2016年グジャラート再訪・第37回 / 聖地ドワルカ、朝のガート

昼間は河で水遊びをしたり泳いだりする人もいて、聖地というより観光地といった感じのドワルカであったが、さすが四大巡礼地に数えられるだけのことはあり、日の出の時刻ともなるとガートには大勢の人たちが集まって来る。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

さすが聖地、朝のガートにはたくさんの人が繰り出して来る。

さあ、いよいよご来光である。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

日の出はどこで見ても清々しいものである。

早起きして出て来た甲斐があったと言いたいところだが、実はもうインド標準時で7時10分なのである。なにしろここはインド最西端の地(領土としてはもっと西もあるし、この界隈でもここが最西端というわけではないけど)なので日の出も遅いのである。

とにかく今日もまた太陽は東から顔を出し、聖職者らしきおっさんは日の出に向かってラッパを吹くのである。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

高らかにラッパが吹き鳴らされる。

そしてまだ肌寒い中、果敢にも河に入って朝日に祈る敬虔な人々がいる。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

朝日に向かって祈る人々。

また河に燈明を流し、静かに祈りを捧げる人々もいる。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

燈明を流す人もたくさんいる。

でもここは河口なので、時折海から押し寄せる波がガートに激しくぶつかったりするので要注意なのだ。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

ここは海がすぐそこなので波も立っていたりする。

ガートには小さな祠があり、そこでも聖職者による祈りが捧げられる。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

ガートにある祠でも祈りが捧げられる。

いったいこの小さな町のどこにこれだけの人が泊まっているのかと不思議に思うほど、本当にたくさんの人たちがガートに出て来ている。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

とにかくすごい人である。

そして牛もなにかおこぼれに預かろうと待ち構えていて、人懐こく近づいて来たり、ガートに供えられたお供え物を食べたりしている。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

人のいるところ牛もまたいるのがインドなのだ。

またガートに続く道にはたくさんのサドゥーやサドゥーもどきが居座り、道行く人たちに施しを求めたりしている。

インド、グジャラート州ドワルカのガート

サドゥーも団体でいるのだ。

とまあ、朝のガートはこの町が一番活気づく時間なのである。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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インドのおもちゃ

インドのお正月:ディワリ(Diwali)

今年もディワリの季節がやって来た。

ディワリ(Diwali)というのはヒンドゥー教の新年を祝うお祭りで、つまりインドのお正月である。太陰暦によるものなので毎年日にちが変わるが、おおよそこの時期(10月から11月)となり、西暦の新年よりはるかに盛大に祝われる。

それでなくてもインドは今(インドは広いので一概には言えないが)、あの酷暑季、そしてその後に来る雨季を通り過ぎ、からっとした秋晴れの続くとても気持ちの良い季節である。
そこにいろいろなお祭りが次から次へと続き、ディワリはその大トリのようにやって来るので、人々の興奮もここで一気に最高潮に達する。
またディワリの時期に新しいものを買うと良いとされるため、人々は街に繰り出し大量に買い物をしたりする。

インドのお正月、ディワリでにぎわう町

気候も良くなり、インド人の顔もなごやかに見える。

そんな新年を迎えるため、みんなで自宅や事務所、そして店舗などをきれいに飾りつける。

インドのお正月、ディワリの飾りつけをする人たち

一生懸命飾りつけをする姿は、なかなか微笑ましい光景なのだ。

ディワリにはあちこちに燈明が置かれ、最近ではそこに派手な電飾も加わり、街は一斉に光にあふれる。

インドのお正月、ディワリの電飾飾り

ディワリは「光りの祭り」とも呼ばれ、街中が燈明や電飾で飾り付けられる。

また人々はここぞとばかりに花火に興じ、ディワリ当日を待ち切れず、何日も前からバンバンという炸裂音があちこちで響き始める。

インドのお正月、ディワリの花火

インド人は花火が大好き。いったいどれくらいのお金を花火にかけるのだろう。

さらに打ち上げ花火も街のあちこちで上げられる。

インドのお正月、ディワリの花火

しょぼいものだが、打ち上げ花火も上げられる。

もっとも個人で打ち上げる花火なので大したものではない。しかしそれでも夜空高く打ち上げられる花火は、なかなか良いものである。

インドのお正月、ディワリの花火

街のあちこちから花火が打ち上げられ、どこを見たらいいのかわからないほどなのだ。

宿の屋上にあるレストランは、そうした花火を見るには最高の場所であるが、いかんせん音がうるさい上にいつも以上に空気が悪く、そうそう長時間いられるものではない。
とは言え、自分の部屋に戻ってもうるさくて寝られたものではないのだが・・・

