2016年グジャラート再訪・第30回 / ジュナーガルの街散策その3・バザールにて

狭い路地に小さな店がびっしり並ぶ、ジュナーガルのバザールを歩く。

大きな旧市街のバザールなどでは道に迷うこともあるが、特に時間が無かったり、なにか用事があったりしない限りそれもまた面白い。

インド、ジュナーガルのバザール

小さな店が延々と続く

ジュナーガルのバザールはそれほど大きなものではないが、それでもいくつか分かれ道があったり、アーチ型の通路を通り抜けたりとなかなか楽しい。

インド、ジュナーガルのバザール

入り組んだ路地にアーチが良く似合う。

そんな風に特に目的もなくウロウロしていたら、店先から声がかかった。
見れば小さな靴屋、いや、サンダル屋のおやじが声を掛けてきたようであった。

インド、ジュナーガルのバザールのサンダル屋

この店はサンダルだけで勝負しているのだ。

なんだろうと近づいていくと、ちょっとここで休んで行けと言う。
もっともおやじは英語を話さず、こちらはグジャラート語がわからないので確かではないのだが、きっとそう言ってるのに違いない。
11月とは言えグジャラートの昼の盛りは暑い。それに何か用事があるわけではないので、お言葉に甘えて店先に腰掛けさせてもらった。

インド、ジュナーガルのバザールのサンダル屋のおやじ

言葉はできたに越したことはないが、時には言葉が無くても通じることもあるのだ。

ただしさすがに込み入った話はできない。せいぜい「どこから来た?」(たぶん)と聞かれ「ジャーパーン」と答えるくらいである。
そんな会話はものの10秒ほどで済んでしまうので、あとはひたすら黙って座っているだけである。まあおやじと向かい合って座っているわけではなく、二人して外を向いて座っているので特に気まずさはない。
するとおやじが「チャイを飲むか?」と聞いて来たので(「チャイ」だけはわかるのでまず間違いはない)、「飲む」と即答する。

おやじは店をほったらかしてチャイ屋に行ってしまった。
こんな時にお客さんが来たら困るなと思っていると、一人のおばさんがやって来た。世の中とかくそういうものである。
仕方がないので身振りと英語で店主の不在を説明し、よかったら店主が戻るまで店の中を見ていてくれと言うがやはり通じない。
ところがおばさんはおだやかな笑顔で私に「お金をくれ」と言い出した。もちろんこれも手振りでわかったのだが。
とにかくお客さんではないらしいのだが、おばさんの服装は特に汚いわけではなく、また柔らかい物腰とにこやかな態度で到底物乞いとは思えない。
私がおばさんの真意を汲みかねていると、今度はなにやら歌を歌い出した。小さな声ではあるが、歳に似合わぬかわいらしい声で楽しそうに歌う。ますますおばさんへの対応の仕方がわからなくなった。
するとそこを通りがかったおっさんが、すかさずおばさんに10ルピー札を渡し、なにやらにこやかに声までかけて去って行った。ありゃりゃ・・・
おばさんはもらった10ルピー札を私にひらひら見せて、「ほらね、みんな私にお金をくれるんだよ」と言うのである。(これも想像ではあるが、たぶんかなり近いと思う)
事ここに至ると私も少しお金を出すようかなと思ったが、おばさんはくるっと背を向け、歌いながら行ってしまった。たぶんいつまでも言葉もわからんやつの相手をしていても、どうにもならんとあきらめたのだろう。
しかしあのおばさんはいったい何者だったのだろうか。

そんな心細い思いをしたので余計に時間が長く感じたが、実際おっさんが戻って来るまで10分くらいかかった。

すぐ近くにチャイ屋がある場合は、店の小僧がグラスに入れたチャイを出前してくれることもあるが、ここではビニール袋に入れたチャイをおっさんが持ち帰って来た。小さな紙コップもちゃんと二つおやじのシャツの胸ポケットに入っている。

