南インドの休日:その25 / トリヴァンドラム空港からデリーへ

今回の南インドの旅はコヴァラム・ビーチが最終目的地であり、ここに三泊も滞在したのであるが、その間の面白いエピソードのようなものはほとんどない。
なんたってリゾート滞在なのだ。通常のインドの旅のようにしょっちゅうトラブルに見舞われていてはのんびりできない。
そのため今回は奮発していつもは泊まらないような高いホテル(と言っても一泊一万円くらいだけど)に泊まったのだ。
そう、インドで起こるトラブルのいくつかは、お金で簡単に防げたりするのである。

ということで、いよいよデリーに戻る日が来た。
帰りはトリヴァンドラム空港から飛行機に乗るのだが、空港までのタクシーはホテルで事前に頼んでおいた。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライトコヴァラム・ビーチから空港までは15Km程度の道のりで、タクシー代は750ルピー(約1500円)であった。
タクシーは8時半の約束だったが、ちゃんと早めに来て待っていてくれたので、チェックアウトを済ませるとすぐに出発した。

さすがのゆったりした南インドでも、朝の通勤通学時間は道行く車も結構せかせかしている。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライトそんなぷち混雑をすり抜け、タクシーは30分足らずで空港に到着したが、チェックインは9時からとのことなので15分ほど待つことになった。

でもそれでいいのだ。

実は帰りの飛行機は直行便ではなくムンバイ経由なのである。
まあ単なる経由便で乗り換えなどはないのだが、当然ムンバイでの乗降客のための待ち時間もあるため、来た時より機内に長時間拘束されることになる。
それは閉所恐怖症の毛のある私としてはとてもつらいことなのだ。
なので今回はぜひとも足元の広い席を確保したい。来るときにはあちらからのせっかくのご提案をむげに断ってしまったが、今回はこちらから頭を下げてでも広い席が欲しいのである。

ということでめでたく一番乗りでのチェックイン手続きと相成ったのだが、荷物の重量のことで少々もめてしまったため、隣のカウンターでの手続きの方がどんどん進んで行ってしまい気が気ではなかった。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライトそれでもまだなんとか広い席が空いていて、プラス600ルピー(約1200円)で快適さを買うことができた。

今回利用するフライトは来た時と同じインディゴ航空の6E-176便というやつで、料金は4500ルピー(約9000円)であった。ちなみに11:00発でデリー到着は16:10の予定である。
そこに快適代600ルピーが加わったので5100ルピーとなるのだが、5時間分の快適さと思えば安いものである。なにしろ一時間当たり120ルピー(約240円)なのだから。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライトそしてこれがその一時間120ルピーの快適空間である。
これは非常口のところにある席ゆえのことなので、数に限りがあるので早い者勝ちなのだ。
しかも今回も機内は満席なので、このスペースは値千金なのである。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライトなお、この裸足の足は隣のインド人のものであり私のではない。
でも私もサンダル履きで搭乗しており、すでにそのサンダルは前の座席の下に突っ込んであるので私も裸足である。
いくら国内線といっても飛行機なのだから、おっさん二人が仲良く裸足で並んでいるというのはちょっと変かもしれないが、先ほど搭乗口近くでベンチに座っていたら、数人の裸足の男たちが目の前を通り過ぎて行った。彼らはおよそパイロットや空港係員には見えなかったので、おそらく搭乗客だと思われる。裸足のまま空港に来て、そして飛行機に乗ってしまうなど、さすが南インドといった感じであるが、とにかく私や隣のインド人はここまでサンダルを履いて来ているだけマシなのである。
ちなみにムンバイで隣のインド人と入れ替わりに乗り込んで来たビジネスマン風の若い男(いやもうホントに絵に描いたような、笑っちゃうくらいのエリートビジネスマン風で、席に着くやいなやどこぞに電話を掛け、それが済むとおもむろにパソコンを広げてなにやら確認し、さらには新聞をバサバサ広げて読み出したりと、あーあんたはすごく仕事のできる人なのねえ、なのであった)は、機内の異様な雰囲気を敏感に嗅ぎ取り、私に「この飛行機はどこから来たのか?」と聞いて来た。私が「トリヴァンドラムからだ」と答えると、妙に納得した顔になり、それ以降私には何も話しかけて来なかった。