インドのお正月、ディワリの花火

ルーフトップレストランは花火見物の特等席である。

そして迎えた新年の朝、街は昨日までの喧騒が嘘のように静まり返り、あとには大量の花火のゴミが散らかり、空気もまだ煙っているように見える。

インドのお正月、ディワリの翌日

「祭りのあと」とはまさにこのことなのだ。

そんなインド人たちのバカ騒ぎは、一年の締めくくりとして「やり切った感」が実感でき、新しい年を迎えるのにふさわしい行事(?)なのかもしれない。

とにかく今年も、

ハッピーディワリ!

なのである。

わずかなスペースを有効利用・インドの露店本屋

グジャラート州バーヴナガルの交差点に露店の本屋があった。

メイン商品は雑誌や新聞のようで、古本屋というわけではなさそうである。
道路わきの金属製の柵を上手に利用して、たくさんの雑誌の表紙を見せている。インドでは間口の狭い店が多いが、その点この店はなかなかの好立地と言えるかもしれない。

インド・街角の露店本屋

露店の本屋は道路の柵を利用して上手に雑誌を陳列している。

また時間が昼下がりということで、本屋のおやじも柵の台座のわずかなスペースに、平積みの本と並んで昼寝をしていた。
こんなに狭いところで落ちやしないかと心配になるが、おやじの左手の指はしっかり柵に引っ掛けられていて、落ちることはないのである。

インド・街角の露店本屋の昼寝風景

露店の本屋のおやじは道路の柵を利用して上手に体を横たえている。

インドは広い国土を持つ国なのに、ちょっとしたスペースを最大限に利用する知恵は日本人以上だなあと、思わせられることがよくあるのである。

真鍮製のアンティーク弁当箱

長年の習慣はそう簡単には変えられないのだ:インドの札束

みなさまお久しぶりでございます。

二ヶ月のご無沙汰でございましたが、約一ヶ月間のインドの旅を経て本日よりインドの話題を再開させて頂きます。どうぞよろしくお願い致します。

では、さっそく・・・

インドの札束これは500ルピー札100枚の束である。
つまりこれで50000ルピーであり、1ルピーを2円(2014年11月時点のだいたいのレート)で計算すると約10万円のかたまりということになる。
う~ん、なんとも微妙な額の札束である。

インドの札束で、この札束は日本のもののように紙の帯封ではなくホチキス(ステップラー)の針で留められている。
分厚い札束を留めるのでそれは太くて大きな針であり、しかも3ヵ所に打ち込まれているのでそう簡単に取り外すことができない。

インドの札束を解体するではどうやってこれを解体するかというと、約半分(つまり約5万円)ずつに分けてしっかり握り、ぐりぐり上下にねじりながら少しずつ針を抜くのである。
針は両サイドから打ち込まれているためそれぞれの5万円束に針が残るが、そこからは地道に針から札を抜いて行き、やがてめでたく一枚ずつの500ルピー札となるのである。
なのでこんな札束をもらってしまうと、外で気軽に使うことができないので実に不便なのである。

実はこうした針留めの札束を見るのは久しぶりであった。
いや、別に私が札束になるほどの額を両替しなくなってしまったからではない。なにしろ10年くらい前は50ルピー札でも針留め札束が普通にあったのである。

しかし当時でも「本当はこんなことをしちゃいけないんだ」と言う両替屋のおやじもおり、本来は通貨であるお札に針を打ち込むなど決して許される行為ではないのであろう。
実際その後政府もしくは中央銀行からそういうお達しがあったのか、徐々に針留めされたものは見られなくなって行ったのである。

