バルジの影を慕いて:インドのタクシードライバー

インドでいつも決まったタクシードライバーがいると便利である。
特に仕事で何度もインドに行く場合、こちらの行動パターンや行き先を熟知してくれているタクシードライバーがいると実に楽である。

ところが先日の渡印の際、10年以上の付き合いでお互い気心の知れたタクシードライバー「バルジ」が亡くなったと知り愕然となった。
もちろん愕然となった理由は彼の死そのものであるのだが、それはそのまま今回のデリーでの行動が今まで通りには行かないということも意味しており、その点に於いても少々困った事態なのであった。

バルジの死を教えてくれたオートリキシャのドライバーは、バルジの訃報に触れその場に呆然と立ち尽くす私を、さてどうしたものかと困った顔で見ている。
そこで私はなんとか気を取り直し、5年ほど前に一度利用したことのあるタクシードライバーの名前を告げた。
その男はグルチャランと言い、バルジと同郷のパンジャブ人である。バルジが帰省中で不在だった時に、バルジ自らが指名して来たピンチヒッターであった。

そうだ、彼ならおそらくバルジの後継となり得るだろう。

デリーのオートリキシャのドライバーオートリキシャのドライバーはさっそくグルチャランに連絡を入れてくれた。
そして私に向かって小さく頷くと、顎で後部座席を示して「乗れ」と言った。

走りながら聞いた話では、彼は今高級ホテルに詰めているということで、これから落ち合うためにインド門方面に向かうということだった。

グルチャランとはインド門手前の道で行き合った。
彼の運転するアンバサダーをオートリキシャのドライバーが目ざとく見つけ、クラクションを鳴らして停止させたのである。

デリーのタクシードライバー相手はこちらをあまりよく覚えていないようであったが、それでもバルジとの関係からなんとなく思い出したようであった。

とにかく明後日の朝9時のピックアップをお願いし、固い握手を交わして別れたのであった。

これからよろしく頼むぞ、グルチャラン!

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「かけがえのない」という言葉は大切な人やものに対して使うが、そのままの意味では「代わりがない」ということである。
つまり特別大切に思う人でなくても、人はだれしも「かけがえのない」存在であり、代わりなどあろうはずもないのである。

別れた恋人の面影を求め、似たような人を新しい恋人にしても、それはあくまでも違う人なのである。
それはポスト・キャンディーズに同じ三人組のトライアングルがなれず、ポスト・百恵ちゃんに似たような容姿の三原順子がなれなかったことが如実に証明している。

そしてグルチャランもバルジの代わりにはなれなかった。

まず約束の朝、彼はドタキャンの電話を入れて来た。
まあ電話をして来ただけマシとも言えるが、お蔭で私は急遽別の車の手配をしなければならなかった。
思えばバルジはこんなこと一度もなかった。

ドタキャンの電話の際、彼は翌日なら自分のスケジュールが空いていることを何度もアピールした。その日私は夜の列車でデリーを発つ予定だったが、ホテルをチェックアウトした後の半日を観光でもしてつぶすのもよかろうと思い、頼むことにした。

インドのアンバサダーのタクシー当日、まずはこちらの希望コースを告げるも、彼なりの案があるようで若干のコース修正をすることになった。私は風邪気味ということもあり、あまり観光に意欲的ではなかったので、特に抵抗もせず彼に任せたが、こちらの意思を汲み取らない彼の姿勢に少々不満であった。

インドのレストランの付け合せまた昼食は観光客が利用するレストランに案内された。おそらくその店からマージンがもらえるのだろう。
私としてはその辺の安食堂に行きたかったのだが、そこでも抵抗するのをあきらめて素直に彼に従った。まあもうその時点で「この男はダメだな」という評価を下していたわけである。

ただしグルチャランの名誉のために言っておくと、「ダメ」というのは仕入れ目的で市内を回るのに適していないという意味である。
なにしろ彼は普段は高級ホテルに詰めていて、比較的裕福にして気前の良い(であろう)お客を相手に観光スポットを巡り、少々高くても清潔で味の良いレストランに案内するのが仕事なのである。そしてその点では彼は誠実にして紳士的で、運転も慎重かつ安全であるので向いていると思う。

インドの夕陽ということで、彼にしてもそういう仕事を放り投げて、ごみごみしたマーケットに分け入り、苦労して駐車スペースを探し、埃っぽい中でいつ戻るとも知れない雇い主を何時間も待ち続けるなんてことはあまりしたくないであろう。