ちょっと話が先に飛んでしまったが元に戻す。

離陸はほぼ定刻だった。
つまり午前11時頃ということで少々小腹が空いてきた。
往きは前の座席の背もたれが自分の額にくっつきそうな(気がする)くらい狭い席だったので何も食べる気がしなかったが、今回はスペースも心もゆったりしているので、機内販売のカップヌードルを注文することにした。

メニューにはノンベジもあったが売り切れとのことでベジタリアンになった。しかしそんな短時間で売り切れたとも思えず、たぶん初めから一種類しか置いていないのだろう。
値段は200ルピー(約400円)とカップ麺にしては高いが、きれいなフライトアテンダントのおねえさんんがお湯を入れてくれるので仕方ないのかもしれない。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライトカップヌードルは本当に日清のカップヌードルであった。
容器にはサッカー選手らしき人たちが印刷されていて、その中には日本人みたいな人もいたが、私はサッカーをよく(というかぜんぜん)知らないので誰だかわからない。

ベジタリアン料理と聞くと、日本人はつい優しい味を想像すると思うが、インドをなめてはいけない。
辛い物好きの私が、すっげーかっれー!と思うほどの味であった。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライト二時間ほどでムンバイの街が見えて来た。
この日は11月26日だったのだが、期せずして2008年のムンバイ同時多発テロの起こった日であった。(朝のニュースでやっていてそれと知ったのである)

上空からではあったが、犠牲となられた方々にしばしの黙とうを捧げた。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライトムンバイでは結構な人数の人が降りて行き、また同数の人が乗って来た。先述のエリートビジネスマンもここから乗って来たのであるが、つまりここから先もまた機内は満席状態なのである。
よくまあこの広い席が確保できたものだと、あらためて胸をなでおろした。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライトさて、ムンバイでは大勢の客の乗降と機内の清掃でだいぶ時間がかかるわけだが、その間トイレを使わせてくれないのには閉口した。
なにしろ飛んでる間は通路側の人(あの裸足のおっさん)に遠慮してトイレには行けなかったのだ。なのであの辛いラーメンを食べるときだって、ちょびっとの水だけしか飲まないようにするという努力までしていたのである。

それでも生理現象はやって来る。人間だもの!

もちろんそういう状況の人は私だけではなく、とっかえひっかえ誰かがトイレに突き進んで行ってはフライトアテンダントに跳ね返されている。

しかしそんな中、ひとりのおばさんがフライトアテンダントのねえちゃんに執拗に食い下がり、ついには無理やりトイレのドアを開けて中に入り込んだではないか。
これはチャンスである。一人がやってしまえばあとは二人やろうが五人やろうが同じようなものだ。
私はすかさずトイレに突き進んで行き、ドアの前に仁王立ちした。もうフライトアテンダントの静止なんか無視なのだ。また普段なら女性が入ってるトイレのすぐ前に立ちはだかるなどという失礼なことは決してしないのだが、今回だけは勘弁である。その代り私は何も聞こえなければ何も匂わないと宣言してもいい。

やがておばさんがトイレから出て来た。
そして私はフライトアテンダントが割り込めないよう体でブロックしながらおばさんとすれ違い、めでたくトイレに入ることができたのである。

トイレから出るとそこには多くの人たちが列を成していた。
事ここに至り、ついにフライトアテンダントは静止をあきらめ、トイレは完全に民衆に解放されたのだった。

最初に先便、いや、先鞭を切ったおばさん、あなたはわれわれのジャンヌ・ダルクだ。季節はずれのミストレルだ。 国民万歳!

とまあこうして一人も怒りや膀胱を爆発させることなくトイレ問題は無事解決し、その後順調にフライトを続けたインディゴ航空6E-176便は、ほぼ定刻にデリー空港に到着したのであった。南インド、トリヴァンドラムからデリーへのフライトこのあとまだ宿までの移動があるのだが、特にここに書くようなトラブルは何も起こらなかったので、これにて「南インドの休日」はおしまいなのである。

長々とお付き合い頂き誠にありがとうございました。

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南インドの休日:その21 / アレッピーからコヴァラムビーチへ

ハウスボート乗り場(ボートから降りたので「降り場」か)からあぜ道のような狭い道を歩いて表通りに出ると、そこには昨日のタクシードライバーがいた。
南インド、ケララ州のタクシーと言っても彼は偶然いたわけでも、ハウスボートからの下船客を当て込んで待っていたわけでもなく、私が頼んでおいたのである。