インド、ジュナーガルのバザールのサンダル屋のおやじ

テイクアウトのチャイはビニール袋に入れてくれる。

さすがにプロはすごい。ビニール袋に入ったチャイは紙コップにぴったり二杯分あった。

インド、ジュナーガルのバザールのサンダル屋のおやじがくれたチャイ

この量がまたいいのだ。

この少しのチャイをインド人たちは時間をかけてゆっくり飲む。
私もなるべくゆっくり飲もうとするのだが、なかなかインド人のようにはいかない。

インド、ジュナーガルのバザールのサンダル屋のおやじ

おやじは手もみをして「へえ、何を差し上げましょう」と言っているのではない。タバコを吸っているだけなのだ。

おやじはタバコ吸いなので日本のタバコが欲しかったようだが、私は吸わないので当然タバコなど持っていない。
代わりにいつも持ち歩いている個別包装のフルーツキャンディーを二つあげ、おやじに礼を言って店をあとにしたのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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シンプルデザインの真鍮製シンギングボウル

楽しい時はあっという間に過ぎ去るのである・ガンディー大学にて

10月2日はインド建国の父、マハトマ・ガンディーの誕生日である。
なので今回はガンディーにちょこっと関係する話をさせていただきたいと思う。

昨年(2016年)のアーマダバード滞在の折、念願かなってガンディー大学を見学して来た。

1920年、ガンディーはインド人のための大学を、グジャラート州アーマダバードに開校させた。
正式名称は「Gujarat Vidyapith」(開校当初は「Rashtriya Vidyapith」)と言う。ガンディーは学校の名前に自分の名を冠したりしないのである。

インド・アーマダバードにあるガンディー大学の正門

正門の上には独立運動の象徴となったチャルカ(糸車)が掲げられている。

まあここではわかりやすく「ガンディー大学」と呼ばせていただくが、そのガンディー大学で長年勉強されていたK氏(日本人)が、いよいよ卒業され日本に帰国されるということで、最後のチャンスとばかりに迷惑をかえりみずお邪魔した次第である。

実はK氏とはそれまで面識がなかった。しかしまったくの見ず知らずというわけではなく、共通の友人であるインド在住のM氏を通じてメールでのやり取りはあり、また何年か前にはお煎餅の差し入れをしたり(残念ながらその時は都合が合わずお会いできなかった)、逆にこちらの仕入れを手伝っていただいたりという間柄なのである。

とにかく昨年ようやくお会いすることができ、さらにガンディー大学の構内をあちこち案内していただきながら、本や映画だけではわからないガンディーに関するレクチャーを受けるという、もうガンディー好きにはたまらないひと時を過ごさせていただいた。

*その見学内容はまた別の機会に詳しくさせていただきます。

見学の最後に、構内のカフェテリアでチャイをご馳走になりながら、さらにいろいろな話をお聞きした。

インド・ガンディー大学のカフェテリアのチャイ

さすがガンディー大学のチャイ、この一杯が5ルピー(約8円)ととても安い。

私としては聞きたいことが山ほどあり、またK氏の話はどれも本当に面白く、つい時間の過ぎるのを忘れてしまっていたのだが、K氏は卒業間際ということもありなにかと忙しい身である。
そんな時、どこからともなくハヌマーン・ラングールという大きな猿がやって来て、傍らの柵にひょいっと飛び乗った。そしてK氏はその猿を見て、「あっ、もうハヌマーンが来る時間か」とつぶやき、次の予定へと移る時間が来たことを私に告げた。

インド・ガンディー大学のカフェテリアに来た猿

先々の、時計になれや小商人(こあきんど)。 毎日同じ時刻にやって来る物売りは時計代わりになり、同じ時刻にやって来る猿は、そろそろ去る時間だよと教えてくれる。

ガンディーのトレードマークの一つに、愛用の丸い懐中時計がある。
あれはガンディーが約束の時間に遅れないようにするため、いつも持ち歩いていたものだということだが、さすがガンディー大学にいる猿である、時間にはなかなか正確のようだ。

私も夕刻の列車でアーマダバードを発つことになっていた。
本当に名残惜しくはあったが、K氏とは日本での再会を約し、ハヌマーンにうながされるようにしてガンディー大学をあとにしたのであった。

お忙しい中お付き合いいただいたK氏に、ここであらためて厚くお礼を申し上げるとともに、これからのご活躍を心よりご祈念申し上げる次第なのである。

本当にありがとうございました。

インドのマフラー

バルジの影を慕いて:インドのタクシードライバー

インドでいつも決まったタクシードライバーがいると便利である。
特に仕事で何度もインドに行く場合、こちらの行動パターンや行き先を熟知してくれているタクシードライバーがいると実に楽である。

