが飲みたいなんて、いい気になるのもいい加減にして欲しいものです。私は彼を睨みつけながら「ノー!」と強く断りました。
さらに食事中に「タバコを吸ってもいいか?」と聞いて来たので、嫌煙家の私はそれも「ノー」とはねつけました。まあこれはちゃんとお伺いを立てて来たからいいのですが、どこぞへタバコを吸いに行って戻って来た彼は、あきらかに少し酔っていました。私は酒好きなのでそういうことは見逃しません。おそらく彼は見えない場所でビールを飲んで来たのでしょう。
次に彼は近くの席でわいわい楽しそうに飲食していた女子中学生らしきグループを一瞥し、「ああいう騒がしいのは嫌いなんだ。ちょっと行って黙らせて来る」と言い出しました。しかし私はそんなものまったく気になりません。そもそもそんなことされたらまるでこの外国人(私のことですね)がそうさせたと思われかねませんので、私はそれも強く押し留めました。

とまあ一癖も二癖もあるガイド氏でしたが、案内に関してはプロであったと言っていいでしょう。

すべての見学が終わり、バルメールの駅へオートリキシャを走らせながら、「本当はこの近くの村も案内したかったんだ。でももう時間がないから代わりにこの写真を持って行ってくれ」と、その村の様子を撮った写真の束を私にくれました。まったく油断も隙もない代わりに、気も良く利く男なのです。

列車はとても空いていました。おそらく一両に4,5人しか乗っていないのではないでしょうか。
バルメールからの列車は夜中にジョドプールに到着し、そこでジャイサルメールから来た列車に連結されるのですが、それまでこの列車はがらがらの状態で走って行くのでしょう。

そんな状態でしたから、物売りが一人もやって来ません。
私たちは列車の中で売りに来るお茶や弁当を当てにしていたので、食料なんて食べかけのビスケットと水くらいしか持っていないのです。
インド・バルメールの旅実はこの日は私の誕生日でした。しかも長い人生の中でも結構節目的な大台に乗る誕生日だったのです。そんな記念すべき夜が、こんなにわびしい状況になろうとは想像もしていませんでした。

薄汚れた車窓越しに砂漠に落ちる真っ赤な夕日を眺めながら、わずかな手持ちのビスケットを水で流し込み、ああ、こんなことなら昼飯の時にガイドと一緒にビールを飲んじゃえばよかったかなあ、なんてことを思いながら、一路デリーへと向かって行ったのでありました。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

といったところで一連の「ジャイサルメールの旅」はおしまいです。
でもってついでに今年のブログアップもこれにておしまいです。

また新しい年にお目に掛かりましょう!
それではちょっと早いですが、よいお年を!

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インドのおもちゃ

インド:最果ての町ジャイサルメールの旅・その51

城の一番奥は城主の部屋でした。

インド・バルメールの旅部屋の前にはインド人の大好きなブランコ式の椅子やテーブルセットが置かれていましたが、部屋の中はお世辞にも豪華とは言えないもので、見晴らしこそいいものの、質素な生活ぶりが窺えるこぢんまりとしたものでした。
私はそんな部屋に、しかも主の留守に入り込んでじろじろ見てしまうことが、なんだかとても悪いことのように思えてしまい、すぐに外に出て来てしまいました。

部屋の外に出ると、この城を守っている人(今は従業員って言うのでしょうか、少なくとも家来じゃないでしょうしねえ)が私たちにコーヒーを出してくれました。見学料などなにも払っていないので誠に持って恐縮なのではありますが、ご厚意に甘えて見晴らしのいいテラスで戴くことにしました。

インド・バルメールの旅とにかくガイドはなんとかバルメールの観光産業を活性化させようと躍起になっていて、おそらくそのために私たちにもこうしてできる限りのサービスをしてくれているのだと思うのですが、いかんせんその目玉になりそうなこの城がこんな状態では、その道はなかなか険しいことでしょう。
私もかつて地域起こしの一環で、地元の道祖神を調べたり地域の古老から昔話を聞いたりして、それらを合わせることでなんとか魅力のある散策コースを作ろうとしたことがありますが、その時に地味なものばかりではなかなかそれは難しいのだということを実感しました。
しかしその一方で、地域の特性をうまく生かしたり、新たなものを創り出すことで成功を収めた町があるのも事実です。