もともとここから次の目的地のコヴァラム・ビーチまではタクシーで行こうと思っていたところ、昨日の下り際に彼が自分を売り込んで来たのであった。
彼の言うところでは「その辺のタクシードライバーに聞いたら、コヴァラム・ビーチまでは4000ルピー以上かかると言うことだったが、おれなら3600ルピーで行くけど、どうか?」とのことなのである。
インドなので相手の言い分をそのまま鵜呑みにすることはできないが、タクシー料金に関しては私も事前にネットで調べていて、このルートには5000ルピーの予算を組んでいた。もっともこれはかなり大雑把な予算であり、充分過ぎるほど大目に見積もっての金額ではあったが、距離からして確かに4000ルピーは妥当な金額だと思える。なにしろアレッピーからコヴァラム・ビーチまでは160Km以上もある。
それが3600ルピーと相場(彼の言による)より一割も安くなり、さらに私の予算から見たら1400ルピーも下がったので言うことなしなのだ。

それでまあ彼に決めたというわけなのだが、すでに一度利用して悪い思いをしていないので、同じタクシーというのは安心できるのでその点でも楽なのである。南インド、ケララ州のタクシーと言うわけでさっそく車に乗り込むと、ドライバー氏は助手席の背もたれの背後にあるジッパーを開け、そこから5本のビールを引っ張り出した。
そう、これも私が事前に頼んでおいたものなのである。
なにしろ今日(日曜日)はドライデーで酒屋が休みなのである。
そしてこれから向かうのはビーチサイドのリゾートなのである。
ビーチリゾートに行って酒がないなんてことが許されるであろうか。いや許されない。許されるはずがないのである。
なので昨日の別れ際に「ビール5本買っといてくれる?できればキングフィッシャーね」と言って400ルピー渡しておいたのである。

彼が買っておいてくれたのは確かにキングフィッシャーだったが、ストロングというアルコール度の高いものだった。
こいつはてっとり早く酔いたい人にはいいのだが、とにかくうまくないのである。どんな味かと言うと、ビールにウイスキーを混ぜたようなチャンポン味なのである。

でもないよりマシである。
いや、マシなんて言い方をしたら罰が当たるであろう。
なにしろコヴァラムビーチへの道々ドライバー氏といろいろな話をしていたら、彼がイスラム教徒であることが判明したのだった。
イスラム教徒は酒を飲まない。それどころか酒を忌避する。
そんな人に酒の購入を頼んでしまったのである。
知らぬこととはいえ、大変申し訳ございませんでした。

なのでこのキングフィッシャー・ストロングは、じっくり味わい、ありがたく飲ませて頂くことにするのである。

車は途中でガソリンスタンドに寄った。
こうしたことはインドではよくあることである。
そしてドライバー氏は私に、ガソリン代として1000ルピー(約2000円)の前渡しを要求した。
これもまたインドではよくあることであるが、当然ガソリン代はタクシー代に含まれているので、最後の支払いの時に前渡し分を差し引くことを忘れてはいけないのである。

ガソリン代は1リッターが57.48ルピー(約115円)であった。
インドの物価からすると、ガソリンの値段は日本よりだいぶ高いものになる。南インド、ケララ州のガソリンスタンドガソリンは私が渡した1000ルピー分全部使っても17.40リッターしか入らない。
アレッピー-コヴァラムビーチの往復は320Km以上ある。仮に燃費をリッターあたり20Kmとするとちょうどそのくらいで済むが、彼はフォート・コーチンから来ているのでおそらく400Km以上走ることになるので、手にするタクシー代のかなりの部分がガソリン代に消えて行ってしまうことになる。

途中少し雨が降ったりしたが、車は順調に走っている。南インド、ケララ州のタクシー今夜の宿は「ホテル・シーフェイス」というところで、これも事前にネット予約したものである。
途中でドライバー氏が道順を確認するためにホテルに電話をしてくれたが、アゴダ(ホテル予約サイト)の発行したバウチャーにある電話番号はつながらなかった。
コーチンに到着した日、空港タクシーのドライバーも同様にホテルに電話をしたがつながらなかった。
アゴダに登録されているホテルの電話番号は、軒並みダミーででもあるのだろうか。