夕刻ニューデリー駅で車を降りる際、またデリーに戻ったら連絡してくれと言うグルチャランに、私は愛想のいい返事をしておきながらも、もうお願いすることもないだろうなと思ったのであった。

バルジのこと:インドのタクシードライバー

インドに行くといつも使うタクシードライバーがいる。名前をバルジート・シンと言い、私は勝手に縮めてバルジと呼んでいる。

今回もデリーでの行動初日に、バルジがたむろしているタクシー溜まりに行って見た。

デリーのタクシードライバー目的地に近づくと後ろから一台のオートリキシャが近づいて来て「どこに行くんだ?」とお決まりのセリフを投げかけて来た。
振り向いてドライバーを見ると知っている顔だった。その男はバルジと同じタクシー溜まりにいるオートリキシャのドライバーで、巨漢のシーク教徒のドライバーと双璧を成す悪党、いや、やり手のドライバーである。
そこで私はバルジを探していることを告げた。彼らはこういう時もうそれ以上無理に自分の客にしようとはせず、率先してそのドライバーに携帯電話で連絡を取ってくれたりするのでとても助かるのである。

ところがその時そのドライバーは電話を取り出すこともせず、静かにオートリキシャのエンジンを切ると、じっとこちらの目を見てこんなことを言った。

「バルジートは半年前に死んだ」

えっ?

バルジが死んだ?

突然の思いがけない言葉に私は頭が真っ白になってしまった。

確かにバルジはよくおかしな咳をしていた。でも確か歳は私と同じくらいのはずなのだ。

オートリキシャやタクシーのドライバーはよくウソをつく。「今日はそのマーケットは休みだからおれがもっといい店に連れて行ってやる」などと言う。
でもさすがに人の生き死にでウソはつかないだろう。だいたいそんなウソはその辺のドライバーに確認すればすぐにばれてしまうわけだし。

なのでバルジが死んでしまったのは本当なのだろう。

インドのタクシーバルジとの出会いは私がこの仕事(インド雑貨販売)を始めてすぐの頃だったので、かれこれ10年以上にもなる。
その頃の私はまだ今ほどインドのことを知らず、そのため百戦錬磨のタクシードライバーたちと毎回必死のバトルを繰り広げていた。
そんな時たまたま乗り合わせたのがバルジのタクシーだった。

バルジには他のドライバーたちとはちょっと違った印象を持った。
インドのタクシーと言っても何か特別すごい能力を持っているとかではなく、どこか感が良いというか空気が読めるというか、でもそれは鼻に付くような頭の良さではなく、またこちらが鬱陶しく思うような押しつけの気のまわし方ではないのである。だいたいバルジも隙あらばお土産屋に連れて行こうとしたり(これは何度か付き合ってあげた)、あのマーケットは駐車スペースがないので嫌だとか、指示した道順が効率悪いだとか、料金を上げてくれだとかいろいろ文句を言うのである。でもこちらもその度に言い返し、それがその場限りで後を引かず気疲れしないところがよかった。
決定的だったのは、闇両替屋の誘いに私がどうしようかと迷っていた時、ふと見たバルジの目が「よせ」と言っているのがわかった時である。バルジは片目の瞼をほんの少し動かし、確かに私にそう言ったのである。
もっともバルジにしたら、自分がマージンをもらえる両替屋に連れて行きたかっただけなのかもしれない(実際その後そうなったが)。
しかしそんなことはどうでもいいことなのである。とにかく私はその時こいつとは感覚が合う、しっかり意思が通じ合う、そう確信したのである。人との出会いとは理屈ではなくそういうものなのだと思う。

そんなバルジとの思い出は数え切れない。
毎回デリー市内のマーケットを周るだけの付き合いだったが、それでも枚挙にいとまがない。

運転しながらカーステレオ(ラジオとカセットのやつ)を軽く叩き、頭をひねる仕草を何度もし、「暗に」それが調子が悪いことを私に教えるのである。
帰国後知り合いの自動車修理屋から中古のカーステレオを譲り受け、次回渡印時にバルジにあげたことがあった。

デリーのタクシーの料金メーターが一斉にデジタル式のものになった時、古いタクシーメーターが欲しいという私の願いを、バルジが叶えてくれた。(もっともこちらは有料だったが)

シーク教徒であるのにターバンを巻かないバルジも、シークらしく髭だけは伸ばしていたが、ある夏その髭をきれいに剃りあげて来たことがあった。
私は驚いて何があったのか?と問いただすと、バルジはこともなげに「暑いから」と言うのでもう一度驚いた。