はたしてこのバルメールという街は、今後ガイドの思い描くような観光の街として発展するのだろうかと、コーヒーをすすりながら自分なりにあれこれ考えてみたのでありました。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

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インドのマフラー

インド:最果ての町ジャイサルメールの旅・その50

腐っても鯛、廃れてもお城、というわけで、入り口の門はなかなか大きく立派でちょっと威圧的でもありました。
インド・バルメールの旅しかし壁の白い塗装がいかにも間に合わせの素人仕事といった感じで、下手に手を入れたことが返って没落気味を浮き彫りにしてしまっているかのような印象でした。

いくら観光客の少ないバルメールでも、何度もこの城へ客を案内したであろうガイドは、勝手知ったるといった風に城の中に向かって声を掛けました。おそらく「客人を連れて来たぞぉ~!入ってもいいかぁ~!」みたいなことを言ったのでしょう。
すると門の上あたりの出窓に年配の女性がちらっと姿を見せ、なにやら返事を返して来ました。

ガイドの話では、この城の主は今ジャイプールへ行っていて不在だが、中を見ることは可能だとのことでした。

門を入るとそこは中庭になっていましたが、外観と同様に内部もくたびれ果てた様子がありありと伺え、いったいここで何を見たらいいのかがわかりません。
しかしそういう時のためのガイドなわけです。

インド・バルメールの旅するとガイドは私たちを庭の隅の納屋に連れて行き、天井を指差し「この梁は石製でしょうか?それとも木製でしょうか?」と聞いて来ました。このガイドは、観光客がより興味深く見学できるようクイズも用意していたようです。なかなか感心です。
私はほぼ迷わず「木製」と答えました。するとガイドはちょっとがっかりしたように「そうです・・・」と言うと、そこで会話が途切れてしまいました。どうやらガイドは「石製」という答えを期待していたようなのです。でもどう見たって木だしなあ~。だけどもしかしたら砂漠地帯のこの街では、こういう太い木というものが珍しいのかもね。でも日本人には木以外の何物にも思えないしなあ~

とにかくこの城は規模も小さく、また元々の造りも豪華絢爛というほどでもなく、加えて維持管理が悪いとあって、わざわざ来て見るほどのものではないようです。
いわばジャイサルメールの城塞やハーヴェリーが、最盛期の光を失ってもなお鈍く光り続けるいぶし銀だとしたら、この城は完全に真っ黒になってしまい、銀であるということすら気づかれない状態と言えるかもしれません。

それでもガイドは少し自慢げに、さらに城の奥へと私たちを案内するのでありました。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

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インド:最果ての町ジャイサルメールの旅・その49

バルメールの観光開発に余念のないガイドが、バルメール観光の総仕上げにして最大の目玉と位置付けているのは「バルメール城」のようでした。

インド・バルメールの旅バルメール城は街の南側の小高い丘に築かれています。
城へ続く道は狭く急なため、私たちはふもとでオートリキシャを降り、徒歩でつづら折りの道をえっちらおっちら登らなければなりませんでした。

しかしまあ、いくら観光客の少ない街とは言っても、最大の観光スポットである城への道がこんなに閑散としていていいのでしょうか。それに車をふもとで乗り捨てなければならないというのもいかがなものでしょうか。

すでに時刻は午後4時になろうとしており、太陽は若干西へ傾いたとはいえまだまだ日差しは強く、私たちはふうふう言いながら細い坂道を上り続けました。

インド・バルメールの旅そしてようやく城の一角に近づき、一息ついてその建物を仰ぎ見れば、なんとまあずいぶんくたびれたお姿じゃあありませんか。
ジャイサルメールで見たハーヴェリーの中にも、きちんとした修復保存が行われていないものがありましたが、それとは比較にならないほどの荒れ模様で、これはちょっとなあ・・・といった感じです。

はたしてこんな城に見るものなんかあるのだろうかと、いまさらながら心配になって来てしまった私なのでありました。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