コヴァラムビーチでは灯台の近くの、その名もライトハウスビーチという海岸沿いがレストランやホテルがたくさんあって有名である。
今回泊まるシーフェイスもライトハウスビーチの端っこあたりに位置するのだが、タクシードライバーに「ライトハウスビーチ」と指示すると、灯台のある突端を回り込む道に行こうとしてしまい、結果ものすごく遠くなってしまう。
で、こんなところに行く予定のない人にははなはだ余計な話になってしまうのだが、行先を指示するときには下手に「ライトハウスビーチ」とは言わず、隣接した「ハワビーチ」もしくは「リーラ・ホテルの(バス停でひとつ)手前」を指示すると良いだろう。
狭いがビーチまで車で下りて行ける道もあるし、坂の上で車を下りて歩いてもたいしたことはない。私はここに来るのが三回目だったので、電話がつながらず不安がるドライバー氏に道順を指示し、無事にホテルに到着したのであった。

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南インドの休日:その12 / フォートコーチンからマッタンチェリーへ

フォート・コーチンの南側(地図で見ると下ですね)にマッタンチェリーという地区がある。

前にもご説明申し上げたが、フォート・コーチンは細長い半島の先端に位置している。つまり半島の末端ということになるのだが、それを差し置いて末端でもない場所でマッタンチェリーを名乗るとはややこしい。フォートコーチンとマッタンチェリーの地図まあそれは置いといて、マッタンチェリーはかつてユダヤ人の多く居住していた地域であり、今もその一種独特な町の雰囲気が観光客を呼んでいるのである。

フォート・コーチンからマッタンチェリーには当然陸路で行けるのだが、フェリーでも行ける。
なのでここはせっかく水の都コーチンに来たのだから、時間があればぜひフェリーを利用したいところである。

フォート・コーチンのフェリー乗り場(カスタム・ジェッティー)は、チャイニーズ・フィッシングネットから歩いて15分くらいのところにある。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー乗り場時間はすでに午前10時になっていたが、ここではこの時間はまだ通勤時間の範囲なのか、切符売り場には長い列ができていた。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー乗り場切符は常に売られているわけではなく、船の出航に合わせて販売されるようで、列はちっとも動かない。
やがて桟橋に一隻の船が着き、たくさんの乗客の乗り降りが終わったところでようやく切符を売り始めたのだが、なんと途中で販売を打ち切ってしまった。
当然その船はそのまま出て行ってしまう。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー乗り場さらに列に並んで窓口が開くのを待ち、ようやく自分の番になったと思ったら、なぜか「マッタンチェリー行なら次の船だから、そっちで待ってろ」と桟橋の方を指差すだけで切符を売ってくれない。
なんだか意味がよくわからなかったが、とにかく指示に従い桟橋で待つことにした。
ここまでですでに20分が経ってしまった。まあ南インドであくせくしても仕方ないのだ。のんびり構えて焦らない焦らない。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリーしかし遠くから船が近づいて来るのを見てちょっと心配になり、近くにいた係員らしき男に「切符を持っていないのだが大丈夫なのか?」と聞いたところ、その男は私を切符売り場に連れて行き、列に割り込み切符を買ってくれた。
ますますわけがわからなかったが、とにかくこれでやっと切符が手に入った。
列に並んでいる人たちの目が少々気になったが、こっちだって一度列に並んで窓口までたどり着いたのだぞ、という自負を持って世間の白い目に耐え、あとはあの船に乗ってしまえばいいのである。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリーところがマッタンチェリー行の船はこれではなかった。
結果から言うと窓口の男が言っていた「次の船」などではなく、次の次の次の次の船くらいであった。
まったくホントになにがどうなっているのだ・・・でもまあ焦らない焦らない。

見れば片隅ではのんびり釣りなんかしているあんちゃんがいる。
そう、南インドではああでなくちゃいけないのだ。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー乗り場そう自分に言い聞かせ、こちらものんびり釣り見物と決め込んだが、これがちっとも釣れない。

