2016年グジャラート再訪・第15回 / ウナからディウへ

ウナのバススタンドは改修中だった。

しかしどこにも工事車両や作業員の姿が見えない。もしかしたらまだディワリ休暇なのだろうか。
ディワリというのはインドの新年を祝うお祭り、つまりお正月ということで、インドの数あるお祭りの中でも最大のものである。
しかしそのディワリからそろそろ一週間になろうとしている。もっとも今日は土曜日なので、ことによると明日の日曜日まで休む人も多いのかもしれない。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

ウナのバススタンドは瓦礫の山だった。

とにかくディウ行のバスの時刻を調べなければならない。
遠くに人だかりのする小屋が見えたので、おそらく案内所だろうと思って行ってみるとやはりそうだった。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

案内所も掘立小屋のようなところである。ちなみに野豚の後ろに見えるわやわやは、コンクリートから取り出した鉄筋の山である。

ディウ行のバスは1時30分発とのことで、あと5分もない。なんというタイミングの良さだろうか。やはりここからディウへはバスが頻繁に出ているのだろう。

それにしてもこのバススタンドの現状はひどい。
まだ古い建物は壊している最中で、あちこちに瓦礫の山が築かれており、しかもあろうことかそれがバスの出入り口を狭めてしまっている。結構広い敷地なのだから、もう少し置き場所を考えたらよさそうなものだと思う。
また新しい発着所の建物も建設途上で使えず、バス待ちの人たちはバスが土ぼこりを舞い上げて行き来する狭い場所に居るしかない。せめてもの救いは、大きなひさしが日陰を作ってくれていることである。
まったく壊すか造るかどちらか一方を片付けてから次に進めばいいのに。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

そもそもバスの出入り口からして瓦礫で狭くなってしまっている。

ディウ行のバスがすぐ出るということはわかったが、それがどのバスなのだかわからない。字が読めない上に、ここには正式なバス乗り場もないので余計わからない。他の人たちはバスが来ると、それぞれバスに駆け寄り乗り込んで行く。私もその都度彼らの後を追い「これはディウ行か」と尋ねるのだが、答えはすべて「ノー」だった。

そこでまた親切そうなおじさんを探す。
まあ別におじさんでなくてもいいのだが、女性にはちょっと話しかけられないし、若い人より歳を経た人の方が総じて物をよく知っているので、自然おじさん頼りになるのだ。

ここにもそんな頼りがいのあるおじさんがいた。
そのおじさんもバーヴナガルのおじさん同様とても親身になってくれ、周りの人や停車中のバス、さらには先ほどの案内所にも行って情報を聞き集めてくれた。
それによると、ディウ行のバスは他の街から来るもので、到着が少し遅れているとのことである。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

ここでも親切なおじさんの登場で大いに助かった。

とにかくここで待っていればバスは必ず来ると言われ、静かに待つ。

しかしこれがなかなか来ない。
おじさんもどこかに行くためにこのバススタンドに来たのであろうが、私と並んでじっと待つ。
その間何台ものバスが来ては乗客を降ろし、そしてまた乗せて走り去って行く。時間がゆるやかに、しかし確実に過ぎて行く。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

ちゃんとした乗り場も待合所もなにひとつない場所で、ひたすらバスを待つ。

結局バスが来たのは3時を少し過ぎた頃だった。1時間半以上ここで待っていたことになる。
しかしおじさんも私に付き合ってずっと待っていてくれたので、何の心配もせず待つことができた。本当にありがたいことである。
それにしても、その間別のディウ行のバスが一台も来なかったということは、ウナとディウを結ぶバスの便はそれほど多くないということなのだろうか。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

おじさんはバスまでエスコートしてくれた。

おじさんも同じバスに乗り込んで来た。なんでも自分の家がその途中にあるのだという。
とはいえ、おそらく家に帰るバスはなにもディウ行でなくても良かったのだろう。いくらインドでも、日常使うバスをこれほど長時間待つはずがない。
だからやはりこれはおじさんの親切以外に他ならないのだ。

おじさんは若い頃ディウで働いていたとのこと。とてもいい所だと言う。
そして宿が決まっていなければここに行きなさいと、おすすめのゲストハウスまで教えてくれた。

インド・ウナ発ディウ行のバス

おじさんはディウでの宿まで教えてくれた。大変お世話になりました。

おじさんは木のたくさん生い茂る沿道でバスを降りた。降り際、ほんのお礼のつもりでメモ帳にはさんで使っていたシートレンズのしおりをあげると、ことのほか喜んでくれた。

やがてバスは長い橋を渡り始めた。
ディウはカーティヤーワール半島の最南端にある島で、連邦直轄地となっていてグジャラート州には属さない。しかしグジャラート州とは二本の橋でつながれていて、まさしく一衣帯水の関係にある。