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シンプルデザインの真鍮製シンギングボウル

インド:最果ての町ジャイサルメールの旅・その48

当たり前のことですが、やはり観光客の少ない街は見どころもあまりないということです。ガイドブックだって紹介すべきものがなければ自然記述も少なくなり、それじゃ一般の観光客が来るわけがないのです。
でもそれは、普段見落としているものを再発見して掘り起こしたり、その見せ方を工夫したり、はたまた新しく何かを作り出すことで改善されることも多いのです。

今回雇ったガイドはその中の「掘り起し」に熱心でした。彼だって観光客が増えれば仕事が増えることになりますので、普段から真剣にそのことを考えているようです。

たとえばこれです。

インド・バルメールの旅これはとある民家の庭先に朽ち果てかけて放置されているジープなのですが、彼はこいつを「バルメールで一番最初のジープだ」として、なんとか観光ポイントのひとつにしたいらしいのです。

しかしこの状態じゃあねえ・・・
せめて上に載ってるものをどかして、ホコリを落とすくらいのことをしなくちゃねえ。
でもってそれからようやく見せ方の工夫ということになるのでしょうねえ。
まあこの段階では、バルメールに来た観光客がはたしてジープなんか見たいのだろうか?なんていう否定的なことは言いませんけど。

インド・バルメールの旅それからここは印パ分離独立の時に、パキスタン側から移り住んで来た家族の家です。ここではこの家族がパキスタンから持って来たという布を見せられました。
布は白い綿の生地に色とりどりの糸で花や鳥の刺繍が施されているもので、できればこれを買ってもらえないかと言うのです。

まあ刺繍は丁寧で色遣いやデザインもかわいいのですが、古いものだけに生地のあちこちに染みがついていたりして、その道の愛好家ならいざ知らず、ちょっと私は食指が動きませんでした。それに値段も私の予想を超えていましたし。

とまあ、そんな風にガイドはバルメールの「小さな見どころ」をいくつか案内しては、その都度私たちの反応を窺ったり意見を求めたりして、なんとかこの街でも観光業が成り立つようにしたいと意気込んでいたのでありました。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

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インド:最果ての町ジャイサルメールの旅・その47

オートリキシャとガイドを雇い、いざ行かん!バルメール観光へ!

インド・バルメールの旅と勇んで出発したのですが、オートリキシャはちょっと走るとすぐ止まり、ガイドは私たちを引き連れて小さなお寺に入って行きました。

ガイドの説明では、このお寺はシヴァ神を祀ってあるとても古いお寺なんだそうです。でもはっきり言ってお寺というより祠といったような規模のものであり、いったいこの小さなお寺のどのあたりに注目して見学すればいいのかよくわからないのでした。

それよりお寺を出たところにあった変なおっさんの像の方が印象的でした。
おっさんの像はターバンを巻いているものの、どうも服は着ていないようで、そんな姿で地面にどっかと座り込んでいます。
インド・バルメールの旅
ガイドの説明によると、ホーリー(色水を掛け合うお祭り)の時にはこの像の股ぐらに棒を置き、そいつを後ろから紐で操って屹立させ、通りかかった婦女子を驚かせるとのことなのです。そしてそんな悪ふざけをした挙句(祭りの最後)に、このおっさんは鼻を叩き壊されてしまうそうなのです。
なんともまあ変態丸出しのおっさんなのですが、なんとこのおっさんは「イロジー」と呼ばれているのだそうで、変なところで人は言葉の壁を越えて理解し合えることもあるのだなあと感心してしまいました。

ちょうどこの時はホーリーをちょっと前に終えたところでしたので、おっさんの像は見事にその鼻を打ち砕かれており、色水攻撃によってすっかりピンクに染まった裸体を大衆に晒し、まさしくエロじじいの面目躍如といった感じで鎮座ましましていたのであります。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

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インドの伝統工芸細密画

インド:最果ての町ジャイサルメールの旅・その46

天下の分厚いガイドブック「ロンリープラネット」にも大した情報のないバルメールですから、初めて来た私になにがわかるはずもなく、初日はただいたずらにあちこちうろうろしただけで終わってしまいました。