どれくらい待っただろうか、ようやく当たりが来た。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー乗り場獲物はなかなか大きい魚だった。
このサイズの魚はチャイニーズ・フィッシングネットでもなかなか獲れないだろう。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー乗り場さて、水路の発達したこの地域では、フェリーは本当に庶民の足として活躍している。
なのでこうして船に自転車を持ち込む人もたくさんいるのだ。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー乗り場ついに係員が「あの船だ」と指差し、マッタンチェリー行の船がやって来た。
なんとここまで50分もかかってしまった・・・でも焦らない焦らない・・・なのだ。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリーさすがの南インドでも11時近くともなれば通勤時間のピークは過ぎたようで、船はがらがらに空いていた。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー席はどこでもお好みのままということなので、運転席に近いところに座り、短い航海を存分に楽しむことにした。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー窓にはガラスなどなく、水面を渡る風が船内を通り抜け実に心地よい。
ちなみに雨が降ったときは、窓の上部に収納されている蛇腹式のシェードを下すのである。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー左手に見えて来たのはウィリンドン島にあるホテルである。
古いホテルだがタージグループ経営の高級ホテルで、私なんざ縁がないので宿泊料金など知る由もない。
なので興味のある人は「VIVANTA BY TAJ MALABAR」で検索して自分で調べてちょ。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー船は真っ直ぐマッタンチェリーに行かず、一度ウィリンドン島の桟橋に着いた。
ウィリンドン島は本土とフォート・コーチンのある半島との間にある人工島で、ここにはコンテナヤードや造船所があるため職場も多いのだろう、少ない乗客の多くがここで下りて行った。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー思いがけずウィリンドン島経由の航路だったため、船にたくさん乗れてうれしい。
なにしろ船に乗るまで50分も待ったのだ。そう簡単に下されてたまるかってんでい。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリーもっとも「たくさん乗れた」といってもほんの10分程度の航海なのである。
なおフォート・コーチンからマッタンチェリーまでの乗船料金は10ルピー(約20円)であった。

さあ、自転車のおっさんに続いていよいよマッタンチェリー上陸なのだ。南インド、ケララ州、フォートコーチンのフェリー

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いよいよ旅は終わりを告げたのだった:ライプールからアラハバードへ

止まない雨はないのと同じように、いつまでも続く悪路もない。カーライル(うそ)

ということで、やがて道は幹線道路にふさわしい路面状態を取り戻し、バスもまた元のペースを取り戻しました。

インド・ライプール発アラハバード行長距離バスこのバスに限らずインドの長距離バスは、途中でよくチョイ乗り客を拾います。それが正式なバス会社の収入になるのか、それとも運行乗務員で山分けにするのかはよくわかりませんが、とにかく気がつけば車内はこんな具合に込み合っていて、とてもこれが600kmの道のりを走って来たバスとは思えません。
しかも先ほどの休憩のときなど、私が外で顔を洗って車内に戻ると、太ったおばさんが私の席に座っていてどいてくれないのです。私がシートナンバーの記入されたチケットを見せると、しぶしぶ重い尻、いえ、腰を上げて移動してくれましたが、見れば寝台席の乗客などはスペースを空けてチョイ乗り客を座らせてあげたりしています。インド人はこういうところが実にエライのですが、かといって私の椅子席じゃ、いくら横に寄ってもあのおばさんは座れないよなあ・・・

アラハバードの到着予定時刻は11時と聞いておりましたが、まさしくその11時が近づいた頃、バスは大きな河に差し掛かりました。

インド・ライプール発アラハバード行長距離バス実はアラハバードはガンジス河とヤムナー河が合流するところで、さらにヒンドゥー教の神話では、目に見えないサラスワーティー河もここで合流するとされる聖地なのです。

しかしアラハバードに関する私の知識はそこまでで、頼みの綱のガイドブックも、Mくん持参の黄色いものには一行の記載もなく、私の持ってる青いものは、そのあまりの厚みに恐れおののき、日本で必要な部分だけを破り取って持って来ているために、アラハバードの部分は手元に存在しないのです。

でもまあ聖地なんだから大きな街なのだろうと想像していたのですが、橋を渡る時にその両側を素早く観察したところ、どうもヴァラナシみたいに河岸に貼り付くようにして建ち並ぶ建物群が見当たらないのです。

そこで私は、「これはいっちょこのままヴァラナシまで移動してしまった方が良いのでは・・・」と思ったのです。

なにしろ時刻はまだ午前11時なのです。
長旅の疲れはピークに達してはいましたが、だからこそなおさら、ここで宿を探してまた翌日移動するより、もうちょっとがんばって一気にヴァラナシまで行ってゆっくりした方がいいのではないかと思ったのです。