インド・ディウに渡る橋

この海に架かる橋を渡るともうそこはグジャラート州ではない。

15時45分、ディウのバススタンドに到着。
バーヴナガルのバススタンドから出発してから実に8時間と15分、当初の予定より大幅に時間がかかってしまったが、それでも無事にディウまで来られた。
そしてそれも親切なインド人の助けがあったればこそと、あらためて心より感謝申し上げる次第である。本当に本当にありがとうございました。

インド・ディウのバススタンド

結局一日中移動に費やしてしまった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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壊す人が悪いのか、壊れる物が悪いのか・インドのバスの設備

グジャラート州で利用した路線バスのシートに穴が開いていた。

その穴はシートの背面、つまり自分が座っている目の前の軟質プラスチックカバーに開いたもので、横一文字にスリット状になっていた。

インド・路線バスの設備

背もたれに開けられた謎のポケット

初めは、乗客の膝に押されてプラスチックが裂けたのだろうと思った。なにしろ路線バスのシート間隔は狭いので、足を組むと膝が前の背もたれに当たるのである。
しかしよく見ると隣のシートの同じ位置にも裂け目がある。みんなして右ひざを上げる姿勢でぐいぐい押したのであろうか。

そこで周りを見渡してみた。
そしたら隣のシートはほぼ原形をとどめていた。

インド・路線バスの設備

これが現役として使われたのはどれくらいの期間なのだろうか。

なるほど、これはもともとボトルホルダーだったのだな。ボトルの底を支える突起部分が取れて穴が開いたというわけなのだ。
今ではボトルの胴体を保持する紐も悲惨な状態になっているが、乗客サービスのひとつとして設置されたのであろう。

しかし普通にペットボトルを置いただけで壊れるとは思えない。
もしかしたらこれは、乗客たちが足を乗せて壊したのではないだろうか。
インド人はバスなどのシートに座る時にも、片足だけ膝を抱えるように折り曲げて座ったりすることがあるので、ここに足を掛けたとしてもなんら不思議ではない。私ももう少し体が柔らかかったらやりそうである。

ということで、これは壊れるような物を作った方が悪いのだと思う。
なにしろ同じような壊れ方をしているものが多数あるのだ。それは設計者の意図を逸脱した使い方をする乗客が多いということで、それはそのまま乗客の行動パターンを理解せずに設計してしまったということに他ならないのである。

つまり、次はもっと頑丈なボトルホルダーを・・・ではなく、フットレストこそ作るべきであろうと思うのである。

2016年グジャラート再訪・第14回 / バーヴナガルからウナへ

5時半起床で7時にホテルをチェックアウトし、昨日降りたバススタンドに向かう。
下痢はまだ続いており、食事は夕べと今朝バナナを一本ずつ食べただけである。

インド・バーヴナガルのバススタンド

バススタンドは朝からたくさんの人が出入りする。

今日の最終目的地はディウ(DIU)という街だが、まずはディウの手前の街ウナ(UNA)行のバスに乗る。

実はバーヴナガルからディウまで行くバスもあるのだが、調べたところでは6時発と10時半発ということだった。わがままを言うわけではないが、それでは帯に短しタスキに長しなのだ。6時発は出発にちょっと早過ぎ、10時半発では到着にちょっと遅すぎる。この時間に来るにも5時半起きなのである。それが6時のバスだと4時半に起きなきゃならない。また到着が遅くなると、あちらでの宿探しに難儀する可能性がある。
なので7時半発のウナ行に乗り、ウナでディウ行のバスに乗り換えようというのである。
なにしろウナとディウは15kmほどしか離れていない。そしてディウはリゾート施設もある観光地で、ウナはその玄関口に当たり、そこからバスが頻繁に出ているはずなのだ。

インド・バーヴナガルのバススタンド

列車の駅ほどではないが、みんな早めに来てバスを待っているのだろう。

ということで行先は決まったが、こちらの文字がまったく読めないので、どのバスに乗ればよいのか皆目見当がつかない。
そこで困ったときの人頼み、近くにいたおじさんに尋ねてみた。

困った人を見るとほっとけないのがインド人の美徳、たとえ自分も知らなくても「心配するな」と請け負ってくれる。
私が訪ねたおじさんも、バスが入って来るたびわざわざバスのところに歩み寄り、行先表示を見てくれる。私が一緒に行こうとしても、いいからここで待ってろと制止して、自分一人でせっせと見に行く。