ところが先日の渡印の際、10年以上の付き合いでお互い気心の知れたタクシードライバー「バルジ」が亡くなったと知り愕然となった。
もちろん愕然となった理由は彼の死そのものであるのだが、それはそのまま今回のデリーでの行動が今まで通りには行かないということも意味しており、その点に於いても少々困った事態なのであった。

バルジの死を教えてくれたオートリキシャのドライバーは、バルジの訃報に触れその場に呆然と立ち尽くす私を、さてどうしたものかと困った顔で見ている。
そこで私はなんとか気を取り直し、5年ほど前に一度利用したことのあるタクシードライバーの名前を告げた。
その男はグルチャランと言い、バルジと同郷のパンジャブ人である。バルジが帰省中で不在だった時に、バルジ自らが指名して来たピンチヒッターであった。

そうだ、彼ならおそらくバルジの後継となり得るだろう。

デリーのオートリキシャのドライバーオートリキシャのドライバーはさっそくグルチャランに連絡を入れてくれた。
そして私に向かって小さく頷くと、顎で後部座席を示して「乗れ」と言った。

走りながら聞いた話では、彼は今高級ホテルに詰めているということで、これから落ち合うためにインド門方面に向かうということだった。

グルチャランとはインド門手前の道で行き合った。
彼の運転するアンバサダーをオートリキシャのドライバーが目ざとく見つけ、クラクションを鳴らして停止させたのである。

デリーのタクシードライバー相手はこちらをあまりよく覚えていないようであったが、それでもバルジとの関係からなんとなく思い出したようであった。

とにかく明後日の朝9時のピックアップをお願いし、固い握手を交わして別れたのであった。

これからよろしく頼むぞ、グルチャラン!

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「かけがえのない」という言葉は大切な人やものに対して使うが、そのままの意味では「代わりがない」ということである。
つまり特別大切に思う人でなくても、人はだれしも「かけがえのない」存在であり、代わりなどあろうはずもないのである。

別れた恋人の面影を求め、似たような人を新しい恋人にしても、それはあくまでも違う人なのである。
それはポスト・キャンディーズに同じ三人組のトライアングルがなれず、ポスト・百恵ちゃんに似たような容姿の三原順子がなれなかったことが如実に証明している。

そしてグルチャランもバルジの代わりにはなれなかった。

まず約束の朝、彼はドタキャンの電話を入れて来た。
まあ電話をして来ただけマシとも言えるが、お蔭で私は急遽別の車の手配をしなければならなかった。
思えばバルジはこんなこと一度もなかった。

ドタキャンの電話の際、彼は翌日なら自分のスケジュールが空いていることを何度もアピールした。その日私は夜の列車でデリーを発つ予定だったが、ホテルをチェックアウトした後の半日を観光でもしてつぶすのもよかろうと思い、頼むことにした。

インドのアンバサダーのタクシー当日、まずはこちらの希望コースを告げるも、彼なりの案があるようで若干のコース修正をすることになった。私は風邪気味ということもあり、あまり観光に意欲的ではなかったので、特に抵抗もせず彼に任せたが、こちらの意思を汲み取らない彼の姿勢に少々不満であった。

インドのレストランの付け合せまた昼食は観光客が利用するレストランに案内された。おそらくその店からマージンがもらえるのだろう。
私としてはその辺の安食堂に行きたかったのだが、そこでも抵抗するのをあきらめて素直に彼に従った。まあもうその時点で「この男はダメだな」という評価を下していたわけである。

ただしグルチャランの名誉のために言っておくと、「ダメ」というのは仕入れ目的で市内を回るのに適していないという意味である。
なにしろ彼は普段は高級ホテルに詰めていて、比較的裕福にして気前の良い(であろう)お客を相手に観光スポットを巡り、少々高くても清潔で味の良いレストランに案内するのが仕事なのである。そしてその点では彼は誠実にして紳士的で、運転も慎重かつ安全であるので向いていると思う。

インドの夕陽ということで、彼にしてもそういう仕事を放り投げて、ごみごみしたマーケットに分け入り、苦労して駐車スペースを探し、埃っぽい中でいつ戻るとも知れない雇い主を何時間も待ち続けるなんてことはあまりしたくないであろう。

夕刻ニューデリー駅で車を降りる際、またデリーに戻ったら連絡してくれと言うグルチャランに、私は愛想のいい返事をしておきながらも、もうお願いすることもないだろうなと思ったのであった。

真鍮製のアンティーク弁当箱