そして2日目、この日は夕方の列車に乗る予定ですので、とにかく早いとこ当たりを付けて見るべきところを見なきゃいけないのです。せっかく来たのですから。

で、ホテルのフロントで車をチャーターできないか聞いてみました。

インド・バルメールの旅するとフロントのおっさんは、「車は大丈夫。それよりガイドの手配もするか?」と聞いて来たので私はとても驚きました。なにしろ観光客なんてめったに来ない街ですから、まさかガイドがいるとは思ってもいなかったのです。

フロントのおっさんがどこぞに電話を掛けると、すぐにガイドはやって来ました。よほど仕事に飢えているのかもしれません。
するとガイド本人も「朝飯の前だったんだけど、女房が『あんた!すぐに行きなさい!』と言うから飛んで来たんだ」と、ずいぶん赤裸々に語っておりました。あはは。

ホテルが手配してくれた「車」はオートリキシャでした。
料金は一日(夕方まで)チャーターして500ルピー(約1000円)、そしてそれとは別に燃料代を負担ということで、まず手始めにガソリンスタンドへ行きました。

インド・バルメールの旅ガソリンは5リットルで192ルピー(約384円)でした。つまりリッターあたり39ルピー(78円)ということで、日本との物価の違いを考えるとインドのガソリンはなかなか高価なのです。

さあ、給油も済んだしガイドもいるし、これからいよいよバルメールの観光の始まりです。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

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インド:最果ての町ジャイサルメールの旅・その45

バルメールのホテルの続きです。

インド・バルメールの旅夕食はホテルのルームサービスで済ますことにしました。インドは日本のホテルと違ってルームサービスの料金が安いので、外に出るのが面倒なときにはこれに限ります。

まずはビールを4本頼みました。実はこの部屋には冷蔵庫も付いていたので、一度に4本持って来てもらっても大丈夫なのです。これが冷蔵庫のない部屋の場合は、次のビールを注文するタイミングがとても難しいのです。早すぎると温まってしまいますし、遅すぎるとビール切れの発作で怒り狂ってしまうからです。

これがルームサービスを運んで来たボーイなのですが、外国人がすごく珍しくてもっと見ていたかったのか、なかなか立ち去ろうとしません。
インド・バルメールの旅そこでカメラを渡し、楽しい晩酌のひと時を写真に撮ってもらったのですが、今度は自分を撮ってくれとお願いして来ました。といっても彼は英語をまったく理解しないので、すべて現地語と身振り手振りでの会話です。

で、撮ってやったわけですが、なぜかビールの入ったコップを持った姿を撮ってくれというので、こんな写真になったというわけなのであります。

大人の雰囲気を味わいたかったのかな。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

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インドのショール

インド:最果ての町ジャイサルメールの旅・その44

バルメールでの宿探しはちょっと苦労しました。なにしろ連続して二軒に断られ、次に目指した一軒はすでに営業をやめていたのです。

インド・バルメールの旅そもそも外国人観光客などまずやって来ない街で、あの分厚いロンリー・プラネットもバルメールの記述には4分の1ページくらいしか割いていないのです。しかもその本でさえ、あまりの分厚さにラジャスタンの項目はばっさり破って日本に置いて来てしまっておりましたので、ホテルの情報なんてなんにもないのです。

でまあ四軒目にしてようやくまともに相手をしてくれたのが、この「カイラッシュ・サロワール・ホテル(KAILASH SAROWER HOTEL)」でした。場所は駅を背にしてメインストリートを真っ直ぐ行った右側です。まあ当たってみた他のホテルも全部その道沿いなのですが。

インド・バルメールの旅ただこのホテルも手ごろな価格の部屋がなく、デラックスA/C(エアコン付)というなんだかやたらと無駄に広い部屋になってしまいました。これで一泊一部屋1,670ルピー(約3,340円)です。

エアコンは最新式が付いていて、部屋も一応きれいにはしてありましたが、ソファーを始めとした家具調度品は古びたものでした。
また二つある窓のうち、右側の窓には新聞紙が貼られていてその分薄暗いのです。

でもまあなんとか今夜の宿にあり付けましたので、特に文句はないのであります。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

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インドのマフラー