インド・バーヴナガルのバススタンドでバスを待つ。

おじさんはバスが入って来るたび、行先確認に行ってくれる。

そうこうするうち、ようやく目的のバスが入って来た。
おじさんはそれを確認し、あのバスだと教えてくれた。そして我がことのようにうれしそうな顔をする。
まあこれでもうバスへの往復をしなくてもいいので、それが嬉しいのかもしれないが、とにかくただただ感謝感謝なのである。

インド・バーヴナガルのバススタンドで親切にしてくれたおじさん

本当にありがとうございました。

他のバスは満員のものも多々あるというのに、ウナ行のバスは空いていた。
後ろの方に座席間の広いシートがあるので、そこを陣取り出発を待つ。

インドのバスは後ろの方が安全だと思う

衝突事故を考えると、やはり後ろの方の席が安全だろう。

すると前の方から声が掛かる。聞けば「僕もウナまで行くので着いたら教えてあげる。だからこちらの席に来ないか」とのこと。
まあウナは終点なので寝過ごすこともないし、せっかく足元の広い席を確保したということもあり、本当は移動したくなかったのだが、人の親切を無にしてはいけない。そもそもこのバスだって人の親切があってこそ乗れたのである。

インド・バスの中で親切にしてくれたあんちゃん

あんちゃんは、同じ行先だからここに座れと言ってくれた。

前回のバスはまだ前から二列目だったが、今回は最前列となった。
ここは本当に怖い席である。なにしろインドのバスはバカみたいに飛ばす。飛ばすだけでなく他の車を追い越す。もちろん対向車線にはみ出して追い越す。たとえ対向車がかなり近づいて来ていても果敢に追い越すのだ。

7時30分、バスは定刻に出発する。
とにかくこうなりゃもうまな板の鯉である。あとは運転手の腕と判断力、そして日ごろからの信心の賜物を信じるしかない。

インド・バーヴナガル発ウナ行の路線バス

一番前で見晴らしはいいのだが、この席はかなりスリルを味わえる席なのだ。

バスは市街地を抜け、幹線道路に出る。
するとほらほら、さっそく追い越しにかかる。相手は車長の長いコンテナ牽引車だ。
でももうすっかり身を任せてしまったので好きなようにして。

インドの路線バスの追い越し

インドではかなり強引で乱暴な追い越しがたびたび繰り返される。この道はもちろん片側二車線などではない。

ちなみに追い抜く際にコンテナを見たら、マジックペンかなにかで「水ヌキ」と日本語が書き込まれていた。
このコンテナの作業をした方、あなたの文字が書かれたコンテナは、しっかりインドの大地を走っていますよ。

9時、タラージャ(TALAJA)のバススタンドに到着。
近くの山の頂上に寺院らしきものが見えるが、ここは有名な巡礼地ででもあるのだろうか。

これで全体の4分の1ほどの距離を来たことになるので、バーヴナガルからウナまでの全工程は約6時間といったところであろうか。

インド・グジャラート州タラージャのバススタンド

山の上に寺院らしきものが見える。

道がだいぶ狭くなって来た。
しかも簡易舗装なので、車がすれ違う時お互い路肩に片輪を落とすことになり、バスなどは大きく傾く。

インド・簡易舗装の狭い道で車がすれ違う

路肩にタイヤが落ちるたびにバスは大きく傾く。

10時15分、マフーヴァ(MAHUVA)のバススタンド到着。
最初にこのルートを移動しようと計画した時、いきなりバーヴナガルからディウに行くには距離があり過ぎるため、途中の街で一泊しようかと思っていた。そしてその候補地のひとつがこのマフーヴァだったのだが、実際にここに来てバスの窓から街並みを見ると、とくにどうということのない田舎町で、気の利いた宿もなさそうなのでやめてよかったと安堵した。

インド・グジャラート州マフーヴァのバススタンド

バススタンドも大きく乗降客も多かったが、外国人が滞在して面白そうな街という感じではなさそうだった。

バスは南下から西進に転じており、私の座っている左側は太陽光線がまともに当たりかなり暑くなって来た。

10時45分、道端の食堂で休憩。
本当になんてことのない小さな食堂だが、みんなそそくさと降りて行く。特に運転手はもう3時間も運転し通しだったので、本当にうれしそうである。
バスは結構込み合って来ていたので、うっかり降りて席を取られてはいけないと、私はバスに留まることにした。幸いトイレにも行きたくないし、何も食べたくない。いつもこうした移動のときは、あまり食事や水分を取らないようにしているので、その成果(?)が発揮されているのだ。