インドのタクシーの車内そんなバルジのタクシーにもある夏ついにクーラーが付いたが、クーラーを使うと料金が50%アップとなるため私は一切使用しなかった。しかし40℃を軽く超える暑さにバルジが耐え兼ね、追加料金なしでクーラーを点けた時の私の満足感。たいして効かないクーラーの風が実に心地よく感じた。

日本製のバーチを買って来て欲しいと言われ、なんだそれは?バーチだ、バーチ!のやり取りが何度か続き、信号待ちの時バルジが右手で左の手首をしきりに叩き、またバーチ!バーチ!と必至に繰り返すので、それでようやく「バーチ」とは「ウォッチ」のことであるとわかった時のお互いの安堵した表情と「買って来れない」と言われた時のバルジの落胆の表情。

挙げ始めるときりがない。

私のトランクがデリー警察爆弾処理班によって破壊された時、もう処分してしまったトランクを欲しがってたバルジ。また次に破壊された時にはお前にやるよと約束したのに、それも果たせぬままである。

デリーのタクシードライバー今回デリーで仕入れをしている時も、ふと見たマーケットの奥まった路地に、バルジのタクシーが停まっているような気がしてならず、そのたび何度も寂しい気持ちになってしまった。

長い仕入れの待ち時間、バルジはたいてい新聞や雑誌に読みふけっていた。
知り合った時にはそんなことはなかったのに、いつしかバルジは目をしかめるようにして紙面を眺めるようになっており、私は日本から持参した百均の老眼鏡をあげたこともあった。

そんな風に人はだれもが歳を取り、そして死んで行くのはわかっているけど、

ちょっと早いんじゃないのかな、バルジ。

さすがフランス人:インドで出会った人

アーマダバードのキャリコ博物館の開館を待つ間に知り合ったフランス人です。現在イギリスで働いているというこで、英語がお上手でした。

インドのフランス人私が日本人だと知ると、「俺は日本のタトゥーに興味があるんだ」と言うものですから、たまたま持っていた点描画の風神雷神手ぬぐいを進呈致しました。すでに何度か使用したもので、この日も使う予定だったのですが、会ったのが朝一番だったので(その日は)未使用品なのです。

キャリコ博物館というのはインドの伝統的な布を収めた私有博物館なのですが、毎日の入館者をごく少人数に規制したり、内部はガイドに従ってツアー形式で回るだけで写真撮影も一切まかりならぬ!(入り口で荷物を預けなくてはなりません)といった厳しいところなので、他の写真はないのです。(入り口や外観は撮るのを忘れました)

でまあ、そのツアーをこのフランス人と一緒に回ったのですが、とにかくガイドは要所要所で短い説明をするとどんどん次に行ってしまうわけですよ。心行くまでじっくり見るどころか、その説明と展示物をすり合わせて記憶に留めるという作業すらままならないスピードなのです。

そしたらこのフランス人、「これじゃワインのテイスティングだけさせて、ちゃんと飲ませないのと同じだな」って私にゆーのです。

おお、さすがフランス人、形容の仕方がおしゃれザンスねえ~

インド:そりゃあもう個人的には大興奮のイベントでした・ナマステインディア2009

今年も国内最大級のインド系イベント「ナマステ・インディア2009」が、9月26日(土)、27日(日)に東京代々木公園イベント広場にて開催されました。

今年は両日とも天候に恵まれ、特に初日は快晴で汗ばむほどの陽気でありまして、そこがまたインドみたいな感じ(?)で飲食店ブースを中心に大変盛り上がっておりました。

インド人チャダさて、写真は初日の夕方野外ステージで行われました、「世界初のインド人演歌歌手チャダ」さんのステージ風景なのでありますが、実は私、今回はチャダさんとお話しする機会に恵まれ、個人的には大興奮のナマステ・インディアだったのであります。なにしろ私、チャダさんのステージの「出待ち」をしてでもお話しさせていただこーかと、そう思っていたのでございます。

と申しますのは、昨年このブログでチャダさんのことを書いた(こちらです)のですが、その中にチャダさんの当初の来日目的がミカン栽培の勉強であり、その後歌手デビューしたチャダさんが、「ミカンの勉強はミカンセイに終わりました」とテレビで言っていたということを書いたわけであります。

で、ですよ、

歳のせいか最近その記憶にちょっと自信が持てなくなって来ておりまして、「それならいっそ本人に確認してしまおーじゃないか」とね、そー思った次第なのであります。

まあその程度のことを確認しようなんていうのは、ご本人には大変迷惑かもしれませんし、私以外の方々には「どーでもいいじゃん」ってことになるのかもしれませんが、これは私の記憶の正しさを証明し、老いに打ち勝つためのとても大切な行為なのでありますし、もうすでに実行してしまったので今さら思いとどまるとかそんなことはなく、ただここにそのご報告をするだけなのであります。