ところが今回図らずも針留め札束の生息が確認され、外すのが面倒な反面、なんとも懐かしくてちょっと嬉しかったりもしたのである。

ちなみにこうした針留めはガンディーの肖像画の側には決して行われない。まあたまに中ほどの一枚が逆さになっていて、あわれガンディーの頭部を針が打ち抜いていたりすることもあるが、さすがに建国の父であり偉大なる魂と尊称されるガンディーに針打つ人はいないようである。

ただし、顔に文字を書くのはあまり抵抗がないようではあるが・・・
インドのお札のガンディー

インドの南京錠

暑い時季には休憩が必要なのだ:インド人の昼寝

インドの町ではよく昼寝をしている人を見かける。

バニヤンの大樹の木陰で寝ているなんて姿はいかにもインドっぽくていいのだが、誰でもそういう好条件で寝られるというわけではなく、特に都市部などではぶんぶん車の行きかう大通りの、幅1mくらいしかない中央分離帯で寝たいたりするので驚いてしまう。
いくら自然の少ない都会だからといって、なにもわざわざあんなに騒々しく、空気も悪く、そしてなにより危険な場所で寝ることもなかろうにと思うのだが、まあそれも各自の好みというやつなのだろう。

で、これもインドの街角でよく見かける昼寝風景なのだが、初めて見たときには何がどうなってるのかさえすぐに理解できなかった光景である。

インド、リキシャマンの昼寝それはサイクルリキシャ(自転車タクシー)の車夫の定番昼寝風景である。

どうだろうこの姿勢。
頭こそ客を乗せる座席にあるものの、尻(腰)にサドルを当て、足はハンドルにかけているだけである。
これでは寝返りをうつどころか、ちょっとした揺らぎでさえ、バランスを崩してたちまち転げ落ちてしまうのではなかろうかと心配してしまう。
また落ちないまでも熟睡などとてもできるとは思えない。

とまあインドの町では、あちこちで昼寝をする人を見かけるので、つい「インド人は怠け者だ」なんて思ってしまいがちだが、連日40℃を軽く超す酷暑季のインドでは、昼寝くらいしないとやっていけないわけである。私も先日軽い熱中症(たぶん)になってしまったので、よーくわかるのである。
日本も暑さきびしき折、みなさんも可能な限り昼寝などして、体力を温存し無事に夏を乗り切って頂きたいと思う次第である。

ちなみに上のサイクルリキシャの車夫の写真は昨年11月に撮ったもので、デリーは大変さわやかな良い季節であったということを付け加えておく。

まあ一度身についた習慣は、季節の変化くらいではびくともしないのであろう。

真鍮製のアンティーク弁当箱

礼節を知るにはまず衣食が足りていることが条件なのだ:インドの禁煙啓蒙活動

「衣食足りて礼節を知る」なんていう通り、人間まずは食べることが第一である。
なにしろ何か食べなければ死んでしまうのだから。

そして命をつなぐだけの食事が毎回きちんとできるようになると、そこで初めて味とか素材の良しあしとかが気になり始める。
同じ食べるならおいしく食べられるに越したことはないのだ。

さらにさまざまな食事から選んで食べられる状況に至ると、はたしてその食事が健康に良いものなのかどうかが気になり始める。
せっかく命を維持するために食べているのだから、できるだけ体に良いものを選んで食べ、健康に長生きしたいと思うのは当然である。

ということで、日本も戦後の食うや食わずの状態から見事に脱出し、脱脂粉乳やクジラの竜田揚げを経てついには飽食の時代となり、究極のグルメブームが到来し、まいう~となり、宝石ばっこっやぁ~と並行し、黒酢ニンニクすっぽん卵黄軟骨セサミンコンドロイチンアントシアニン僕イケメンなどがもてはやされている。ご紹介漏れはございませんでしょうか。