そこで車掌のおっさんに、「ヴァラナシに行きたいのだが、どこで降りるのが一番良いのか?」ということを聞いたところ、その場所に着いたら教えるからちょっと待っておれ、とのことでした。

やがてバスは橋を渡り切り、左に折れてアラハバードの街らしきところに入りました。

するとそれまでじっと前方を注視していた車掌が、急にわれわれに向かって「ここで降りろ!」と叫ぶのです。

えっ!ずいぶん急じゃない!もう少し早めに言ってくれりゃあいいのにさあ・・・

慌てて座席の下から荷物を引っ張り出し、人をかき分けて前方の出入り口にたどり着くと、車掌は私の荷物を乱暴にふんだくり、外にいたあんちゃんに渡しました。

ああっ、私の荷物をどこへ持っていくんだよお!

わけのわからぬまま、私の荷物を奪い去って行くあんちゃんの後を追って道を渡ると、そこには違うバスが止まっており、あんちゃんに導かれるまま荷物とともにそのバスへと乗り込んだのでした。
その間わずか30秒、移動距離10mほどのとても短いアラハバード滞在でした。

インド・アラハバードからヴァラナシをバスで目指すで、気が付けばこうしてそのバスに揺られ、ヴァラナシ目指して走っていたというわけなのですが、どうやら車掌のおっさんはすれ違うバスの中からヴァラナシ行を見つけ出し、わざわざそれを止めてわれわれを引き渡してくれたようなのです。

それなのに、いくら慌ただしかったからといってお礼の言葉ひとつ言えなかったことは実に残念でした。

ありがとう!車掌のおっさん!

さあ、あとはこのままヴァラナシへ直行だ!

と思ったら、このバスもやたらあちこちに止まっては客引きをし、場所によってはしばらく止まったまま客待ちしたりすることもあり、なかなかヴァラナシに着かないのです。

インド・アラハバードからヴァラナシをバスで目指すしかもどうしたことか、2時間ほど走ったところでまた別のバスに乗り換えさせられたのです。
それまでよく整備された道を、いかにも「ヴァラナシに向かってます」みたいな顔して走ってたくせに、急にU-ターンすると道の反対側に止まっていた小さめのバスを指差し、「あれに乗り換えだ」というのです。

乗り換えって言ってもさあ、あのバス反対方向に向かおうとしてるんだけど・・・

もう不信感でいっぱいです。

今度のバスの車掌はちょっと悪そうな感じの若いあんちゃんでした。

インド・アラハバードからヴァラナシをバスで目指す人の乗りそうなポイントに近づくと、あんちゃん車掌は開け放したドアから身を乗り出して「おらおらおらあ~!」と叫びます。どうやらそれは「ヴァラナシヴァラナシヴァラナシ~!(もしくはワラナーシィー)」と行先を連呼しているらしいのですが、私にはどうしてもそれが客を引くセリフには聞こえず、逆に人を蹴散らしているようにしか思えませんでした。それほどそのあんちゃんがワルそうに見えたのです。

そんな風にしてまた2時間ほど走り、ついにバスはヴァラナシ・ジャンクション駅近くに到着しました。

バスを降りるとあんちゃん車掌が、「これからどこへ行くんだ?」と聞いて来ました。
私が「ガートだ」と答えると、あんちゃん車掌は近くにいたサイクルリキシャのおやじに行先を告げ、料金交渉までしてくれました。

インド・アラハバードからヴァラナシをバスで目指すわれわれはあんちゃん車掌に促されるままにサイクルリキシャに飛び乗ると、またもやお礼もそこそこにガート目指して走り去って行ったのでありました。

おしまい。

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寒さにも負けずシブキにも負けずホコリにだって負けないのだ:ライプールからアラハバードへ