インド・路線バスの休憩所

本当はバスから降りて手足を伸ばしたいところではあるが、今は席の確保の方が大切である。

20分ほど休憩し、バスはふたたび走り出す。
運転手もすっかりリフレッシュし、また全力でぶっ飛ばすことであろう。

11時48分、ラジュラ(RAJULA)到着。
ラジュラは幹線道路からやや内陸に入ったところにある。
私の手持ちのグジャラートの地図(30kmの距離が24mmの縮尺で描かれた大雑把なもの)では、ここラジュラ付近の幹線道路はかなり海岸線に近づくはずなのだが、ここまでのところ海はたま~に、しかもはるか向こうに見える程度であった。はたしてこの先、海が見えることはあるのだろうか。

インド・グジャラート州ラジュラの街

バスは一旦内陸に入りラジュラを通る。

グジャラート州のこの近くにはインドライオンの生息地があり、沿道のところどころにライオンのシルエットが描かれてた道路標識が立っている。日本では黄色に四角の道路標識は警戒標識ということで、ドライバーになんらかの注意を与えるものである。
そうするとこの標識は「ライオン出没注意!」となりそうだが、幸か不幸かインドライオンはそんなに簡単にお目に掛かれるほど頭数がいるわけではない。なのでこれはササンギール自然保護区の看板なのだろう。そこなら確かにインドライオンが生息しており、それを目当てにしたサファリツアーなどもあるのだ。
ただしそこに行ってもそうそうライオンが見られるわけではないらしい。

道端の注意看板にはインドライオンが描かれている

道端の注意標識にはインドライオンが描かれている。

1時25分、終点のウナバススタンドに到着。
カーティヤーワール半島の東岸から南岸へと辿った旅であったが、結局最後まで海もライオンも目の前に姿を現さなかった。
しかし無事に到着しただけで満足である。それにまだ充分陽が高く、これならディウでの宿探しも問題ないことだろう。

インド・グジャラート州ウナのバススタンド

6時間かかったが、ここまでは陽の高いうちに来ることができた。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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2016年グジャラート再訪・第13回 / バーヴナガルのガンディーミュージアム

バイクでさっと来てしまったため、まだ開館の3時までには少し時間がある。

すると係員と思しき男が「一階のミュージアムを先に見ろ」と言う。
なるほど、ガンディー・ミュージアムは二階にあるのだが、それとは別のミュージアムが一階にあり、そこは開いている。
特に見たいとも思わなかったが、ここでこうしてぼぉーと待っているよりはいいか、という程度でミュージアムに入ろうとするとなんと有料だった。まあそりゃそうかもしれないが、外国人料金で50ルピー(約80円)もするのだ。
さらに展示物を撮影したければカメラ持込料を払えと言うが、それは断った。

インド・バーヴナガルのバートンミュージアムの入場券

めったに来ない外国人のために、わざわざ専用のチケットを印刷するなんてどうなのかなあと思うが、すでに1500人以上の外国人がここを訪れているようである。

ここはこの地方の民俗博物館のようなもので、たとえば神様の木像や石像、古いコインや発掘土器みたいなものが展示されているのだが、とにかく手入れが行き届いておらず、陳列棚が壊れていて貴重な展示物が落ちていたりしていてひどい有様である。

さほど広くもないのですぐに見終わってしまう。しかし他に見学者もおらず、しかるに先ほどの係員は私のためだけに入り口にたたずんでいる。
なのでこちらも精一杯の牛歩戦術で、3時ちょうどまでゆっくり拝見する。

インド・バーヴナガルのガンディーミュージアム

インド各地にあるガンディーミュージアムはおおむねどこも静かだが、その中でもここはまた一段と静かであった。

3時になったので二階に上がったが、ガンディー・ミュージアムはまだ開いていない。先ほどの係員が付いて来て開けてくれるのかと思ったが、どうやらこちらは担当が違うらしい。
仕方がないので奥の図書室らしきところに入って行き、そこにいたじいさんに開けてくれるよう頼んだ。

インド・バーヴナガルのガンディーミュージアムの扉は今開かれる

ガンディーミュージアムの扉は催促して初めて開かれた。

ガンディー・ミュージアムは入館無料である。
内容はどこのガンディー・ミュージアムもだいたい同じようなもので、ガンディーの生涯をインドの歴史、特に植民地化からその解放までの時代に重ね合わせ、説明パネルや写真、模型などで紹介しているというものである。
なのでそれほどおもしろいものではない。たまに遠足かなにかの小中学生の集団と一緒になることがあるが、子供たちはほとんど展示物を見ず、ただ順路に沿ってくねくね歩いて行くだけだったりする。