で、ここでようやくインドの話になるのだけれど、経済発展著しいインドでも、最近では健康に対する意識が高まっているようなのである。

前回(2013年11月)インドに行ったとき、宿のテレビで洋画を見ていると、時折画面になにやら字幕が出る。
なんだろうと思いつつも、小さなブラウン管テレビを少し離れたベッドの上から眺めているだけなのでなんだかよくわからなかった。

しかししばらく(正確には何日か)見ていると、字幕が出る法則がわかってきた。
どうやらその字幕は、映画の出演者がタバコを吸おうとすると出るようなのだ。
そこで画面に近づいて字幕をよく見てみると、はたしてそれは「喫煙は健康に悪い」という意味の言葉なのであった。
それにしてもその字幕を出すタイミングというのが、まるで先輩がタバコを取り出すと間髪入れずにライターで火をつける後輩のようなのだ。まるで花の応援団みたいなのである。
インド版花の応援団は、俳優がポケットからタバコを取り出し、口にくわえる瞬間を狙って、「オッス!失礼します!」とばかりに字幕を出す。そして吸い終わると字幕をひっこめ、また吸うと出す。
実にせわしないというかけなげというか・・・これじゃインドでは刑事コロンボなど落ち着いて見られたもんじゃないだろうなあ。

インドの安タバコさて、詳しい数字は知らないが、おそらくインドは日本より喫煙者率が高いのではないかと思う。少なくともまだまだタバコは、庶民が気軽に楽しめる大切な嗜好品であることに間違いない。

そんな愛煙家の底辺を支えているのが「ビディ」という安タバコである。
こいつは葉っぱを刻まず、ただくるくるっと巻いただけのもので、パッケージも安っぽい包装紙で包んだだけである。

インドの安タバコのパッケージそんな安タバコの安っぽい包装紙にも、ついにタバコによる健康被害をわかりやすく伝える広告(?)が入るようになった。
しかもそれはタバコによって害されたと思しき肺のカラー写真と、「SMOKING KILLS」という恐ろしい文言である。
う~ん・・・なんだか上のクジャクの羽まで、害されているように思えてしまう。

ということで、インドの庶民もこれからはタバコを覚悟して吸うようになるのであろうが、はたしてその前に充分な食事が取れているかどうか気になるところである。

なにしろ礼節だけでなく、健康も衣食足りて初めて知るものなのだから。

インドのショール

郷に入っては剛にしとかなきゃね:インドの乗り物

前回はインドの生活様式に合わせた電気オーブンの話をしたが、今回は乗り物である。

ちょっと前まで「インド」を紹介する映像に、必ずと言っていいほど登場したのが、一台のバイクに家族全員で乗っているシーンである。
最近はインドに対する報道の質も量も向上したので、あまりそういう「いかにも」的なものが減ったように感じるが、当のインドではギネスに挑戦的家族総出の曲乗りはいまだ健在である。

インド、バイクの5人乗りで、私も昔はそういう光景を、ただ「すごいなあ」と見ていただけだったが、よく考えてみたら、こういう乗り方が日常茶飯事である国でバイクを売るには、それなりの強度を考慮した設計でなければならないのだろうと気が付いた。

たとえばフレームは強靭なものが要求される。それから車輪も簡単にはゆがまない強度が必要である。さらに本来人が乗ることを想定していない燃料タンクも、簡単に凹まないような強度が必要となって来よう。

インド、児童を満載したスクールトラックこうしたことはなにもバイクに限ったことではなく、インドで走るあらゆる乗り物に言えることである。なにしろインド人はおよそ人が立てる隙間があれば、楽々乗車してしまうのである。

なのでインドで乗用車両、いや貨物車両でも人が乗ること間違いなしなので、とにかく車両関係の販売をするときは、最低でも常識的乗車定員の5倍くらいを想定して設計するか、さもなければ所定の乗車位置以外のところにオイルを塗って、滑って乗れないようにするしかないであろう。

とにかく異国向けにものづくりをする方々の、たゆまぬ努力に頭が下がる思いである。

木彫りのガネーシャ

同じ下手なら絵の方が通じる:インドの絵サイン

インドの識字率は約74%(2011年の国勢調査)とのことである。
そこに私が加わると数字は悪化する。

ということで、私もインドに行くと文盲の仲間入り(日本でも難しい漢字は読めないが)なのだが、そういう人のためにか、または単にわかりやすくするためか、案内板に絵が添えられている、または絵だけで構成されているということがよくある。