しかし、私も初対面の人に何の脈略もなくいきなりそんなことを聞いてしまうほど厚かましくはないのです。
まずは初日の昼間、チャダさんの宣伝用(たぶん)ブースにお伺いし、自分がチャダさんの昔からのファンであることを告げ、握手をして一緒に写真を撮りました。

さあ、もうこれで私たちは知人になったわけです。もう何でも腹を割って話ができる環境は整いました。

そして迎えた翌日、まだ開場前の閑散とした会場でチャダさんの姿を見かけた私は大きく手を振りました。するとチャダさんは私に歩み寄りガッチリ握手をし、「さあ、何か悩みがあったら思い切って打ち明けるがいいさ」というような眼をしてこちらを見る(まあ言葉には出してませんでしたが)ものですから、思い切って私は悩みを打ち明けました。

「あのお、チャダさんって、最初はミカン栽培の勉強で来たんですよねえ?」

「ええ、そうです。九州の方でね」

おお!新事実だ!ミカン栽培の勉強は九州でされていたのかあ!
そーかー、そーだったのかあー、きゅーしゅーかあ。

「それで・・・テレビに出られた時に・・・『ミカンの方はミカンセイに終わりました』って言ってましたよねえ?」

「はい、そういうオヤジギャグを言ってましたね。よく覚えてますね」

やった・・・

私の記憶は正しかった・・・

私はまだまだ大丈夫だ・・・

ホッ!

とまあそれだけの話なのですが、この記事を書くにあたり昨年の記事を読み返してみましたら・・・

「チャダさんは私が小学校の高学年の時によくテレビに出ていました」

なんて書いてあるのですが、改めて年月を計算してみましたら、どう考えても私は当時中学生でした。

ああ、歳は取りたくないものだ・・・

インド:わかるなあ、その気持ち・インドの自転車少年

これはコルカタのマイダーン公園で出会った少年(の写真)です。

インド・少年の自慢の自転車私が公園の中で写真を撮っておりましたらこの少年がやって来て、私につかず離れずしながら一生懸命自転車をこぎ、時折こちらをチラチラ見るという示唆あるいは示威とも取れる行動をするのです。

まあこの行動は別に私に敵意を持って行われた警告というものではなく、ただ単にカメラを持った外国人(私のことです)に興味を示したのと、できればそのカメラで自分の写真を撮ってくんないかなあという、とても子どもらしい気持からのことだとすぐにわかるものでした。

そこで少年にカメラを向け、「撮っていいか?」という仕草をすると、少年はすぐに自転車から降りポーズを取りました。

はい、ぱちり!

ほうほう、こうしてよく見ればなかなかいい自転車じゃあないですか。
まあ新車には見えませんが、たとえ中古(もしくは誰かからのお下がり)だったとしてもかなり高価なものでしょう。

なるほど、この少年は私に興味を持ったのではなく、この自慢の自転車を私に見せたかったのですね。そうなるとなんだかちょっと残念な気持ちがするから不思議です。

でも、私もかつて子どもだった頃、やっと買ってもらった自転車が嬉しくて嬉しくて、いやもう嬉しくて嬉しくて嬉しくて、なんだかこう嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて・・・えっ?くどい?

とにかくその自転車を誰かに見せたくて、そしてその自転車に乗っている私の姿を見てもらいたくて、でもってできることならば「おっ、いい自転車乗ってるね!カッコいいぞう!」などと言ってもらいたくて、意味もなく住宅街をぐるぐる走り回ったものです。うん、わかるわかる、その気持ち。

もちろんそんな私ですから、この少年に「おっ、いい自転車だね!」と言ってあげましたとも、ええ。

すると少年は私に、「少し乗っていいよ」と言ってくれたのです。

おそらくこの少年にとってとても大切な自転車だと思うのですが、そんな自転車をもしかしたらそのまま祖国にまで乗って逃げて行ったしまうかもしれない見ず知らずの外国人に貸そうだなんて、なかなか純粋でいい少年じゃないですか。

でも私はその時ちょっと大きな荷物を持っていたのと、地面が草地で自転車をこぐにはちょっと苦労しそうな状況だったこともあり、少年の申し出を丁重にお断りしたのであります。

少年よ、いつまでもその清らかな心を忘れず、決して外国人を騙すような人にはならないでおくれ。