山道に入れば気温は下がるだろうとの私の期待は裏切られました。

バスはかなり山を登ったはずなのに気温はほとんど下がらず、さすがに熱風ではないまでも窓から入る風は生ぬるく、決して気持ちのいいものではありませんでした。

ところが逆に山を下って平地に下りたあたりで急に気温が下がりました。
ヘッドライトが脇にこぼすわずかな光を頼りに目を凝らしてあたりを見れば、どうやらこの辺は大きな池があり水が豊富な土地のようです。
そのために気温が下がったのかと納得し、しばし窓から吹き込むエアコン並みの冷風を楽しんでいたのですが、その後いくら走っても気温が上がらず、しまいには寒くてガタガタ震えるほどになってしまいました。
まさか真夏のインドをエアコンの付いていないバスで旅するのに、寒さに震えるとは思ってもいませんでしたので、私はTシャツ一枚の姿で上着はバッグの底深く仕舞い込んでおり、今さらそれを取り出すのは至難の業です。
そこで私はスライド式の窓ガラスをすっかり閉めたのですが、その直後私の顔と腕に何か液体の飛沫のようなものが当たるのを感じました。
その飛沫は開いたままになっているひとつ前の窓から飛び込んで来たようなのですが、車内も暗くて状況がよくわかりません。雨が降っている気配もないのにおかしいなあと思いながら、おそるおそる腕の濡れたあたりの匂いを嗅いでみますと・・・

あっ・・・カレーだ・・・

どうやら上の寝台の客が窓からカレーの汁を捨てたらしいのです。たぶんさっき休憩した茶店で買ったカレーの残りなのでしょう。

まあ最悪の場合もっと違うものが降り注ぐということもあり得なくもないので、それに比べりゃたいしたことはないのですが、やはり他人の食べ残しを浴びせられるというのはあまり気持ちのいいものではありません。
でもまあすぐ横の窓を閉めた後だったため、被害が最小限に食い止められたのが不幸中の幸いでした。

そんなカレーにまみれ、寒さに震えた一夜も明け始めました。

インド・ライプール発アラハバード行長距離バスやはりその間私はほとんど眠ることができず、ひたすら70年代昭和歌謡を聞き続け、年代順に登場して来た出場歌手もついに1974年あたりのアイドル割拠の時代に突入しておりました。
このころのアイドルは天地真理、浅田美代子、アグネス・チャン、麻丘めぐみ、安西マリアなど、「あ」で始まる名前が実に多いのです。まさしく「あ」は「アイドル」の「あ」といったところですね。(ミニ情報)

バスは平地に出たかと思えばまた山道に入るといったことを繰り返しながら突き進みます。

どこもとてもきれいな風景なのですが、あいにく寒さのためにしっかり閉ざした窓ガラスにはスモークフィルムが貼られ、さらにその上にカレーのしぶきがべちゃべちゃ付いているためによく見えないのがとても残念でした。

6時20分、バスはレワ(REWA)という町に入りました。

インド・ライプール発アラハバード行長距離バス地図で見るとレワはマディヤ・プラデシュ州の町で、私が初め考えていたルートであるナグプール、ジャバルプルを結ぶ幹線道路のさらに延長線上にある町でした。

ということは・・・このバスはついに山道を抜け、アラハバードへと続く幹線道路に入ったということです。

お~し!これであとは快適なバスの旅となるぞ!

しかしそうは簡単にいかないのがインドです。

インド・ライプール発アラハバード行長距離バス一旦はわりとまともな道を走り出しホッとしたのもつかの間、やがて道は今までで一番ひどい状態になって来ました。
一応舗装はされている、いえ、かつてはされていたらしいのですが、そのほとんどがひび割れ、ものすごい凹凸路面になってしまっていて、バスはまるで嵐にもまれる小舟のように、前後左右に大きくかしぎながらゆっくり進むのが精いっぱいとなってしまいました。

さらに先行する車や対向車が巻き上げる土ぼこりがすさまじく、メガネのレンズなど瞬く間にサンドペーパーみたいになってしまうのです。

見れば沿道の木々の葉もホコリで真っ茶色です。
これじゃあこの辺に住む人も肺をやられてしまうのではないかと心配になります。

そんな悪路の途中でバスは朝の休憩に入りました。

インド・ライプール発アラハバード行長距離バスバスから降りた私は、ドライブイン(というほどのものではありませんが)の庭に横たわるホースに開いた小さな穴から吹き出す水で顔と腕を洗い、一夜を共にしたカレーとようやくサヨナラしたのであります。

休憩を終え再び走り出したバスですが、しばらくはこの悪路を進まなければならないようで、私は洗ってきれいにしたメガネをカバンに仕舞い込むと、ホコリのせいばかりではない少しぼやけた風景をぼんやりと眺め続けたのでありました。

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