これは前にも一度紹介したが、アーマダバードのガンディー・アシュラム内の壁に描かれた絵で、アシュラム内で生活する子供たちへの、衛生に関する啓蒙看板である。これなら現地語が読めない私でもよくわかる。
インド、絵サイン左から
「歯を磨こう」
「手を洗おう」
「顔を洗おう」
「わき毛を剃ろう」
である。
いや、これは子供相手の看板だからわき毛はないな。
じゃあ
「体を洗おう」
かな。
インド、絵サイン
それではこれは何だかわかるだろうか。

なかなかピカソ的な絵であるが、まあ男の人の顔であることはわかるのではないだろうか。
インド、絵サインはい、答えは男子トイレのサインなのである。

このようにあまり上手とは言えず、それどころか笑ってしまうような稚拙な絵であっても、まったく読めない記号よりは格段に役に立つということなのである。

ちなみにこの右側には女子トイレもあり、その入り口には男子トイレと同じ筆致の「女子の絵」が描かれていたが、そんなものを写真に撮っていると変態と思われ袋叩きにされること間違いなしだったので写せなかった。

場所はグジャラート州ブジの駅の公衆トイレなので、女性の方でそこに行かれる方がいたらぜひ写真に収めて頂きたいと、この場を借りてお願いする次第である。

インドのおもちゃ

もう手ぶらで来てくれればいいのよぉ:インドのモスク

グジャラート州アーマダバードのモスクにこんなものが置いてあった。

インド、モスクに置かれた簡易トーピープラスチック製の籠状のものである。
まるで八百屋さんの店先でミカンなどを入れ、「はい、どれでも一山100円だよ」みたいな使われ方をしそうな感じである。

でもこれは籠ではなく、頭にかぶるものなのである。

インド、モスクに置かれた簡易トーピーイスラム教徒はトーピーと呼ばれる庇(ひさし)のない帽子をかぶり、またそれがイスラム教徒であることを示す。

しかし信者なら常にトーピーをかぶっているかというとそんなことはなく、そのため外見からはイスラム教徒とわからないことも多い。

インド、イスラム教徒の礼拝風景ただし礼拝の時はトーピーをかぶることを推奨している。
しかしあいにくトーピーの持ち合わせがない時もあるだろう。そんな時はバンダナなどで頭を覆うのもOKのようである。ちなみにたまたま金曜礼拝に遭遇した(この写真の時ね)私もタオルで頭をしっかり覆った。

ということで、先ほどのプラスチック製のトーピーは礼拝用にモスク側(または氏子一同)が準備したものである。
つまりモスクに手ぶらで行っても、ちゃんと「より良き」お祈りができるようにという配慮であり、決して果物などを入れてはいけないのである。

ハトの新住宅事情

前回はハト用に軒先に吊るされた素焼きの壺をご紹介したが、今回はハト用の集合住宅である。

インド、ハトのマンションこれはグジャラート州ブジの町で見かけた建造物である。

最初は何か宗教的なものかと思ったが、どうやらそうではなく、ハトのための施設のようであった。

階層を数えてみると、なんと6階建てのマンションである。
しかも六角形のそれぞれの面に2個ずつ入口があるので、2x6x6で全72戸ということになる。
まあ実際のところは、内部はひとつの大きな部屋になっているのだろうが。
インドのハトマンションさらにはこんな高台に建つマンションもあった。

こちらは先ほどのものより高層の7階建てである。
陽当たりもよく、塀の向こうは湖になっているのでさぞかし眺望もすばらしいであろう。
しかも建物の下にはシヴァ神が守衛として鎮座しているので、おかしな訪問販売など一切来ないであろう。

そんな豪華マンションを見上げながら、いいなあ、私もハトなら住んでみたいなあと、思わずはるか昔に習った”If I were a bird,I could….”という仮定法過去を思い出したりする私だったのである。