ここの展示物のほとんどは写真パネルであった。
しかしそのシンプルさが返って見やすく、ガンディーの生涯をしっかり復習することができた。

インド・バーヴナガルのガンディーミュージアムの展示物

ガンディーミュージアムの展示物のほぼ全部が写真パネルだった。高校の時の文化祭を思い出し、とても懐かしい気持で見学できた。

そんな展示物の中で私が一番興味を惹かれたのが、ガンディーの検眼票である。

インド・マハトマガンディーの検眼票

ガンディーの検眼風景というのも、ちょっと見てみたいものである。

丸メガネはガンディーのトレードマークにもなっているが、あのメガネにはいったいどんなレンズが入っていたのかということは、ガンディーマニアの私としてはぜひ知りたいところである。

この地に展示されているということは、大学在学中のガンディーのものであろうと数値を見てみると、なんと遠視ではないか。若きガンディーが遠視だったとは知らなかった。
はたしてこれは本当にガンディーのものなのかと、名前の欄を見直すとちょっとおかしい。
ガンディーは「モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)」というのが正式名であるが、ここに記された名前は「Mohandas」ではなく「Mahatma」と読める。
マハトマとは「偉大なる魂」という意味で、のちに非暴力運動で注目されたガンディーに与えられた尊称である。
それが学生時代の検眼票に書かれている。まさかガンディー自身が書き入れたのか。だとしたら相当ずうずうしい。私も小学一年の時、テスト用紙の名前欄に「様」付で自分の名前を書き入れ、さらに赤ペンですべての答えに丸を付け、採点欄に「100点」と記して提出して大目玉をくらった経験がある。ガンディーよ、常に謙虚であれ。

さらによく検眼票を見直してみると、日付が9/7/47とあるのに気が付いた。これがイギリス式の西暦の表し方だとすると1947年7月9日となる。
なるほど、その時ガンディー77歳、つまり老眼なのだな。納得納得。

インド・アーマダバードのガンディーアシュラム

禿頭丸眼鏡、そして懐中時計はガンディーのトレードマークである。(写真はアーマダバードのサーヴァルマティーアシュラム)

さて、この検眼表が1947年7月9日のものだとすると、本当にガンディーの最晩年のものとなる。
インドは1947年8月15日に独立を果たす。しかしそれはガンディーの望む形ではなく、イスラム教を国教とするパキスタンとの分離独立であった。
あくまで統一インドでの独立を主張し、そのためイスラム教徒に対し多大なる譲歩を見せたガンディーは、1948年1月30日、ヒンドゥー極右派の青年によってデリーのビルラ邸にて暗殺されるのである。

インド・ガンディー暗殺の地

あの日、夕べの祈りに赴くガンディーは、この小道の先で三発の兇弾に倒れた。(写真はデリーにあるガンディー終焉の地)

杖一本で大英帝国に立ち向かい、幾多の困難にも決して屈せず、そして非業の最期を遂げたガンディーは、とかく神格化され等身大の人間像が見えづらくなってしまうが、一人の生身の人間としての、何気ないガンディーの日常をこの検眼票から垣間見たようで、私は少しうれしかった。

帰りは素直にオートリキシャに乗った。ホテルまでは40ルピー(約64円)だった。

インド・バーヴナガルのオートリキシャ

タダの厚意より有償のサービスの方が気が楽だったりするが、人との出会いは旅の醍醐味なのだ。

考えてみたら、バイクのおっさんにあげたボールペンは日本で100円以上したものである。いくら使いかけのものといっても、このオートリキシャ代より高くついたのは間違いない。

でも、それでもやっぱりお金で済まさなくてよかったなと、思うのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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わずかなスペースを有効利用・インドの露店本屋

グジャラート州バーヴナガルの交差点に露店の本屋があった。

メイン商品は雑誌や新聞のようで、古本屋というわけではなさそうである。
道路わきの金属製の柵を上手に利用して、たくさんの雑誌の表紙を見せている。インドでは間口の狭い店が多いが、その点この店はなかなかの好立地と言えるかもしれない。

インド・街角の露店本屋

露店の本屋は道路の柵を利用して上手に雑誌を陳列している。

また時間が昼下がりということで、本屋のおやじも柵の台座のわずかなスペースに、平積みの本と並んで昼寝をしていた。
こんなに狭いところで落ちやしないかと心配になるが、おやじの左手の指はしっかり柵に引っ掛けられていて、落ちることはないのである。

インド・街角の露店本屋の昼寝風景

露店の本屋のおやじは道路の柵を利用して上手に体を横たえている。

インドは広い国土を持つ国なのに、ちょっとしたスペースを最大限に利用する知恵は日本人以上だなあと、思わせられることがよくあるのである。